29 香りが蘇る日 【29-2】



夫婦には色々な形があるのだと思うけれど、なんだか朝から気分が重い。

あの二人、うちの両親より少し上くらいかな。

うちは商売をしているから違うのかもしれないけれど、父が母に、

あんな強い態度で話しているのは見たことがない。



まぁ、そもそも、母がいなければ、わからないことが多くて、

困って全て諦めるような父だけれど。



「亭主関白?」

「はい。ご主人があまりにも強い口調で奥さんに話すから、
聞いている私の方が辛くなりました」


フロント業務に戻り、木立さんに流れを説明。

そして、本日到着のお客様を最終チェック。


「そうか、まぁ、年配のご夫婦は、まだそういう人達が多いと思うよ。
男が上、女は従えばいいってね。そういうことをしていると、
今は男女差別と言われかねない。その点、うちは近代的だよ」

「近代的?」

「そう、何もない空間で動く奥さんの指……」


木立さんは空間で右手の人差し指をスーッと動かし、またそれを逆方向に持ってくる。

スマートフォンの大きい画面に触れているような動きに見えるけれど。


「そう、俺はこれで動くから」

「指でですか」

「そう。左を指せばゴミ捨て。右をさせば風呂掃除」

「エ……」


木立さんの指がもう一度右に左に動き、見たこともないのに、

慌ただしく動いている姿が想像出来て笑ってしまう。


「あ、すみません、笑っちゃった」

「いいよ、笑ってくれた方が。ここ、真顔で頷かれてもさ」


木立さんも一緒に笑い出し、少し重苦しかった空気が、入れ替わってくれた。


「なんだか楽しそうですね」

「あ……おはようございます」


新年に入り、今まで体調を崩し業務から引いていた社長が、本格的に復帰した。

金村さんは事務所に入り、業務をすることが増える。

元々銀行から来ている人だけに、数字には強そうだ。

社長とは挨拶だけを交わすだけでも、やはり気持ちは引き締まる。


「社長、元気になったみたいだね」

「ですね。前にお会いした時より、顔色も良さそうで」


やはり仕事があることは、大事なことだ。

『自分には役目がある』と感じられると、人は気持ちが前向きになる。

以前は、旅館の厨房から退かされたと拗ねていた市尾さんだが、

今では『海ひびき』の仕事と、プライベートの囲碁大会出場、

その両方を励みに頑張っていると聞く。


「すみません、チェックアウトお願いします」

「はい」


少し前に、呼びだされた『潮騒』のご夫婦。

カウンターに支払いをしに来たのは、少し口調の荒いご主人の方。


「ご利用、ありがとうございました。ごゆっくり出来ましたか」

「はい。あぁ……先ほどは家内がお呼びだてをしてしまい、申し訳ありませんでした」

「いえいえ……」


ご主人の後ろで、ちょこんと頭を下げてくれる奥さん。

ご主人は支払いをカードで済ませて、『また利用させてもらいます』と言ってくれる。


「ありがとうございました。また、お待ちしております」


そう挨拶をして二人を見ると、荷物は全てご主人が持っていた。

奥さんが自分のバッグを持つと言っても、ご主人はいいからと譲らない。


「あ、でも……」

「いいから、お前はササッと行動しろ」

「はい」

「ほら、行くぞ」

「はい」


奥さん……笑っていた。


そうか、笑えるんだ……


朝は、ものの言い方がキツイご主人だなと思った私だけれど、

着いていこうとする奥さんの表情と、旅館を出て行く二人の後ろ姿を見ていると、

それはそれでいいのかもと思うようになった。

あの口調の裏に、優しいところがあるのを奥さんはちゃんとわかっていて、

だからこそ、こうして笑顔で着いてきているのだろう。



亭主関白、かかあ天下、夫婦の形はそれぞれ。

私にもきっと、私の形が……



『芹沢 東京』



忙しい年始に、パワーをもらえる存在は東京か……

年末まではこんな表示に少し気持ちを乱しかけた私だが、もうそんなことはない。



『私たちは七海で、これからも一緒に頑張る』



そう、それがわかっているのだから。

東京だろうが、ニューヨークだろうが、行ってこいってところよ。





「こんばんは」

「いらっしゃ……あ、菜生」

「えぇ、あなたの友達の菜生ですよ、若奥様」


仕事の帰り、『伊東商店』で店番をする理子のところに寄り道をした。

理子は『変なことを言わないで』と、それでもどこか嬉しそうに私の背中を軽く叩く。


「別に変ではないでしょう。理子がお店番をしていたら、普通思うよ。
あら、関口さんのところの娘さんと洋平君……あぁ、そうなのねって」


それでなくても、地元で名の知れた商売をしている伊東家と関口家。

年頃の子供同士がどうなるのか、興味がある人は多いはず。


「そうかな」

「そうだよ、別にいいじゃない」


私は、数回買っている赤ワインの小瓶を探した。


【29-3】



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