22 坂道を下る日 【22-3】



しばらくすると、富樫様のところから月島さんが戻ってくる。


「木立」

「はい」

「富樫様には、私から謝りを入れて、今日1日は折れていただいた。
『潮騒』のお客様が出られたら、すぐに片付けて、明日はそこに入っていただけるよう、
準備してくれ」

「エ……」

「明日は『潮騒』だ」


月島さんはそういうと、『荷物を運んでくれ』と私を見た。

私はすぐにフロントから出て、富樫様のところに向かう。


「富樫様、お待たせいたしました。それでは本日は『夕凪』にご案内いたします」


荷物を持ち、頭を下げる。


「いい? 月島さんの頼みだから折れたのよ。そうじゃなかったら、帰りますから」


富樫様はそう言って立ち上がる。


「申し訳ありません」


色々と思うことはあるが、ここは大人。

坪倉菜生、しっかりと頭を下げる。


「全く、業務の見直しだかなんだか知らないけれど、
フロントの人も、少なくなっていないかしら。
お客様に対しての細かい心遣いが無くなるようでは、月島さんもご苦労されるわね」


富樫様はそういうと、私の前を歩き出した。





「もう……お腹の中のマグマが爆発ですよ、爆発」

「おぉ……勢いあるね、坪倉さん」


その日の仕事終わりに、『海ひびき』に出かけ、

どうしても話したくて景山さんを捕まえる。


「『潮騒』と『夕凪』って隣の部屋ですよ。広さも同じだし、
方角だってほぼ同じでしょう。なんのこだわりだか知らないですけど、
5年ぶりに来たくせに、何が富樫と言ったら……って……」

「うん」


景山さんは頷きながら、『でもさ……』と切り返す。


「その人もきっと、色々ストレスが溜まっているのだと思うよ」

「ストレス?」

「そう。心のどこかではわかっているのよ。ちょっとわがままかな……とか。
でも、きっと何かに当たらないと気が済まない。踊りの先生だっけ?
5年ぶりって言っていたでしょう。
もしかしたら、近頃は生徒が思うように入ってこないとか、いや、生徒はいるけれど、
生意気な若いのばっかりで、全然言うこときかない……とか」


生意気……か。


「いけないと思いつつも、わがままを言うことで、気持ちを整える?
お客様としての料金を支払ってね。ここには日常を切り離したくて来たのかも」


景山さんにそう言われて、少しだけ怒りの角が引っ込んだ。

確かに、もしそこで『潮騒を用意しております』となれば、

富樫様の気持ちは、一気に上向きだっただろう。

『私を覚えていてくれたのね』と。


「今頃思っているかもよ。あれ? この部屋も全然変わらないわって」


景山さんはそう言って笑うと、『食べな、食べな』と唐揚げを勧めてくれる。


「これ、市尾さんが見本で作ってくれたから」

「市尾さんが?」

「そう、むね肉なのに柔らかいよ。仕事終わりの空腹には、バッチリ」


景山さんに勧められるまま、唐揚げを一口食べてみる。


「あ……本当だ」

「でしょう、でしょう」


景山さんは今度スパイスのレシピを聞いておくからねと、言ってくれる。

私は『連絡お願いします』と頼み、残りの唐揚げを口に入れた。





2泊予定の富樫様は、その夜も『まくら』や『空調』に文句を言い、

ナイトスタッフを困らせたという。次の日、『潮騒』のお客様がチェックアウトし、

富樫様の移動があるため、すぐに清掃スタッフが中に入った。


「こっちに入ってもらって、それでいいかな」

「そうですね、こちらは一緒の予約をされているので、
部屋が離れるのはおかしいでしょうし」


本来なら今日の予約で、部屋割りも済んでいたのだが、

富樫様の要求に応えるため、数組の部屋を移動させることになる。


「あ……ダメだ」

「エ……ダメですか?」

「うん。こちらのお客様、お一人車椅子だ」

「あ、そうでした」


木立さんは時計を見ると、今整えた形を崩してしまった。

一緒の予約を入れてきた人達、車椅子や赤ちゃんなど配慮の必要なお客様など、

状況を判断して部屋の割り振りをする。

壁にかかる時計はこちらの悩み事など考えず、規則通りに進む。


「木立さん」

「はい」


そこに入ってきたのは芹沢さんで、

木立さんが見ていた部屋割り図と同じ、印刷したものをテーブルに置く。


「これで変更出来ると思います」

「エ……あ、あぁ……」


私たちが見た芹沢さんの部屋割り図は、100%の出来映えだった。





その日の勤務が終了し、私は制服から私服に着替える。

『潮騒』を希望した富樫様は、無事その部屋に入り、

車椅子のお客様がいる部屋は、畳にベッドがある場所となった。

赤ちゃんがいるお客様の部屋は角に持って行き、

さらに隣は『緊急用』に空けた部屋にした。

これで、もし夜泣きをしても、周りに聞こえにくい。

海側希望のお客様はそのまま、特に希望されなかったお客様には動いていただき、

パズルのような部屋割りを、すぐにしてしまう判断力。

木立さんもベテランなのに、芹沢さんはさらにその上で……


「お疲れ様でした」

「あ……お疲れ様でした」


芹沢さんだ、どこに行くのだろう。


「これからまだ仕事ですか?」

「いえ、今日は仕事ではなくて、東京に私用で出かけます」


『東京』に私用。

デートですか? それとも……

そんなこと、聞く立場ではないけれど。


「電動自転車いいですね、僕も買おうかな」

「便利ですよ、これ」


芹沢さんの気持ちは、芹沢さんのもの。

そう思うけれど……


「この間は、ありがとうございました。励ましていただいて」

「エ……」

「僕が余計な話をした時です」

「あぁ……」


月島さんが飛び込んで来て、ボン太が入ってきたあの日のこと。

確かに無関係の私はどうしたらいいのか少しオロオロしたけれど、

芹沢さんの話を余計だと思ったことはないな。


「いいえ……」


むしろ、気持ちで話が出来たのは嬉しかったかも。

芹沢さん、歩いて行くのかな駅まで。

それならと思い、私も自転車を押しながら歩くことにした。


【22-4】



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