15 君のため 【15-3】


【15-3】


データを並べていく伊吹は、すぐにチェックをしたからわかったが、

昴たちには通り過ぎたような資料になるため、変化させたことを忘れていた。

昴は、今朝、車の中で風に言われたことを思い出す。


「実は今朝、風が配り直してくれと言ってきたので。
特にうちの営業部でシステムを変えたとかではありません。
あいつもこの資料を何度も見て、少し色に変化をつけ、見やすくしようと思ったようで。
すみません、僕にとってはとりあえず横に置いたものだから、説明もせずに……」

「いえ……」


伊吹は、資料を作り直したのが風であることを、その時初めて知った。

内容を理解し、伊吹や昴がなぜこの資料を必要としているのか、

会議に出ていることで風自身が気付き、まとめ直したのだろうと考える。


「そうですか……風さんが……」

「はい。今朝車の中で急に言われて。数字が変わるわけではないですし、
今更直さなくてもと思いましたが、でもまぁ、あいつがせっかくやったのでと」


昴は、風が『会議にまだ出ないとダメか』というようなことを言ったことも、

伊吹に話してしまう。

伊吹は『あ……』と小さく、驚きの声を出す。


「すみません、ダメに決まっているだろうと、言っておきました」


昴の言葉に、伊吹は少し前になる木曜日のことを思い出した。

居づらさ、悔しさなど、『負の感情』が強い風にとって、

自分と同じ場所で、呼吸をすることが辛いというのは納得出来る。


「こういったものに参加するのはおそらく初めてなので、
自分が、今まで仕事について真剣に取り組んでこなかったということが、
身に染みるのでしょう」


昴は、風を下げることで話をうまく収めるつもりだったが、

伊吹にはその一言が、さらに気持ちを重くした。

風が足りないのではなく、自分の存在が悪いのだと声を上げたくなってしまう。


「この資料のおかげで、一つ、見えていなかったものが見えました。
それを言おうとしていて」

「見えなかったもの……」

「はい。足りないなんてとんでもないです。どこかで提案できると思います」


伊吹は『お先に失礼します』と言うと、昴の横を抜けていく。

風はもう廊下に姿がなく、伊吹は階段を選び下へ向かう。

怒りをぶつけられたその次の日、風は会議に出てこなかった。

その流れからすると、もしかしたらこの段階からでも

担当が変わっているのではないかと思っていたので、

風が姿を見せた時には、戸惑いよりもよかったという思いの方が強かった。

しかし、風自身が決して前向きになっているわけではなく、

出来ることならこの場所にいたくないと思っていることもあらためてわかり、

伊吹は歩きながら、これからどうするべきかと考える。


『私には何もない』


伊吹の脳裏には、風が叫んだ言葉が張り付いたままになっていた。





その日、『AREA』のコンサートは、予定の時間通りに始まった。

風もかおりも席はあるものの、ほとんど立ちっぱなしの状態で演奏を聴く。

同じようにこの日を待ちわびていた観客は、声が枯れるほどの声援を送り、

『同じ場所にいる』という幸運を、全身で受け止めた。



「よし……これでOKだね」


その頃、その日をあえて休みにしなかった紗菜は、

いつものようにネコたちの世話をこなしていた。

やることをメモにして、普段、後回しにするような細かい部分も雑巾でこすり出す。

少しでも時間が空くと、『AREA』の曲を口ずさみそうになった。

紗菜は『頭から追い出す』ために、必死の状況を自ら作り出していく。


「よかったのかな、チケット」


紗菜の『個人的な頑張り』に気付かない晋平は、そうつぶやいた。

紗菜は、ここで反応してしまうと頭の中から追い出したものが全て戻り、

『今日という日』が悲しくなると考えた。

晋平のつぶやきなどいつものことだから無視するべきだと思い、

雑巾を絞るために立ち上がったが、頭ではなく体が、力を入れることを拒み出し、

負けてしまった気持ちから、ため息が落ちる。


「あぁ、もう……どうして話題に出すかな、晋平のバカ。
一生懸命仕事に集中して、必死に忘れていたのに」


その日はあまり客入りがよくなく、まだ閉店時間前だというのに、

店内には誰もいなかった。完全に片付けるわけにはいかないが、

少しずつ閉店の仕事を二人でこなしていく。


「無理矢理忘れようとしても、忘れられませんよ。
今、そうして怒っていることが全てです」


晋平は、さらに『現実を受け止めましょう』と言い、紗菜を見た。

紗菜は『受け止めています』と言い返す。


「行けたと思うんですよね、俺。何気なく身代わりに」


晋平は、チケットをもらってしまえばよかったのにというようなことを口にする。


「好きなバンドだからこそ、そういうことはしたくない。楽しくないでしょう、
ズルイことをするなんて」


紗菜は、『コネ』という言葉に、批判的な反応を示した父親と伊吹のことを思い出す。

結局、自分も同じようなことを考えるのだなと思いながら、また雑巾を絞った。


【15-4】



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