64 母と子

64 母と子




比菜が岡山へ向かった次の日、穂乃は敏規と待ち合わせをした店に向かった。

約束の時間を指定しても、仕事が延びたなどと遅れてくるのはわかっていたが、

気持ちを落ち着かせようと先に入ると、そこにはすでに座っている敏規が見える。


「珍しいのね、仕事大丈夫なの?」

「忙しいけれど、そんなことばかりも言っていられないだろう。
こっちの話も大事なことだ」


穂乃は注文に来たウエイトレスにオーダーを済ませると、

グラスに入ったお冷に口をつけ、気持ちを落ち着かせようとする。


「久之さんから聞いているだろう、少しは前向きになってくれたのかな」

「前向きも何も、そのことについては、もう終わったことじゃないですか。
離婚する時に、遥香の養育は私がすることになりましたし、会う回数だって、
ちゃんと約束したはずです。それを今さら……」

「君がこんなに早く新たな人生を選ぼうとするなんて、思いもしなかったんだ。
笹本家にいるのなら、これからも自由に遥香に会いにいける。
しかし、男がいるのなら……それは別問題だ」


敏規はあえて邦宏のことを『男』と呼んだ。

その直接的な言い方に、穂乃はさらに不快感を募らせる。


「坂本さんと言ったね。一度、お義母さんと一緒にいたところに会った。
病院に付き添った帰りのようで、真面目そうなしっかりとした青年に見えたよ。
でも、まぁ……それだけだ」

「どういう意味ですか」

「『フリーワーク』という便利屋を経営していて、
それなりにやっているけれど、調べたところ利益はたいしたことがなかった。
とても収入的に余裕のある生活が送れるとは思えないんだ。
君はいいだろう、好きな男と一緒にいられるのなら、それで満足なのかもしれない。
でも、遥香はどうなんだ。仲岡の家にいれば、あらゆる面で高いレベルのものを
与えてやれる。その権利を持つのは、私の娘である遥香だけなんだ」

「調べたんですか? 彼の仕事のこと」

「当たり前だろ、娘の将来が関わってくるんだぞ」


離婚した今になってから、堂々と娘のためなどと言われ、

穂乃は悔しさのあまり両手をぐっと握り締めた。

敏規の言うことが理解できないわけではない。

しかし、敏規を囲むものがいかに寂しく冷たいものだと言うことも、穂乃は味わってきた。


「彼は私と遥香をひとつだと考えてくれています。
そんな自分勝手な理由で、遥香を奪おうとしないでください」


邦宏の笑顔を思い出しながら、穂乃はしっかりと敏規を見た。

敏規はそれでも余裕があるのか、テーブルに置いたタバコを手に取り、

ライターをスーツの内ポケットから取り出した。


「彼だって、本当はそうしてほしいと願っているんじゃないのか。
血のつながらない娘を引き取りたいなんていう男は、そうはいない」


穂乃は黙ったまま外を見た。自分が原因を作ったくせに、ここへ早く来て、

少しは変わったのではないかと見せてくる。

どこまでも自己主義で、どこまでも強気に出る、

本質的なものは全く変わっていない気がした。

カチカチと音がした後、敏規のふかすタバコの煙が、穂乃の鼻に届く。

ただの煙だと想いながらも、今の穂乃にとっては、息苦しさだけしか残らなかった。





「ねぇねぇ、あの滑り台行ってきてもいい?」

「遥香ちゃん、気をつけて滑ってこいよ」

「うん!」


日曜日、邦宏と穂乃と遥香の3人は、隣町にある大きな公園へ、

揃って出かけることになった。朝から楽しそうにあれこれ語る遥香とは逆に、

穂乃は車でも窓の外ばかり見つめ、あまり話さない。


「何か、あったんですか?」

「エ……」


邦宏の問いかけに、穂乃は慌ててバッグの中から水筒を取り出した。

邦宏は勘違いに首を振り、水筒を受け取ると袋の中にしまう。

悩んでいることの相談もしてもらえないのかと笑うと、

穂乃はそうじゃないのだと否定し、そして下を向く。


「何か、言われているんじゃないですか? 
来ることを嫌がられたのに、それを無視したままになっていて。
近頃は何度かイネさんの用事で家へ行くのに、前のようにお兄さんから
嫌味を言われないし。なんだかそれが僕にとっては逆に変な感じがして。
きっと、あなたのところに集中していて、こっちに流れてこないのかと」

「坂本さん……」

「はい」


穂乃は呼吸を整えながら、久之から言われたこと、

そして敏規から言われたことを語った。

兄の会社のこと、遥香のことなど、からまってしまう糸があまりにも多く、

どう考えをまとめたらいいのかが、わからない。


「一人でリビングに座っていると、心の片隅で叫ぶ自分がいるんです。
このまま、何もかも捨てて、自由になってしまいたい。そう思うことが……」


邦宏は穂乃の言葉を黙って聞いた。

二人の時間を持つようになって半年近くが経ち、

同じ思いを胸に悩んでいることがハッキリと見え、苦しくなる。


「母でなければならないのかと……。
私はどこまでも母親でなければならないのかと……そう……」


邦宏には、無邪気に笑う子供たちの声が聞こえる横で、

その子供の存在に、どこか苦しめられている穂乃が可哀想にさえ思えてしまう。


「辛くて逃げたいと思うのなら……、この場から逃げようと思うのなら、
僕はそれでもいいですよ」

「坂本さん」

「でも、遥香ちゃんは連れて行かないと。あんなふうに明るく見えても、
小さな彼女の心の中は、実はとっても繊細なんだと、いつもそう思うので」


邦宏は滑り台の順番で並んでいる遥香を見ながら、大和のことを考えた。

親の都合で振り回された傷がいえないまま大人になり、

どこかそれを乗り越えられずに過ごしている。


「僕が二人から距離をとれば、ご主人は難題を吹っかけてこないつもりでしょうか」


自分さえ穂乃との距離を近づけなければ、あくまでも『フリーワーク』の仕事として、

二人を見続けてやればいいのかと、邦宏は前を向く。

並んでいた遥香は、邦宏の視線に気付き、嬉しそうに手を振った。


「坂本さんには、私が母親であることしか、見てもらえないんですか」

「穂乃さん」


穂乃は悔しそうに下を向くと、手に持っていたハンカチを強く握りしめる。


「……苦しい」


穂乃の搾り出したような声に、邦宏はただその手をつかみ、

握り締めることしか出来なかった。





夕方近くになり、二人を送り届けた邦宏は、車を笹本家から少しだけ離し、

『フリーワーク』号の中にいた。このまま事務所に戻ればいいのに、

アクセルを踏むはずの足が動いてこない。


穂乃との時間を持つようになったが、まだ、恋人と呼べるような関係ではなかった。

兄、久之の存在、遥香のこと、それが全てクリアにならなければ、

触れてはいけないような気がしていたからだ。


遥香を手放せと言った敏規と久之。振り回される遥香の気持ちを思うと、

その判断は正しいと思えたが、『苦しい……』と訴えた穂乃の気持ちを思うと、

自分がずるい男にさえ思えてしまう。


ハンドルに顔をうずめながら、限界まで近づいた想いとの葛藤に、

邦宏は答えを出せないまま、苦しんでいた。





65 隠れた気持ち


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コメント

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  こんにちは!!

 そんなこったろうと思ったけど
遥香ちゃんが可愛くて会いたいとか、戻ってこいじゃないって言うのにムカつく(`^´)
“権利”って何よ、権利って。
それが敏規なりの愛情(?)なのかもしれないけど寂しい人だ。
そんなとこに行っても遥香ちゃんは幸せじゃない!・・と思う。

邦宏に、穂乃さんが言う自分は母親でしかないのか、女として見て欲しいって思うのは分かる。

でも、そうされた大和を見てる邦宏には、さまざまクリアにしてからじゃないともう一歩が踏み出せないっていうのも分かる。それってずるいのかなぁ・・・
けれどもこれからを考えると越えなきゃいけない壁だけど。

穂乃さんにしてみれば、「わたしを攫ってどこかに連れて行って」・・みたいな?

『苦しい』2人だ・・・。

:::::

前回、またHNやっちゃいましたね(^_^;)アハハ(笑ってごまかす・・)
すいませんでした_(._.)_

統一すればいいんでしょうが、なんかお話との雰囲気がね・・
と、言うほど大層なHNでもないんですけどね。

ちゃかしっこ(おちょこちょい)のmamanをこれからもよろしくです。


    では、また・・・e-463

母だって女

大人の身勝手で振り回される子供。
大和の気持ちを分かるだけに、邦宏には遥香が一緒出なければ!と思うのだろう。

母親と女、分ける必要なんか無いのに・・・

「恋をしよう」と言ってくれた邦宏なのだから、思い切って
胸に飛び込めばいい。

そしたら敏規にも違う自分を見せられるし、それが
これから遥香を含めての幸せなのだ、と言ってやれば良い!

プライド

mamanさん、こんばんは!

>遥香ちゃんが可愛くて会いたいとか、
 戻ってこいじゃないって言うのにムカつく(`^´)

敏規にも、それなりの想いはあるだろうけれど、
きっとどこかプライドの問題……な気がします。
穂乃の方が、幸せになるのが悔しいのだと。

邦宏の気持ち、穂乃の気持ち、
それぞれの想いは複雑に見えるけれど、
どこかで決めていかないとならないこと。
そこらへんの動きは、この後です。

HNはだいじょうぶです、どっちでもOK!
『ちゃかしっこ』って表現、なんだかかわいいです。

思い切れるか

yonyonさん、こんばんは!

>「恋をしよう」と言ってくれた邦宏なのだから、
 思い切って胸に飛び込めばいい。

そうそう、そうなんだよね。
周りがあれこれ言うから、ここらへんが微妙に見づらくなっている。
邦宏、穂乃の想いをからめつつ、
この先へ続いていきます。

さあ、どうする?!

はあ~、周りが見えすぎるっていうのも辛いことですよねT_T

大和のことがダブってしまうという邦宏の気持ちもわかりますが
権利なら、邦宏だって、穂乃さんだって
幸せになる権利があるんですから。

さあ、どうする?!邦宏~
がんばれ~!

で、大和はどうしているのかなあ。。

今回は邦宏君でお願いします

れいもんさん、こんばんは!

>はあ~、周りが見えすぎるっていうのも辛いことですよねT_T

邦宏は大和から子の立場を、穂乃から親の立場をぶつけられて、悩みの中にいます。
自分が、自分が! じゃないから、みんなをまとめてこられたのもあるし、難しいですね。

>で、大和はどうしているのかなあ。。

さすが、れいもんさん、心はそちらへ(笑)
1話が短いので、今回は出てませんが、ちゃんと動いてますよ!

母として、女として

yokanさん、こんばんは!

>一人の女性として人生を再出発したい気持ちは分かるわ~

わかりますよね。どこか人生をリセット出来たら……という気持ち、
誰にでもあるような気がします。
そう、でもそれを上回るのが『母性』なわけで。

邦宏の悩み、どこかで別の人間が気付いてくれるといいのですが……

ということで、さらに続きます。