55 傷ついた鳥

55 傷ついた鳥


比菜は『とんかつ吉田』を出ると、自転車に乗って家へ向かった。

和子は手作りの惣菜を、おすそ分けだとウソをついて、

靖史にも食べさせて欲しいと比菜に手渡してきた。

清太郎に比べ、今すぐにでも靖史に会いたがっている和子の態度がほほえましく、

前カゴで揺れて、見栄えを悪くしないように、慎重に自転車を漕いだ。


「靖史さん、いますか?」


事務所の扉を開けると、靖史の姿はなく、電気もつけない状態で、

椅子に座ったままの大和が目に入った。

デスクの上には、先日の『励ます会』で残したビールの缶が

4、5本つぶされて置いてある。微妙な空気に漂う匂いが、比菜の鼻に届いた。


「高杉さん、何してるんですか。こんな真っ暗にして」


比菜はおそるおそる中へ入り、事務所の電気をつけた。

大和は眩しそうに灯りを見たあと、椅子から立ち上がり、

比菜のつけた電気を消そうとするが、足がふらつき、つまずいてしまう。


「どうしたんですか、酔っ払ってます?」

「うるさいな……ほっとけよ」


昼間の雰囲気からガラリと変わった大和に、比菜はどうしたらいいのか迷いながらも、

布巾を手に取り、少しこぼれたビールを拭いた。

いつも使っているPCの上に、小さな水色の箱が置いてあり、比菜の視線が止まる。

それは今日、仕事をした店のもので、あの時嬉しそうに店内を見ていたはずなのに、

何かがあったのではないかと、壁に寄りかかる大和の方を向く。


「なぁ……」

「はい」

「お前、まだ康哉が好きか」


突然の質問に驚きながらも、比菜は答えることなく、缶を片付けた。

酔っている状態の大和に何か言えば、さらに倍になりそうな気がしたからだ。


「もし……次に誰かを好きになるのなら、邦宏のような男を選んだほうがいいぞ」


比菜は、部屋の隅にあったゴミ箱に紙袋を捨て、ビニール袋の中に、ビールの缶を入れる。

気にしない素振りを見せながらも、耳だけは大和の言葉をしっかりと捉えていく。


「あいつとはさ、大学1年の時、初めての授業で会ったんだ。
誰かにあれこれ話をされるのが面倒で、わざと数式の問題を解いてた。
隣にきたやつは、どこから来たかとか、バイトは決めたのかとか、
話しかけてくるけど、こっちが黙っているとみんな呆れて隣からいなくなった。
3人くらい同じことを繰り返していたら、次に来たのが邦宏だった」


比菜はビニール袋の口をしばり、それを床の隅に置いた。

大和が話し出したのは邦宏との出会いで、

以前、同じことを邦宏から聞いたことを思い出す。


「時間ギリギリで飛び込んできて、隣に座って、すぐにこっちを見た。
あぁ、またあれこれうるさいことを聞いてくるのかと思ったら、
あいつは何も言わなくてさ。ただ、黙ってじっとこっちを見てた。
その視線を感じながら、いつ聞いてくるのか身構えていたのに、
何も聞くことはなくて……。で、俺の方があいつを見たら、たった一言……
『メシでも行かないか?』って、そう言った」


大和は、懐かしい日々を思い出しているように、どこか遠くへ視線を向けながら、

手に持った缶に口をつけた。穏やかな大和の口調に、

比菜は途中で出て行くのは悪いと思い、少し離れた場所に座る。


「どうしたんだ……とか、どうするんだ……とか、あいつはそんなことを言わないで、
それでも黙って待っていてくれた。入って欲しくないところには入ってこなかったし、
でも、気づいて欲しいところには、ちゃんと気づいてくれて……」

「そうですね」


比菜もその通りだと思い、思わず返事をした。

邦宏がどんな人物であるかは、それなりにわかっている気がしたからだ。


「あいつのように、心の大きい男を好きになった方がいい。
優しいし、それでいて誰よりも強い」

「でも、坂本さんは穂乃さんを好きなんですよ」

「あぁ……そうだったな。じゃぁ、今から頑張って探せよ」


大和はふらりと立ち上がると、デスクに置いてあった小さな箱を手に取り、

リボンの部分を軽くなぞった後、空になったゴミ箱へ投げ捨てた。


「何するんですか」

「もう……必要なくなった」


付き合っている女性がどんな人なのか、比菜は全く知らなかったが、

うまくいかなくなる理由が、どこかにあったのかと黙って捨てられた箱を見る。


「お前も聞かないんだな、わかっているくせに」

「エ……」

「あの日、あの人が来た日、聞いたんだろ、会話」


比菜は、大和の語るあの人とは、自分の生みの母、奈津のことだろうと思いながらも、

黙ったままでいた。


「わざとらしいんだよ、入ってきてすぐにゴミ箱に気づいて、取り上げて……」

「あ……」


手土産に持ってきたロールケーキを、紙袋ごとゴミ箱へ放り込んだ大和に気づき、

比菜はそれを取り出したのだ。ゴミ箱へ放り込んだ時、語られていたのは、

大和の過去だった。


「あの人が生んだ母親だ。6歳の時、普通に保育園に送り出されて、
そのまま迎えに来なかった。来たのは記憶にない父親と、見たこともない女性。
今日からあなたは高杉大和ですってそう言われて、
それまで近所で世話をしてくれた、おじいさんやおばあさんにも会えなくなった。
公園で見つけたビー玉も隠したままになって、よく遊んでいた友達とも、
何も言えずに別れることになった」


比菜は震災の後、自分にも同じような時があったことを思い出しながら、

黙って話を聞き続ける。


「子供ながらに思ったんだよな。この人のいるこの場所を出されたら、
きっと行くところはないんだろうなって。だから何も考えず黙って言うことを聞いた。
従ってさえいれば、二人とも満足そうだったし」


大和はビールの缶に視線を落とし、今まで決して語らなかった過去のことを、

淡々と語った。いつものように鋭い視線を向けるでもなく、

強い口調に変わるわけでもなかった。

比菜は、大和の話を聞きながら、どこか他人のことでも言っているのかと

勘違いしそうになるほどだった。


「いや、違うな。……高杉の母には感謝している。
本当の娘の美帆と一緒に、同じようにかわいがってくれたし……
今も文句を言うことなく、こうして好きなようにさせてもらってる。
でもな……でも、何かが違う。だけど、靖史や邦宏と、自分がどう違っているのかが、
それがよくわからない」


大和がそう言った後に、時計が夜の10時を告げた。

話はそこで止まり静かな時が流れると、聞こえなかった針の音が、カチカチと響く。

大和は何かに気づいたのか、急に顔をあげた。


「ごめん……お前に言うことじゃなかった。靖史に何か用か? 
あいつ、今日は窯の掃除に行くんだって、『彩音』から戻ってさっさと出かけたぞ」


比菜はその時初めて、自分がここに何をしに来たのかを思い出した。

座っていた腰を上げ、慌ててカバンの中から風呂敷を取り出す。


「あ……おかみさんから預かってきたものがあったので、
じゃぁ、冷蔵庫に入れて、メモでも残しておきます」


比菜は冷蔵庫を開け、和子から渡されたタッパを入れた。

メモ用紙を破り、靖史へ伝言を残す。


「優しいんですよ。自分からだって言うのはご主人との約束を破ることになるから、
あくまでも私がもらった分を、靖史さんに分けてやってくれって……。
何度も念を押されました。まぁ、そんな伝え方をしたって、
靖史さんにはすぐわかっちゃうでしょうけど。そういう温かい場所があるって、
うらやましいです」


大和は、比菜の言葉を聞きながら、

空になったビールの缶をじっと見つめ、黙っている。


「康哉に対してはもう、特別な感情はありません。
でも、嫌いにはなりたくないといつも思っています。
少なくても私を励ましてくれた人だから」


比菜はまた元の位置に戻り、腰を下ろした。

出て行くと思った比菜が座ったことに、大和は一瞬顔を上げたが、また下を向く。


「どうして自分だけがこんな思いをするんだろうって、やけどをした後は思いました。
周りは妙に気を使っているし、人を好きになるのも、どこか気が引けてしまって。
一時は一人でいる方が楽だから、出かけることも少なくなって……」


比菜は黙ったまま動かない大和の方を見た後、両足を揃え息を吐いた。

思い出したくないことでも、決して忘れていくことなどない、過去の記憶がそこにある。


「それでも本当は誰かにそばにいて欲しくて……。康哉はそんな私の気持ちを、
見抜いてくれたんです。比菜は比菜のままでいいんだって……。
それから気持ちが楽に……」


時計の針の音だけが静かに響き、比菜は大和からの返事を待った。

それでも大和は下を向いたまま、黙っている。


「わかってくれる人がいるのなら、それならそれで生きていけるって思ったんです。
そこからは前へ、前へ出られるようになりました。人生いろいろですよ、
辛いことがあっても、きっとまたいいことが……」


比菜はそう励ますように言いながら、大和の方を向いたが、

いつものように反論などの言葉は戻ってこない。

それほどまでにショックな出来事があったのかと、しばらく見ていると、

大和の首がカクンと動く。

比菜は、その時初めて大和が眠っているのだと気がついた。

大和の手に持っていた空の缶が下へ落ち、カランと音をさせる。


「ん……」

「寝てましたよ、高杉さん。もう寝たらどうですか? 
でも、そんな酔っていてロフトに上がれます?」


大和は何も言わずに立ち上がり、比菜の前を通り過ぎるとソファーの上に寝転んだ。

大和の身長からすると、それは小さいものなので、足を曲げないと寝られなくなる。


「そこじゃ……」

「用が済んだのならさっさと帰れ。もう遅い……」


比菜はちょっとだけ本音を見せた大和が、また元通りの態度になったことがおかしく、

わかりましたと返事をすると、ロフトから毛布を下ろした。

それを眠っている大和にかけてやると、頭からすっぽりとかぶって姿が見えなくなる。


「おやすみなさい」


比菜は、無言の大和の横を通り、ゴミ箱の横に置いた小さなバッグを取った。

視線をずらすと、ゴミ箱の中に水色の小箱が見え、

大和がこっちを見ていないことを確認する。

比菜は音を立てないように気をつけながら、その箱をポケットにしまい、

何も言わずに事務所を出て行った。






56 恋する男たち


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コメント

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救いの女神

ああ~、比菜ちゃん~
大和を救えるのは比菜ちゃんかもしれない。。
比菜ちゃん、大和をよろしくお願いします。

で、比菜ちゃん、そのポケットに入れた箱、どうするの?!
そうだった!いなくなった康哉はどうなったんだろう?!

それにしても、大和より比菜ちゃんの方が大人だ~
哀しみを知ってる人は優しくなるんだよね。
そして、優しい人は強い。

あ!ご心配いただいた金曜日。
お仕事は頑張りましたが、
優しくない職場に落ち込むれいもんでした。

大和が傷ついた鳥なら
私は、震える小うさぎです。。
明日からは、タヌキになって頑張ります(笑)

FMのお返事もありがとうございました。

捨てる神あれば拾う神あり?


     こんにちは!!

  やっぱり、比菜ちゃんでしょう!!

大和、求めている人はすぐそばにいるじゃないですか。

決意しなくてもスラスラ子供の頃の辛い気持ちを話せてるし・・。
それを黙って聞いてくれる人が。

同じように辛い過去を持ち、人を思いやれる比菜。
ピッタシですよ~、もし付き合ったら揉め事は絶えないでしょうけど・・・。
それはまたそれで楽しいんじゃないでしょうか。(笑)

そう、ゴミ箱から拾った箱はどうするの?
ま・まさか貰う?・・・そんなわけない!!

いろいろ、あちこち、どうなるんでしょうかねぇ。。。。。^m^

続き楽しみに待っております。


        では、また・・・(^.^)/~~~

比菜毛布

大和の話を黙って聞いて、「私はどうしたら?」なんて言わない
比菜ちゃん。辛い過去を経験すると人は優しくなれる。
優しい比菜はきっと大和の辛さも分かってくれる。

そうだ、女と駆け落ちした康哉は今どこに?

比菜のよさに気づいて戻ってきても、既に手遅れになってるように、もっともっと良い女になって!

まるで比菜が毛布のように包んで暖めてくれてるみたい。
毛布を被って泣いてないといいけど・・・

行き場をなくしたピアス。

やっぱり比菜ちゃん・・・!?

邦宏と同じように
何にも聞かない比菜ちゃん・・・

私も大和を救えるのはやっぱり比菜ちゃんだと思うんだけど

酔っているとはいえ
気持ちのまま、全てをさらけ出した大和

比菜ちゃんが帰らず、ただそこに居てくれたっていうだけで
ずいぶん安心できたんじゃないのかな

ゴミ箱から拾った水色の小箱、比菜ちゃんどうするの?

ピアスの行方

れいもんさん、こんばんは

>比菜ちゃん、そのポケットに入れた箱、どうするの?!

ねぇ、どうするんでしょうか。
売らないことだけは確かなんですけど(笑)

そう、比菜は悲しみを知ってますからね。
その分、貴恵よりも強いのかも。

そうか、れいもんさん頑張ったけれど、
職場が優しくなかったんですか。
うーん……人って気持ちで動きますからね。
毎日通うところは、優しくあって欲しいですね。

こちらこそ、いつもありがとう!

ゴミ箱から拾ったもの

mamanさん、こんばんは

>同じように辛い過去を持ち、人を思いやれる比菜。
 ピッタシですよ~

おぉ! お墨付きですね。
さて、この二人が……となるのでしょうか。
貴恵との間は、このままなのでしょうか。
それはこれからです。

>そう、ゴミ箱から拾った箱はどうするの?

はい、売らないことと、食べないことは確かです。
さて、どうするのでしょう。

続き、待っててね!

康哉は生きてますよ

yonyonさん、こんばんは

>優しい比菜はきっと大和の辛さも分かってくれる。

ねぇ……そこらへんに本人達は気付くのでしょうか。

>そうだ、女と駆け落ちした康哉は今どこに?

うふふ、思い出してくれましたか?
それはこれからわかります。
康哉は、なんちゃって登場人物ではないのですよ。

>まるで比菜が毛布のように包んで暖めてくれてるみたい。

はい、今日の比菜ちゃんは大和にとってふわふわ毛布でしょうね。

小箱の行方

パウワウさん、こんばんは

邦宏と同じだって、大和も思っているんですよね。
この二人、このまま前向きになるのでしょうか。

心の中を見せられるって、一番いいはずなんですけど。

>ゴミ箱から拾った水色の小箱、比菜ちゃんどうするの?

ねぇ、売らないことと食べないことと、燃やさないことは確かなんですけど。
それは次回で。

比菜への安心感

yokanさん、こんばんは

>大和君、比菜ちゃんに吐き出しちゃったか~・・・

酔っていたこともあるでしょうし、苦しかったこともあるのでしょうが、
そう、比菜には構えず本音をぶつける大和です。

>しかし、ゴミ箱から拾った箱をどうするつもりだ~?

はい、売らないのと、食べないのと、燃やさないのと、針で刺さないことだけは確かです。

和子ママ、いいでしょ。
ますます大和が孤独になるわぁ……(笑)