リミット 14 【雲の上】(終)

14 【雲の上】


二人が別れてから、電車は二度目の扉を開けた。深見が降りる駅まではあと1つになる。


カレンダーに毎日印をつけていたこと、

そして、卓上カレンダーを2月までしか入れてなかったこと。

やたらに無鉄砲で、勢いばかりだった不思議な咲の行動を、深見は思い浮かべてみる。



『なんで、あんなふうに泣いたんだ。明日ゆっくり聞いて……』



「ちょっと! 聞いてる? 時間がないって、早く決めてよ!」


ホームを歩きながら携帯で話している人を、深見は何気なく見た。



『私には、時間がないんです……』


『主任、もし、私が死んだら悲しんでくれますか……』



ふと咲の言葉が頭をよぎっていく。


発車を告げるベルの音がした瞬間、深見の体はホームへ降りていた。

誰かに押されたような気がして振り返るが、扉の近くには誰もいない。

駅の時計を確認すると、階段を駆け下り深見は反対側のホームへ走った。





咲はこたつの上に、最後の日に食べようと思い残しておいたプリンを置いた。

しかし、泣き声と、鼻水と、しゃっくりが混じり合って、

それどころではないほど、咲の気持ちはグチャグチャだった。


最後まで笑っていよう……。そう思っていたのに、結局大泣きしてしまい、座り込んだ。

そんな自分を心配そうに見ていた深見の顔が頭から離れない。


咲はいつものスウェットに着替え、どうにでもなれと思い、頭から布団を被った。

田舎の母に電話をしたら、絶対に泣いてしまう。

そんなことをしたら心配をかけるだけだ、そう自分に言い聞かせる。


高校1年生の弟、卓はちゃんと母を支えてくれるだろうか。

結局、また義成に迷惑をかけてしまうのではないかと、

咲は目にたまる涙を、両手でぬぐう。



『よっちゃん……いつまでも頼ってばかりでごめんね……』



いつでも優しく自分を支えてくれた幼なじみに、

世話になりっぱなしのまま、何も返すことが出来なかった。


東京なんて知らずに、義成を好きになれたら……。

東京で恋なんてしなければ……。



『篤志……いい加減に優柔不断を直しなさいよ!
誰かがそばにいないと、寂しいくせに!』



そもそも、篤志があの時、きちんとプロポーズしていれば、

こんな想いをしなくて済んだのだ。そう心で文句をつけながらも

咲の手にはしっかりとたぬきのぬいぐるみが握られている。



『早瀬、似てるぞ……それに。色も黒いし、目が丸いし、
どこかポカンとしているところも……』


『深見さん……』



あなたが頑張る姿を、これからも空の上から見続けたい……。

咲はそれだけは老婆に頼み込もう、そう決めていた。


しかし……。



『結婚式は、見たくないです……』



深見の隣で誰かが微笑む姿だけは、絶対に見たくない。

咲の心の中が、深見への想いでいっぱいになり、出てくるのはため息だけになる。



『やっぱり怖い、死んでしまったらどうなっちゃうんだろう、私……』



さらに布団を強く握り、咲はそのまま動かなくなった。


時計の針の音だけが、決まったリズムで聞こえてくる。

自分の呼吸と、針の音……、ただそれだけしか聞こえない……。


……天国には、どうやって行くのだろう……。

……誰が迎えに来るのかしら……。

……おばあさん? まだ?……


その時、携帯がいきなり鳴り始めた。天国からの連絡に違いないと思った咲は、

出ることをしばらくためらったが、切れる様子もないため、

しかたなく布団からはい出て、携帯を取った。


「はい……」

「あ、ヤッチ!」

「……違いますけど……」


間違い電話だった。携帯を切りこたつに置き、そのまま時計を見ると、

時刻はとっくに12時を過ぎていた。咲は驚き、急いでTVをつける。


堅そうなコメンテーターが、なにやら政治について力を入れて話していた。

間違いなく、この番組は12時過ぎのものだ。


「どういうこと?」


自分の足や手を何度もはたいてみるとそれなりに痛いし、呼吸も出来る。

そして、まわりに何も変化がない。

天国って意外に地上と変わらない、こんなものなのだろうか。


TVの横に置かれている小さな戸棚を開け、以前老婆から受け取った契約書を確かめる。

慌てていて、日付を間違えたのかもしれないと思った咲は、もしそうならば

明日の深見の送別会に参加できる……と淡い期待を胸に、封筒から紙を取り出す。


「あれ?」


黒いインクでビッシリ書き込まれていたピンクの紙は、ただのピンクの紙に代わっていた。

蛍光灯に当ててみても、書かれていたはずの文字を読むことは出来ない。

「どういうこと?」

咲は力が抜け、その場にしゃがみ込み、天井を見た。

事故に遭い老婆に会い、天国に行かないで地上に帰してくれ! そう頼んだ時、

どうやったら天国へ行けるのか、聞いておくべきだったのか?


それからまた、時計の針だけが音を立てた。咲は地上と天国の間で、

自分がフラフラ揺れているのではないかと考える。

すると、また携帯が鳴り始め、咲は今度こそ間違いないと、そう覚悟を決める。


「ねぇ、これってやっぱりヤッチでしょ?」

「だから、違います!」


二度も同じ人に間違い電話をかけるなんて、こんな夜中にいい加減にしてほしいと、

咲は親指で思い切り電話を切る。


「あ……」


そこにメールのマークを発見し、咲の心臓がドキンと音を立てる。



『エ……今時の天国行きは、メールで連絡がくるのかな……』



メールマークを押し差出人を確かめると、その相手は深見だった。

咲は震える手でそのメールを開け、一文字ずつしっかりと見る。



    明日、僕が正式に君の上司ではなくなった時、

    きちんと話そうと考えていた。


    でも、駅で泣いている姿を見て、

    このまま家には戻れない、そう思った。


    ただ、一人の男として、君のそばにいたい

    それを許してもらうことは出来ないだろうか。


    YESならあの時のたぬきをベランダに出してくれ

    NOならタオルの1枚でも干してくれればそれでいいから

    今、そっちへ向かっています。


メールの送信時刻は23時47分を表示し、咲は何度も、何度もこの文面を読み直す。



『君のそばにいたい……』



深見が自分を見てくれていたなんて、考えたことすらなかった。

そんな夢のようなことが、今、現実になり、自分を救い出してくれた。



『このメールだ。きっと、このメールで私は救われたんだ……』

『好きな男に幸せにしてもらうこと』



想いを寄せていた深見からの告白メール。

考えてみればこの半年、咲の充実感の中には、必ず深見がいた。

咲の幸せの形は、知らないうちにしっかりと出来上がっていた。



『今、そっちへ向かっています』



今まで怖がりながら丸まっていた布団を思い切り剥がし、

中に埋もれていたたぬきのぬいぐるみを取り出した。

深見が来る……そう思いながら、咲は慌ててベランダへの窓を開けた。


「……」


電信柱に体を預け、寒そうに腕を組んでいる深見がそこにいた。

窓が開く音に気づいた深見の視線と咲の視線がぶつかる。


咲は手に持ったたぬきを深見に見えるように、何度も振る。


緊張していた深見の顔から、自然に笑みがこぼれていた。

咲はその笑顔を確かめると、玄関へ向かう。



『神様、夢ならさめないで! せめて、彼に触れるまで……』



慌ててサンダルを履き、階段を駆け下りる。

途中で左足が脱げてしまったが、そのまま走った。

マンションから外へ出て行くと、自分を救ってくれた最愛の人がそこにいる。


涙でボロボロの顔のまま、咲は抱きつき、深見はそれをしっかりと受けとめる。


神様……これは夢なんでしょうか。

私は今、本当に、雲の上にいるのかもしれない……

ふんわりと温かく、そしてしっかりと彼に包み込まれているから……



『夢でも……うれしい』



「早瀬、遅いよ。寒くて固まった……」

「エ……」


その声に咲が上を向き、深見と視線をあわせた。

自分を見つめていた深見の顔が近づき、咲は急いで目を閉じた。

優しいキスが気持ちを温め、これが夢じゃないことを教えてくれる。


「思い詰めたような泣き方をするから、何かが起こるんじゃないかって心配した」

「深見さん……」

「これからは、そばにいるから、あんなふうに泣くなよ……」


咲は小さく何度か頷き、深見の言葉をかみしめた。

最高に幸せ気分の中で、重要な間違いに気づく。


「いないじゃないですか!」

「ん?」

「仙台、行っちゃうのに!」

「あ……」


そういえば転勤だったことを思いだし、かっこいいことをいったものの、

深見はバツの悪そうな顔をする。


「そういうのはヘリクツって言うんだぞ。気持ちの問題だろうが!」

「でも……」

「じゃぁ、ついてくればいい。仙台へ……」

「エ……」

「すぐには無理だろうけど……」


咲はこの半年、リミット後のことなんて、考えたこともなかった。

自分は自由になり、深見を追い掛け、仙台に行けることに、今やっと気付く。


「それは添乗員としてですか?」


からかうようなセリフに、深見は中指で咲のおでこを一度だけ弾く。


「……痛い……」


深見は笑いながら、弾いたおでこの場所にそっとキスをした。

照れたまま下を向き、咲の左足を見る。


「ん? お前左足裸足だぞ」

「途中でサンダルが脱げたんです。戻るときに拾います」


裸足の左足を右足にからめ、咲は少し隠すようにする。


「あのぉ……」

「何だ」

「パンダより、軽いと思うんですけど……ダメですか?」


一緒にいったツアーの時のように、

咲はさりげなく深見に負ぶって欲しいことをアピールする。

深見はあの日のことを思いだし、少しだけ笑う。


「ほら……」


背中を差し出す深見に、咲は嬉しそうに体を預けた。

あの山の時と同じように体が宙に浮き、ここから決して落ちまいと

咲は深見に腕を巻き付ける。


「……好きです」

「エ……」


咲の方を振り返ろうとした深見の頬に、咲は急いでキスをする。



『あなたが好き……』



大好きな人に、好きだと言えることは、本当に幸せなことで、

あの時老婆がくれた半年の時間は、深見に会うためだったのだと、

咲は深見の背中のぬくもりを感じながら、そう思う。


もうリミットを気にする事なんてない。

このままずっと、ずっと、あなたと一緒にいたい……。


「早瀬……」

「はい……」


深見の優しい呼びかけに、咲はしっかりと返事をする。


「お前、寝るなよ! 背中で!」

「寝ませんよ!」


深見は咲を背負ったまま、マンションの階段を一段ずつ昇り始めた。


                              二人の時間はこれから始まりますが、
                                     このお話は……おしまい。



最後までおつきあいありがとうございました。
実は、このお話には Ⅱ があるのですが……
それはまた、のちのち……

何か、感想をいただけたら、嬉しいです。






よかったね、咲ちゃん、深見という方……

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