29 香りが蘇る日 【29-3】



「あ、あった」


前に試しに買ってから、私はすっかりファンなのだ。


「これ、ください」

「はい……。今ね、洋平配達中なの。
あと10分くらいで戻ってくるから会っていけば?」

「洋平? いや、いいよ」

「どうして」

「どうしてって、いいよ、別に。いれば挨拶するけれど、いないのを待つのは」

「でも、10分くらいだよ。菜生、ここに座っていてくれたら」


理子は、簡易椅子をレジの横に置いてくれる。


「はい、どうぞ」

「いいよ、理子に会えたら十分。
あいつ私がここにいたら、『なんでいるんだよ』って顔するよ、絶対に」

「しないよ、そんなこと」

「するって……」


両親が旅に出て、理子が店番をする日。

二人で向かい合える貴重な時間だと思っているのに、邪魔者がいたなんて、

そんなふうに洋平を、ガッカリさせたくない。


「あ、そうだ、あいつに一言言っておいて」

「何を?」

「椋さんに『ボン太』のことを『ボン太』と名付けたのは私だとか、
余計な情報を入れるなって」


そう、そうだった。

これから歩き始めようかという私たちに、印象操作をするようなコメントは、

避けていただきたい。


「あれ……つけたの菜生だった?」

「そうだよ。私が名付けた。あれ? 誰だと思っていた?」

「いや、誰だとか考えたことがなかった。いつの間にかそうなっていたし……。
あ、そうか、でもそうだね。菜生しかいないわ」


理子は『そうだ、そうだ』と楽しそうに笑う。


「ねぇ、どう? お店番」

「うん。思っていたよりもお客様が来るの。年末に洋平とおばさんから
色々と聞いて練習していてよかったと思って」

「へぇ……練習したのね」

「だって、お金間違えたり、機械操作間違えたり、
伝票の書き方をおかしくしてお客様を怒らせたり、
おばさんたちがその後仕事がしづらくなったら困るでしょう」

「まぁ、そうだけど」


伊東家と関口家、輝ける未来に向かって、しっかり前進中。

立ち止まっていた反動なのか、洋平と理子の歩みは、思っていたよりも速くなりそう。

理子はワインを包んでくれる。


「これでいいでしょうか」

「はい」


私はバーコード決済で支払いを済ませる。

出て行こうとして振り返ると、ちょうど洋平が戻ってきた。


「あ……」

「お酒を買いに来ただけです、今帰ります」


言われる前に言ってやる。


「何を必死に……」


洋平は、私の態度がおかしかったのか笑い出す。


「だって、なんでお前がいるんだよって絶対に思ったでしょう」

「思わないよ」

「ウソウソ……顔に書いてあるんだから」


私は笑いながらそういうと、『またね』と二人に挨拶をして店を出た。





『BBですか』

『はい。理子から聞きました。ありがとうございます、気を遣ってもらって』

『いえいえ……洋平君にはお世話になっていますし』

『理子が、楽しみにしているようです』

『そうですか……それなら僕らも行きますか?』

『エ……』

『一緒に……旅行……』



一緒に……



あなたと二人だけの……



「一緒に、旅行……」


あれ? 声が椋さんじゃない。


「町内会長さんがさ、ご夫婦でって」

「嫌ですよ、面倒で」


町内会長?


「どうした、菜生。何か考え事か」


目の前には鬼ちゃん。そうか、旅行の言葉を出したのはお父さんか。

椋さんではなかったか。


「エ……あ、うん」


妄想中に急に飛び込んでくるから、椋さんの言葉だと、ごちゃ混ぜにしていたわ。


「お前なぁ、面倒ってどういうことだ。こういう機会はなかなかないだろう」

「なくていいです。宿泊チケットだけいただいても、行くのに交通費かかるもの」

「当然だろう。ドラえもんじゃないんだぞ、ドアを開けてすぐにはつかない」


父は、お酒仲間の町内会長さんから、『群馬の伊香保温泉』に泊まれるチケットを、

譲ってもらうことが出来ると言い、母に旅行計画を提案するが、

移動手段が電車だと聞いた母は、そこまで行くのが面倒だと言って、

全く乗り気ではない。


「温泉だぞ、ゆっくり出来るぞ。いつも言うだろう。あぁ、ゆっくりしたい……って」

「そうですけど、お父さん、どうせお酒飲んで寝てしまうでしょう。
それならここでも一緒ですよ」

「ん?」

「そうだね、電車に乗って行っても、畳の部屋で赤い顔してゴロゴロされるなら、
確かに同じだ」


私は『寿司幸』さんにでも出前を頼んで、母の仕事を減らしてあげたらいいと提案する。


「そうそう、別にいいのよそれで。わざわざ遠くに行かなくたって」

「あ、そうだ、それなら『龍海旅館』に部屋を取ってあげようか」

「あぁ、いいかもな、それ」


この間、七海さんとゆっくり向かい合うことが出来た鬼ちゃんも、

私の提案に賛成をしてくれる。


「海側の部屋を希望しなければ、そうだな……平日だし……」


一人不満そうな父が、またちびりとお酒を飲んだ。


「そんなことはおもしろくない。空気も変わらないし」


父はそう言ってつまみの枝豆を一つつかむ。


「おもしろいとかおもしろくないとかではないよ、お父さん」

「そうそう」


母は食器を重ねると、流しに向かってしまう。


「こっちだってそんなものはわかってるわ。だけどなぁ、真珠……まぁ、うん」

「真珠?」

「あ、いや、いい、いい。母さんが嫌ならいいよ。これは町内会長さんに戻そう」


父はチケットの袋を横に置くと、テレビのリモコンを持ち、チャンネルを変えていく。

私は鬼ちゃんと自分のお皿を重ねながら、あらためて父を見た。

『真珠』ってなんだろう。

お母さんにネックレスでもプレゼントするの?

わざわざ『伊香保温泉』で? あれって有名なのは伊勢志摩とかで、三重県の方だよね。

伊香保は……群馬県でしょう。


「菜生、お茶入れて」

「了解」


お皿を流しに置くと、湯飲みを持って行く。

鬼ちゃんは携帯電話を開き、何やら真顔で見ているようだった。


【29-4】



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