25 違いがわかる日 【25-3】



「鬼澤さんの10年が、僕も報われたらいいなと、そう思いますし。
坪倉さんを失うのは、色々な意味で損害が大きい」

「芹沢さん、それなら……」

「しかし……あなたのしたことは褒められたことではないですよ、
そこはしっかり心に刻んでください」


芹沢さんの仕事モードの顔。

ここはきちんと頭に入れないといけない顔だ。

ふざけたりしてはダメの場面。


「はい」

「素直でよろしい」


芹沢さんはそう言って笑うと、『10年か……』と声に出した。


「はい」


そう、鬼ちゃんは今、10年の思いを抱え豊田市にいます。

後悔とか、不安とか、でもその中に期待もあって。


「もう、会えてますかね」

「ナナミさんの勤務時間までわからないので、どうかな……」

「あぁ、そうか」


『退職届』まで用意して、ダメだろうと思っていた状態から急上昇した私。

やっと少し冷静になって、少し前のことなど思い返すことが出来る。

『嫉妬』って言ったよね、芹沢さん。

私が鬼ちゃんのことを思い、行動したことに対して。

『嫉妬する』。それは、そういうこと……



そういうことだと思って、いいですよね。



「坪倉さん」

「はい」


なんだろう、名前を呼ばれるだけで、つい顔がにやけちゃうけど。

もしかしたら……


「ちなみに、こういった時は『退職届』ではなくて、『退職願』にした方がいいですよ。
届けは出して受理されたら撤回できません。絶対に辞めますからという、
強い意志の現れです」

「エ……」


強い意志?


「こんな会社、私の方から辞めてやるというくらいの強い意志です。
それが『届け』にする意味ですから。会社に残りたい気持ちが少しでもあるのなら、
ここは『退職願』にしないと。僕が今これを持って……」


芹沢さんの手が、私の書いた『退職届』を手から引き抜いていく。


「あ……」

「そう、これを持って僕が社長のところに行ってしまったら、
何があっても、坪倉さんは辞めなければならなくなります」

「エ……あの……今、目をつむるって……」

「言いましたけど……」


芹沢さんは、笑顔のまま立ち上がる。


「出してみましょうか、これ」

「あ、ダメです、ちょっと待ってください。辞めません、辞めませんから」


私は両手を前に出し、芹沢さんを止める。

ボン太なら『ウソだからね』となんとかごまかせても、社長は知らないし。


「どういう反応を示すのか、興味あるな」

「返してください、出すのは取り消します」

「取り消し」

「そうです」


両手で大きくバツ印を作る。


「芹沢さんは最高責任者ではないですよね、
今なら、ここならまだ戻してもらえるはずです」



はずだろうか、よくわからないけれど。



「返してください」

「なら、いつならいいですか」

「エ……いや、いつも何も」


出さないって今言いましたよね。いつもなにもないです。


「いつなら食事の誘いに、乗ってくれますか?」


芹沢さんはそういうと、笑いながら『退職届』を目の前でちらつかせる。

いつも冷静で、仕事もバリバリ出来る芹沢さんなのに、

何、この、子供のようなマウントの取り方は。



嫌じゃないけど。



「私はいつでもいいですよ。それこそ今からでも……」


そう、私にNGなどない。

忙しいのはあなたのはず。


「今週も来週も、仕事以外で特に慌ただしい予定はありませんし」


そう、別に予定なんてなくて……。

いや、たとえあったとしても、あなたとの約束が入るのなら、全部ガラガラポン出来る。


「それなら……木曜日」


芹沢さんはそういうと、私の手に『退職届』を戻してくれた。





「菜生……洗濯物、入れてくれる?」

「わかった」


母の声に、すぐに返事はしたが、体はすぐに動かず、携帯の画面を見続ける。

『芹沢さん』の文字の後に続くのは、LINEのデータ。

覚悟を決めた時間から、急展開して、私たちはLINEを交換するような間柄になる。



そう、この場所は、私と芹沢さんだけの空間。

ここに文字を打ち込み、送信すれば、24時間、365日彼にメッセージが届く。

誰に知られることなく、秘密のメッセージを送ることが出来るのだ。



『お疲れ様、今日はトラブルがなくてよかったね』

『お疲れ……菜生たちフロントがしっかり仕事をしてくれたから、
こっちは法人関係の打ち合わせに集中出来たよ』

『そう、よかった』

『明日は、休みか』

『うん』

『菜生の顔が見られないと思うと、やる気が半分になるな』

『エ……それで半分?』



こんなプライペート感満載の会話も、成り立つわけで……


「菜生! 雨が降ってきたって」

「あ、はいはい、すぐに」


いけない、いけない。また妄想状態だ。

いいことがあったからこそ、変なところで落ち込まないようにしないと。

それからすぐに立ち上がり、ベランダから洗濯物を入れていく。


「あ……」


洗濯ばさみが一つ手からすべり、

いつも配達に使う、『坪倉畳店』軽トラックの荷台に落ちた。


【25-4】



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