36 男の度量

36 男の度量


比菜はバイトの時間を終えて、店の裏に靖史を呼び出すと、

大和から言われたとおりのことを告げた。亜紀の店、『彩夢』のことは、

比菜も何度か通り過ぎたことがあるので、場所も雰囲気も知っている。


「そう言われても俺、パソコン関係わからないんだけど」

「でも、靖史さんに意見を聞きたいと言ったのは、亜紀さんみたいですよ。
とりあえず行ってみてあげてください。私、また高杉さんに嫌みを言われたくないですし」

「……大和、何か言ってた?」


靖史は、『彩夢』で思いがけず大和と会ってしまい、逃げた自分のことを、

比菜にどう表現したのかが気になり、心配そうに問いかける。


「……憎ったらしいことを言ってました」

「憎たらしいこと?」


靖史が驚いたように聞き返すので、比菜は慌てて否定する。


「すみません、全然別の話です。とにかく伝えましたから……。行って下さいね。
あ、そうそう。おかみさんが出前から戻るのが遅いって気にしてます」

「ん?」


被っていたキャップを手に持ったまま、驚いた靖史に向かって、

比菜は笑顔を見せ、わかっていますと頷いた。





大和はその日、仕事を終えると、貴恵のアパートに向かった。

部屋の前まで来ると、換気扇から美味しそうな匂いが漏れてきて、

久しぶりの時間に気持ちが高まった。軽くドアを叩くと、中から笑顔の貴恵が現れる。


「雨、降ってこなかった?」

「あぁ……」


靴を脱ぎ中へ入ると、小さなテーブルの上に、何やら書類が積み重なっている。

電卓の下にある数字が並ぶ紙には、会社の名前『サイクル』の印があった。


「珍しいね、仕事を持ち帰るなんて、忙しいんだ」

「エ……あ、うん。部長が色々と動いているのよ」

「部長? あぁ、あの息子さんか……。ずいぶん自信満々なタイプに見えたけど」

「そうかもね……でも、ちゃんと自分の考えを持っている人よ。
厳しいけれど言ってることは間違っていないし、むしろ、社長より
細かいところに気が付くわ。一方的に意見を押し付けるようなことはないし……」


貴恵は食事の支度を続けながら、そう大和に言い返した。

晃が取引先を丁寧に回り、交渉をしていることまで、話に付け加える。


「そんなしっかりとした彼の考えを、貴恵は聞くチャンスがあったんだ」

「エ……」


大和は書類の一番上にあった紙を抜き取り、並ぶ数字と貴恵の添えている一言を見た。

新しい業者と過去の業者との違いが、しっかりとまとめられている。

大和の中に、貴恵が仕事に熱心だというイメージはあまりなかったため、

この心境の変化が気になった。


「みんなで、居酒屋会議だなんて、結構連れて行ってもらうのよ。
そんな時に、これから会社をどう経営していきたいかって、結構語るから……。
私たちと年齢も近いでしょ、みんないろいろ言わせてもらってる。
そんなことは別に、よくあることじゃない」

「ふーん……」


貴恵は大和の返事に、あまりこの話をしない方がいいのだろうと思い、

書類をまとめ、テーブルの下に入れた。

料理を運ぼうと立ち上がると、その腕を大和に引っ張られ身動きがとれなくなる。


「大和……ちょっと……」

「他の男を堂々とほめられるのは、あまり気分のいいものじゃないな……」


貴恵は自分の動きを止めようとする、大和の腕の力の強さが嬉しくて、

少しほころぶ顔を見せまいと、わざと逃げる仕草をした。





夜のバイト時は、『とんかつ吉田』で食事を済ませるため、比菜は雑誌を手に持ち、

事務所への道を急いだ。時間はすでに10時近かったが、明かりがついている。

あのまま大和が仕事を続けているのかと、ベランダの方から影を追うと、

残っていたのは大和ではなく邦宏だった。


「どうしたんですか?」

「あ……ごめん。仕事の電話がかかって来たのと、これ、FAXで送ってもらったんだ。
来月の頭に、3階が一部屋空くらしい」


比菜は、FAXされた見取り図を、邦宏から受け取り、すぐに住所を確認し、

家賃や入居可能日を確かめた。


「あ、本当だ。来月すぐに入れるんですね」

「一応、長瀬さんに聞いてからと思ってさ。他にもここを指名してくる人がいるらしくて、
もしキャンセルならそっちにって言うから。早く手を打ったほうがいいと思って」

「借ります。もちろん借りますから。あぁ、よかった。
これで期限や時間を気にしなくて済みます」

「じゃぁ、返事していいね」


比菜はすぐに頷いたが、その頭の動きに忘れていた何かを思い出し、笑顔が消える。


「あ……」


物件を借りる場合、家賃の先払いと、敷金などの支払いがあるが、

今の自分には、この金額を動かすだけの余裕がない。


比菜のそんな表情に気づき、邦宏は棚の下に置かれた小さな金庫の鍵を開け、

銀行の封筒に入ったお金を取り出した。それは比菜がここへ来た時、

康哉が持ち逃げした30万円の半分を、返済したものだ。


「これ、長瀬さんに返すよ」

「坂本さん……」

「初めからもらうつもりなんてないし、君がこっちへ来た事情も知った。
康哉が長瀬さんにしていることも含めて考えていけば、もらうお金じゃない。
部屋を借りる資金に当ててくれたらいいし、もし、部屋を借りにくい状況なら、
『フリーワーク』が借りる形にしてもいいよ。それは向こうにも伝えてある」


比菜にとっては、願ってもないことだった。

お金を返してもらえるとは思っていなかったし、

バックアップまで頼めるとも考えてなかったからだ。


「でも……」

「大和も同じ意見だから。気にしなくていい」


比菜はその言葉を聞き、ほんの少しだけ安心したが、時計を探してくれた時の大和と、

今日の信恵に対して冷たい言葉を投げかけた大和の顔が、両方浮かんでは消え、

また、腹立たしくなってくる。


「私、本当にわかりません……高杉さんって人が」

「ん?」

「冷たいのか、優しいのか……いったい、あの人って、何を考えているんですか」


比菜は信恵の出来事と、それに対しての大和の態度を邦宏に告げた。

自分の時計を探してくれたことには感謝もしていたが、

今日の態度があまりにも冷たく、理解が出来なかったからだ。

邦宏は、その話を黙って聞いていたが、途中で鼻の頭を少しだけかくと、

全て理解できたというように、何度か頷いてみせる。


「長瀬さんには、いまだに大和の目が氷のように冷たく見えるってことなんだろうな」

「……冷たく見える以外に、見えたことがないです」


比菜はテーブルに両手を置き、ほおずえをつきながらそう答えた。

目の前には大和が毎日向かい合う、ノートパソコンが置いてある。

大和の持ち物だと思うと、向ける視線がついきつくなった。


「だったら、どうして自分のことを、アイツに話したの?」


比菜はその邦宏の問いかけに、すぐ返事をすることが出来なかった。

いきなり後ろからコツンと頭を叩かれたように、何が起こったのかわからない。

邦宏の言葉の意味を、心の中で繰り返してみるが、

その答えは比菜の中から出てこないまま、時計は夜の10時を告げた。






37 欲のない男


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コメント

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さすが邦宏

大和の事情も他のメンバーのことも
一番オールマイティに理解しているのが邦宏で、
邦宏がいるからすべての人が上手くつながっていけるんですね。

邦宏の一言で、比菜ちゃんが立ち止まったのはすごいわ。。
ありがと♪邦宏くん

大和と貴恵ちゃん、見えない距離があるかと思いましたが、
今日は仲良し♪
ちょっとほっとするれいもんでした(笑)

頼れる男

yokanさん、こんばんは!

>オモ、部屋が空いたんですね^^

はい、空きましたよ。
これで比菜は、ぐっすり眠れることになりそうです(笑)

>邦宏君は痛いところをついてくる、なるほどその通りだわ

ここは、以前にも質問をされていた箇所なのですが、あえて触れずにいました。
邦宏と比菜の会話は……、この次です。

大和と貴恵のこの先も、まだまだ安心出来ない……かな?

今日は……ね!

れいもんさん、こんばんは!

>大和の事情も他のメンバーのことも
一番オールマイティに理解しているのが邦宏で、

はい! 邦宏は『フリーワーク』の社長なので、ふざけたところもありますが、
実際には一番頼れる男なのです。
ここら辺は、のちのち、また色々と……って、詳しくは書けないのですが。

>大和と貴恵ちゃん、見えない距離があるかと思いましたが、
今日は仲良し♪

そう、今日は仲良し……明日は?(笑)

ホントのとこ?

   こんにちは!!

 邦宏、比菜に鋭いところを突いてきますね

大和と貴恵さん今日は仲良しだけど・・・って
やっぱり二人の溝は埋まらない?

私は大和と比菜と、って勝手に思ってるからいいけど・・・

貴恵さんもホントは心の奥底では
御曹司に傾いてるんじゃないかなぁ?
まだ気付いてないだけでサ・・・なぁんてね(^_^;)


      では、また・・・e-463

頼りになります

比菜ちゃん漸く落ち着いて眠れそうね、良かった。お金の心配も無さそうだし・・・

大和のことを誤解したままはちょっと悲しい。

何でも邦宏に頼るのはどうかと思うけど、
やはり此処は彼に一肌脱いでもらうしかないかな?

大和と貴恵、うーーん微妙だな。

読みは当たるのか?

mamanさん、こんばんは

>邦宏、比菜に鋭いところを突いてきますね

以前、ここのところは質問されましたよね。
どうして大和なんだろうって。
その答えらしきものが、次回に出てきます。

>私は大和と比菜と、って勝手に思ってるからいいけど・・・

あはは……そうなんだ。
まぁ、どうなるのかは、これから、これからです。
大和がもう少し変わらないとね、どっちみちキツイ気がする。

御曹司、まだまだやってくれますよ(笑)


【追記】

2月19日にいただいたコメントが、なぜか今日まで見ることが出来なかったの
(なんでだかわからない)。で、今日、お返事を書きました。ごめんなさい……。

比菜ちゃんの部屋

yonyonさん、こんばんは!

>比菜ちゃん漸く落ち着いて眠れそうね、良かった。

そうそう、yonyonさん、気にしてくれていたんだよね。
やっと落ち着きそうです。
1階の事務所に、3階の長瀬家。
うふふ……色々とありそうです。

頼れる邦宏くん、つかみどころのない大和、そして貴恵ちゃん。

まだまだ色々と起きますからね!