42 帰り道

42 帰り道


邦宏と比菜は冷蔵庫を運び入れ、信恵は大と一緒に、床を拭き楽しそうに歌を歌った。

洗濯機だけは新しく買ったため、業者が来るのを待つことになる。


「ひよこちゃん、さすがに3階だね、日当たりがいいもの。でも、ちょっと狭くない?」

「信恵さんみたいに広い家には住めませんよ、収入が違いますから」

「ふーん……あんまりくれないんだね、『フリーワーク』。社長がケチなんだ」

「おい、アリス、聞き捨てならないことを言うな」


そう邦宏が言った時、ポケットに入れてあった携帯が鳴った。受話器を開けると、

相手はイネで、先日の出来事など何も知らないのか、また、邦宏に仕事を依頼する。


「イネさん、俺はちょっと行けないんだけど、別のヤツでもいいでしょ?」


比菜はその言葉を聞きすぐに邦宏を見た。大得意先である笹本家の仕事だけは、

ずっと邦宏がやってきたことを、比菜もそれなりに知っていたからだ。


「うん……わかりました。必ず行きます、それじゃ」


邦宏はそう言うと受話器を閉じ、ポケットに戻す。

キッチンの隅に置いた冷蔵庫のコンセントを確認し、中が冷え始めたかどうか、

扉を開けた。


「よし、なんとか生活出来そうだね、長瀬さん」

「ありがとうございました。坂本さんのおかげです。
何もかも手伝ってもらうことになって、申し訳なくて」

「いやいや、あの部屋で生活させているのはかわいそうだと思いつつ、
俺たちも何も出来なくてさ」

「いえ……」

「あ、そうそう、これ」


邦宏はそう言うと、下から持ってきた箱を開け、中から板やガラスを取り出した。

木目調のテーブルは脚が2段階になっていて、低くすれば床に座ったまま利用でき、

高くすれば椅子と組み合わせて食事をすることも可能なものだった。


「これさぁ、俺と大和と靖史から。何が必要なのか考えたんだけど、
まずはテーブルがないとね」

「エ……」

「二人は今日いないから、俺が代表で組み立てて渡すよ」


比菜にとっては何も知らず、ただ康哉だけを信じて飛び込んだ『フリーワーク』。

大和に指摘され、意地になったまま、康哉の持ち逃げしたお金を

自分が肩代わりすると生意気なことを言った。

信用しろとも言えないような状況の中で、この2ヶ月、

彼らの気持ちに助けてもらったことは間違いない。


「ありがとうございます。こんなふうにしていただけるなんて思ってもなくて……」


邦宏をはじめとしたメンバーの気持ちに、

こみ上げるものがある比菜の声は少し小さくなる。


「よかったね、ひよこちゃん。ひよこちゃんがいい人だから、
みんな助けてあげたくなるんだよ。私だってそうだもの」


組み立てられていく小さな台に、一番先に興味を示したのは大だった。

邦宏の作業を目で追いかけ、時折、嬉しそうな声を出す。


「大ちゃん、将来は大工さんになろうか」


信恵は大の様子を嬉しそうに見つめ、邦宏はダンボールの切れ端を大に渡す。

比菜は信恵の中にあった迷いは、もうないのだろうと、少し胸をなでおろした。





比菜の引越しが、和やかに進む中、大和は苦しいトライアングルの中で、立っている。


「お父さん、お母さん、こちらがモデルを引き受けてくれた高杉さんなの。
ほら、前に言ったでしょ、後輩でかわいい子がいるんだよって、
その子のお兄さんなんだけどね」


何も事情を知らないみなみは、豊と奈津に向かって、大和のことを紹介した。

大和が豊と会うのはこれが初めてで、その鋭い視線に向かって一礼する。


「そうですか……娘がお世話になりました」

「いえ……」


大和は、自分がモデルになったことを、出来れば豊には知られたくなかった。

誰よりも会いたくない男は、まるで知らない人にするように、

大和に向かって頭を軽く下げる。


母、奈津との間に、どんな約束があったのか大和が知ったのは、

祖父母の思いを聞いた時だった。豊は奈津の勤めていた会社の上司で、

二人は自然に惹かれあったが、豊は奈津の子供である大和を、

引き取ることを望まなかった。


「みなみ、お前を指導してくださった先生はどこにいる。
なかなかお会いする機会もないのだから、案内してくれないか」


豊はこれ以上大和と目を合わせていたくなかったのか、

それとも奈津との時間を作ろうと思ったのか、みなみを連れて校舎の奥へと進んでいく。

そのトライアングルの真ん中を、ちょうど演劇部のメンバーが、

衣装のままちらしを配りながら横切っていった。

その騒がしさを利用し、大和は校舎を抜け外へ出る。


「大和……」


みなみと一緒に奥へ行ったと思っていた奈津が、大和を追いかけ外へ出てきた。

大和はその声に振り向いたが、視線はすぐ下の落ち葉へと向かう。


「よく俺だってわかったね」

「おじいちゃんの家に写真を送ってくれていたから、礼子さんが……」


高杉の母、礼子は、何かある度に撮った大和の写真を、奈津の両親に送り続けた。

大和はそんなことは全く知らず、初めて聞いた事実に驚かされる。

奈津が自分の方を向いていることに気づき、通り過ぎていく人の中に、

大和は姿の見えない豊とみなみの視線を探す。


「向こうへ一緒に行った方がいい。みなみさんが怪しく思う」

「元気なのね。結婚はまだしていないの?」

「……あぁ」


大和には、あの日、冷たい口調でもう来ないで欲しいと言った母が、

自分のことを気にかけているような言葉を聞くことが、耐えられないことだった。

そんなセリフを今投げかけるのなら、どうしてあの時、強く否定したのだろうと、

左手を強く握り締める。


「大和、みなみだとわかって、引き受けてくれたの?」


大和はその問いに答えることなく、人の波に紛れながら外へと歩き出した。

校舎を出て、駅への道を進みながら、大和は貴恵に電話を入れる。

何度も何度も呼び出すが、貴恵の声を聞くことは出来ない。





大きな物音がしても、誰かの声がしても、大和は振り向くことなく歩き続けた。

定まらない心の行き場所を探し、途中の駅で、さらに貴恵に電話を入れたものの、

結局彼女とつながることはなく、大和は携帯を握ったまま、すっかり暗くなった道を、

事務所に向かって歩く。


貴恵のところに行くことも出来ず、自分に内緒で、祖父母に写真を送っていた

礼子の顔を見る気にもなれず、大和は唯一戻れる場所に向かう。

後ろから自転車の近づく音がして、自分の横でぴたりと止まった。


「お帰りなさい! 無事引越しを終えました。今までお世話になりました」


声をかけてきたのは比菜で、自転車の前カゴには、ネギや白菜が入っている。


「そうか、よかったな」

「あ、高杉さんも来て下さい。今日は『鍋』を私が作ります」

「鍋?」

「前に、元力士が家の近所に住んでいたんです。
その時に教わった『ちゃんこ』なんですけど、おいしいんですから。
一人で事務所にいた時は、鍋なんてとても出来ませんでしたけど、
坂本さんと信恵さんと大ちゃんに手伝ってもらったのでお礼を兼ねて。
準備がありますから先に行きますよ! 来てくださいね!」


比菜はそういい切ると、自転車を漕ぎながら大和の横を走っていった。

片手を離して手を振る比菜は、一瞬自転車がふらりと動く。


「おい、両手で運転しろよ、怪我するぞ!」


大和はそう言うと、手に持っていた携帯をポケットにしまい、

笑い声と湯気があがる予定の、比菜の新居に向かって歩き出した。






43 強がり


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コメント

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複雑。。

比菜ちゃん、お引っ越しおめでと♪
ありすさんの言うとおり、
比菜ちゃんがいい子だから
こうしてみんなが助けてくれるんですよね。

この仲間がいてくれてよかったね、大和。。
一つでも戻る場所があって良かった。。

実の母も、今の母も、貴恵ちゃんも遠いねT_T

辛さと温もり


    こんにちは!!

 比菜ちゃん、祝☆引っ越し!

とは、対照的な大和。
みなみのお父さんの視線がなんか怖い。
奈津おかあさんの心のどこかにいつもあった大和の存在が
恨めしいのか、すまないという視線なのか・・・。

礼子お母さんは奈津お母さんにも気を使ってたんだね。

やり切れない気持ちを抱えた大和に
比菜ちゃんが掛けた声は、お日様の温もりのように感じられました。

やっぱ、貴恵さんとはもう無理そうですね・・・。


     では、また・・・(^.^)/~~~

大和と比菜♡

本当に比菜が良い子だから、誰もが優しくなれる。

新居に移っても『フリーワーク』の仕事は続けるよね。
それとも保育の仕事を探すのかな?

その辺りで心境の変化が?
大和とも何かありそうな予感(こういう想像が楽しいのよ)

邦宏はどうするのかな?イネになんと説明するのか・・・
あのバカ久之!(あーーもう!!!チッ)

息詰まる雰囲気の四人。堪え切れなかったのは豊?
引き取る、引き取らないで二人の間で揉めたのだろうか?

貴恵は例のボンボンと?寂しい大和は比菜の明るさに救われたネ。

温かい仲間たち

れいもんさん、こんばんは!

>この仲間がいてくれてよかったね、大和。。

大和の複雑な心の中を知っているのは、邦宏だけで、
その邦宏も今は穂乃のことがあるので、なかなか思い通りには行かず……

ちょっとしたことで、人の思いは、重なったり、ずれたりなんですよね。

大和と貴恵

mamanさん、こんばんは!

>礼子お母さんは奈津お母さんにも気を使ってたんだね。

礼子は、出来た母親だと思いますよ。大和もそれはわかっていて、
だからこそ、反発も出来ないんでしょうね。


>やっぱ、貴恵さんとはもう無理そうですね・・・。

うふふ……そう思います?
そこら辺は、もう少し先までご覧下さい。
あぁ、そう言いながら、この後の展開を、ここで暴露したくなる私です。(笑)

yonyon劇場?

yonyonさん、こんばんは!

>新居に移っても『フリーワーク』の仕事は続けるよね。

はい、続けます。
事務所から離れても、同じマンション内ですからね。
そこら辺も、新しい展開を生む、秘密なの(笑)

>大和とも何かありそうな予感(こういう想像が楽しいのよ)

あはは……。どんどん想像して!
どんなふうに大和と何かあるのか、yonyonさんの胸の内を聞いてみたい気がする。

寂しい心を理解するのは、邦宏だけなのか……
それとも?

帰る場所

yokanさん、こんばんは!

>大和君に帰るところがあって良かった~

よかった、よかった。
邦宏、大和、そして靖史に比菜。
それぞれにとって、『フリーワーク』は大事な場所のようです。そして、そこに集う仲間もね。

しかし、それだけでは済まないことが、このあと迫って参ります。