アクトレス(前編)

アクトレス(前編)




車を走らせながら、バックミラーに映る後部座席を確認すると、

玲のまぶたがゆっくりと閉じていきそうになる。

前を走る車との距離を確かめ、わざと急ブレーキを踏んだ。



「玲。その状態で寝るなって、いつも言っているだろうが」

「あ……ごめん、誠ちゃん。でも、急ブレーキなんかかけられたら、
思い切り前の座席にぶつかるかもしれないじゃないの」

「そのためにシートベルトをつけてるんじゃないのか」

「あ……そうだった」



玲は笑いながら、座席の隣に置いてあるエアー枕を首にはめ、あらためて目を閉じた。

全くもう、何度も言い続けていることなのに、まだ覚え込めてないのかと不思議になる。



「いいか、TBNでの番組紹介が終わったら、そのまま楽屋で『POP』の取材」

「うん……」

「生番組のために移動しているんだから、言わなくてもエアーくらいちゃんと……」



玲は人のお小言を子守歌にでもしたのか、寝息を立て始める。



仕方がない、ここのところ撮影が押していて、

ちゃんとした睡眠時間が取れていないのも確かなことだ。









大学を卒業し、先輩が先に入社した『芸能プロダクション』へ入ったのは、

今から10年前になる。最初はアシスタントとして動いていたが、

7年前に任された女優が、なぜか一気にトップにまでのし上がり、

社長に褒められ給料アップを告げられた後、任されたのがこの玲だった。




社長の友人の娘であり、軽い気持ちで芸能界へ入ったようだが、

おっとりした性格とは逆に、演技には目をみはるものがあった。




『息子のお嫁さんにしたいタレントランキング』で、今年初めてベスト10入りしたが、

実際の玲は、リンゴの皮すらしっかりと剥けないし、

男性2人から告白され、悩んだあげく命を絶つような繊細な役柄をこなすくせに、

自分は信じていた先輩に、名前だけ使われたことにも気付かないまま、

写真週刊誌の記者に、ありもしない噂で振り回された。





『誠治の押しで、玲をトップにしてくれよ』





それが社長の口癖だが、マイペースな彼女と仕事をする度、

本当にそれでいいのかと悩むことがある。




玲は別に主役をしなくても輝けるし、繕わなくても充分優しく……。






「はい、芝野です。すみません、今向かっています。
必ずリハ前には着きますので、よろしくお願いします」



世話になっているプロデューサーから、確認の電話が入った。

この4月からスタートする看板ドラマでは、準主役のポジションにまで上がってきたのだ。

後部座席で幸せそうに眠っている玲の顔を見た後、大きく息を吐く。




そうだ、個人的な感情は、しまっておかなくては。

彼女は事務所のタレントなのだ。そう自分に言いきかせた。









玲を無事現場に届け手帳を開き、スケジュールを確認する。

この1年、個人的な用事はほとんど書き込まなくなった。

付き合った女性もいたし、結婚するのではないかと思った人もいたが、

結局この仕事の不規則さを理解できず、全て消滅した。



そんなことを何度か繰り返していくうちに、妙な気を使うことが面倒になる。



「芝野君、いいねぇ、彼女には光があるよ」

「ありがとうございます」



ドラマの視聴率が下がっていると、あれこれ言われていても、

やはり日本では映画よりもテレビだ。

お茶の間での好感度が上がらないと、ステップアップも難しい。



あれだけ眠たそうにしていた玲も、すっかり仕事モードになり、

質問にもきちんと受け答えをする。




予定よりも1時間遅れで、その日のスケジュールを終えた。









「明日は6時に迎えに行くからな。せめて着替えくらいは済ませておいてくれよ」

「はい……」



玲はエアー枕を首につけ、またすぐに眠り始めた。

色々と言いたいことはあったが、結局、玲が少しでもしっかり眠れるように、

ブレーキを軽くかけながら、ゆっくりカーブを曲がった。









次の日、予定時刻よりも少し早めに迎えに行くと、

予想通り、玲はまだ寝間着姿のままだった。




コンビニで買ってきた具が多めのスープにお湯を入れる間に、

玲に着替えを済ませるように告げる。



「ごめんね、誠ちゃん。昨日、ちゃんとしてから寝ようと思ってたんだけど、
いつの間にか意識がなかったの。気がついたらベッドの横で寝ていて……」

「知らないうちに意識がなくなるようじゃ、病院行きだぞ」

「エ……そうなのかな。誠ちゃん、ついてきてくれるでしょ」

「ほら、早くしろ。遅刻なんかしたら、山崎さんがドラマ終了まで嫌味を言い続けるぞ」

「あ、そうか」



山崎さんとはベテランの女優で、昔は娘役として人気があり、

今では年を重ね、母親役として定評がある役者だ。




物腰は柔らかく和服の似合う美人だと言われているが、

実際には鋭い目をして、若手の失敗には手厳しい。

うちのタレント達も、何度も泣かされ、何度も謝った。





「あぁ……美味しい」



玲は着替えを終えると、湯気が上がるカップスープを美味しそうに飲み出した。

予定より10分遅れてマンションを出発し、なんとか撮影現場に到着する。




あれだけ眠たそうにし、頼りなさげな声を出していた玲だったが、

カメラが回ったところでは、決して泣き言を言ったりはしない。




この仕事が好きなんだろうな……と、セットから外れた場所で、玲の姿を追った。









順調に過ぎていた夏の始め、いきなり呼び出された事務所で、

思いがけない話が持ち上がる。



「玲の担当を外れろって、どういうことですか」

「芝野、お前には『一気組』を担当してもらうことにした。玲は鮎沢が担当する」

「社長……」



『一気組』は近頃伸びてきている若手のお笑い芸人だ。

確かに初CMも決まり、事務所が力を入れていきたい気持ちも理解できる。

しかし、玲の担当を外されるなどとは、考えても見なかった。




鮎沢初音は、昔うちのタレントをしていたが、結局芽が出ないまま、

マネージャーとして残ることになった女性だ。



それでも仕事の厳しさを知っているだけに、

マイペースな玲と、とても波長が合うようには思えない。



「社長、私が玲の担当を降りるのは……」

「お前自身が、一番分かっていることじゃないのか」



社長は、私がマネージャーとして玲のマンションに出入りしていることを指摘した。

人に後ろ指をさされるような間柄ではないとはいえ、

若手でこれから伸ばそうとしている女優の部屋に、男が出入りしている状況を、

おもしろおかしく書かれても、無理はない。



「お前が玲を伸ばしてやりたい気持ちも理解できる。でもな、芝野。
その気持ちがいつ、境界線を越えてしまうかもわからないんだ。
うちとしてはそれは認められない。お前なら……わかるだろ」







本当は自分が一番わかっていた。





玲に対して、個人的な感情が心の底に眠っていることを。





彼女を欲しいと思わなくなったのも、別の女性をそばに置きたいと思わなくなったのも、





本当は、一番守ってやりたい人が、すぐ目の前にいたからだ。





しかし、それは……。

決して許されることではなかった。









東京駅の新幹線ホーム。サングラスをかけた『一気組』が集合5分前に揃った。

今日はこれから名古屋へ向かい、他の事務所の芸人達と、生番組収録に向かう。



「芝野さん、知ってますか? 
こいつ、里奈ちゃんのメールアドレス聞いたらしいんですよ」

「里奈? あぁ、あの……」



番組アシスタントの誰がかわいいだとか、

彼らの話はそこらへんの若者となんら変わりがない。

ちょっとした兄貴気分でホームに入ってきた車両に乗ると、

ポケットに押し込んであった携帯が揺れ始めた。



「はい……芝野ですが」

「……あ……せ……誠ちゃん……」



その声は玲で、苦しそうな息づかいだけが受話器から聞こえてきた。

『一気組』を座席へ座らせ、新幹線の通路に立ち、どうしたのかと声をかける。



「なんだ……か……。息が……息が苦しい……苦しいんだもん……」

「玲、鮎沢に連絡しろ」

「やだ……鮎沢さんじゃ嫌だ」



発車のベルが鳴り響き、目の前でドアが音を立てて閉まり始めた。

玲に言葉をかけようとしたが、勝手に電話を切ったようで、

ツーツーと切れた音だけが響く。



すぐに鮎沢の携帯に連絡し、玲の状況を告げる。



「甘えてるんですよ」

「甘えてる?」

「えぇ。何が気に入らないのか知りませんけど、
自分が大スターにでもなった気持ちなんじゃないですか。
仕事に行きたくないとか言っていても、現場につけばちゃんとこなしてますから。
心配しないで下さい。芝野さんにそうやって動かれると、迷惑なんです。
いつまでも玲があなたを頼るし、私には私のやり方がありますから」

「それはそうだけれど、玲の体調のこともしっかり考えてやらないと。
あいつは確かに現場で弱音を吐いたりしない。だからこそ、鮎沢が……」



プツッという音がして、鮎沢との電話も途切れてしまった。

前任者に口を出されるのが嫌なことくらい、わかっている。でも……。





静かにリズムを刻む、新幹線の壁に寄りかかりながら、自分の心に問いかけた。

許されることなら、すぐに玲の元へ飛んでいってやりたい。

心とは裏腹に、距離はどんどん遠くなっていく。







自分は彼女にとって、近くてもっとも遠い存在になってしまったのだと、

自然に涙が浮かんだ。









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コメント

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    こんにちは!!

 “アクトレス”聞いたことあるけどなんだっけ・・?
あ~、女優さんだった。
(Englishを習ってから数十年、ご縁がないのと
殊更に憶えが悪くなった上に、忘れるのは早くなってしまった^_^;)

マネージャーと女優という意外な登場人物にちょっとびっくり。
一般人しか出てこないものと思ってたから (笑)

鮎沢さん、自分が売れなかったから、玲ちゃんにジェラシー入ってるような・・
玲ちゃん、体大丈夫かしら?

お兄さんみたいに温かくも厳しく?接してた心の底には想いがあったんだ。
そんな誠ちゃんに頼ってる?甘えてる?玲ちゃんもやっぱり・・・だよね。

売れっ子女優とマネージャーの禁断の恋!?
切ない想いに涙する誠ちゃんだけど本当にプロポーズできる?


    では、また・・・e-463

タレントさんだって恋をする

mamanさん、こんばんは
そうそう、アクトレスは女優さんのことですよ。
ちなみに男優は、アクター……だと思う(笑)

>一般人しか出てこないものと思ってたから (笑)

エ、タレントだと不思議だった?
そうか、そこらへんの人々とは感覚が違ったかもね。
まぁ、ちょっとした驚きを持ってもらえるくらいで、OK、OK!

>切ない想いに涙する誠ちゃんだけど本当にプロポーズできる?

うん、出来ないと終わらないんだよね、
どんな方法で、どんな形になるのかは後編を!

いつも楽しいレスをありがとう。
とっても励みになるんです。

近いだけに

yokanさん、こんばんは

>社長もそれに気づきはじめたのかな?
 だから交代させたのかな?

社長は間違いなく、気付いているでしょうね。
本人達は離れてみて、互いへの想いに気付いたと思うのですが。

全く会わなくなるのなら、気持ちを切り替えることも出来るでしょうが、
同じ会社の中ですから、情報だけは伝わるもんね。

さて、芝野君の行動は……いかに。
後編もよろしくお願いします。

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