君に愛を語るとき …… 1 出会い

1 出会い


地下を走っていた電車が地上へ出る。刻んでいた音が変わり、柊は顔を上げた。

空はすっかり暗くなり、乗る前に見た夕日は消えている。


車内が明るいから見えないが、あの空には、

明日の晴れを約束する星が光っているのだろうと、柊は思っていた。



『星に願いを……か……』


『あ、知ってる? 私、この曲が好きなの』



律子とかわしたそんな会話をふと思い出す。

柊は少しだけ笑みを浮かべ、隣に視線を動かした。





今から1年半前のこと。その日は雨だった……。


車のワイパーは休むことなく動き続けている。教授と先輩を駅で降ろし、

山室柊は渋滞に巻き込まれながら、店に向かっていた。

レンタカーを戻す時間が近づいてくる。対向車のライトは眩しく光り、

フロントガラスの雨粒に反射した。


「はぁ……まいったな。何時だよ……」


就職難と言われる中で、柊は大学を卒業した後、同じ大学の大学院に進学していた。

工学部教授の薦めで、その先の就職もほぼ決まっている。


あとは、側にいてくれた聡子の代わりを探すこと。

それが出来たら、何も言うことはないのだが。


「柊、別れよう……」


切り出したのは聡子の方だった。友達の紹介で知り合い、

同じ大学の文学部に通う彼女を、人に恋人だと紹介するようになっていた。

時を重ねることになんの疑問もなかったのに……。



『ねぇ……どうして?』



そんなふうに厳しくなっていく聡子の追求に、

だんだんと息が詰まるようになっていった日々。


「なぁ、南美のこと、お前どう思う?」

「は? 南美? お前の妹の?」


親友、川本健介。柊は、そんな質問を受けることになるとは思っても見なかった。

大学で一番仲がよく、先に就職し社会人になってからも、よく飲みに誘っている男。

その4つ下の妹南美は、同じ大学に通う2年生だった。


「南美、お前のことが好きなんだよ。わかってるだろ?」

「……」

「なぁ、柊。嫌いじゃないなら、付き合ってみないか?」


柊はその質問に、黙って苦笑いをするしか出来なかった。

南美を『女』として見るなんて……。


そんなことを車内で考えていた時、ものすごい勢いで車が迫ってくるのを感じ、

バックミラーを見る。全くブレーキをかける気配がない……。



『まずい……ぶつかってくる……』



柊がそう思った瞬間、後ろの車にその暴走トラックが突っ込んでいた。

何かを考えるまもなく、柊の車も巻き込まれていく。


一瞬の出来事だったのか、それとも何分か過ぎたのだろうか。

気付いた時には、柊の運転していた車は車線を大きく外れ、歩道の方へ乗り上げていた。


「誰か! 誰か! 女の人が……」


肩に強い痛みを感じながら、状況を受け入れようとしている柊の耳に、

通行人の叫び声が聞こえてくる。


……そう、その被害者が律子だった。





その事故から時が経ち……。


警察、保険会社などに振り回され、柊は、まともに研究も出来ない日々が続いていた。

事故の原因は『飲酒居眠り』のトラック運転手が、ブレーキもなく突っ込んできたことで、

結局、柊に責任がないことが証明される。


「大変だったな……」

「あぁ……」


久し振りに会った健介は、小さな『励ます会』を開いてくれた。

事故の大きさに比べ、打ち身だけという、無傷に近いような柊を、

何度もよかった……と言いながら、わざと明るく振るまう健介。


そんな健介に悪いと思いながらも、柊は時計を見ると伝票を取った。


「健介……ごめん、今日は行かないと……」

「柊……」


時計はもうじき8時を示そうとしている。


「柊、病院に行くんだろ」

「……」

「南美が言ってたぞ。あれからずっと通い詰めなんだってな」


健介の言うとおり、柊は事故以来、病院通いを続けていた。

それは自分の治療のためではなく……。


「明日、彼女退院なんだ。だから、今日会わないと……。
昼間だとさ、父親が来ることもあって……ちょっとまずいんだ」

「父親?」


柊は何度か頷いていた。自分の治療を終え、

被害者となった律子の病室へ初めて向かった時。


「お前、どのツラさげてここへ来た! お前のせいで……娘は……」

「……」

「ずっと続けてきた陸上も諦め、インストラクターの夢も何も……」

「お父さん!」


胸ぐらを掴まれ、振り回される柊を、

かばってくれたのは車いすに乗った律子だった。


「山室さんに……そんなこと言っても仕方ないのに……」


そう言った彼女のトーンは低いものだった。

右足はリハビリで生活に支障がない程度までは回復するが、選手として走ることは……。


もう出来ないのだ……。


「恨む人は……彼じゃない……」


事故を起こした男は、もうこの世にいなかった。

ぶつけようのない怒りを抱えたまま、彼女はただ下を向いていた。


それ以来、病院に通うものの、律子の顔を見ることも出来なかった柊に、

リハビリ医師の横山史子が声をかける。


「山室君……」


渡されたのは律子からのメモ。中にはかわいらしい字でこう書かれてあった。



『8時過ぎれば、父は店で来られません』



律子の家は、両親が居酒屋を経営していて、夜は二人とも忙しい。

それから柊は見舞いを8時過ぎにすることにし、律子とも話しをするようになっていった。





「こんばんは」

「あ……山室さん」


律子は病室の壁にダーツを取り付け、同部屋の人達と遊んでいた。

律子はまだ松葉杖を使っていたが、その扱いにも慣れ、結構自由に動き回っている。


「ねぇ、山室さんも投げて! 工学部でしょ? 
きっと緻密な計算で上手なんじゃないのかな」

「工学部は関係ないよ」


それでも同部屋の人達にやってみてと言われ、何も考えず1本投げてみると、

なぜか真ん中に刺さっていく。


「ほら、ほら! やっぱり頭のいい人は、何でも出来るんだ!」

「……なんだよ、それ……」


柊が見る律子はいつも明るかった。始めこそ下を向いているイメージがあったが、

泣いたところなど見たこともなかったのだ。


「退院おめでとう」


二人は病室から、休憩室へ場所を移動する。こんなふうにここで語り合うのも、

今日が最後だ。


「ありがとうございます。あの……」


律子は、トンボの形の小さなストラップを柊に渡す。

赤と黄色のビーズが照明にキラッと光る。


「お礼です」

「お礼?」

「隣に入院していた方に教わったんです。あんまり上手じゃないけど、
もらってくれますか?」

「……うん」

「山室さんの責任じゃないのに、父にきつく言われたり……。本当にごめんなさい」

「……いや、僕があの時、ハンドルを反対に切りさえすれば……」


柊はその時のことを思いだし、下を向く。

いまだに、うなされて起きることがある、あの瞬間。


「それは無理だったと警察の方から聞きました。
左にカーブしている道の途中で追突されたんですから……」


律子は微笑みながら柊を見る。どうしてそんなふうに笑顔を見せられるのだろう……。

柊は律子を見ながら、いつもそう考えていた。


「陸上部にいましたけど、成績はたいしたことないし。
そう、オリンピック候補と言うならガックリでしょうけど、ただの凡人ですから」

「……」

「私、切り替えが早いんです。昔からテストでダメでも、あんまり悩んだりしないし……
また、すぐに楽しめることを見つけるつもりです。これからは退院して、
色々と探せるんですから。悩んでばかりいられません」


自信ありげに、そう宣言する律子。


「リハビリは? これからだろ?」

「あ、はい……。でも、学校にも行けるし、生活も元に……」

「連絡くれないかな。リハビリとかで必要なら、送るなりなんなりするし、それに……」


柊はカバンの中からメモを取り、携帯番号を書き出していく。


「何か必要なものとか……」

「山室さん……苦しいでしょ?」

「エ?」


突然の律子の言葉に、顔を上げる柊。


「私を見ているのは、苦しいでしょ?」

「いや……」


苦しい……。柊は最初、確かにそう思っていた。彼女の人生を狂わせてしまったこと、

この責任は一生逃れられない鎖のようなもの……。そんなふうに思ったこともあった。


しかし……。


「榊原さんは苦しいのかな。僕がウロウロすること」


彼女の方をおそるおそる向いてみる。事故を引き起こしたのは柊でないにしろ、

自分を傷つけた男が、目の前にいることは、彼女にとって……。


「始めは、正直辛いと思いました……。
山室さんを見ると、どうしても思いだしてしまうから」

「……そうか。そうだよね」


自分が彼女の重荷になっていないことを祈っていた柊だったが、

その律子の正直な気持ちに、頷くことしか出来ない。


「でも、毎日のようにこうして来てくれる山室さんを見ていたら、私の回復を
望んでくれている人がいるんだって、いつのまにか、そう思うようになってました」


律子は少しだけ照れくさそうに、そう言った。


「むしろ今は、苦しいっていうよりも、申し訳なくて。
もう十分気持ちは伝わりましたから。私の犠牲にならないでください」

「犠牲だなんて」

「……」

「君の回復を見たいんだ。もう少しだけ、おせっかいをさせてもらいたい、ダメかな……」


律子は少しだけ困ったような顔をした。

柊は自分の番号を書き写したメモを、手に持ったまま、下を向く。


「お友達として……それなら……」

「……」

「もう、申し訳ないとか、ごめんなさいとか言わないって、約束してくれますか?」

「……」

「くれますか?」


友達……。その響きに、なんとなく寂しさを感じる柊。それでも何度か頷き、

律子の提案を受け入れる。


柊の手からメモを取り、自分の携帯番号を書いた律子はその紙を半分に切った。


「メールも書きましたので。お忙しいでしょうから無理に来たりしないで下さい」

「わかった」


律子との縁が切れなかったことに、少しだけ安心する柊。


「寒いし、足が大変だから病室へ戻って」

「戻りますよ。山室さんがエレベーターに乗ったら……」


少しだけの面会時間を終え、二人は廊下を歩いていく。律子は最後まで笑顔のままだった。

エレベーターに乗り込み、柊はもう一度彼女の方を向く。


「それじゃ、また……」

「はい、おやすみなさい」


頭を下げる律子を残し、扉が閉まっていった。

1階へ到着し、受付前を通る頃、傘を忘れたことに気付く柊。


「あ……」


彼女と話した休憩室だ。そう思った柊はエレベーターへ向かうが、

すでに上へ向かったあとだったため、少し先にある階段をのぼり始める。

階段をのぼり切った時、病室に戻ろうとした律子を見つけた。


あれほどの笑顔で送ってくれた律子が、肩を震わせて泣いていた。

両手は松葉杖を持っているので、流れている涙を拭くこともできない。


柊の前で懸命に笑い、本音を隠していた彼女。柊は止まったまま、動けなくなった。

やがて、律子が柊の気配に気付き、一瞬、顔をあげる。


「……あ、ど……どうしたんですか? あれ……」


柊に気付いた律子は、背を向け立っていた。

見られたくなかった顔を、柊に見られてしまい、困っているようにも見える。


当たり前だった。急に人生の方向転換をさせられて、

悲しくない人間なんて、いるはずがない。見せてくれた笑顔が、彼女の気持ちだと、

自分が勘違いしていただけなのだ。


柊はゆっくりと律子に近づき、震えている背中を後ろから抱きしめていた。

手にも触れたことがなかったのに、その小さな背中を、

ただ黙って見続けることが出来なかった。


何も言わずに、その場に立つ二人。律子の流す涙と、小さな声が、柊の心を揺らしていく。



『僕が君の代わりになれるのなら……』



柊は律子を抱きしめたまま、そう思っていた。

                                          2 彼  はこちらから



二人の恋の行方は……

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