9 現実 【9-6】


【9-6】


美緒とのデートから戻り、夜、そろそろ眠ろうかと思っていた伊吹の携帯が鳴った。

ベッドに横になりながら取り、相手を見る。

電話をかけてきたのは社長の樋口で、

日曜日の夜にかけてくるあたり、何か起こったのかと思い、すぐに出る。


「もしもし……」

『あぁ、沼田か、悪いなこんな時間に』

「いえ、何かありましたか」

『いや……今、青柳の奥さんから連絡があって』

「はい」


社長の樋口が慌てているのがわかり、伊吹は青柳に何か悪いことが起きたのかと考えた。

ベッドから体を起こし、きちんと『聞く体勢』を取る。


『青柳が、交通事故に巻き込まれたそうだ』

「事故?」


樋口から話されたのは、『Breath』の仕事を引き受けた後輩の青柳が、

事故に巻き込まれ、病院に運ばれたという知らせだった。


『そうなんだよ、俺も今、電話をもらって驚いてね』


今から2時間ほど前、青柳は買い物に出かけるため、ひとりで自転車に乗り家を出た。

青柳自身は青信号になったので、自転車に乗って横断歩道を渡っていたが、

その先の脇道に入ろうとした対向車が、急に前に出てきてしまい、

ブレーキをかけたものの間に合わずにぶつかり、左足と肩を骨折してしまう。


「骨折ですか」

『あぁ……』


頭も打ったため、すぐ救急車が呼ばれ、入院となることが決まり、

奥さんから、樋口に連絡が入った。

伊吹は『大丈夫ですか』と青柳の状態を心配する。


『青柳自体は意識もあるし、こんな状態になって申し訳ないと言っているらしい。
あいつ自身も巻き込まれているんだ、責めるわけにもいかないしな』

「はい……」

『ただ……』


樋口は、青柳が抱えている仕事について、

そのまま担当させるわけにはいかないと言い出した。

伊吹は黙ったまま、樋口の話を聞き続ける。

青柳が抱えている仕事と言ったら、真っ先に浮かぶのは『Breath』だった。

樋口が自分に電話をかけてきていることを考えれば、

当然青柳の代わりを望むことはわかっているが、

伊吹が仕事を断りたい事情が、変わっているわけではない。


『東山にとも思ったが、あいつには一昨日、新しい仕事が加わったばかりだし、
そこにまた『Breath』というのは厳しいだろう』


伊吹より3つ年上の東山は、経験も豊富だが、

樋口の話した通り、新しい仕事が始まったばかりだった。

さらに『Breath』を抱えてしまうと、新規ばかりを担当することになり、

さすがに負担が重くなる。


『そうなるとな、仕事の分量を考えても、沼田の顔がやっぱり浮かんできて……
まぁ、お前にも色々と事情はあるだろうから、難しいと言うのなら、
横手あたりに話を振ろうかとも思うけれど……。横手は、まだ少し経験がな。
新規の会社を、しかもあの規模の会社を担当させるのは……』


『ストロボ』にはもちろん数名の社員がいるが、家からの距離、抱えている仕事、

経験、実力、そういうものを全て重ねた上で考えたら、

こういう電話が来るのは当然のことだった。

樋口の声をききながら、伊吹は店まで訪ねてきた昴のことを考える。



企画を担当し、自分の目の前に座るのは風の兄、昴。

喫茶店でも、店でも、伊吹が自分の名前を聞いた昴には、何も反応がなかった。

そもそも、菊野から名前を聞いて会いに来るということが、

昴は、自分と風とのつながりを知らないということになる。



あの日、風の親戚を名乗った男は、大学を卒業したら、

風がすぐにでも結婚をするような言い方をしていた。

堂々とした態度、そして『Breath』の名刺を出され、

公営住宅の跡地について現実的なことを並べられた。

そして伊吹の父のこと、商店街のこと、そして自分の生い立ちのことなど、

知らないことは何も無い、まだ何かを言うようならさらに追い込むというような圧力に、

伊吹は回避方法を考えるまもなく、風との別れを選択するしかなかった。



『迫る現実』



伊吹はこの恐怖心に負けた。


【9-7】



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