リミット 13 【別れの時間】

13 【別れの時間】


2月28日。咲はカレンダーを見つめていた。

あの時、雲の上で老婆と交わした約束の日から、今日で半年が終わる。



『半年以内に、好きな男に幸せにしてもらう』



結局、その契約を全うすることは出来なかった。

今日は深見の東京勤務最後の日であり、そして咲が自由でいられる最後の日だ。


「行ってくるからね」


咲はいつものように分身のたぬきに言葉をかけ、仕事へ向かった。





「早瀬! 悪いけど、主任と一緒に千葉へ行ってくれ」

「エ……」


深見と千葉へ出張に決まっていた秋山が、いきなり咲に仕事を振ってきた。

秋山の得意先から呼び出しがかかり、深見に同行できないのだと言う。


「私でいいんでしょうか……」

「いいと思うぞ」


秋山はどこかニヤつきながら、そう言った。


「秋山行くぞ」

「あ、すみません主任。急にカトレア女子大の修学旅行の件で学校へ呼ばれまして」

「カトレア女子大?」

「はい、早瀬に代役を頼みましたので!」


その言葉に、深見は咲の方を見る。咲は申し訳なさそうに少しだけ頭を下げた。


「……そうか……」


深見は咲を連れて、千葉へと向かった。


カバンを持ち、外へ行こうとする秋山の前に、利香は咳払いをしてスッと立つ。


「秋山さん、カトレア女子大の話、ウソでしょ……」


詰め寄られ表情を変えた秋山は、利香を引っ張るように休憩所へ連れて行く。


「迷える上司のためにウソをついた私を……神よお許し下さい」

「何ですか? それ……」

「黙ってろよ、宮本!」

「……お昼おごりでいいですよ!」


利香はそう言いながら、右手を嬉しそうに差し出した。





支社と取引先が離れていて、電車の本数も少ないことから、

深見と咲は会社の車に乗って出かけた。しばらく黙ったまま走っていると、

海が少しずつ見え始める。


「あ、海……」

「結構波が高そうだな」

「そうですね……」


深見と旅行が出来るのなら、場所なんてどこでもいい。

咲の想いが届いたかのように、秋山のおかげでこんな時間を過ごすことが出来た。

半年頑張ってきた自分への最後の贈り物、咲はそう思いながら、景色を見つめる。


「最後に褒めてもらえてよかったです」

「エ?」


咲は海の方に視線を向けながら、話し続ける。


「主任が来た日、私いきなり給料どろぼうって怒られたんですよね、覚えてます?」

「給料どろぼう……そんなこと言ったか?」

「そんな意味のことを言いましたよ。あの時は、すごく頭にきましたけど、
よくよく考えたら本当にそうでした」


咲が見つめている波は、昨日も、今日も、そして明日も、どんなことが起ころうと、

同じように繰り返される。


「4年間、勤めてますけど、この半年間が一番充実してました。色々失敗もして、
主任にはご迷惑をかけっぱなしでしたけど、でも、最後に企画で褒めてもらって……
嬉しかったです」

「自信になったか?」

「はい。思い出になりました」

「思い出……か」


思いがけないところで、二人になる時間が持てた深見は、

今日、あのペンダントを咲に渡そうと決めていた。


「私、泳げないんです。長野には海がないし、だからあまり来たことなくて……」

「そうか……」

「主任はどこで生まれたんですか?」

「神奈川だ。だから海はよく行ったし、泳ぎもそれなりには出来るかな」

「そうですか……」


初めて知る深見のことだった。仙台からエリートとして東京へやってきた上司。

仕事が出来て、厳しい一面もあるが、誰よりも気をつかい、みんなをもり立ててくれた。





「おぉ、深見! 久し振りだな」


千葉の支店で部長をしている熊沢は、深見が一番最初に世話になった上司だった。

会社からもってきた書類などを渡し、話しは新入社員だった頃のことになる。


「優秀だったぞ、深見は……」


その、どこか危ない言い方に、深見は少し身構える。


本部にいた頃、添乗員をやり始めた頃、そんな深見の昔話を豪快な笑い声と共に、

熊沢は楽しそうに披露する。


「あのな、あまりにも一生懸命やりすぎて、若い社長夫人に惚れられたことがあるんだ」

「エ?」

「……あ、熊沢部長、それは……」


深見が新人の頃、小さな工場の社員旅行を担当したことがあったのだが、

社長夫人の色々な希望を聞いてやっているうちに、個人的な用事を頼まれるようになり、

終いには夫婦が別れるという話しにまでなったのだと言う。


「本当ですか?」

「いやぁ……もちろん、深見に落ち度はなかったんだけど。
あの時のことは忘れられないな。長谷部が怒って……」

「熊沢さん」

「長谷部?」


咲は初めて聞く名前に興味を示し、深見の方を向く。


「深見の当時の彼女!」


深見は目を閉じ、今、そんなことを言われなくても、

いいのではないかと大きくため息をつく。


「熊沢部長、一応僕も部下を連れてきてますので、そういう個人的な話しは……」

「……ん? 部下って、今日までだろ? なぁ、早瀬さん」

「……あ、はい」


咲をここへ連れてこなければよかったと、深見はそう思った。





仕事を済ませ会社に戻る途中、深見はサービスエリアに車を止めた。飲み物を買い、

咲に手渡し、カバンを開け、ペンダントの箱を取り出そうとした。


「長谷部さん……かぁ……」


深見が振り返ると、咲は飲み物を持ったまま笑っている。


「どんな人なのかな、主任の好きだった人って……」


咲の予想外のセリフに、深見は手に持った箱をそのまま戻す。


「あのさぁ、早瀬……」

「あ、ゲームセンターで話してくれた、振られたことがあるって話、
長谷部さんのことですか?」


深見の想いとは離れた方向に気持ちが流れ、とても言い出せる状況ではない。


「昔の話だ、もう」

「それにしても、一生懸命に仕事をし過ぎて、好きになられちゃうなんて……
そんな話しが聞けるとは思いませんでした。結構失敗もしてるんですね」

「……失敗? あぁ、うん……。あの……」

「あ、みんなには言いませんよ。今日までは私、部下ですから……」



『明日はないですけど……』



今日、咲にペンダントをと思っていた深見だったが、熊沢の昔話から、

タイミングを失ったまま、結局休憩所を後にした。


「主任、今日は会社へ戻ってから何か用事があるんですか?」

「いや、もう東京での仕事は終わったから、今日は特にないけど……」

「よかったら一緒に食事をしませんか?」

「エ……」

「ゲームセンターでの負け、ちゃんと覚えてますよ。今日、約束を果たさないと、
もう借りを返せませんから」

「あぁ、あれか……」



『少しでも、あなたのことを見ていたいんです……そんなわがままくらい、いいですよね』



咲はミラーに映る深見を見つめながら、そう心でつぶやいた。





食事をしながらも、咲の目はずっと深見の動きを追っていた。

仙台に配属になる前のこと、社長賞を取ることになったいきさつ。

何もかも初めて聞くことだった。これからも、きっと会社の中で、

彼は輝き続けるのだろう。



『明日の辞令の様子、また、雲の間から見せてもらえるのかな……』



場所なんてどこでもいいから、二人で時を過ごしたい。咲の小さな願いは、

こんな形で実現された。


二人の会話が少し途切れた時、深見はカバンに手を伸ばした。


「早瀬……」


その瞬間、横を通り過ぎようとしたウエイターが、手に持った皿を落とし、

ガチャーンと大きな音を立てた。


「あ、すみません、汚れましたか?」

「いえ……」


深見は手につかんだ箱を元に戻し、落ちた皿の近くにいた咲のスカートを見る


「大丈夫か?」

「はい……」


膝にかけていたナフキンをたたもうとして、咲は腕時計を見た。

その瞬間、思ったよりも進んでいた時間に気づき、顔色を変える。


「主任、もう出ましょう……」


深見の前で、何か起こるようなことがあっては困ると咲は思った。

彼の前では、最後までいつもの自分でいたいし、心配などかけたくはない。



『……ん? 部下って、今日までだろ? なぁ、早瀬さん』



深見は、熊沢の言葉を思い出す。今日、何度か咲にペンダントを渡そうとしたが、

その度に何か邪魔が入ってしまい、タイミングを逃し続けた。

それならば無理をすることなく、明日辞令を受け上司でなくなった後に

向かい合おうと考えを変える。


深見は、今さら焦る理由などないと思い、もう一度ペンダントの箱を確かめていた。





時間はもうじき11時になろうとしている。二人は同じ駅のホームでベンチに座る。

電車時刻を教える掲示板が、両方11時2分を予告していた。


「よし、また賭けよう」

「何をですか?」

「早瀬の方に来たら、早瀬の勝ち。こっちが先に来たら俺の勝ち! 
もし早瀬が勝ったら仙台に来た時、豪華ディナーでも招待してやる。どうだ?」



『最後までそんなこと言ってるんですね……主任』



「じゃぁ、私が勝ったら、主任が東京支社長になった時に、豪華ディナーをおごります!」

「東京支社長? それは随分条件が厳しいな」

「そうですか? 意外にすぐかもしれないですよ」

「簡単に言うなよ」


咲は軽く微笑むと、線路の先を見つめていた。

小さく見えたライトが少しずつ駅に近づいてきた。


二人の時間に終わりを告げる灯りは、無情なくらい、だんだんまぶしさを増してくる。


「あ、こっちでした……」

「ん?」


電車は咲の方へ入ってきた。咲は勝ちました! 

と深見に向かって、小さくガッツポーズをしてみせる。


「しょうがない、約束だ。仙台にきたらおごってやるよ!」


咲は無言で小さく頷いた。電車が止まり、扉が開くと、車内にはまばらにしか客はいない。


「主任……さようなら……」

「また、明日な」


咲に明日の約束は出来なかった。ただ微笑み、頷くだけになる。咲は扉の近くに立ち、

振り返り深見を見る。出発を告げる音楽が鳴り、ゆっくりと扉が閉まり始め、

見えていた深見の顔は、ガラスの向こうに変わる。


それまでなんとか耐えていた咲の表情が急にゆがみ始め、涙があふれ出す。

その咲を見た深見は、なぜあれだけ激しく泣くのかが全く理解できずに、

驚いた顔のままその場に立っている。

咲は深見に泣き顔を見せたくなくて、顔を両手で覆いその場にしゃがみこんだ。


「早瀬……」


どうしたらいいのかわからない深見を駅に置いたまま、

咲を乗せた電車はゆっくりと動き始める。


「うっ……あっ……うわー!」


耐えきれなくなった咲の叫ぶような泣き声に、眠っていた客達が一斉に目を覚ます。

そんな客達の冷たい視線も全く目に入らない。


あの時、事故に遭ったまま死んでしまえばよかったんだ。

篤志にプロポーズされるはずだったと、いい思い出だけ胸にしまって、

天国に行けばよかった。今まで我慢してきた咲の心が、涙になって叫びをあげる。


この半年は一体何だったんだろう。篤志に裏切られ、義成に頼ることも出来ず、

叶わない深見を好きになって……。

どうせ叶わないのなら、どうせこの日が来るのなら、

深見にちゃんと想いを告げればよかった。



『あなたが好きです……』



「深見さん……深見さん……」


川を渡る橋の上、電車がガタガタと音を立てているのに紛れ、深見のいない車両の中、

咲は何度も名前を呼ぶ。


「深見さん……」


咲を見送った後、すぐに深見の電車も到着した。納得のいかないまま乗り込み、

同じように扉の近くへ立つ。


咲があんな顔を見せたのは初めてで、深見は何か言いたかったのだろうかと考える。


トラブルの時におにぎりを持ってきた時の顔、ゲームセンターで寂しそうにしていた横顔、

山に勝手に登り申し訳なさそうにしていた顔。


そして、自分の背中で眠ってしまった無防備な顔……。


そんな表情を全て打ち消してしまうような、あの泣き顔……。



『何か、とんでもない失敗をしたんじゃないだろうか……』



二人の距離が少しずつ離れ、リミットに向かい、時計は最後の1周を回り出した。

                                    神のタイムリミットまで、あと55分





うん、うん、いいよ、この先どうなるの? という方……

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