僕の目標(後編)

僕の目標(後編)




「まどか、そっち持って」

「うん」



理さんの引っ越しの日、気持ちの揺れたままの私は、

手伝うどころか、邪魔してばかりだった。

集中力はないし、忘れ物はするし、慌てて手に取ったものは全く別物だ。

それでもなんとか生活が出来る状態になり、彼の大好きなカレーを作る。



「……こっちに来ちゃおうかな。静かでいいところだよね。
ここで理さんと暮らすのも悪くないかも」



お玉でおなべをかき混ぜながらそう言うと、ドサッと本を床に置く音が聞こえただけで、

理さんからの返事は返って来ない。

おそるおそる視線を向けたが、理さんは聞こえてないのか、本を棚に入れ始める。



「ねぇ、聞いてるの? 私……」

「まどか、お前甘えるなよ!」

「理さん」

「このままじゃダメだと思ったんだ。そばにいたらこれ以上伸びないと思った。
だから本町小学校を出た。なぁ、なりたいんだろ? 教師になりたいんだろ? 違うのか」





こんなふうに強く出られたことはなかった。





私はどう答えていいのか戸惑ったまま、彼から視線を外す。







教師になりたいのかなんて、今さらそんなこと言わなくても……。







誰よりも一番、わかってるでしょ。







「必死になれよ。絶対に教師になるんだって、頑張ってみろよ。
僕はまどかが教師に向いているってそう思うから、夢を叶えて欲しいから、だから……」





彼はそれ以上何も言わないまま、また本を1冊ずつ入れ始めた。





そうだった。





逃げてくる私なんか、理さんが受け入れてくれるはずがなかった。

自分の情けない発言に、心の奥から申し訳なさと悔しさがあふれていく。





混ぜたカレーの中に、ポツリと雫が落ちた。







「頑張れ……まどか……」







情けない私のために、優しい彼が鬼になったこの日のことは忘れまい……。





私は強くそう思った。









理さんが『花村小学校』へ赴任し、私は本町小学校の『勉強室』を辞めた。

この1年は他のことなど何も考えず、ただ採用試験のことだけを考えた。





『まどかなら、絶対にやり遂げられるぞ!』





弱気の虫が顔を見せた時には、理さんに電話をかけ、気合いを入れてもらう。

ほんの小さな言葉かけが、私に何倍もの気力を与えてくれた。





夏休みなどは家に顔を見せてくれ、以前より回数は減ったが、

それでも彼との絆が揺らぐことはなく、試験の秋を迎える。






そして……。






私はその年、念願の採用試験に合格した。









「ねぇ、合格したの! 合格したんだって! もう、嬉しくて……」



私は興奮状態のまま、まだ仕事中だというのに理さんに電話を入れた。

彼は何度も『うん、うん』と頷き、よかったなと一言だけ口にする。





声だけじゃ物足りず、すぐに車に飛び乗り、彼の元へと走った。









「全くもう、まどかが仕事中に連絡を寄こすから、困ったんだぞ」

「困ったって? だって、授業中じゃなかったでしょ?」



すぐに知らせたかったのだ。そんな想いをわかってほしいと、必死に訴える。



「涙が出て来て、他の先生に笑われた」

「理さん……」







私はただ、彼にしがみついた。

あの時、厳しく突き放してくれなければ、彼が優しいことに流されたまま、

私は甘えた人間になっていたかもしれない。





自分の実力不足を反省することなく、別の方向を向いたまま、

その悔しさに蓋をしていたかもしれない。







この人と出会ってよかった……。

触れた唇のぬくもりを感じながら、神様にただ、感謝した。









その翌年の3月、お世話になっていた『本町小学校』を訪れ、

採用試験に合格したことを告げると、面倒をみてくれていた先生方が、

お祝いだと万年筆をくれた。

エンジ色の濃淡をつけた落ち着いたデザインの握りやすいもので、

蓋を開けると金のペン先がキラリとひかる。





ありがとうございますと先生方に何度も頭を下げ、

私は4月、隣町にある『川北小学校』へ赴任し、3年生の担任となった。









「同じ3年か、どう?」

「30人のクラスでしょ。まずは顔と名前を覚えないとね」

「そうか、こっちは今年、全校生徒で52人だからな、3年生は8人だ」

「そうなんだ」







困った時、迷った時、同じ教師の立場で理さんは色々とアドバイスをくれた。

その一言は、どんな立派な教育書より、私の力になる。





『川北小学校』には、私達の交際を知っている、音楽担当の五十嵐先生が、

この4月『本町小学校』から異動になったため、時々職員室で彼の話題を出した。



「ねぇ、江藤先生元気?」

「はい、『花村小学校』のみんなと、毎日運動会みたいな生活だって、笑ってます。
小さな小学校には、若いうちに行きたかったみたいで、とても充実しているって」

「そう、そうかもね。江藤先生にはああいった自然がいっぱいってところが、
似合ってるかもしれないわね。こうなったら次はお嫁さんだけど……。
あ、それはいるか、ここに」

「五十嵐先生」



人の赤くなった顔を指差した後、

五十嵐先生は手に持っていた教科書で顔を隠して笑い続けた。









1年目のドタバタ教師生活を終え、私は2年目、6年生の担任を持つことになった。

1度季節を巡ったからか、心に少しだけ余裕が出来るようになる。

子供達は生意気なことを言ってくることもあるが、将来への夢を語ったり、

時々は恋愛の相談までされることもある。





そして私は、その年の12月を迎え……。

子供達の『宿題』にお返しするための、年賀状を書く。









『本町小学校』のみなさんからいただいた万年筆を持ちながら、カーテンを明けると、

グレーになった空から雨が降りだした。



もう少し郵便局へ行くのが遅れていたら、

この雨の中で年賀状が濡れてしまうところだった。





今日はこのまま降り続くのだろうか。

万年筆の書き心地を見るために、メモを1枚破り少し線を描く。





その線が不規則な動きを止め、自然に『江藤理』の文字を書き始める。

思い出す記憶の中には、いつも彼がいてくれた。


年賀状を書き出す前に、どうしても声を聞きたくて、

携帯電話を取りだし、彼の番号を探す。

何度目かの呼び出しの後、聞き慣れた声がした。





「まどか、そっちの方も降り出したか?」

「うん、今降り出したの。そっちは?」

「あぁ、降り出した。このまま夜になったら雪に変わるかもな」

「そう、そんなに寒い?」

「うん」



肩と耳で携帯を挟み、私は万年筆の蓋を一度閉じる。



「ねぇ、理さん。今、何してた?」

「ん? 今? 年賀状を書いているところだけど」

「あ、一緒、一緒。私も書いているとこ……ううん、今、書き始めるところ」

「そうか」



理さんの今年の受け持ちは1年生で、全員に年賀状を出しているけれど、

ひらがなばかりで結構疲れると笑っている。



「私はね、年賀状を出すこと、冬休みの宿題にしたのよ。
『今年の目標』って言うのを、必ず書く事って約束したの」

「ほぉ……そうか、まどかは6年生だもんな。
4月からは中学生になるし、そういった目標を持たせることは必要かも知れない」

「でしょ? 結構文字にすると書けるかなと思って。なかなか難しい年齢だしね」

「そうか……目標ね……」

「うん」







その日の電話も長くなり、結局私が年賀状を書き終えたのは、深夜になった。









元旦。







カーテンの隙間から、すっかり上がってしまった太陽を見た後、

2階の部屋から1階へ降りていくと、すでに起きていた母とみのりが、

私の顔を見て、なにやら笑い出した。

顔に何かついているのかと尋ねても、違う、違うと言われてしまう。



「何よ、ちょっと」

「はい、お姉ちゃんの年賀状。来てますよ、色々と」

「あ……ありがとう。子供達ちゃんと宿題したのかな?」



私がそう言うと、また二人は顔を見合わせて笑い出す。

あまり気分はよくなかったが、無視したままこたつに入り1枚ずつめくった。





クラスの委員長、太田学君は、野球をもっと頑張りたいと書いてあり、

クラスで一番おしゃべり、春日麻衣子ちゃんは、

髪の毛をもっと伸ばしたいと書いてあった。



「髪の毛を伸ばしたいかぁ……女の子だなぁ」



その後も、クラスの子供達の年賀状が続いたが、見慣れた字に私の動きが止まる。

それは『江藤理』と書いてある、彼からの年賀状だった。







『あけましておめでとう 今年の目標は まどかを嫁さんにすることです』







あっと言う間に浮かんだ涙で、私は全く文字が読めなくなった。





こんなこと、書いてくるなんて、思ってもみなかった、ずるいよ、理さん。







『今年の目標』って言うのを、必ず書く事って約束したの』


『そうか……目標ね……』







あの、年賀状を書いた日、なんでもないかのように笑っていた声がよみがえる。

お願いするのは私の方なのに、何もかも頼りっぱなしなままだ。



いつも彼は私を待っていてくれた。

焦らせることなく信じてくれた。




そしてまた、私に最高の贈り物を届けてくれる。

こんな私のために……。







「お母さん、私、理さんのところに行ってくる」

「エ……。だって午後に来るって言ってなかった?」

「私が迎えに行きたいの。待っているなんて嫌なのよ」



彼からの年賀状を1枚だけつかむと、玄関脇に置かれている小さなカゴから、

車のカギを探す。



「お姉ちゃん、よかったね」



みのりが横で私をつつきながらそう言った。二人が笑っていた理由がわかり、

ほっとするのと同時に、先に見られたのかと思うと、少しだけ悔しくもなる。



「人のところに来た年賀状、勝手に先に見ないでよ!」

「何言ってるのよ、自分が遅くまで寝ているからいけないんでしょ。ね、お母さん」

「そうよまどか。奥さんになったら、寝坊しているわけにはいかないんだからね」



台所から母の言葉が聞こえてきた。私はその通りだと何度も頷き、

みのりは、私にも早く春が来ないかなと、笑顔を見せる。



「いってきます」



私は、大事な年賀状をしっかり助手席にのせると、

『はい』の返事をするために、彼の元へ車を走らせた。







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コメント

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味がある^m^

まどかちゃん 諦めずに頑張って良かったね^^!

理さん、おおらかで頼りがいがありそうで…素敵です(〃▽〃)

年賀状のプロポーズって
なかなか味があるね~^^
他の人に見られちゃうのは、かなり恥ずかしいけど・・・^^;
記念に残りそうでいいかも♪

「大事な年賀状をしっかり助手席にのせる」ところが
可愛いなぁ~^m^



    こんにちは!!

 突き放す優しさかぁ・・・

3年も4年もそれに向かって頑張るなんてすごいなぁって感心してしまう。
(わたしは持続力がないから。ボッっと勢いよく燃えるから燃えカスになるのも早くて・・笑。)

だから甘えてちゃいけないって奮起できたんでしょうね。
(あたし?もちろんムリッ!って聞いてないか・・)

その甲斐あって念願の合格。
それを聞いた理さんの「涙が出て来て、他の先生に笑われた」にカンドー。

プロポーズはいつかしらとワクワク・・
まだ?まだ?と思ってたら
年賀状で『目標』だって^m^

ヤルー!!と思ったけど
家族も見ちゃうって(理さん、そこは考えてなかった?)のが
悔しい?勿体ない?けど結果オーライ・・・だ!!!

年賀(プロポーズ)状と一緒に理さんを迎えに行ったまどかさん。
彼が来るのが待っていられない程の
今までの感謝と嬉しさが伝わってくるけど、結構せっかち?

突然やってきたまどかさんに驚きながらも
嬉しそうな笑顔の理さんがそこにはいるのかな・・

気の長い、優しく頼れる理さんをいつまでも大事にして下さい。

次はどんな人たちかなぁ♪楽しみにしています!

― P・S ―
 このお話とは関係ありませんが(すいません)、先生つながりで思出しました。
そういえば杉っぺはどうしているのか・・と。
彼にはまだプロポーズのチャンスは来ていない?

     では、また・・・e-463

顔を見て

まどかは、先生になりたいと思ってはいても、どこかすぐに合格するだろう。と安易に考えていたのでは?
必死さがかけていたのかな?

突き放されて漸く目が覚めた。

先生になればなったで、離れた学校。
なかなか同じところでという訳には行かないね・・・
結婚したら特に同じ学校は無理。

年賀状でプロポーズ・・・
でも顔を見て、言葉で言って欲しいね。
言わせるんだよ!

↑のmamanさんの言うように、杉っぺはどうなってる?

証拠の品

eikoちゃん、こんばんは

>年賀状のプロポーズって
 なかなか味があるね~^^
 他の人に見られちゃうのは、かなり恥ずかしいけど・・・^^;

あはは…確かに恥ずかしさはあるかも。
まぁ、今回の場合は、すでに家にも出入りしている人だから、
親からしたら『よかった』と思ってもらえるはず。

私、こんな年賀状もらったら、まくらの横に置いて寝ます(笑)

持続力なしの我々

mamanさん、こんばんは

>3年も4年もそれに向かって頑張るなんて
 すごいなぁって感心してしまう。

そうでしょ。でも、実際にこういう方もいるんですよ。
中学の先生になったけれど、小学校の先生になりたくて、
試験を受け続けた人も知ってますし。

私も持続力ないタイプ(笑)
一番長く続いているのが、創作かも……。

>突然やってきたまどかさんに驚きながらも
 嬉しそうな笑顔の理さんがそこにはいるのかな・・

いる、いる! 絶対にいるさ!(笑)
だって、飛んできたらかわいいでしょ、きっと。
ギューッ! だよね。

えっと、杉っぺですが、あれはターボチェンジをしないと書けないものでして。
なんとか夏くらいまでにはと思ってますが、もう少々お待ちください。
(意外にリクエスト、来るんだよね、あれって)

もう一人の先生は……

yonyonさん、こんばんは!

>突き放されて漸く目が覚めた。

はい、目が覚めましたね、きっと。

そう、まず結婚したら同じ学校はないでしょうね。
地方によっては、距離も離れるでしょうし。
まぁ、互いに通えないような場所にはならないと思いますが。

>年賀状でプロポーズ・・・
 でも顔を見て、言葉で言って欲しいね。

そうか、yonyonさんはストレート派なんだね。
私はこういう間接的も好きなんだけど。
まぁ、嬉しくて飛び出したまどかちゃんが到着すれば、
ちゃんと目を見て、話してくれるはず……
ギュー! のおまけもあるでしょう(笑)

おや、こちらも杉っぺ?
あ、そうか、yonyonさん、ファンだったんだよね。
えっと……夏までにはなんとか……(汗)

題名に納得!

タイトルは 「僕の目標」 なのに、読み進めても、どこにも「僕の目標」はなくて、でてくるのは「私の目標」ばかり・・・

それがずっと気になってました。
後編の最後を読んで 「なるほど!」 と、やっとわかった私^^;
読みが甘かった~@@
途中でわかるべきだよね、普通・・・^^;

彼も、「もういいよ 俺のところに来い!」って言いたいのを我慢してたんだろうなぁ・・・
見守るって、生半可じゃないよね。

私は、一生懸命に頑張ったことがあるだろうか、と、読みながら自問自答したわ。
「プロポーズ」の過程を読むのが楽しいよね!
(書くのもそうでしょう!^^v)

さて、次回はどんな設定でしょう、楽しみ~♪

もっといいこと

yokanさん、こんばんは!

>彼を追いかけて行っていたら、
 2人の関係は上手く行かなかったかも知れませんね。

はい、私もそう思います。
同じ想いを理解できるからこそ、逆に一緒に居づらいかも。

>彼の今年の目標にはヤラレタ~です。
 あのプロポーズ、いいな~〃▽〃
 グっと来ちゃいましたよ^^

うわぁい、ありがとうございます。
喜んで出掛けていったまどかには、
もっともっと幸せなことが、待っているでしょう……(゜ー゜*)。・:*:・ポワァァン

目標なのよ

なでしこちゃん、こんばんは

>読み進めても、どこにも「僕の目標」はなくて、

あはは……そう言えばそうだね。
でも、ちゃんとわかってもらえて、よかったです。

>見守るって、生半可じゃないよね。

そう、そう思う。しかも、理はまどかがなりたい職業になっているわけでしょ。
これで試験が通らなければ、どこか関係もギクシャクするんじゃないかな。
だからこそ、必死になったし、
自分もなりたい気持ちが、誰よりもわかるから、涙になったのではと……。

過程を書くのは楽しいね。
だから、次、次と書きたくなるの。
読んでくれている方のおかげです。

次はどんなものか?
それはぜひ、来て確かめてね