27 冬に春が来る日 【27-3】



「はぁ……」

「お疲れ様です」


その後、すぐに私が田川さんのところに走り、

忘れ物だと思っていた鍵は見つかったことを話す。

田川さんは安心したのかその場にしゃがみ込んでしまい、大きく息を吐いた。

それでもすぐにお客様のところに戻り、笑顔で見送りをする。

バスが完全に見えなくなって、自分の席がある場所にまで戻り、

やっと大きくため息をつく。


「鍵がない、鍵がないって出発前に急に言い出して、
カバンはとか、ポケットはないでしょうかと一応聞いたの」

「はい」

「でもない、ない……でしょう。
お客様に本当に探しましたか? って聞きたかったけれど、もう半分パニックで、
出発時間はあるし、こっちがすぐに動かないと、
何をしているのかと言われそうだったからさ」

「そうですよね。業者に出してしまった後だと、見つけにくいし。
見つかるにしても遅くなりますし」

「そうなのよ……」


忘れ物は確かにあるが、結構、勘違いも多い。

申し訳なさそうにするお客様もいれば、そうでない人もいて。


「あぁ、とにかく終わった。今日はあがります」

「お疲れ様です」


早番の田川さんが仕事を終了し、

チェックインが遅くなると連絡を受けたお客様が、無事到着する。

そして……



芹沢さんはまた、『東京』に行ったことがわかった。



『東京』か……。

『龍海旅館』も一区切りしたことは間違いない。

社長も戻ってきたし、金村さんは裏で仕事をしてくれていて、

月島さんのように、私たちに横柄な態度を取ることもない。

ボン太もきっと、安心して跡取りとしての勉強をしているだろう。



そうなると……



そうなのかもしれない。



「すみません」

「はい……あ……鬼ちゃん」

「うん」

「あ、いえいえ、鬼澤様」

「いいよそんなこと。やめてくれ」


本当に普段通りの鬼ちゃんが、フロントに顔を出してくれた。

私も普段通りの接客をしようとするが、拒絶される。


「部屋……どこだ、自分で行くからそれだけ教えて」

「ご案内させて……」

「いらないって、一人で行くから」


目の前で人を払うような手の動き。


「どうしてよ、荷物、私が持つってば」

「荷物なんてないよ」


言われてから鬼ちゃんをあらためてみる。

本当に何も持っていない。


「エ……何? 着替えも持ってきてないの?」

「浴衣あるだろうが。あとはポケットだ」

「ポケット?」

「あぁ、うるさいな、いいから部屋だって」


私は『青海原』だと教える。


「ねぇ、明日、七海さんうちに連れてきてよ。さっき話をした時には言ったけど」

「あぁ……」

「本当にだよ。お父さん達もそう言っていたでしょう」

「わかっているよ、うるさいな」


鬼ちゃんはそういうと、ひとりで勝手に『青海原』に向かってしまう。

後ろを着いていこうかと思ったが、それはおせっかい、いや、意地悪、

『うるさいな』の言葉通りとなってしまう。

ここからは鬼ちゃんと七海さん、二人で……

角も曲がったし、部屋の前には名前も書いてあるのだから、間違えようもないはず。


「よし、帰ろう」


私は更衣室で着替えて、自転車置き場に向かう。

ハンドルを握ってペダルに足を置き、ふと旅館の部屋を見る。

『青海原』の場所には、ちゃんと灯りがついていて。


この後、夕食だな……。七海さん、好き嫌いないって言っていたから、

きっと美味しいと思ってもらえるはず。

ゆっくり食べて、誰に遠慮すること無く、二人でたくさん話して欲しい。

10年の時を埋めて、さらに前に進むように。


「おやすみ……」


私は『青海原』に向かって手を振った後、自転車を漕ぎ出し坂道を下っていく。

手袋をしている両手は、寒さで冷たく感じるが、心はほかほか状態。

信号に一度もひっかかることなく、家まで到着した。





「ただいま……」

「お帰り」


いつもの母の声に迎えられ、靴を脱ぐ。


「ねぇ、お母さん。鬼ちゃんったらさ、何も荷物持ってきてないんだよ。
びっくりだよ」

「あら、本当に? 鬼ちゃんそろそろ時間だよって言おうとしたら、
いつのまにかいなかったのよ。
いつもなら、どこに行くにも『行ってきます』って言うのにね」


母はそういうと、漬物の樽からたくあんを出してくる。


「恥ずかしかったんだよ、きっと。
私だってお部屋まで案内しますって言ったら照れちゃってさ、
いいからうるさい……みたいに」

「エ……うるさいって」

「そう、スタスタ勝手に歩いて行った」

「あはは……それは恥ずかしいからに決定だね」

「わかってるよ。こっちだってわかっていて、わざと言ったの」


私は七海さんが本当に優しそうな人だったと、母に話した。

母も嬉しそうに頷いてくれる。


「いや、いやいや、やはり気にはなるよね。
今日だけ、ナイトスタッフに入れてもらえばよかったな」

「やめなさいよ、菜生。近くにいると思うと、鬼ちゃんも気が休まらない」

「そうか、そうだよね」


私は『着替えてきます』といい、階段をあがった。


【27-4】



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