62 あっちかこっちか

62 あっちかこっちか




ビルに囲まれている東京でも風は同じように吹き、少しずつ季節を動かしていく。

真夏を過ぎた後からどこか寂しい風が、頬をかすめるようになった。







穂乃はカレンダーが9月に入ったことに気づき、ページをまた1枚めくる。

ソファーに置いてある遥香のぬいぐるみを見ながら、戸惑いを隠せずにいた。


兄である久之から、現状を聞き出したからなのか、

それとも愛人との関係がうまくいかなくなったからなのか、

以前に比べ、敏規からの連絡が増え、遥香に会いたいと要求することも多くなる。


面会の回数など、離婚をするときの約束どおりにして欲しいと言い返しても、

仲岡の両親が、遥香に会いたいと言っているからと言われてしまうと、

それ以上強く出ていく理由が見つからない。


少しずつ邦宏との距離を埋め、遥香と3人の時間を作っていこうとしても、

相手はそれを知っているのか、遥香の気持ちを揺さぶるようなことばかり仕掛けてきた。


「ママ、今度はパパが動物園に行こうって言ってたよ。ママも行く?」

「ううん……ママは行かない」


結婚していた時には、遥香と過ごすことなど、ほとんどなかったので、

気持ちも離れているものだと思い込んでいたが、

こうして欲しいものを買ってもらったりすると、子供の気持ちは単純に動き、

近頃は、平気でパパに会うことを楽しみだと言うようになった。


『恋をしましょう』と言ってくれた邦宏のことを考えると、自分のしている行動が、

どこか裏切っているように思え、穂乃はソファーから動けないままため息をつく。





エンジン音がしてカーテンを開けると、兄、久之が車から降りるのが見えた。


「母さんは病院か」

「えぇ……。もうすぐ戻ってくると思うけれど」

「そうか、それならそれでいい。今日はお前に用事があって来たから」


久之のどこか慌てている態度に、穂乃は不安になりながら、お茶を出した。

座って欲しいと合図を出され、ソファーの一番隅に腰を下ろす。


「穂乃、まどろっこしいことは言わない。仲岡の家へ戻ってくれないか」

「お兄さん……それは」

「わかってる。敏規君に女がいたことも、子供が出来て離婚したことも、
全てわかっているんだ。でも、向こうも反省しているし、やはり遥香がかわいいんだろう。
もう一度どうにかならないかと、そう言ってきた」

「仲岡の家に、今さら戻る気持ちはありません」


久之はわかっている返事だったのか、怒ることなく頷きながらお茶に口をつける。

邦宏が付いていてくれるのだから、穂乃は何を言われても弱きにはなるまいと、

唇をかみしめた。


「若い男に言い寄られたこともないから、夢中になる気持ちもわからないではないが、
よく考えてみろ。町の便利屋程度じゃ、たかがしれた生活しか出来ないぞ。
遥香の将来を考えても、仲岡の家へ戻ったほうが懸命じゃないか?」

「嫌です」

「どうしても、仲岡の家へ戻るのは嫌か」

「はい……」


久之は穂乃の表情を確認し、仕方がないなという顔をした。

携帯電話を開き、メールを見た後、その返信を片手で打ち込む。


「ならば、遥香を手放せ」


穂乃は一瞬、何を言われたのかがわからずに、久之の顔を確認した。

たいしたことじゃないかのように言った内容は、これまで遥香を育ててきた穂乃には、

あまりにもきつい言葉だ。


「遥香をお前が手放して、仲岡の家に帰せばいい。
お前が戻らないと意地を張り続けるのなら、結局、遥香は片親で育つことになる。
なら、経済的に豊かに過ごせる仲岡家の方がいいし……あの男だって、
本音は遥香なんていない方がいいと思っているはずだ」


あの男と久之が言ったのは、邦宏のことだった。

穂乃は言い返そうとしたが、そこから言葉が出てこない。


「お前もまだ若い。女として生きたい気持ちもわからないでもない。
ならば母親であることを捨てろ」

「……そんなこと」


穂乃の脳裏に、公園で一緒にお弁当を食べる邦宏の姿が浮かんだ。

母親であることはわかっているつもりで、3人の時間を作ってはいるものの、

二人で過ごす時間が、楽しみになっていることも事実だった。

仲岡家の言うとおり、遥香を手放しさえすれば、色々とうるさく言われないのかと、

一瞬気持ちが揺れたが、久之が持ってきた封筒から会社の資料を出し、

テーブルに置く音が聞こえ、すぐに気持ちを戻す。


「うちの売り上げの半分は、仲岡の家だ。お前がどっちも拒んだりすれば、
この縁がいつ切られるかもわからない。個人的な感情で申し訳ないとは思うが、
俺も息子たちを抱えて、ギリギリなんだよ、穂乃。
お前だって最初は敏規君についていくつもりで結婚したんだろ。
彼と結婚することを、私が指示した覚えはない。
こんなふうにこっちの生活まで、揺さぶられるとは思わなかったんだ」


この家に敏規が出入りしていた頃は、確かに久之の言うとおり、

自分にとって誰よりもいい相手だと思い、結婚したことは間違いない。

久之には久之の事情もあるのだろうが、

だからといって仲岡家に戻るなどと言う選択肢は、穂乃の中にはなかった。


「真剣に考えてくれ。敏規君は、いつでも話をするとそう言っている。
お前さえ決断をしてくれたら済む話なんだ」


久之はそれだけを告げると、時計で時間を確認し、笹岡家を出て行った。

穂乃は遠ざかる車の音を聞きながら、ソファーの片隅に腰掛けたまま、

両手で顔を覆った。





靖史は教室の隅で、一人でろくろを回していた。

時計は12時を過ぎ、窓から見える景色に、昼休みのOL達が店の前を通りすぎていく。

この場所に飛び込んで半年が経ち、少しずつではあるが、

自分なりの形を作れるようになってきた。

扉が開く音がして前を見ると、おにぎりとお茶をお盆の上に乗せた亜紀が近づき、

隣のテーブルにそれを置く。


「吉田さん、またお昼食べ損ないますよ。この後、また窯へ向かうんでしょ」

「はい、武雄さんと一緒に、前の作品が、ちょうど仕上がるからって」


今まで男の手伝いがなかったから、仕事がはかどるのだと、

武雄にしてみても、靖史は頼れる関係になり始めていた。


「近頃お父さん、吉田さんばっかり連れて行くんだから。
私のことなんて、スッカリ忘れているみたいです」

「そんなこと……」


靖史は立ち上がり水道でしっかり手を洗うと、いただきますと頭を下げ、

亜紀が作ったおにぎりをほおばった。靖史が食べ始めたのを見た亜紀も、

ひとつだけ手に取り黙っている。


「お店のこと、気になりませんか?」


靖史は、亜紀の問いにすぐ答えることが出来なかった。

気にしていないと言えば、ウソになるからだ。


まともに家へ戻ってはいないものの、3階に住む比菜を呼び止めては、

店の繁盛具合を聞いてみたり、母親である和子の腰の状態がどうなのかを確認し、

揺れる気持ちを抑えている。


「あ……ごめんなさい。気になるに決まってますよね。そんな言い方をして……私」

「亜紀さん」


亜紀は慌てて立ち上がると、靖史に顔を見せるのが嫌だったのか、

おにぎりをひとつだけ手に持ったまま、慌ててろくろの前から出て行った。

この場所に慣れていくことを望んではいたものの、

靖史は亜紀の気持ちがこもったおにぎりを見ながら、

自分の心にどう結論づけたらいいのか、わからなくなっていた。





そして、同じように……。





「おい、そっち引っ張ってくれよ」


大和の言葉にも反応しない比菜は、遅れて気づくと別のロープを引っ張った。

上げるはずだった旗は下についたままで、途中で切れたロープが、滑車から取れてしまう。


「あ……すみません」

「もういいよ、俺がやるから」


大和は登っていたはしごから降りると、集中力のなくなっている比菜を見た。

穂乃にも迷いがあるように、靖史にも迷いがあるように、

今、比菜の身にも、どうするべきなのか迷うような出来事が起きているとは、

隣にいる大和は、まだ気付けないでいた。





63 旅立ちの日


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「フリーワーク」再開、ウフ♡

タイトルが時計から靴に変わったのは意味があるのかな?

クソッ!役立たずの長男、またしても難問を!
気にすること無い、久之は久之で会社のことを考えなくちゃ。
こんな時だけ妹に頼ろう、なんて甘い!

遥香はまだ親の事情なんて分からない。パパはパパ。
邦宏が頑張っても本当のパパにはなれない。
でもなろうと努力することは出来る。
穂乃が揺れないで居て欲しい。

靖史も亜紀も今一歩が出ない常態か・・・
焦らずに、ってとこだね。

比菜は比菜で思い悩むよね~~
あーーマジであっちこっちだ。


     こんにちは!!

 「フリーワーク」始まりましたねぇ。
ですが、いきなり迷える子羊ちゃんだらけですね。

 それにしても、もうっ!いつ出て来ても腹の立つやつだわ、何様久之!!

もっともらしいこと言って、遥香ちゃんまで人身御供にしようなんてふてぇやつだ!!

元旦那も、その親も調子良すぎだわよ<(`^´)>
きっと、“あなたじゃ不足だけど、戻って来ていいって言ってあげてるんだから
ありがたいと思いなさい”くらいに思ってるんじゃないのかしら。

穂乃さん、揺れている。けどよく言うなりにならなかったね。

遥香ちゃんはホントのとこどう思ってるんだろう?
お父さんのところへお母さんと離れてまで行きたいと思ってるのかな?
子供とは言えきちんと話し合わないとね。

穂乃さんも靖史も比菜も迷える子羊たちは手探り状態。

どんなふうに進んでいくのか楽しみです。


     では、また・・・e-463

こんばんは

わぁ~い!楽しみに待ってた『フリーワーク』^^

・・で早速出てきましたね、オジャマ虫久之・・;;

相変わらず何だかんだ言っても、結局考えてるのは自分の会社の事ばかり、
それに今度は「遥香ちゃんを手放せ」だなんて何と言うことを!!!

遥香ちゃんにとってはどんな奴でも、パパはパパ
元旦那も変に動き出していて、これからちょっと大変そう・・

でもどっちにしてもこんな時
一番傷つくのは間に立った子供なんだよね
穂乃さんどうか揺れないで、邦宏を信じて頑張って欲しいな!

とにかく陶芸の道に進む事だけに必死だった靖史も
半年経って少し落ち着いてきたと同時に
いろんな事が気になりだしたのね

そして比菜ちゃんも・・・

本当にあっちもこっちも、波乱の予感いっぱいで始まった第2部^^;

これからの展開、また楽しみにしています~♪

知りたい・知りたい

お久しぶりです!

浮上しました!第2部連載おめでとうございます。

時計から靴へ。興味深々です。

それぞれが、動き出すんですね。

楽しみです。

サイトは私のビタミンですよん。楽しみにしています。

パパが、海外へ転勤して、忙しくなったけど、この時間は確保してま~す。

始まりました!

yonyonさん、おはよう

>タイトルが時計から靴に変わったのは意味があるのかな?

あると言えばあるような(笑)
着実に前へ進もう! という想いと、時計からの変化はつけたかったの。

それぞれの問題が山積みになったまま1部が終わってるので、
それを具体的に解決していかないとね。
悩みながら進む、彼らの行く先を
どうか応援してやって下さい。

いつもお世話になってます。

始まりました!

mamanさん、おはよう

>「フリーワーク」始まりましたねぇ。

みなさん、サブタイトルのように呼んでくれて、
なんだか嬉しい私です。

何様久之も、元旦那も、自分勝手な男ですが、
そういうヤツがいないと、なりたたないのがお話で(笑)

穂乃、遥香、それぞれの想いを重ねながら、
さらに前へと進みます。

楽しみにしてもらえて、とっても嬉しいな。
これからもよろしくお願いします!


始まりました!

yadai52enさん、おはよう

>同じような・・・。」の再開を 待ってました。

あぁ、『待ってました』なんて
とっても嬉しくて、踊り出しちゃいそうです。
長くて、登場人物も多いので、
どうなのかな……と不安でした。
こうして声を聞かせてもらえると、
頑張るぞ! とパワーをもらえます。

>個人的には 大和と比菜が気になりますねー⊂((〃 ̄ー ̄〃))⊃ ふふふ

ふふふ……(笑)

また、声を聞かせて下さいね。
これからも楽しく参加して下さい。

始まりました!

パウワウちゃん、こんにちは

>わぁ~い!楽しみに待ってた『フリーワーク』^^

わぁ~い! なんて嬉しいお言葉を。
お近くなら、抱き締めちゃいたいところです(笑)

いきなりあれこれ登場ですが、
少しずつ解決へ向けて、動き始めます。

人が多い分、複雑な部分もありますが、
その分、色々と楽しめる要素……あり! と思ってます。

すっかりサブタイトルのようになった『フリーワーク』を、
これからもよろしくお願いします。

始まりました!

yokanさん、こんにちは。

>穂乃さん、前途多難だね~

結婚より、離婚の方が何倍もパワーを使うそうですね。
色々としがらみも増えてくるからなのかなと。

靖史も比菜も、色々とありますが、
少しずつ解決に向けて動きますので。

>後半も長くなりそうですね^^;

……う……うん(笑)
あんまり無理せずに、お気楽におつきあいください。

始まりました!

milkiy-tinkさん、こんにちは
お久しぶりです!

>浮上しました!第2部連載おめでとうございます。
 時計から靴へ。興味深々です。

浮上、ありがとう。
時計から靴。過去をあれこれ見せてきた1部から、
現実み立ち向かっていく彼らです。

>サイトは私のビタミンですよん。

わぁ~い! その一言が私のビタミンです。
パパさんが遠くになってちょっぴり寂しいけど、
創作のいい男達に、癒されてね(笑)

これからもよろしくお願いします。