58 春の訪問者【1】

58 春の訪問者【1】


穂乃の別れた主人である仲岡敏規が店に現れたことで、

イネはそこでの買い物をやめ、先に家へ向かうことにした。

邦宏が運転をしながら表情を確かめると、あれだけおしゃべりなイネが

口を固く閉じたまま何も語らない。

邦宏が駐車場に車を止め、イネが座っている方の扉を開けると、

ゆっくりと足を踏み出し、立ち上がる。


「お世話になりました」


車の音に気づいた穂乃が姿を見せ、邦宏は書類を手渡した。

庭にいるハヤトと遊ぶ遥香の声が、聞こえてきたが、

そのかわいらしい笑い声をかき消すように、後ろから敏規の運転する車が到着した。


「あれ? パパ……、パパの車だ」


かけて来た遥香は照れくさそうに、それでも笑顔で敏規を出迎えた。

穂乃はどこに身を置いていいのか困った顔を見せ、邦宏はその気持ちを察すると、

書類を受け取り急いで車へ乗り込んだ。

父親である以上、遥香と会うことを止めることは出来ないし、

それを自分が意見できるようなことでもなかったが、

形が崩れても、どこか入り込めない壁があるように感じ、

ハンドルを握りながら、邦宏は大きく息を吐いた。





暦は4月になり、あっという間に桜が散った。

大和は『サイクル』に、契約終了書類を取りに行かないとならなかったが、

どうしても足を向ける気にならずに、カレンダーをにらみ続ける。


「おはようございます」


玄関を開けて入ってきたのは比菜で、

大和は横に置いていた缶コーヒーを、そこで一気に飲み干した。


「おはよう。あのさ、今日時間ある?」

「時間……ですか?」

「あぁ、ちょっと頼みたいことがあるんだ」


大和はそう言うと、『サイクル』へ行って書類をもらってきて欲しいと、比菜に頼んだ。

契約終了の書類なので、もらうだけで何もする必要がないこと、

自分には他に行く場所があるから立ち寄ることが出来ないことなど、もっともらしく語る。

比菜は、邦宏から大和の付き合っている人が

『サイクル』の女子社員だと聞いていただけに、

まだ、ケンカ状態から脱していないのだとそう思った。


「ケンカして行きにくいってことですか? すぐに謝らないから長引くんです。
高杉さん、そういうところが……」


大和は比菜が自分と貴恵のことを知っていることに驚き、そのまま言葉を止めた。

比菜もつい言ったセリフに、思わず口を覆う。


「邦宏から聞いたのか」

「……いや、あの、だって、あのゴミ箱にプレゼント捨てちゃったじゃないですか。
昼間は楽しそうだったのに、戻ってきたら酔っていて……フラフラで……」


大和は途切れ途切れに覚えている、あの日の記憶を呼び戻そうとじっと下を向いた。

そういえば、この部屋の隅に、比菜が座り込んでいた絵が、ぼんやりと浮かぶ。


「そうか、あの日、お前ここにいたな」

「いたんじゃありません。靖史さんに用事があってきたんです……」


比菜は、まるで自分が勝手に入り込んだように言われてはたまらないと、すぐに言い返す。


「……ケンカじゃないよ、別れたんだ」

「エ……」

「悪いけど、取りに行ってくれ。俺が行くと、向こうが辛そうな顔をするんだ。
だから……」


比菜は、その大和の言葉に、まだその人への想いが、

どこかに残っているのだとそう思った。

向こうも辛そうな表情を見せるということは、迷いが残っているのではないかと考える。


「わかりました。もらってきます」

「悪いけど、頼むな」


いつも自分には文句しか言わない大和が、素直に頼みごとをすることに、

比菜は貴恵ちゃんと呼ばれる女性への想いが、深い気がして、

あの日、酔ったまま寄りかかっていた壁を、じっと見た。





比菜は『サイクル』の受付で『フリーワーク』だと告げ、目的の4階へ向かった。

エレベーターを降りると、揃いの制服を着た女子社員が、

ちょうど昼食に向かうのか、エレベーターに乗り込んでいく。


「すみません」

「はい……」

「『フリーワーク』ですが、ホームページに関しての
契約終了の書類をいただきに来ました」


用件を聞いた女性は、比菜のことをじっと見た後、少々お待ちくださいと席を立った。

比菜が何気なくデスクの上を見ると、

残された電卓に『KIE』とシールが貼られているのが見える。



『貴恵ちゃんって言うんですか……』



比菜は、あまり何人もいる名前ではないだけに、今の女性が大和の相手なのだと、

視線を向けた。邦宏が美人だと言っただけあって、スタイルもよく、

二人が並び立つ姿を想像すると、確かに似合う気がする。


「あの……これだそうです」


奥の方から姿を見せた貴恵が持ってきた茶色の袋を開け、

比菜は確かにサインがしてあること、印が押されていることを確認し、

ありがとうございますと頭を下げる。


「『フリーワーク』に、入って長いんですか?」

「私ですか?」

「女性がいるって知らなくて」


どうしてそんなことを聞くのだろうと思いながら、

比菜はまだ、1年経っていないことを貴恵に伝え、

さらに話が続くことを避けるように、頭を下げすぐに営業部を出た。

あの日、ひどく酔っていた大和のことを思い出すと、

なぜか、貴恵の顔をまともに見ていられない気がした。





「何? あぁ、アリスか。どうした、大を長瀬さんに預けるのか?」


その頃、銀行から事務所に戻ろうとした邦宏に、信恵からの電話が入る。

慌てているしゃべりに、まずは落ち着けと何度も言い返した。


「で……誰が戻ってきたって言うんだよ。ん?」

「だから、智子! 康哉君と逃げちゃった智子よ! 
あのね、邦ちゃんに会いたいんだって!」

「智子? 本当か……。で、康哉は……」

「康哉は……今、岡山だって!」

「岡山? あいつ、岡山に帰ってるのか?」


比菜は、『サイクル』を出たあと、そんな電話のことなど何一つ知らずに、

茶色の封筒を握り締めたまま、駅に向かって歩き続けた。






59 春の訪問者【2】


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コメント

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別れの春?

遥香には大人の事情は分からない。パパはパパってこと。

行きにくいよね、貴恵とは顔を合わせたくないだろうし、向こうだって・・・
比菜は酔って、折角買ったプレゼントも捨ててしまった大和を見てしまったから、
大和の味方ってわけでは無いけど、貴恵が何となく憎いような気持ちがあるのかな?

おお!康哉は岡山に?比菜に会いに?

しかし今更戻って来られても・・・


出た~~!!

長らくご無沙汰だった康哉情報が出ました~@@
ようやく落ち着いてきた比菜ちゃんにも波乱かしら?!

そして、比菜ちゃんに反応する貴恵ちゃん@@
フリーワークに女性がいては、いかんのかね?!
比菜ちゃんも貴恵ちゃんもちょっと過剰な反応!
貴恵ちゃんも揺れてるのかな。。
お互い何かを感じるのね。。

辛そうな貴恵ちゃんを見るのが辛い大和くんT_T
ふぁいてぃ~ん!
れいもんがついてるからね(ももんたさん公認 笑)

渦中の人物


こんにちは!!
 
 壊れた家族でも子供にとって親は親。邦宏が入り込めないと思うのは分かる。

がっ、負けるな!取られそうだから取り返しに来た奴より
愛を(まだそこまでいってない?)もって接してる邦宏の方が相応しいんだから。

 比菜ちゃんが貴恵さんのこと言ったら大和は“おまえには関係ないことだ”とか
言って怒るかと思ったけど素直に用事頼むなんて相当落ち込んでる?

その貴恵さん、比菜ちゃんがフリーワークの人だって知ったら
いろいろ知りたそうだったけど、振った癖に大和の傍に女の人がいるのは厭なの?
だったらなんか嫌な感じ・・・。自分はどうなのよ!ってね。

さて、そんなこんなしてるうちに
康哉の消息が掴めたけれど、「フリーワーク」の人達
どうする?どうなるんでしょうか!!!


    では、また・・・e-463

今更ですよ

yonyonさん、こんばんは

>大和の味方ってわけでは無いけど、貴恵が何となく憎いような気持ちがあるのかな?

憎いというよりも、どう対応していいのかわからないという感じでしょうかね。
あったこともない人なんだけれど、知らない人じゃないみたいな……。

さて、名前だけだった康哉の存在が、いよいよ明らかになってきました。

そう、今更なんですけどね(笑)

応援団長

れいもんさん、こんばんは

>貴恵ちゃんも揺れてるのかな。。
 お互い何かを感じるのね。。

自分で買うのはやめた! としたくせに、
誰かが手に取ったりしていると気になるような感覚でしょう。
決めたつもりでも、『さよなら』とスッパリ言われちゃいましたからね。

>れいもんがついてるからね(ももんたさん公認 笑)

あはは……。とっても心強い応援団です!

さて、みなさんの反応は?

mamanさん、こんばんは

>壊れた家族でも子供にとって親は親。

ここらへんは難しいですよね。
遥香には、大人の事情まではわからないでしょうし。
そばにいた時より、いい面だけを敏規も見せることが出来ますから。

はい、そんなこんなで康哉が岡山にいることが判明。
さて、比菜、大和、邦宏はどう出るのでしょうか。
続く……