30 親の役目

30 親の役目


お母さんから間接的にもらったエプロンを、私は料理教室でつけることにした。

顔をあわせることはあっても、それについて何か語りかけてくれることはないが、

それでも何か、一つの線が見えた気がする。ほんの少しでもいい。

気持ちが近づけたと思える材料が何かあれば、それだけで私の心は満たされた。


「ふーん……なんだかハッキリしない贈り物だな。それでも敦子は嬉しいんだ」

「嬉しいわよ、だって、私に渡っていることはわかってくれているんだもの」


蓮は、近頃メガネを外すことが少なくなった。仕事でPCを使うことが多く、

視力が落ちたのだと笑う。スーツ姿もすっかり慣れ、帰りにここへ寄っても、

資料を広げ読んでいる時間も多い。

私がコーヒーをテーブルに置くと、その日初めてメガネをはずす。


「ねぇ……出会った頃の私の年齢を、越えちゃったんだね、蓮」

「ん? あ……そうか、そうだね」


学生と職員だった私達は、同じ社会人になり、蓮が年下だったと言うことも、

いつの間にか意識しなくなる。

会うことの喜びよりも、隣にいることの安心感を抱くようになった。





それからカレンダーは12月を迎え、また、新しい年へ向かい忙しく動いていく。

秋に祖母を亡くした母から、荷物の整理を手伝って欲しいと連絡があったのは、

半ばを過ぎた頃だった。それならば一人になった母と正月を迎えようと仕事を終え、

帰省ラッシュになる少し前に電車に乗る。


秋に来た時よりも、荷物は片付いていて、

私が手伝わないとならないような状況には見えなかったが、

母はいつものように私を迎え、この3ヶ月のことをあれこれ語る。


「おばあちゃんのブローチ好きは、敦子も知っているでしょ。ほら、宝石がついたものが
いくつかあったから、二人に分けようと思って、箱から出しておいたのよ」

「うん……」


テーブルの上に置かれたブローチには、確かにいくつか見覚えがあった。

母は楽しそうに、このブローチがいつのものだったのかと、一つずつ思い出を語る。


「お母さんが取っておけばいいのに。おばあちゃんの形見じゃない。
無理に私たちに分けてくれることないわよ」

「いいのよ、お母さんは……」


宝石の色を見ながら、私に似合うものと、姉に似合うものとをわけていく。

少し荒れたその手は、何年か前に見たものと、また違って見えた。


「ねぇ、敦子」

「ん? 何?」

「おばあちゃんが亡くなった時、寂しくないかって聞いたよね」

「あぁ……うん。当たり前のことだよね。あとから何を言ってるんだかと自分で思った」


祖母が亡くなった後、私はいつもと変わらない生活を送る母に、確かにそう言った。

今考えてみたら、考えられないくらい幼い質問をしたと思ってしまう。


「確かにね、寂しくないとは言わないけど……でも、正直ほっとしているの」


母はそう言うと、ブローチの一つを手に取り、おばあちゃんが一番好きだったものだと、

指で優しく触れながら言った。


「あの時、死んだりしなくてよかったなって、そう思った」


何も予想をしていなかったところに、急に出てきた言葉だった。その言葉の意味と重さに、

私は声が出なくなる。あの時がいつなのかなんて、聞かなくても明らかだ。


「お父さんが事故で亡くなった後、悲しんでいる時間なんかなくて、慌ててお葬式をして、
必死にあなたたちのことを考えた。まだ、小さいのに父親がいなくなってしまって、
誰を頼ったらいいのだろうって。しかも事故が大きなもので、警察から、
あれこれ聞かれるような状況にどうしてなってしまったのか……。
そんなパニック状態の中で、広橋さんはお父さんと幸さんの関係が、
問題だったんじゃないかと思い込んで。あまりのショックに何も考えられなくなった」


こうして、あの事故のことを聞くのは、そう言えば初めてのことだった。

蓮のお母さんが悲しがるからと、菊川先生達が話を避けていたように、

私達姉妹も、母から直接話を聞いたことはなかった。

母の目はブローチを捉えたまま動かず、遠い記憶を呼び覚ましているように見える。


「信じよう、信じよう……何度そう思っても、誰も答えてくれなくて。
お父さんの潔白を証明してくれる人もいなかった。大学の人達の目も、
大変でしたねと言いながら、どこか冷たく見えて、もう全て終わりにしたいって……
お母さん、ここへ戻ってきたの。おばあちゃんにだけは会っておきたい、
あなたたちのことを頼みたい……そう思ったから」


母があの時、父の後を追うつもりだった話を聞きながら、私は体の震えが止まらなかった。

ここへ私と姉を残し、何かが違っていたら、目の前の母は、

もう生きていなかったのかも知れない。


「こんなふうに、おばあちゃんとお茶を飲んでる時だった。なにげないところで急に言われたの。
園田のお義父さんはかわいそうだ。修一さんは、本当に親不孝者だって」


祖母は悲しみに暮れている母に向かって、一言そう言った。

口数が元々多い方ではない祖母の一言は、きっと母に強く残っただろう。


「親より先に逝くなんてことは、どんな理由があるにせよ、親不孝者なんだってそう言ったの。
私はね、彼だってそんなつもりじゃなくてって言い返したけど、おばあちゃんはもう、
何度も、何度も、親不孝なんだって……。それが悔しくて、私も何度も言い返した。
彼は立派な人で、優しくて、強くて……家族を本当に愛してくれたって」


18年以上の月日が経っても、母の父への想いは何も変わらないようだった。

私はその言葉に、その通りだと何度も頷きかえす。

少ない記憶しかないが、私は父に愛してもらえた自信だけはある。


「だったら、そんなに修一さんが立派な人だと言うのなら、
涼子と敦子をきちんとした女性に育てなさい……おばあちゃん、そう言ったの。
わかってたのよ、私が悲しくて、どうにかなってしまうかもしれないってことが。
だから、そう言って、奮い立たせようとしてくれた」


小さな仏壇で控えめな笑みを浮かべる祖母の顔を、私はじっと見た。

母が悲しみと戦っている頃、私はまだ何もわからないただの子供だった。


「おばあちゃんを見送りながら、あぁ、あの時、バカなことをしなくてよかったんだって、
心からそう思って、感謝の気持ちでいっぱいになった。娘としての役目を終えられたことで、
本当にほっとしたのよ。だからね、悲しい気持ちはあるんだけれど、
親不孝者にならなくてよかった、ただ、それだけで……」


気を張っているから涙を見せないのだと思っていた母は、もっと深いところで

祖母との想いに浸っていた。私も目の前に置かれたブローチを手に取り、

ここにはいない祖母を思う。


「誰だって自分の子供がかわいいのよ。だから、おばあちゃんだって本当は、
修一さんを亡くした私に、優しい言葉をかけたかったんだと思うの。お前も苦労した、
大変だった……そう言って。でも、あえてきついことを言って頑張らせるのも、それも親の役目、
ううん、親じゃなければ出来ないことだ、そう考えたんだと思う」


体を悪くしてからの祖母は、家の中で家事をするだけだったが、私が小さい頃には、

仕事もこなし母を助けていた。弱音を吐いている姿など見たこともなく、

頑張りやで優しい人だった。


「この3ヶ月、人生で初めて娘じゃなくなった。だからあらためて振り返って見た。
親より先に亡くなってしまった幸さんは、娘として生きられなかったことが
きっと無念だっただろうなって。その幸さんが、自分のために家に戻ろうとしたことを
知っている広橋さんは、きっと、私以上に辛かったんだろうなって」


母から出てきたのは、蓮のお母さんへの想いだった。

そんな言葉を聞かされると思っていなかった私の鼓動は、さらに速まり、

落ち着かせるように大きく息を吸い込んでみる。


「敦子、悲しいことは順序だから、仕方がないから、なんとか受け入れられるのよ。
それを守れない悲しみは、辛すぎる……」


同じ母親だからこそ、理解できることなのだろう。母の強い想いに、私は挟む言葉もなく、

ただ聞くことしか出来ない。


「敦子が蓮君とお付き合いをしていると言った時、お母さん、心臓が止まりそうになった。
やっと心の奥に押し込んだあの想いを、また蘇らせるのかって、
苦しさをどう伝えていいのかわからなかった。でも、人を好きになったら
すぐに止まらないことくらい、お母さんだって分かる。
だから、どうにかしないとと考えながら、どうにも出来なくて。でも、不思議なものよね。
二人のおかげで、誰も答えてくれなかったお父さんの潔白が、初めて証明出来た。
信じていると言いながらも、心の底でくすぶっていた気持ちも、整理することが出来た」


母がブローチから視線を外し、私の顔を見た。

幼い頃から見続けてきた、優しい母の顔がそこにある。


「全く、これだけの人が生きているのに……二人が出会ってしまったなんて、
敦子のいうように、本当にお父さんが力を貸しているのかもしれないね。
だって、あなたをかわいがったもの、お父さん」

「……お母さん」

「厳しいことも言った、認めたくないとそう言っても見た。
でも、あなたたちはあの時の私のように、自分の考えは間違ってない、
そう言って突っぱねてきた。……強情なところは、お母さん似なんだと思う」


母はそう言うと、照れくさそうに笑い、私の手に軽く触れた。


「蓮君なら、敦子と広橋家の間に入って、頑張ってくれる……。
この間、お葬式に来てくれた彼を見て、そう思った。
お父さんと同じ音色を奏でられる人だもの……。きっと、優しくて、強い人なんでしょう」


母は、あの大学での蓮の演奏を思い出し、父と同じ音色だと、そう認めてくれた。

祖母を静かに見送ってくれた蓮を、ちゃんと心の中にとどめていてくれた。

私は言葉を出そうとするが、なかなか口が言うことを聞かずに、何度も頷いてみせる。


「……蓮は強くて、優しい人よお母さん。彼だから……私、彼だから頑張ってこられたの。
彼しかいないって……そう想っているから……」


私の目から自然に涙があふれ、しばらく止まらなかった。

命を絶とうとまで想うくらいの悲しみの中にいた母が、私や蓮の気持ちだけでなく、

蓮のお母さんや幸さんの気持ちまで考えてくれていたとは、考えても見なかった。


私は、いつも自分のことばかりで、これだけ苦しかった母の気持ちを

少しでも理解しようとしたことがあっただろうか。

私達の選択に苦しんだ人達の想いを、少しでも癒そうとしたことがあっただろうか。


この想いを築いてくれた母の強さと優しさに、申し訳なさでいっぱいになる。


「お母さん、今までは娘と母と両方で生きてきたけど、これからは母として生きていくからね。
二人に迷惑をかけないように、しっかりと……」


母の手のぬくもりが、私の意地っ張りな心を、そっと包んでいく。

今なら、素直に娘として、あなたと向き合うことが出来るのだろう。


「お母さん……私、自分のことばかりで、お母さんの気持ち、考えてあげてなかったよね。
ごめんなさい……」


もっとそばにいてあげればよかった。もっと母を助けてあげればよかった。

してあげたかったことが気持ちの中だけであふれ出し、涙になって落ちていく。


「敦子……。母親の気持ちなんて、母親になってみて初めてわかることなのよ」


古い柱時計が次の時刻を示し、静かなこの部屋にボーンと深い音をさせた。

私と母の年の暮れは、大きな荷物を降ろし、あらたな一歩を踏み出す、そんな時間になった。





31 未来の声 へ……




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コメント

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母と娘の深い想い

こんにちは!!

敦子さんのお母さん死ぬことまで考えてたんですね
おばあちゃん、それに気づいて
生きる気持ちにさせてすごいなぁ、強いなぁ、なんて思いながら
あたしに出来るか?と思うと、そうはありたいけど鈍いから無理かも・・・
という、何とも情けない結果に辿り着きました

敦子さんのお母さんのおばあちゃんの言うことに
いちいち「ごもっとも」と頷くわたしでした

最初の反対からいろいろ考えてたんですよね
おかあさん(当たり前か・・・)

この時間はすごく必要な時間だった
そして敦子さんと蓮君の急がず、ぶれない姿勢がよかったんですね
揺れることもあったけど、二人の信頼と絆に万歳!です

みんが最高に幸せ!!って思える日も近いかな?
  

      では、また・・・e-463

評価されたのかな?

mamanさん、こんばんは!

>敦子さんのお母さんのおばあちゃんの言うことに
 いちいち「ごもっとも」と頷くわたしでした

よかった。先週は、敦子の母、mamanさんのお怒りを
かっていたような気がするので(笑)


>みんが最高に幸せ!!って思える日も近いかな?

もう少しだと思いますよ。
もう、いい加減みんなが大変になっちゃいそうなので。

お付き合いお願いします!

親と娘

yokanさん、こんばんは!

>お母さんは、おばあちゃんとの過去を振り返ることで、
 心に余裕が出来たのかしら・・・

親と子供がいる場合、どちらにもなれますからね。
敦子の母は、娘と親と、両方の立場を言ったり来たりしていたのだと。
一つ区切りがついたところで、気持ちの整理がつけたのでは……。

残りは数話、最後までよろしくお願いします。