10 反対側 【10-7】


【10-7】


次の日、いつものようにスーツに着替え、あとは出発するだけになった伊吹だが、

足取りは限りなく重く、歩幅はどんどん小さくなる。

これからでもいいから、樋口に何もかもを話して、

どうにかして担当を変えてもらおうかと考え、目の前の噴水を見た。

しかし、病院の見舞いで、申し訳なさそうに頭を下げてくれた青柳夫妻の顔が浮かぶ。

自分の責任でもないのに、『迷惑をかけます』と何度も頭を下げてくれた。

元々、『Breath』は伊吹を指名してきたが、それを自分が避けたため、

青柳に仕事が回ったわけで、謝るのはむしろ自分の方である気がしてしまう。

さらに今現在、昴は自分と風のことを知らないからこそ、仕事を振ってきた。

風にしてみたら、辛い過去をさらに語られることは、また傷を大きくする可能性もある。

伊吹の視界から、2羽のスズメが飛び立った。

木々の隙間から、青空の方へ向かっていく。

伊吹は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出していく。

これからの日々、そこがどんなに針のむしろのような場所でも、時間でも、

自分の過去の責任を負うのは、自分自身だとあらためて気持ちを決め、

『Breath』方向へ歩き出す。

何が起きても、何を言われても、自分が受け止めて、そのときに答えを出そうと思い、

本社を正面に見る横断歩道の前で立ち止まった。


「おはようございます」

「あ……おはようございます」


昨日、顔合わせをした担当者の一人に声をかけられ、伊吹は慌てて挨拶をする。

歩行者用の信号が青に変わり、伊吹もその流れに乗りながら、本社の中に入った。



「おはよう」

「おはようございます」


伊吹が本社に出社をする10分前、風はいつもより1本早い電車を使い出社をしていた。

休憩所のコーヒーを購入し、カップを持ったままエレベーターで5階に向かい、

さらに屋上への扉を開く。

ちょうどその瞬間、目の前を2羽のスズメが通り過ぎ、

青空と太陽の光に見えなくなった。風はベンチに座り、コーヒーを数口飲む。

車の音、信号機の音、ざわざわとした人の声。

風は立ち上がると、手すりのそばまで来た。

少し視線を下に向けると、

このビルに人がどんどん吸い込まれるように入っていくのが見える。


風のいる営業部は2階にあるが、フロアが半分にわかれている。

片方は、全国の営業部の資料をまとめるための『営業部』で、風はこちらの所属になる。

あとの半分は、東京を中心としたエリアで営業活動をする営業マンが揃っていた。

昴のいる販売促進部は3階になる。

新しい戦略を練るために、協力してもらう企業に所属する伊吹は、

しばらくここに通い、昴たちと仕事をすることになると聞いた。

昨日は突然姿を見せたため、戸惑った表情しか出せなかったが、

風が伊吹の表情を分析したように、伊吹も風を見ていたとしたら、

8年前の出来事をまだ乗り越えられていないことが、わかってしまったかもしれない。

あの時も急に振られ、そしてまた、今の自分の気持ちを見抜かれてしまうとしたら、

風にとって、これ以上辛いことはなかった。



8年前と、現在、2度も傷付けられたまま、

ただ、伊吹がこの場所を去ることを待つのは、悔しさを倍増させることになる。



しかし……



今度は立場が違う。

伊吹は、『仕事を請け負う立場』で、風は『仕事を与えている企業の社員』になる。

風は『柴橋中央公園』の木の葉が風に揺れるのを見ながら、

ゆっくりとコーヒーを飲み続けた。





風が営業部に戻ってくると、いつも昴と一緒に働いている社員が一人、

杉田部長の前に立っていた。その横には、昴からの話しを直接聞いている山井が立ち、

何やら話を続けている。


「販売促進部の会議に、営業部からもということ?」

「はい。『ストロボ』というマーケティングの会社に協力をお願いして、
少しずつ動き始めたのですが、うちのデータを一番すぐに掛け合わせて行くには、
その作りを理解している営業部のシステム分野から助っ人を頼む方がと……森嶋が」


『システム分野』


風はその言葉に反応する。そこに所属しているのは、自分を含めて8名しかいない。


「昨日も、少しその話はしていまして」

「うん」

「杉田部長がお休みでしたので、結論は出せないと森嶋には言いました。
ただ、1日、販売促進部に行くのはこちらの仕事が進みませんが、午前、午後と、
半日くらいの協力でそれが出来るのなら、内容を聞いているうえでは、
営業部にとっても悪くない話かと……」


営業部の主任の一人になる山井は、『ストロボ』がどういう仕事をしていて、

他の大手からも利用されていることを杉田に話した。

風も、自分の席に座り、山井の話を耳に入れ続ける。


「山井君がそう考えるのなら、うちの仕事に支障がないようにしてもらって、
それで協力してあげたらいい」

「あ、ありがとうございます。森嶋も喜びます」


『営業部から販売促進部に助っ人』を出すこと。

風の耳に届く会話の内容から、その中身がなんとなく理解出来た。

部長の杉田と、リーダー的な存在の山井が、視線を部員達に向ける。

風は左手を握りしめた。

他の人の名前を出されてしまったら、それ以上のことは出来ない。

今しかないと思い、右手を軽く上にあげる。


「部長……」


風の声に、杉田は小さく頷いた。


【11-1】



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