31 未来の声

31 未来の声


年が明けてすぐに私は東京へ戻った。静かな正月を過ごしたという蓮を呼び、

母との話を語っていると、悲しいわけではないのにまた涙が浮かぶ。

あの当時の母の想いを感じ、自分のいたらなさや身勝手さを悔やんでいると、

蓮の腕が自然に私へ向かい、その温かい支えが横にあることに、また涙が頬をつたう。


「ごめんね、話しているのに泣いてばっかりで」

「いや……」


黙って聞いている蓮の中にも、きっと同じような想いがあるのだろう。

娘を失ってから、強がり続けてきたお母さんへの気持ちは、きっと蓮にしかわからない。


「蓮、お母さんのそばにいてあげて。お父さんはもちろん、
お母さんが一人じゃないことを、教えてくれているはずだけど、
でも、あなたにだけは真実を伝えたくなかったお母さんの気持ちを思うと、
きっと、幸さんが父を頼っていることを淋しく感じたように、
今は、あなたが離れていく怖さを、感じているはずだから」

「うん……わかった」


母が許してくれたことで、私は強くなれた気がした。

誰かの力を借りるのではなく、自分でそばに近づきたい。





料理教室で会っても、今までは頭を下げて挨拶をする程度だった。

別の班を見ているのだからと、あえて質問することもなく、過ごしてきた。

しかし、それでは本当の意味で、私を知ってもらっていることにはならない。


「すみません、味をみていただけますか?」


突然の問いかけに、驚きの表情を見せたお母さんだったが、私から器を受け取り、

味を確認すると、その器を私ではない生徒に手渡した。

以前なら、こんなことでも気持ちが弱くなり、落ち込んでしまうところだったが、

決して下を向くまいと決め、また持ち場所へ戻る。


次こそは……。そう願いながら、じゃがいもの皮をむく。





季節は2月に入り、寒さがさらにきつくなった。

仕事を終え教室への道を歩くほんの数分の距離で、体の芯まで冷えそうな気がする。

両手をこすり息を吹きかけながら階段を上がると、少し前を行く人の歩みが止まり、

顔をあげるとそこに蓮のお母さんがいた。


「こんばんは」


私の声にこちらを見てくれたが、少し戸惑いを見せながら、軽く頭を下げただけで、

お母さんは私を避けるように足早に教室へ入った。

遠ざかる足音は、追いかけても捕まらない距離を感じ、

まだ、私たちの春の日は遠いのだろうか……と、かじかんだ指を握りしめる。



それでも季節だけは、真冬から少しずつ春へと向かう。

田舎の景色は、都会よりも敏感に息吹を捕らえ、確実に動く。


「敦子、なんだかよくこっちに戻ってくるけど、仕事大丈夫なの?」

「大丈夫よ。これでもしっかり仕事をするからって、社長や奥さんから信頼厚いの」

「そう……ならいいけど」


あの告白の日以来、私は母の元へ帰る時間を増やした。

これからも娘でいることには変わりないが、自由でいられる時期は、

少しずつ少なくなっているという、小さな自覚もあったからだ。

ご近所から産まれたばかりのネコをもらった母は、新しい家族だとかわいがっている。

今日も窓近くの、一番日の当たる場所で、大きなあくびをした後、伸びをする。

その態度の大きさは、新入りとは思えないくらい堂々としていた。


「蓮君のお父さんから、お手紙をいただいたのよ。
大きな決断をしてくれたと感謝の気持ちが書いてあった。自分たちの責任で、
大変な想いをさせたと謝罪の言葉も添えられてあった。なんだか申し訳なくて……」

「そう……」


蓮とは週に1度、一緒に食事をする日々が続いている。

その時に、手紙のことはすでに聞いていたが、実際にこうして書いてくれたのかと思うと、

お父さんへの感謝の気持ちで、胸が熱くなった。


「お母さんは、まだ、ダメそう?」

「うん……料理教室で少しずつ私の方から話しかけてみるけど、なかなか……。
でもね、蓮は私と食事をする時に、ちゃんと敦子と食事をするって言ってくるらしい。
特に止められたりすることはないらしいんだけど」

「そう……」


母は立ち上がると、棚の下から裁縫箱を取り出した。

私が小さい頃から部屋の隅に置かれていたその箱は、相当年期が入り色も深く重い。


「お父さんは、許してくれたお母さんに悪いから、
籍だけでも入れたらどうだって言ってくれたんだけど、蓮も私もそれは断った」

「そうね、それはよくないと思う。それじゃ、母親の気持ちを無視したことになるわ。
焦らずに待ちなさい」

「うん……」

「何か、きっかけを探してくれているはず。あなたと会うことで
蓮君が幸せでいられることがわかれば……。結局、親は子供に勝てないのよ」

「……うん」


そう言いながら母は、もうじき産まれてくる姉の子供に、小さな肌着を縫っていた。

繭の時したことは、全て一緒にするのだと笑う。


「お母さん、私の時もちゃんと縫ってくれる?」

「……当たり前でしょ」


当たり前のことだと想いながらも、その言葉が嬉しくて、

私はそばにあった急須を手に取り、母と自分の二つのお茶を入れた。





それから1週間後の日曜日、私は菊川先生のご自宅に招待された。

蓮も同じように招待され、駅で待ち合わせる。


「昨日、雪岡教授から連絡があってさ、後輩が一人『ふたば』に入ったんだ。
だからよろしく頼むぞって」

「へぇ……そうか。蓮も先輩なんだね」

「……そうなんだよ、敦子」


駅から少しずつ坂を登り、街並みは住宅街へと入った。

庭が広く洋館風な建物が並ぶ中に、菊川先生のお宅がある。

ベルを鳴らすとすぐに、嬉しそうな笑顔で先生が私達を出迎えた。

作業を少し手伝って欲しいと言われ奥へ向かうと、ピアノの部屋から蓮の音色が響き出す。

社会人になって、練習する暇がないと言っていたのに、

少しゆっくりなリズムだったが、奏でる音色は相変わらずだ。


「昨日ね、節子が来たの。そこでの話があったから、今日は二人を呼んだ」

「お母さんが……何か」


私は自分で決めて、お母さんとの距離を埋める覚悟をしたのに、

いざ、そう言われると、まだ鼓動が速まった。

まっすぐ進むことを許されなくなるのか、また別の道を探さなければならないのかと、

つい、気持ちは下へ向く。


「そんなに、心配そうな顔をしないでよ」


菊川先生は私達のために焼いてくれたケーキを皿に乗せ、

春の日差しが入る部屋へ案内してくれた。

ピアノを弾き終えた蓮は、窓から見える景色の変化に気付き問いかける。


「あんなところに公園、あったっけ?」

「そう、公園が出来たのよ、今日は日曜だけど普段は結構、かわいい声がするの。
駅前の保育園がここまで散歩で来て、遊んでいくから」

「へぇ……」

「節子も、かわいい、かわいいって昨日見ていたわ。だから言ったの。
あなたはいいじゃないの。すぐにでも孫くらい作ってくれるわよって」


菊川先生の言葉に、私と蓮の視線が重なった。それを見た先生は、また楽しそうに笑い出す。


「黙っていたのよしばらく。今の蓮のようにずっと外を見たままで。
でもね、ポツリと言ったの。私が憎くないだろうか……って」

「エ……」

「ずっと苦しめてきた私のことを、憎くはないのだろうかって……」


お母さんは私の本音が見えずに、やはり苦しい想いを抱えていた。

正面で聞くわけにもいかず、もたついた気持ちを処理する方法が見つからなかったのだ。


「憎いかどうかはわからないけれど、憎くたっていいじゃないってそう言っておいた。
私からしたら贅沢な悩みだもの。息子のこと、息子の恋人のこと、
それから先へ続く未来のこと、そんなふうに悩めることが本当に羨ましいって……」


先生は紅茶の缶を開け、香りを確認した後、ティーサーバーにお湯を注いだ。

ガラスの中で動き回る葉が、やがて静かに沈んでいく。


「それでも、ただ憎いだけの感情しかなかったら、あなたに近づこうなんてしないわよって、
そう言ったんだけど……」


その菊川先生のセリフは、特別驚くようなことでもないのだろうか、

窓から外を見ていた蓮は、何も言わずに黙っている。


「憎いだなんて……私、考えたことなかったです」


本当にそんなことを考えたことはなかった。父と幸さんの事故の事を知った時から、

切ない気持ちはあったが、相手の家族を憎いなどと思ったことはない。


「年末に、初めて母から当時のことを聞きました。辛い思いも、悔しい思いも、
全て伝えてもらったんです。もし、私が母からずっと当時のことを聞かされていたなら、
当然、そういう想いも芽生えたかも知れません。でも……」


蓮のお母さんのことを考える時、私には必ず浮かぶ顔があった。

それは事故のことを知ったあと、『東城総合病院』に入院したお母さんを

こっそり訪ねた日のことだ。看護士たちと笑顔で語り合い、

泣き出した子供に優しく接していたこと、私の正体を知らずに声をかけてくれたこと。


「病院で明るく笑っているお母さんを見ながら、むしろ……私の方が、
これから苦しめることになるのだと思いながら、ずっと……」


あの笑顔を、私に見せてくれる日が来るだろうかと、思いながら過ごしていた日々のことを、

私は思いのままに語った。本当は私もただ怖くて、どうしていいのかわからなくて、

押したり引いたりしながら、ただ、もがいてきただけだ。


「蓮……今度は蓮の番ね。垣内さんの想い、
それから……あなたがずっと節子を大切に思ってきたこと、それをしっかり伝える番」


菊川先生の問いかけに、蓮は窓のそばを離れ、私の隣に座った。

何も言葉がなく黙っていられると、妙に不安が増してくる。

近所の子供達が公園へ遊びに来たのか、明るい笑い声が部屋の中に入る。


「いつか敦子に聞いてみたいと思っていたんだ」

「蓮……」

「事故のことが全てわかってから、敦子の気持ちを聞いてみたいと思っていた。
母さんのことをどう思うのか……。でも、正直、怖くて聞けなかった」


蓮と出会って何年が過ぎたのだろう。

そんな気持ちを持っていたなんて、気付くことすら出来なかった。


「結果的に話を複雑にして、君の家族を苦しめてきた。それは間違いない。
憎いと言われても、文句も言えなかった。
でも、敦子が素直にそう思っていると言ってくれるなら、それを信じる」

「蓮……」

「敦子は、僕にウソを上手につける人じゃないからね」


その蓮の言葉に、私達が出会ってからの日々が、頭の中に蘇った。

立場を気にして離れようとしたこともあったが、結局、自分を偽ることが出来ず、

彼の胸に飛び込んだ。


互いの想いをぶつけながら、苦しいことがあっても、それを一緒に乗り越えてきた。

そう、私は蓮にウソをつくことなど、出来るはずがない。


「僕から声をかけてみるよ」

「声?」

「あぁ……。僕たちは犯人捜しをしてきたわけでもないし、
あの時のことを責めたいわけでもない。一緒に乗り越えて歩もうって、そう声をかけてみる」



菊川先生は、その蓮の言葉に納得するように頷き、ケーキを分け始める。

私達が向かうはずの未来の声が、また、窓の外から響きだした。





32 春の訪れ へ……




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コメント

非公開コメント

No title

 こんにちは!!

敦子さんのが踏み出した一歩は小さいものだけど
すごい勇気がいったと思う
それが蓮君のお母さんには届かないのかしらと思っていたけど
そうじゃなかったんですね
蓮君のお母さんも怖かったんだ

菊川先生ほんと「いい仕事してますねぇ」です

ちょっとだけ先行きが明るくなったね
きっと、あと少しだ!
敦子さんのお母さんが2人の子に産着を縫ってあげられる日は

両方の親が争って赤ちゃんのものをそろえて
敦子さんのお姉ちゃんがヤキモチ妬いたりして・・・ないか

      では、また・・・e-463

名脇役2人

mamanさん、こんばんは!

>敦子さんのが踏み出した一歩は小さいものだけど
 すごい勇気がいったと思う

そう。一度拒絶されているだけにね、次の一歩は
勇気がいることだったと思うけれど、今の敦子は、
自分の母親が賛成してくれたという、心の味方があるので、
強くなれたのでしょう。

>菊川先生ほんと「いい仕事してますねぇ」です

ありがとう!
この話は、菊川先生と雪岡教授がいないと、成り立たないの。

最後まで、二人を見守ってやってね!

互いの立場

yokanさん、こんばんは!

>お互いが、それぞれの立場で思い悩んでいたんですよね。
 誰にも聞けず、語ることも出来ず・・・

それぞれの立場に立つことは、難しいことですよね。
時を重ねてしまっただけに、余計にそうなるのだと。


>菊川先生が、キッカケを作ったのかな^^

第三者がからむと、うまくいくこともある気がします。
まぁ、その逆もあるのですが……。

『親は子供に勝てない……』

私も、そう思ってしまう一人です。