「お世話になりました」
「いいえ……」
次の日、明日香さんと南波ちゃんのチェックアウト時間。
私もフロント担当としてお見送りをする。
「引っ越しの前には、一度東京に行くつもりだけれど」
「そうね、来る時には連絡ください」
「うん」
椋さんと明日香さんの会話。
南波ちゃんは呼んだタクシーが到着するかと、玄関の方を見つめている。
「あ、ママ、タクシー来たよ」
「今行くよ、南波。ほら、椋君にさようなら……して」
「南波……」
「椋……バイバイ」
南波ちゃんは、昨日、私にしてくれたように、手を振っている。
「みんなもバイバイ」
椋さんの隣に立った、私たちスタッフにも笑って手を振ってくれる。
『龍海旅館』のスタッフも、笑顔で手を振り返した。
「あの子が南波ちゃんかって、見てました」
「ん? 田川さんが? 何、知っているの?」
「ちょっと名前だけ聞いていたので」
田川さんは親指と人差し指で、『ちょっと』というサインを出す。
「ちょっと……」
「はい。芹沢さんの持っていた大きなぬいぐるみ、木立さん知ってますか?」
「ぬいぐるみ?」
それは『ビッグサンサン』のこと……
「はい。芹沢さん、クレーンゲームが趣味の一つで、
150センチサイズのぬいぐるみを持っていたんです」
「クレーンゲーム? あの機械にそんな大きさのぬいぐるみが入るのか」
「違いますよ。抽選で当たる特別なものですよね」
「そうそう」
田川さんの話のフォローをする私。
「最初はあの南波ちゃんの誕生日に贈ろうとしたらしくて。
でも、大きすぎて嫌だと断られたらしいです」
はい、そうです。
最初に聞いた時には、子供のことだと思わず、『椋さんには彼女がいる』と、
落ち込みましたけどね、私。
「で、行き先が無くなって、ずっと企画室に」
そう、そうなのです。
足のチラ見せから、正体が判明するまで長かったな……
「私、お願いして、いただいちゃいました」
「ぬいぐるみを……」
「そうです」
知っております。食事会の時、思い切り大きな声を出してしまったので。
「そんなにでかいぬいぐるみをもらって、どうするんだよ」
木立さんの感想。それは興味が無い人にとっては、そんなものだろう。
「あのぬいぐるみは手触りがいいんです。クレーンゲームの景品と言っても、
今は質がいいですからね」
はい、私も認めます。『サンサン』の手触り、肌触りは天下一品です。
クリスマスに椋さんがくれた『職業シリーズ』の『サンサン』も、
私の癒やしになっていますから。
「職業シリーズだけ……取れなかったんだよな」
エ……田川さん、取れなかったの?
「職業シリーズ?」
「はい。職業に関連する衣装を身につけたぬいぐるみです。
『ホテルマン』が取りたかったので、休みの日に東京まで頑張って行ったけど、
無理でした」
『菜生さん……』
『メリークリスマス』
私は、椋さんが取ってくれましたよ、田川さん。
「2週間限定だもんな……今でも悔しい」
「なんだかマニアックな話だな」
木立さんの返し。興味がわかない人にとって見たら、疑問符だらけだろう。
『私、持っていますよ、職業シリーズのホテルマン』
『エ……どうして? 坪倉さん、東京まで取りに行ったの?』
私がそう言ったら、今、目の前に座る田川さんが、前のめりになって聞き返してくる。
私は『いいえ』と首を振って……
『彼が……取ってきてくれたので』
『彼?』
『えぇ……私が欲しいだろうと思ったみたいで……』
たいしたことではないという言い方をしながらも、実際には自慢になってしまう。
仕方がないですよね、だって私……
「坪倉さん」
「はい」
「さっきからPC、ブザー鳴っているけど」
「エ……」
画面を見ると、『勝手に入力変換』をしていたようで、慌てていらない画面を消していく。
『ビッグサンサン』を逃した私が、田川さんに向けたちょっとした嫉妬。
そこからの優越感状態。
PCから、集中しないとまた失敗しますよと言われた気がして、
あらためて姿勢を正し、仕事に向かうことにした。
【32-2】
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