69 スーツの男

69 スーツの男




靖史は自転車に乗り、半分腰を上げた状態になりながら教室へ向かった。

和子の怪我を見て、少しだけ手伝おうとしたはずなのに、客が入り忙しくなる中で、

自然に仕事をこなしていた。父、清太郎は何も言わないまま厨房に立っていたが、

母の和子は嬉しそうに見えて、気が付くとランチの忙しい時間を、

ずっと店の中で過ごしてしまう。


「はぁ……はぁ……」


窓越しに中をのぞくと、すでに教室は終了していて、亜紀が一人ほうきを持ち、

掃除をしているところだった。靖史の場所には皿が残ったままになっていて、

ポツンとした姿が、逆に申し訳なくなってしまう。


「すみません……」

「あ……吉田さん」


亜紀は、靖史の姿が見えたことでほっとしたような表情を見せた。

靖史は逆に申し訳なく、下を向いてしまう。


「父に手伝いばかりさせられて、疲れちゃったんじゃないですか?」


亜紀は笑顔を見せそう言うと、今日の作業を説明し始めた。

みんなで色を塗ったこと、塗り終えたらあの棚に乗せて乾燥させることを話したが、

靖史が下を向いたままなので、言葉の勢いが消えていく。


「あとは僕がやります。作業をしたらまた汚れが出ますから。亜紀さんお店の方へ」

「あ……そうですね」


亜紀はほうきを部屋の隅に置くと、教室の扉に手をかけた。

自分の投げかけた問いの答えを出さない靖史に、不安な気持ちが顔をのぞかせる。


「吉田さん」

「はい……」


振り向いた亜紀の表情が寂しげで、靖史はどうしたんだろうかと問いかけそうになる。


「お昼……食べました?」

「あ……はい」

「そうですか。それならよかったです」


何かを断ち切るように、亜紀はそう告げると、そのまま教室を出て行った。

店を手伝っていたのだと言えなかったことに、靖史は亜紀の気配が消えたのを確認し、

そのまま椅子に座りこんだ。





祖母の葬式を終えた比菜は、大変だった家の手伝いを済ませ、

東京へ帰るための荷物をまとめた。母は心配そうにそれを見つめ、

こっちへ戻ってくればいいのにとつぶやくが、自分の道を見つけたのだと話をする。


「無理しているわけでもないし、いづらいからでもないの。
自分の足でしっかりと歩けるようになったから。今の環境を失いたくないのよ。
やりたかったことも少しずつ出来るようになっているし」

「比菜……」


面倒を見なければならなかった祖母がいなくなり、少し自由になった母に、

東京へ遊びに出ておいでと告げる。比菜の迷いがないような表情に、

母は気持ちを抑えようとたたんだ洋服を手渡し、必ず行くよと返事をした。


その日の午後、比菜は待ち合わせの公園へと向かう。

時間より5分前に到着すると、すでに康哉はベンチに座っていた。


「ごめんね、仕事なのに」

「いや……」


スーツ姿の康哉に、比菜は明日、東京へ戻ることを告げた。

懐かしいこの場所もそれなりに心地よいものがあったが、

自分の居場所はすでにあっちになってしまったと笑う。


「そうか、東京に戻るのか」

「うん、仕事も辞めてきたわけじゃないから。あんまり休むと迷惑かけちゃうし、
でも、その仕事がやりたくて、私も早く戻りたいと思っているし」

「うん……」


ベンチに座る二人の前を、小さな子供がよちよち歩き、

後ろを母親が心配そうに付いていく。そのほほえましい様子に、比菜は笑顔を見せる。


「もっと康哉の話を聞いてあげたらよかったね」

「ん?」

「この間、お兄さんの亡くなった時のこと、話してくれたじゃない。あれ、初めて聞いた。
震災で亡くなったってことは聞いたけど、そんな辛いことがあったなんて、
思っても見なくて。私、あの頃は自分のことを受け止めてもらうことに必死で、
康哉の話、ちゃんと聞いてあげてなかったんじゃないかと、そう思った」


康哉は黙ったまま、どうしていいのかわからずに、両手で携帯に触れる。

小さな子供が転んでしまい、泣き声が響く。比菜は、一瞬立ち上がろうとするが、

そばにいた母親が駆け寄り、あげた腰を元に戻す。


「でももうこれ以上は聞かないね。それはきっと私のすることじゃない気がするし。
私たちは、別の方向を見ていくことに決めたんだから」


比菜はそういい切ると、小さなバッグから袋を取り出し、康哉に手渡す。


「なんだよ、これ」

「ハンカチだよ。3枚入ってる。スーツ姿になったんだから、
それなりのハンカチも持たないとね。手を振って乾燥! ってわけにはいかないでしょ。
私からのささやかな就職祝いです」

「比菜……」

「康哉が、堂々と東京に来る日を、『フリーワーク』のみんなと待っているから」


袋を持った康哉の目が、一瞬比菜の方を向き、そのまま下を見る。

比菜が思っているよりも、康哉にとって今、東京は高い壁の向こうにあるだろう。


「ちゃんと働いて、しっかりとした社会人になれたら、
きっとみんな許してくれるはず。だから、頑張ってね」


康哉の言葉を信じ、何も知らない東京へ一人で向かった比菜の思いを感じ、

康哉は下を向いたまま、唇をかみしめる。


「比菜……」

「ん?」

「こんなこと、俺が言えた義理じゃないんだけど」

「うん」

「次は……いい恋しろよ」


比菜は、康哉のことを、どこか自分勝手で頼りなくはあるけれど、

本当は優しい人なのだと思いながら、頑張るよとつぶやいた。





次の日、比菜は岡山駅から新幹線に乗り込み、東京へと向かった。

夕方のラッシュにぶつからないよう、夕方前につくものを選ぶ。

しばらくぶりになった駅を降り、まず立ち寄ったのは『とんかつ吉田』だった。


「こんにちは!」

「あら、比菜ちゃん。戻ってきたの?」

「はい、今……あれ? おかみさん、その手」


和子の怪我のことを聞き、荷物を居間に置き、

すぐにでも手伝おうとする比菜を、清太郎が止める。


「いいよ比菜ちゃん。今日は団体さんも入ってないし、まずは旅の疲れを取らないと。
明日からまた頑張ってくれたら」

「はい……でも、大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ、多少ケガでもあった方が、
動きにも気をつけるから割れる皿も少なくて済むわ」

「お父さん!」


比菜は、いつも通りの会話を聞き、またここに戻ってこれたことを嬉しく思った。

少しだけ居間にあがり岡山土産を開き、和子と世間話をする。

清太郎は比菜が来ると、和子が明るくなると楽しそうに笑った。





比菜は30分くらい『とんかつ吉田』で過ごし、部屋へ戻る前に事務所へ向かった。

邦宏は、事務所で新聞でも読んでいるだろうか、

それとも大和がPCを叩いているだろうかと、少しずつ足早になる。

一度呼吸を整えてインターフォンを鳴らすと、聞こえてきたのは大和の声だった。


「比菜です……」

「あ……」


ガチャンと音が聞こえ、インターフォンは切られてしまう。

比菜は言葉にならない出迎えに、大和らしいとどこかおかしくなった。

何秒後かに扉が開き見えた大和の顔は、少しほころんだように思え、

比菜は無事に戻ってきたのだと告げた後、中に入ろうとする。

玄関先には男物のビジネスシューズが揃っていた。


「どなたかいらしてるんですか?」

「あぁ、仕事の依頼で」


背中を見せていたスーツ姿の男性が立ち上がり、比菜の方を向いた。


「あ……」

「比菜……」

「淳平君」


互いに知っている視線と立ち位置に、大和はここに佐波が来た日のことを思い出した。



『最初から、康哉君なんて隠れ蓑なんでしょ。淳平さんと……』



どこかで聞いた気がした『佐々木淳平』という名前が、

大和の記憶の中で、ひとつにまとまった瞬間だった。







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コメント

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あ~、あ~!

ももんたさん、ちょっとお久しぶりになってしまいました。
が!ちゃんと読んでましたから~

『淳平さんと・・』
あ~あ~!私もやっと思い出しました。
大和と一緒に引っ掛かったままの名前でした。。

やっと比菜ちゃん帰ってきて
少しほころんだ大和の顔に
私もほころんだのに
新しい人物登場ですね。

ああ~、気になるなあ~

って、他の人物のことは気にならないのか?!
とは聞かないでください(笑)ちゃんと気にしてますから。。

No title

いつも思うんですけど
書き方うまいですね

No title

こんにちは!!

 靖史はなぜ店を手伝っていて遅れたといえなかったのか?
後ろめたかった?なぜ?
どちらとも決められず気持が中途半端だからか・・・
怪我した親を心配するのは悪いことじゃないし、
陶芸への気持ちもなくなったわけじゃないんでしょうから。ねぇ?

康哉、早く胸張って東京に来れるようになるといいね。

さて、事務所で鉢合わせした比菜ちゃんと淳平・・・そして大和。

比菜ちゃんに気がある(?)みたいな淳平は、これを切っ掛けに行動を起こすのかしら・・

比菜ちゃんが帰って来て、何気にうれしそうな大和ですが
モヤッとした記憶が一致したその胸中は・・複雑かな。

面白くなりそう!  大和、ごめん^_^;

続き楽しみにしています♪♪

    では、また・・・e-463

再会?

靖史は何故遅れた理由を言わなかったのだろう?
亜紀は聞いてもそれを許すだろうし、逆に安心するのでは。
靖史の気持ちの問題か? 陶芸を中途半端にしてると思われるのが嫌だったとか・・・
亜紀の寂しさの訳は?

比菜の決心の固さに母は安心したようですね。
康哉とも笑顔で分かれることが出来て、これで東京で頑張れると、比菜自身も気持ちがスッキリ!
と思ったら・・・何故淳平が?と思うでしょうね。

大和も・・・

ちょっと安心しました(笑)

れいもんさん、こんばんは

>ちゃんと読んでましたから~

ありがとう。ちょっと大和の存在感が薄めなので(笑)、
もしかしたられいもんさん、つまらなくなったかと
思ってましたよ。

これから、大和が出てきますので(って、当たり前ですけど)
見捨てずに、お付き合いくださいませ。

>新しい人物登場ですね。

はい、かき回してもらいましょう!
吉と出るのか、凶と出るのか。

いえいえ……

夜須鬼さん、こんばんは

いえいえ、下手の横好きってだけです。
読み直すと、考え込むものも
あったりしますよ。

靖史の気持ち

mamanさん、こんばんは

>靖史はなぜ店を手伝っていて遅れたといえなかったのか?

そう、言えなかったのです。
頑張ると意気込んで来たのに、気持ちは揺れていて……
さて、こちらの決断はいかに。

>比菜ちゃんに気がある(?)みたいな淳平は、
 これを切っ掛けに行動を起こすのかしら・・

どんなふうになるのか、言えないのですが、
何かが動くことだけは、確かなのです。
大和に任せていると、いつまでも停滞しそうなので(笑)

面白くなるかなぁ……

淳平君、登場

yonyonさん、こんばんは

>亜紀は聞いてもそれを許すだろうし、
 逆に安心するのでは。

一瞬の判断ですからね。まず、遅れたことに申し訳なさもあるし、
亜紀が一人でいたことも、言えなくなった部分かも。
元々、靖史はそんなところがあるわけで。

比菜の驚きと、それを見た大和。
淳平くんの存在が、どう二人を動かすのか、
こちらもよろしくお願いします。

通りすぎません

yokanさん、こんばんは!

>あ?!あの時に出てきた名前だ!
 こんなところで出番がやってきたんだ(笑)

はい、やってきたのです。
通りすがりの人物がいない……私の創作(笑)
まぁ、どうメンバー達をかき回してくれるのかは、
これからわかりますが。

邦宏と穂乃、靖史と亜紀も含めて、
さらに、話しは展開してきますよ!