44 見透かされた心

44 見透かされた心


ハヤトの散歩を終えた比菜が事務所へ戻ると、

営業活動に専念すると言った邦宏が座っていた。比菜はファイルを棚に戻す。


「坂本さん、イネさんの送迎だけは引き受けてくれないかって、
穂乃さんに言われましたよ。それに遥香ちゃんが、どうしてきてくれないのかって、
怒ってました」

「うん……」


常に冷静にアドバイスをくれる邦宏が、あえて笹本家を避けているように見えた比菜は、

ポケットにしまってあった、散歩のアドバイスを書いた紙を邦宏の前に出す。


「気持ちにふたをしない方がいいですよ。体に悪そうです」

「おもしろいことを言うね、長瀬さん」

「私は結構、思いのままに生きていることが多いので」

「そう……」


比菜はそれだけを告げると、事務所を出た。階段を上がりながらもう一度振り返る。

1分近く扉を見ていたが、結局、その扉が開くことはなかった。





「いらっしゃいませ!」

「いら……」


のれんをくぐり、『とんかつ吉田』に姿を見せたのは亜紀だった。

靖史は言葉が止まり、何も知らない和子は、空いている席に亜紀を座らせる。


「ご注文は……」

「ヒレ定食をひとつ」

「はいよ、ヒレひとつ!」

「ヒレひとつ!」


母、和子と、父、清太郎の声がいつものように響くが、

靖史はなぜ、急に亜紀がここへ姿を見せたのかがわからなかった。

窯に向かっている武雄は、1ヶ月くらい戻らないはずで、

亜紀がここにいるということは、店はどうなっているのだろうかと考える。

不思議そうに亜紀を見続ける靖史の視線は、上を向かない亜紀とぶつかることはなく、

その間を何も知らない和子が行ったりきたりを繰り返す。


やがて運ばれてきた定食を、亜紀は黙って食べ続け、

その間も、常連や近くに住む学生で店の席は埋まり、

『とんかつ吉田』は、普段と変わらない繁盛振りを見せた。


「ご馳走様でした」

「ありがとうございました、1000円ちょうどです」

「はい……」


靖史は炊き上がったご飯をしゃもじで混ぜながら、視線だけは亜紀の方へ向け続けた。


「はい、ちょうどですね」

「あの……。これを靖史さんにお返しください」

「はい?」


亜紀が出したのは、白い封筒だった。

その雰囲気から靖史はすぐに、皿の代金を戻すつもりなのだろうと気づく。


「なんですか? これ」

「靖史さんに渡していただければわかります」

「はぁ……ねぇ、靖史……」


母、和子の言葉より先に、靖史は店の奥から出て、扉を開けると、

和子の持っていた封筒を取り上げ、亜紀の腕をつかみ店の外へ引っ張った。

店の前で話をするわけにはいかないと、腕をつかんだまま、歩いていく。


角を曲がり、店が見えなくなったところで、靖史は亜紀の腕を離す。


「こんなもの、どうして持ってくるんですか。
僕が納得してあの皿を買ったんだって、そう言いましたよね」

「これは受け取れません。今日、お店へ来て見て、強くそう思ったんです」


亜紀は靖史の差し出した封筒を手で押し返し、

靖史が買い取るといった皿のデザイン画を、バッグから取り出した。


「私たちが処理に困っているのを知って、人助けだと思い購入を決めてくれたのなら、
それは迷惑な話です」

「迷惑?」

「私は父の作品に、職人さんが相手のことを思い作った皿や茶碗に、
誇りを持っているんです。今日、お店で食べてみて、
あのお皿がお店に向かないことはすぐにわかりました。私なら……、
あの皿をあの店で使おうなんて、考えません。
お父さんの料理に対する気持ちにも失礼だし、あのお皿を作った職人にも失礼なことです」

「亜紀さん」


靖史は亜紀の差し出したデザイン画を受け取り、じっと見た。

何度も手直しし、納得のいくものを、作り出したことが見て取れる。


「厨房に立つ吉田さんのお父さんは、自分の腕に自信を持っていると、そう思えました。
お母さんも生き生きと働いています。吉田さんは? あなたはどうなんですか? 
本当にこのお皿に、揚げたてのとんかつと、パリッとしたキャベツや
トマトが乗ることが一番いい演出になると、そう思いますか?」


靖史は何も言い返せないまま封筒も返せず、真剣に訴える亜紀の表情に、

手に持ったデザイン画も戻すことが出来なくなる。


「あのお皿の代金をいただくことは出来ません」


あの皿と、とんかつの相性まで考えたことがないというのが、正直な気持ちだった。

どこか亜紀にいいところを見せたいと思った気持ちを見透かされ、

頭を下げ、去っていく亜紀の姿を、目で追うことさえ出来なかった。





昼の休憩時間を終えた頃、大和が『サイクル』に顔を出すと、貴恵の姿は席にはなく、

前回、声をかけてきた息子の晃の姿も見えない。

城所社長に書類を渡し話をしていると、大和の好みなどわからない他の女子社員が、

湯飲みを目の前に置く。


「近頃はね、晃があれこれ動くようになって、私は報告だけ受けている状況だよ」

「そうなんですか」


城所社長は息子が張り切っていて肩身が狭いと言いながら、その口調は明るく、

後継者としての晃の力を評価しているように聞こえた。

以前、貴恵が言ったことを思い出し、空席なことがさらに気になり出す。


社長との話を終え、出してもらった湯飲みに、一度だけ口をつけると、

大和は『サイクル』を出た。エレベーターを待ち、表示板を見ると、

階数が順番に上がり、事務所のある3階へ到着する。


合図の音と同時に、重たい扉が目の前で開き、顔を上げた時見えたのは、

城所社長ご自慢の後継者が何かを語っている姿で、

その横で貴恵は、真剣な表情で頷きながら指示を聞いていた。


「あ……高杉さん、もう帰られるんですか?」

「はい」

「そうなんですか。もう少し早く戻ればよかったな。また、お時間のある時にでも」


晃は大和に向かって軽く頭を下げ、大和も返礼をする。

そのままエレベーターに乗り込み振り返ると、一瞬、貴恵と目が合った。

二人の間を遮るように、重たい扉がガシャンと音を立てた。






45 人生の契約


いつもありがとうございます。
続きがきになるぞ! の方は、よろしければポチしてください。

コメント

非公開コメント

一歩進んで二歩下がっちゃった?


   こんにちは!!

 靖史の浅い考えは、亜紀さんの深い思いの前ではひとたまりもなく、木っ端微塵に。
どう巻き返すかな。

靖史母は何か感じ取った?

 大和は空いた貴恵さんの席と、違う人の入れたコーヒーに何を思った・・・?

二人の間を遮るように、重たい扉がガシャンと音を立てた。は、2人のこれからを暗示するもの?
どうなるんだろうね、この2人も。
     
     では、また・・・e-463

それぞれの相手

比菜の何気ない一言が邦宏を救うかもね。

亜紀のしっかりした考えに、何も言えない靖史。
でもこれで亜紀に対する思いはいっそう募るような気がする。引かないで欲しい。頑張れ!

貴恵との決定的な距離を感じる。
ボンボンが悪い奴で無いのが何とも・・・

こっぱだよね

mamanさん、こんばんは!

>靖史の浅い考えは、
 亜紀さんの深い思いの前ではひとたまりもなく、
 木っ端微塵に。

男の人の頭の中は、単純明快な気がします。
女性の方が、もっと色々と考えているんじゃないか……
(男の人に怒られる?・笑)

亜紀が喜ぶだろうと思った靖史、そう、木っ端微塵なの。
でも、ここで引くか、出るかは大きいよね。

さて、大和と貴恵。
すっかりずれてしまっているようですが、
本当にそうなのかどうか……は、この先へ続きます。

比菜の立場

yonyonさん、こんばんは!

>比菜の何気ない一言が邦宏を救うかもね。

比菜はどこにも所属していない、フリーな身分ですからね。
邦宏にも靖史にも、そして大和にも本音でいけます。

靖史、このまま引っ込んでしまうのか、
それとも……
大和、このままずれてしまうのか、
それとも……

まだまだこの先、続きます。

ハッピーへ

yokanさん、こんばんは!

>3人それぞれ壁にぶち当たっているというか、

はい、大和も邦宏も靖史も、それぞれに想いはあるのに、うまく回っていない状況です。
これを変えることが出来るのはどういう展開か、もう少し見ていただくと、色々と動きます。

ハッピー……に向かって!
って、ハッピーにも色々あると思いますが……。