リミット 9 【心の裏】

9 【心の裏】

咲は夢を見ていると思っていた。


3年前に父が亡くなった後、すぐにいなくなってしまった飼い犬のコロ。

そのコロが頬をなめている。



『やっぱり、私、死んじゃうのかも……』



深見のキスには全く気がついていない咲だった。





無事に旅行を終え、また、普段通りの仕事が待っていた。

だんだんと年末に向かい、来年のカレンダーなどが出回り始める。


「……」


あの時、どうして自分が咲にキスをしたのか、深見も悩んでいた。

彼女を見つめる自分の目が、日に日にコントロール出来なくなっている。


「深見……」

「はい」


東京支部の営業部長に呼び出され、深見は年末の接待の話しを告げられた。


「あぁ、またあそこですか……」

「何だよ、それ」


深見は、帰り際に社員達から接待の会社について、話しを聞かされる。


「あそこの部長、すぐに触るんですよ。女の子のおしりとか、膝とか。
やたらにくっつくし、耳元で話すし……」

「は?」

「昔から大得意なのをいいことに、こっちが何も言わないから
いい気になってるんです。まぁ、その日だけですからね、
女子社員達もガマンしてますけど……」


深見はその瞬間、咲のことを目で追っていた。

今年の担当がこの部署なら、咲も利香も連れて行くことになる。


スケベな客はどこにでもいる。それでも仕事をぶら下げて、

好きなようにするなんていう行為が許されていること自体、

深見には信じられないことだった。





「お、ちょっとこっちに来いって!」


接待当日、案の定、その部長は別の女子社員と咲を自分の両方に座らせる。

秋山が色々と会話をしながら部長の機嫌をうかがっていた。


「それもいいんじゃないか、うん……」


取引先の部長、遠藤は意味のない会話をしながら、肩に手を置いてみたり、

笑いながら手を膝に乗せていた。なんとも言えない嫌そうな顔をしながらも、

咲は黙って耐えている。


「……」

「深見……」


隣にいた支店長が、深見の表情の変化に気付き、声をかけた。


「一人の苦労じゃないんだ、余計なことをして、話しをこじらせるなよ」

「……支店長……」

「この接待は、今に始まったことじゃない。今までの主任も、
みんな見て見ぬふりをしてきてるんだ。お前もあと2ヶ月ちょっとで昇格だろ」


部長に、そして支店長になるために、ここへ来たことを、

深見はすっかり忘れ、日々、西支店のメンバーと現場で動くことに、

楽しさと喜びを感じていた。


「見たくないなら、出て行ってろ……」

「どうしてですか?」

「管理になる者と、現場で汗をかく者は別だ。お前は上に立つ男だろ。
あんな行為は見逃しておけばいいことだ。彼らには彼らの仕事がある……」

「……」

「くだらないことに巻き込まれて、評価を下げるなよ」


深見を推薦し、更なる出世を目指す支店長らしい言葉だった。

遠藤の笑い声に視線を向ける。遠藤の手は、相変わらず咲の膝の上にある。


臨時の主任としては、ただ黙っていればいいのかもしれない。

しかし、深見亮介としては……。


「早瀬君、酒がカラだぞ……」


酔っぱらった遠藤は、咲にもたれかかるようにすると、さりげなく後ろへ

手を回していた。その手がおしりへ伸びた時、咲が急に立ち上がる。


「……やめてください」

「ん? どうした?」


始めは笑いながら、もう一度座るように合図する遠藤だったが、

咲がすぐに座らなかったため、急にトーンを変える。


「ここに座りなさい」

「……」

「深見!」


立ち上がった深見は、咲を動かし、自分がその席へ座る。

はじき出された咲は、深見の後ろでどうしていいのか困り、立ち尽くす。


「主任……」


咲の不安そうな言葉に、深見は目で下がっているように訴えた。


「よし、誰か歌ってくれ! じゃぁ、横山! 大きな声で歌えよ!」

「……あ、はい……」


急に指名された横山は、カラオケのマイクを取り、曲を探し始めた。

遠藤は急に現れた男に、怪訝そうな顔を見せる。


横山の歌が始まり、深見はその歌声に、紛れるように隣の遠藤に語りかけた。


「お世話になっております……」

「君は誰だ……」

「東京西支店、主任の深見です」


そう言いながら、空いたグラスに酒を注ぐ。


「……主任の深見? 聞いたことないぞ。どうせ臨時だろ?
お前が仕切るのか、ここは」

「遠藤部長。お付き合いの接待でも、越えてはいけないマナーが
あるんじゃないでしょうか。ここはそういうサービスをする場ではありません」

「何だと?」

「この行為が、名古屋本社に認められているものだと言うのなら、
今すぐに社長へ連絡を入れてください。僕は以前、
本社とのお付き合いがありましたが、こんな接待を見たことがありません」

「……」

「東京という場所が、ライバルの多い場所で、
僕らの足元を見ての行為なら……キッパリとお断りします」

「……この若造が……」


遠藤の方をしっかりと見ると、深見はその場で頭を下げた。

支店長は席を立ち、深見の側へ寄っていく。


「深見、何を言うんだ。遠藤部長に失礼だぞ……」

「わかってます。全て、僕の発言です。東京のルールも知らないヤツが、
勝手なことを言っていると思って下されば結構です」


3人のやりとりを聞きながら、咲は、ただ黙っていることしか出来なかった。





季節はクリスマスを迎え、会社でも年末の仕事納めが近づく。

咲はカレンダーを見ながら、ため息をついた。

毎年楽しみにしていたクリスマスだが、今年は何も予定がない。


自動販売機で缶コーヒーを買うと、その場へ座る。

そこへ秋山と利香が慌てて走ってきた。


「ねぇ、咲。大変……深見主任。栄転出世まずいかも!」

「……どういうこと?」

「遠藤部長が怒ってるんだって……。今、本社に支店長と呼び出されていて、
もしかして出世、昇格はなかったことになるかもって秋山さんが言うんだもん」

「そんな……」


あの日、深見を動かし、遠藤を怒らせたきっかけを作ったのは自分だと、

咲は頭を強く殴られたようなショックを受けた。

何時間かただ黙って耐えていれば、その場を収めることが出来たのに、

余計なことをしたために、深見の出世まで邪魔をすることになるかもしれない。


「戻って部長になれなかったらどうなるの?」

「さぁ……。でも、ここには残れないわよ。遠藤部長が怒ってるなら……」

「栄転が降格ってこともあるよな。どこか飛ばされちゃうとか……」


秋山は縁起でもないことを、ポツリとつぶやいた。


「私、遠藤部長に謝ってくる」

「エ……咲、無理だよ」


缶コーヒーを利香に手渡し、咲はエレベーターへ向かう。


深見の役に立つのならともかく、自分が足を引っ張るなんて

絶対に耐えられないと、咲は早く来るはずもないエレベーターのボタンを、

何度も指で押す。


「どこに行くんだ?」


エレベーターが開くと、そこには出社してきた深見が立っていた。

咲は顔を背け、階段の方へ走る。その表情から何かを悟った深見が、

後を追って走ってきた。


「おい、早瀬、どこに行くんだ!」

「遠藤部長に謝ってきます……」

「バカ! そんなことしてどうなるんだ!」


1階へ届く少し手前で、深見は咲をつかまえると、階段に座らせ、

落ち着かせようとする。


「私が黙っていればよかったんです。申し訳ないですって謝れば……」

「悪いことなんてしてないだろう。そんなことしなくていい」

「でも……」



『あなたの足を引っ張るのはイヤなんです……』



言えない言葉を心でつぶやき、咲はうつむいたまま言葉を続けた。


「申し訳ないですって土下座でも何でもしてきます」

「それで、じゃぁ、俺につきあってくれって言われたらどうするんだ」


咲は、集団の中で一緒にいることも嫌な遠藤なのに、

二人きりで会うことは確かに辛いと、悔しそうに目を閉じる。


「頭を下げて、お前が謝りに行ったとして、あんな男だ。
どういうことを言い出すかわからないだろ。それに答えられなければ、
結局また蒸し返す。早瀬が謝っても解決しない。
それに、俺はあの日のことを間違ったとも思っていない。
あんなことを今まで黙っていた、ここがどうかしてるんだぞ」

「それでも納得いただけるように、付き合ってきます」


思いがけない咲のセリフに、深見は一瞬、言葉を詰まらせた。

大きく息を吸い込むと、さらに強い口調に変わる。


「お前、何言ってるかわかってるのか? 男が付き合えって言って、
それに応えるって……」



『どうせ、後2ヶ月もすれば私はこの世から消えるんです。
今さら、どうだっていいんです……それより……』



「もっと、自分を大事にしろよ。ふざけてもそんなこと言うな!」

「私には、時間がないんです!」

「……」


咲は自分に驚いていた。思わず手で口を押さえるが、

出してしまった言葉は戻らない。

そう、タイムリミットのことを告げることは厳禁なのだ。



『どうしよう……もうダメかも……』



何も言わない深見の顔を、見る自信のない咲は、下を向き、また目を閉じた。


「……後、2ヶ月しかいない俺のことを気にしてくれるのは有り難いけど、
そんなことはするな!」


深見は咲の言葉を、自分の転勤のことだと勘違いしているようで、

咲の命に期限があることなど、もちろん気づきもしない。


結局、深見の説得に負け、咲は唇を噛みしめたまま、その場に座り続けた。





それから、数日が経ち……


「よい、お年を!」

「じゃぁな!」


東京西支店も、今日で仕事納めのため、社員達は口々に挨拶をしながら

退社していく。咲もカレンダーを来年用に変え、カバンを持った。

カレンダーには1月と2月の2枚だけを挟み込み、命の期限が残り2ヶ月なのを、

自ら確認する。


「主任、お先に失礼します。よい、お年を……」

「あぁ、また、来年だな!」

「はい……」


咲は笑顔で頭を下げ支店を出て行った。深見はその後ろ姿を見つめ、

足音の遠ざかるのを聞いている。自分では必死に繕っているつもりでも、

心の中で咲の存在は大きくなるばかりだった。


どこか危なっかしくて、無鉄砲で、それでも明るく懸命に仕事をしている咲に、

部下という以上の感情を抱き始めていることは、もう、否定することが出来ない


咲の降りる駅は、深見の駅から近く、電車も同じだ。

途中までなら一緒に帰ることが出来ると思った深見は、

慌ててカバンを取り、咲の後を追う。


「咲……」


ビルから出た咲を待っていたのは、今まで何も連絡をよこさなかった篤志で、

当たり前のように立っている態度に、驚きでしばらく何も言えなくなる。


「ごめん、待ってた」


篤志は呆気にとられている咲の手を取ると、どこかへ連れて行こうとする。


「どういうこと? 離して!」

「……話しがある」

「私にはない!」


強い咲の口調に、篤志は思わず握っていた手を離す。


「身勝手なのはわかってる。でも、離れてみてわかったんだ。俺には咲が……」


咲はその言葉を聞きたくなくて、耳を塞いだ。


事故に遭った後の咲に、白紙に戻せと宣言し、

別の人に笑顔を見せていたはずなのに、篤志のあまりに勝手な行動に、

咲の思考回路はついて行かなくなる。


「聞きたくない、今すぐ帰って!」

「まだ、間に合うのなら、やり直したいんだ」


篤志は咲の耳から手を外し、復縁を希望した。

篤志とやり直すこと……。それは、白紙にしたいと言われた時から、

実は咲が願っていたことだった。自分を幸せにしてくれるのはこの人しかいない。

そう考えていた時もあった。



『そんなこと言われても、私、篤志のこと……』



「一度だけ、許してくれないか。もう、迷ったり悩ませたりしない。だから……」


篤志は困っている咲の腕を強く引き、自分の胸に抱き寄せる。


咲の体がふわっと篤志の胸へ吸い込まれた。少し前なら、許せたのかも知れない。

ちょっぴり怒りながらも、その優柔不断さを嘆いていたのかも知れない。


いつも包まれていた篤志のぬくもりが、咲の心に入り込もうとする。


『好きな男に幸せにしてもらう……』と言う、

老婆との約束がふと頭をよぎった。自分の求めていた幸せは、

篤志にもう一度戻ってきてもらうことなのか……。


もし、今、篤志を許せば、リミットから解放されるのだろうか。


私は……。



『深見さん、深見さん、どこ? お願い、助けて……』



篤志が咲を抱き寄せる瞬間を、深見は階段の下で見つめていた。

                                    神のタイムリミットまで、あと65日





うん、うん、いいよ、この先どうなるの? という方……

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