リミット 10 【あなたの隣】

10 【あなたの隣】

新年を迎え、咲は実家に戻り家族との正月を送っていた。

いつもなら庭を覆うほど降る雪が、今年はなぜか少ない。


「さて……明日の準備、しておくわ」


咲は明日、東京へ戻ることになっていた。

ここへまた、戻ってくることは出来るのだろうかなど、

荷物を詰めながらふと考える。


「咲、篤志君と何かあったんでしょ?」


背中越しに聞こえた突然の母の言葉に、咲の動きが止まった。


「こっちへ戻っても、全然連絡している気配もないし、事故にあった時は、
なんだかすぐにでも結婚するみたいに言ってたじゃない」


年末、会社の前で抱き寄せられた後、篤志は公園で謝り続けた。

咲はその謝罪の言葉をただ聞いていただけで、

その後、何度もかかる電話は全て無視し続けた。


篤志の言葉に応えれば、リミットは解除されるのかもしれない……。


そんな気持ちが頭をよぎったのも事実だったが、咲の心は深見に助けを求めて、

篤志を受け入れようとはしなかった。


「篤志とのお付き合いはやめた」

「……やめた?」

「うん、色々と考えたんだけど、お互いに無理しているんじゃないかって」


母は、心配そうに何度も理由を尋ねた。それは娘を持つ親としては当然のことで、

大事な年月を重ねてきた相手と、急に付き合いをやめたと言われて、

納得できるはずもない。


「理由はないの。とにかくやめた……それだけ」

「咲……」


何をどう話しても、篤志の悪口になってしまうと思った咲は、

それだけはしたくないと決めていた。


「今ね、仕事が楽しいの。4年勤めてきて一番充実してる。
だから、少しだけ放っておいて」

「そんな、あなた……」

「ね?」


咲が頑固で、一度言い出したことを引っ込めない人間だと言うことは、

母親もよく知っていた。結局、食事の支度をしながら、

咲の様子を気にすることしか、出来なかった。





深見はその頃、東京の部屋にいた。テーブルの上にカップラーメンを置き、

コンロで沸き上がるやかんの湯気を見ていると、プシューと言う音をさせ、

お湯が吹き出し、慌てて止める。


咲を抱きしめた男が、いつかゲームセンターで見かけた人と同じだと言うことは、

深見にもすぐにわかった。


彼女に彼がいる……。


そんな普通のことを今まで考えていなかった自分が、なんだかおかしくなる。


部屋に重なるダンボールは、半年の転勤だからと、ほとんどがそのままだった。

咲へ対する気持ちも、叶わないのだとしたら、いっそあの箱のように、

封を切る必要もない。


彼女が困るだけだ……。


深見はたばこに火をつけ、大きく吸い込むと、天井を見つめそう考えた。





新年の仕事がスタートし、また、いつものような活気が戻る。

咲も毎日元気に通勤し、お客様の対応に追われていた。


「じゃぁ、秋山と横山と3人で……」


来週から行われる、ツアーの担当が発表され、仙台へ戻る深見が、

最後に行くツアーだと知っていた咲は、自ら担当に立候補していたが、

今回はメンバーに入れなかった。


それから1週間後……。


「咲……」

「ん?」

「大丈夫?」

「エ?」

「なんだか顔が赤いよ?」


咲はインフルエンザと診察され、頭に熱冷ましを貼り付け、

ベッドの中で痛みの襲う体と格闘していた。毎日確実に、

深見のそばにいられる時間は少なくなっているのに、動けない。


熱の辛さより、咲にとっては、深見と会えないことの方が辛かった。





「咲!」

「……利香?」


インフルエンザ2日目の夜、現れたのは同僚の利香だった。


「入れてよ!」

「だめだよ。インフルエンザだって言ったでしょ」

「予防接種したし、もしうつされてお休みなら、それでもいいんだって。
ねぇ、入れて」

「……全くもう……」


利香は両手いっぱいに持ってきた差し入れを、こたつの上に置いた。


「すごい量なんだけど……」

「お礼は深見主任に言ってね。実は頼まれたのよ。
行ってやってくれないかって。まぁ、あがれとは言われてないけどね」


自分では咲の好みもわからないし、訪ねていくことも出来ないからと、

今日からツアーに出かけた深見が、利香に差し入れを頼んでいた。


「ほら、このプリン。大好きでしょ?」

「うん……」

「秋山さんも横山さんも出かけていったよ。
咲、本当はツアー立候補したんでしょ? 残念だったね」

「でも、インフルエンザじゃ行けなかったよ」

「そうだけど……」


利香の差し出したプリンのふたを開け、スプーンで一口すくう。

利香に見舞いを頼んだという深見の優しさに、自然に涙がにじみ出す。


「ねぇ、咲……」

「ん?」

「篤志君と何かあった?」


利香は咲と同じプリンを一口食べると、心配そうに顔を見る。


「篤志君、近頃全然会社に来ないし、咲、何となく元気ないなぁって」

「……」

「ごめん、余計なことだよね」

「利香、鋭いね、カンが」


咲は、そう言いながら笑ってみせた。ずっと入社以来仲良くしてきた利香に、

隠し事をする必要もないのだと、咲はまた一口プリンを食べた。


「そう、篤志とは別れちゃった!」

「別れた?」

「さよならした」


利香はまた一口プリンを食べ、何やら差し入れの袋の中を探し始めた。

取り出したのは大きな紅茶のペットボトルで、テーブルの上に置く。


「よし、じゃぁ、乾杯しようよ!」

「乾杯?」

「そう、新年になったんだもん。古い恋は捨てて、新たな恋を探しましょう!」

「……」

「ほら、コップ!」


咲は立ち上がると、台所からコップを二つ持ってきた。

利香はそれに紅茶を注ぎながら、話しをする。


「それで元気がなかったんだね……咲。秋頃からおかしいなと思ってたんだよ」


咲は利香の言葉を否定せずに、軽く笑う。

篤志とうまく行かなくなったことも、確かに理由の一つだが、

本当に咲が切ないのは、そこではない。


でも、この想いだけは誰にも告げることが出来ないのだ。


「乾杯!」


小さなこたつに入りながら、女二人のコップがカチンと音を立てた。





「秋山……お前昇進試験受ければいいのに」

「エ?」


その頃深見は旅先で、後輩の秋山と少しだけ晩酌をしていた。


「僕は一生、お客様と旅してたいんですよ」

「そうか……」


たばこの煙は、灰皿の上をゆらゆらと漂っている。

秋山はおちょこの酒をグッと飲みほし、深見に質問をした。


「主任、どうして早瀬をメンバーに入れなかったんですか?」

「……エ?」

「このツアー、あいつが一番集客したこと、知らないわけないですよね」


秋山は黙っている深見の横顔をしばらく見ていたが、返事をしにくそうな深見に、

これ以上何かを聞くことは悪いような気がして、話題を急に変える。


「主任、部長になった後、どうするんですか?」

「は? どうするってなんだよ」

「本部のエリート目指すんですか? それとも現場のトップを目指すんですか?
どっちでもすぐにいけそうですけどね……」

「さぁ、どうするかな……」


入社して以来、深見は仕事と昇進の中でずっと走ってきた。

今回の東京勤務も、そんな中の通過点に過ぎないのに、

仙台に戻った後の道筋など、何も決めていなかった。


「秋山は何か考えてるのか?」

「僕は、結婚します!」

「……結婚?」

「……する気は満々です。相手がいませんが……」


何言ってるんだよという表情で、深見は思わず口元をゆるめ、

イスに深く腰掛ける。秋山は立ち上がり窓を開け、外に広がる山並みを見た。


「あれ以来、山を見ると、早瀬を思い出すんですよ。
ほら、一人で山に入っていったことあったじゃないですか」

「……あぁ、あったな」


自殺願望者に振り回され、一人で山の中で入っていった咲を、

深見は追い掛けて登ったことを思い出す。

負ぶった背中で寝てしまった咲を、部屋へ連れて行き、靴を脱がせたのだ。


……頬に残したキス……。


深見は自分の酒を一口飲み、そんな思い出を吹っ切ろうと考えていた。





利香が帰った後、咲は携帯電話に入っていた深見からのメールを、

何度も読み直した。



『熱で世話になった時のお礼だ。宮本に頼んだから。
うまいもの食べて、さっさと戻ってこい!』



たったこれだけの内容だったが、消えないようにしっかりメールに保護をし、

咲は返信のボタンを押し、お礼の言葉を入れようとする。


書きたいことはいくらでもあった。

それでも、どこかで深見を好きだという気持ちが出てしまいそうで怖くなる。



『自分から相手に気持ちを伝えて誘導しないこと』



残された時間がなくなってしまうようなことは、絶対に避けなければならない。



『ありがとうございました』



結局、咲が深見に送った言葉は、それだけになった。


深見は一人になった部屋で、そのメールを受け取った。

飾らない咲らしい返信だと思いながらも、どこか虚しくなる。



『どうして早瀬をメンバーに入れなかったんですか?』



となりにいてほしい人が、となりにいない……。

そんなことが寂しいと思える夜だった。

                                    神のタイムリミットまで、あと45日





うん、うん、いいよ、この先どうなるの? という方……

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