25 違いがわかる日 【25-5】



「お先に失礼します」


芹沢さんに怒られてからは、気持ちをしっかりと入れ替え、宴会の準備も引き継ぎも、

予約確認のチェックも、指摘されないくらいしっかりやり遂げた。

勤務時間が終了になり、すぐに着替えて早足で外に出ると、自転車にまたがりこぎ始める。

下り坂だからスピードは上がるけれど、さらにもっと早く着きたくて。

途中で数人の従業員さんを追い抜き、挨拶しながら家までたどり着いた。


「鬼ちゃん!」


工場を開けると、そこにはいつもと同じ鬼ちゃんがいる。


「お帰り、菜生」

「うん」


鬼ちゃんのそばに向かい、簡易椅子を置く。

今日は愚痴なのかなんなのかなんて、聞いてこないはず。

なんせ、聞くのはこっち。


「ねぇ、七海さんとちゃんと話せたの?」


まだ座ってもいないのに、言葉が先に出て行ってしまった。


「話せたよ」

「本当に本当に話せたの?」

「なんだよ、それ。本当に話をしてきたよ」


鬼ちゃんはその場で立ち上がり、少し畳の切れ端などを払うようにする。


「菜生のおかげで、七海と会うことが出来た。本当にありがとう」


鬼ちゃんが立ち上がっているのはわざとであって、

顔を見て台詞を言うのが照れくさいから。そんな気持ちも、わかるんだな、私。


「うん……」


初めて、鬼ちゃんを助けてあげた。少しだけ恩返し出来た、そんな気がする。

私は胸が一杯で、とにかく嬉しくて。


「よかったね、鬼ちゃん」


私にとって、坪倉家にとって、大事な鬼ちゃんが嬉しそうに笑っている。

それだけで十分。


「それで『龍海旅館』の方は大丈夫なのか。俺から椋さんに謝るから」

「大丈夫だよ、芹沢さんに事情も話したから。今回は目をつむってくれた」


私は芹沢さんがしたように、その場で目を閉じてみた。


「そうか……いや、豊田に向かいながら、七海の社員証を見てさ、
こんなものを持ち帰ってきた菜生が、仕事を辞めさせられるかもしれないって、
迷うところもあったけれど、でも、お前の覚悟を感じたし、どうしても前に進みたくて」

「だからわかっているって、私は全てを受け入れるつもりで鬼ちゃんに渡したの。
捨て身の行動だけれど、それはきちんと理解してもらった。
ただ、鬼ちゃんと七海さんの話も、ごめん……話してしまったけど」


鬼ちゃんが『坪倉畳店』へ来てくれた流れなど、芹沢さんに語ることにはなったが、

それは避けては通れないわけで。


「それはいいよ、もう10年も前のことだ」


そこから鬼ちゃんはゆっくりと話し出す。

10年前、自分の病気を知り、手術をして悪いところを取るようなことになれば、

女性としてハンデを背負うことになると考えた七海さんは、

やはり鬼ちゃんが結婚に前向きであることがわかり、その優しさが怖くて、

突然飛び出してしまった。


「七海にとっても、思ってもいなかった病気の発覚で追い詰められていた。
実家に戻ることも出来ずに、知りあいが誰もいない『豊田市』に向かったって」

「その頃から豊田市に住んでいたの?」

「そうらしい。あえて一度も暮らしたことがないところにって」

「そうなんだ」


それから七海さんはたった一人で病と向き合い、そして6年が経過した。

鬼ちゃんが実家に来たと言うことも、兄弟から聞いたが、

七海さんは、もう二度と会わないと決めていたという。

しかし、治療が進み、時間が経過したことで気持ちの余裕を作る。

七海さんの頭に、あの時飛び出してしまったままの鬼ちゃんがどうなっているのか、

それを気にする時間が生まれてきた。


「そこに一つの偶然が起きた」

「偶然?」

「うん……」


鬼ちゃんには5つ年齢の離れたお兄さんがいる。

その人が『豊田市』の市会議員に立候補し、当選したのだ。


「兄さんは豊田の市役所に元々勤めていて、長年地元の議員をしていた人から、
やってみないかと言われたらしい」

「へぇ……」

「地域のために動いていた姿が、向いていると思われたのだろう。それで……」


そんなきっかけで当選した後、地元の行政が出すお知らせの誌面で、

自分の弟も、20代半ばから職人として学び始め、『七海』という場所で、

畳職人をしているという話を、七海さんが読むことになった。


「人生というのは、自分が思っていた方角ではないところに、
急に向かっていくことがある……そんな話の中でね」


『オニザワ』ではなく『オニサワ』。

年齢の合致、似ている雰囲気。そして『七海』という場所。

七海さんは、自分と暮らしている時、鬼ちゃんにホワイトカラーではなく、

職人を目指したらどうだと話していたことを思いだし、『七海』に来てみたという。


「来たの? 七海に」

「あぁ……『七海』で畳職人と言ったら、うちしかないだろう。
場所を探して、『坪倉畳店』を訪れたら、その日は工場に社長しかいなかったらしい」

「うん」


午前中ならそうなる。

鬼ちゃんは車で外に行くことが多いから。


「奥さんがその扉を開けて、『鬼ちゃんはまだ?』って、ちょうど話していたって。
七海は俺の姿は見なかったけれど、その呼び方を聞いて、
きっとここで働いているのだろうと考えて、豊田市に帰ったらしい」

「うん」


お兄さんの話から、鬼ちゃんかもしれないという人に、

七海さんは先にたどり着いていた。


「『七海』という場所で、俺が頑張っているかもしれないと思っていたら、
やっぱりもう一度姿を見たいと考えるようになって、
例の『てくてく』を七海が見ることになった」

「うん」


今までなら意識していなかった場所も、もしかしたらと思えば興味も沸くだろう。

『てくてく』はこのあたりで配られる情報誌だが、

『七海』の観光を紹介する行政のページに、

記事の内容がどういうものなのかという、タイトルは入っている。


「それなら、そのタイトルで……」

「うん。畳職人さんが作る、小物の魅力ってタイトルを見たらしい。
名前も『オニサワ』ってきちんとフリガナふってくれていたし」

「うん」

「それで、あいつは沢田久美の名前で『龍海旅館』に予約を取って、
『てくてく』を協会でもらって……」

「で、この間になる……と」

「そう」


そうだったのか、鬼ちゃんを遠ざけたけれど、少しずつ入ってくる情報に、

気持ちがもう一度呼び起こされて。


「『坪倉畳店』を見に来ようとしていたら、菜生がゴミを捨てるために出てきたって」

「うん。あ、そうだ、どうしてあんな時間に来たの?」


そう、そこが疑問。

畳屋はそれほど朝早い商売ではないから。


「あぁ……うん。前にここへ来た時、それほど大きな畳屋ではないことがわかって、
七海は、俺が菜生と……というか、この家の人と結婚して、
ここに住んでいるのだろうと思ったみたいだ」

「エ……」

「だから朝早く来たのは、洗濯物とか、
何か生活のヒントになるものがあればと考えたみたいだよ」


鬼ちゃんはそう言って笑い出した。


【26-1】



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