32 女優になる日 【32-1】

32 女優になる日



「お世話になりました」

「いいえ……」


次の日、明日香さんと南波ちゃんのチェックアウト時間。

私もフロント担当としてお見送りをする。


「引っ越しの前には、一度東京に行くつもりだけれど」

「そうね、来る時には連絡ください」

「うん」


椋さんと明日香さんの会話。

南波ちゃんは呼んだタクシーが到着するかと、玄関の方を見つめている。


「あ、ママ、タクシー来たよ」

「今行くよ、南波。ほら、椋君にさようなら……して」

「南波……」

「椋……バイバイ」


南波ちゃんは、昨日、私にしてくれたように、手を振っている。


「みんなもバイバイ」


椋さんの隣に立った、私たちスタッフにも笑って手を振ってくれる。

『龍海旅館』のスタッフも、笑顔で手を振り返した。



「あの子が南波ちゃんかって、見てました」

「ん? 田川さんが? 何、知っているの?」

「ちょっと名前だけ聞いていたので」


田川さんは親指と人差し指で、『ちょっと』というサインを出す。


「ちょっと……」

「はい。芹沢さんの持っていた大きなぬいぐるみ、木立さん知ってますか?」

「ぬいぐるみ?」



それは『ビッグサンサン』のこと……



「はい。芹沢さん、クレーンゲームが趣味の一つで、
150センチサイズのぬいぐるみを持っていたんです」

「クレーンゲーム? あの機械にそんな大きさのぬいぐるみが入るのか」

「違いますよ。抽選で当たる特別なものですよね」

「そうそう」


田川さんの話のフォローをする私。


「最初はあの南波ちゃんの誕生日に贈ろうとしたらしくて。
でも、大きすぎて嫌だと断られたらしいです」


はい、そうです。

最初に聞いた時には、子供のことだと思わず、『椋さんには彼女がいる』と、

落ち込みましたけどね、私。


「で、行き先が無くなって、ずっと企画室に」


そう、そうなのです。

足のチラ見せから、正体が判明するまで長かったな……


「私、お願いして、いただいちゃいました」

「ぬいぐるみを……」

「そうです」


知っております。食事会の時、思い切り大きな声を出してしまったので。


「そんなにでかいぬいぐるみをもらって、どうするんだよ」


木立さんの感想。それは興味が無い人にとっては、そんなものだろう。


「あのぬいぐるみは手触りがいいんです。クレーンゲームの景品と言っても、
今は質がいいですからね」


はい、私も認めます。『サンサン』の手触り、肌触りは天下一品です。

クリスマスに椋さんがくれた『職業シリーズ』の『サンサン』も、

私の癒やしになっていますから。


「職業シリーズだけ……取れなかったんだよな」


エ……田川さん、取れなかったの?


「職業シリーズ?」

「はい。職業に関連する衣装を身につけたぬいぐるみです。
『ホテルマン』が取りたかったので、休みの日に東京まで頑張って行ったけど、
無理でした」



『菜生さん……』

『メリークリスマス』



私は、椋さんが取ってくれましたよ、田川さん。


「2週間限定だもんな……今でも悔しい」

「なんだかマニアックな話だな」


木立さんの返し。興味がわかない人にとって見たら、疑問符だらけだろう。



『私、持っていますよ、職業シリーズのホテルマン』

『エ……どうして? 坪倉さん、東京まで取りに行ったの?』


私がそう言ったら、今、目の前に座る田川さんが、前のめりになって聞き返してくる。

私は『いいえ』と首を振って……


『彼が……取ってきてくれたので』

『彼?』

『えぇ……私が欲しいだろうと思ったみたいで……』


たいしたことではないという言い方をしながらも、実際には自慢になってしまう。

仕方がないですよね、だって私……



「坪倉さん」

「はい」

「さっきからPC、ブザー鳴っているけど」

「エ……」


画面を見ると、『勝手に入力変換』をしていたようで、慌てていらない画面を消していく。

『ビッグサンサン』を逃した私が、田川さんに向けたちょっとした嫉妬。

そこからの優越感状態。

PCから、集中しないとまた失敗しますよと言われた気がして、

あらためて姿勢を正し、仕事に向かうことにした。


【32-2】



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