72 イネの決意 【1】

72 イネの決意 【1】




邦宏は笹本家の前に到着し、インターフォンを押した。

中から現れたのはイネで、停めた車に向かってまっすぐに歩いてくる。


「イネさん、今日は特別? いつもの日じゃないけど」

「そうだよ今日は特別。悪いね急に呼び出して」

「いや、いいんだけど。どこか具合が悪いところでもあるの?」


邦宏は、定期的に頼まれている曜日と違う呼び出しに、

イネの体調がどこか優れないのかと心配した。

イネは体調はいいんだよと笑い、いつものように『フリーワーク』号の後部座席に乗る。


「坂本君、ここへ行って欲しいんだけど」

「何?」


邦宏に手渡されたのはパンフレットで、その内容に驚き動きが止まる。

イネは午前中に戻らないと遥香が帰ってくるからと言い、早く行こうとせかし始めた。


「イネさん、これ穂乃さんは知ってるの?」

「いいんだよ、互いに知らないことがあったって。戻って来たら話すからさ。
ほら早く出発しよう、遅くなるよ」

「うん……」


邦宏は運転席に座ると、もう一度パンフレットの地図を確認し、

ナビに住所を入れるとエンジンをかけた。

笹本家から坂道を下り、大通りに出た後、いつもと逆の方向へ車は走り始める。

『フリーワーク』号の隣りの車線を、大きなトラックがエンジン音を響かせ、

追い抜いていった。


「穂乃がね……。夕食の片づけを楽しそうにするんだよ。
家に戻ってきてからどこか塞ぎがちだったのに、少しずつ前向きに変わって、
仕事を見つけて自立するようになって、それが坂本君のおかげだってことも、
よくわかってる」


邦宏は、自分が夜、穂乃を呼び出していることに、

イネが気付いているのだとそう思った。

カーブを切り、アクセルを踏むと、新興住宅地の中にある大きな道路に出始める。


「イネさん、俺……」

「いいんだよ坂本君。あなたも穂乃も大人なんだから、
互いに納得できるように付き合ってもらえればそれでいい。
いや……あんなに嬉しそうな娘を見るのは、何年ぶりかってくらいで、
むしろ感謝さえしているんだけど……ただね……」


イネは握っていた小さなタオルをじっと見つめ、下を向いた。

邦宏は、そのセリフの後が気になり、バックミラーで顔を確かめようとする。


「あんなわがままな久之も……息子だからね……」


イネにとって見たら、久之も穂乃も同じ子供だった。

邦宏はわかってますと返事をし、さらに坂を上がっていく。


「自分勝手なことを言って、怒鳴ってやろうかと思うときもあるけれど、
あの子もあの子なりに色々と問題を抱えていて、学費のかかる息子が2人、
嫁さんの実家の商売を継いで、自分の代で失敗したと言われたくないんだろう。
そっちの事情が先にたって、妹の気持ちがおろそかになってしまって……」


イネは後部座席から、運転している邦宏の後姿をじっと見る。


「坂本君のように思いやりのある息子だったら、こんな苦労はしないんだろうけど。
出来が悪くても、息子は息子で……だからさ……」


邦宏は何も言わないまま、目的地に向かって車を走らせた。

助手席に置かれたパンフレットには、『担当者 関口さん』とイネの筆跡が記される。


「いい季節だねぇ……暑くもなく、寒くもなく」


気持ちを固めたように見えたイネの表情は、

どこか吹っ切れたような爽やかなものだった。





「終身契約?」

「うん、稲坂にある『サンライズ』ってところだった。
今日は外観を見て、担当者の関口さんって人と話をしていたけど、
イネさんの気持ちは固いように思えて」


邦宏はいつもの場所に車を止めて、穂乃を呼び出した。

イネが連れて行ってくれと頼んだのは、終身契約型の老人ホームで、

この夏に完成されたものだった。30人ほどのお年寄りがそれぞれの部屋を持ち、

食事などは世話をする人がついている。


「よく話を聞いてあげて。僕の方からあれこれ言うわけにはいかなくて。
ただ……イネさんはこうして会っていることも知っていたし、
僕たちが付き合うことにも賛成してくれた。でも……お兄さんのことも気になるようで」


穂乃はイネの気持ちを思い、小さく何度か頷いた。

久之と穂乃の間に挟まれ、イネなりに考えてのことだろうと思うのだが、

まだ、一人立ち出来ない娘の自分が、イネに迷惑をかけ続けている気がして、

目には涙が浮かび、やがて頬をつたう。

邦宏は助手席に座る穂乃を左手でしっかりと抱き寄せ、そっと唇を髪に重ねた。





比菜は小さな鏡の前に淳平がくれた名刺を置き、息を吹きかけた。

軽く押された名刺は、その場にパタンと倒れ、筆跡が見える。



『……康哉より、よっぽどよさそうだったけどな……』



何も知らないくせに、康哉を選んだことを否定したような大和のセリフを思い出し、

比菜はどこか悔しい思いのまま、倒れた名刺を手に取った。

もし、連絡を本当に取ろうと思うのなら、何かしら淳平の方から言ってくればいいはずで、

自分から用もないのに連絡を取る必要はないと考える。


名刺から視線を外し鏡を見ると、口は不満そうに閉じ、

少し眉をしかめ気味の顔が目に入る。

比菜は思い切り口角をあげ、無理矢理笑った顔を作り出した。





邦宏から話しを聞いた次の日、穂乃は学校へ向かう遥香を送り出し、

くつろいでいるイネの部屋へ向かった。

ふすまを軽く叩くと、いつものように返事が聞こえてくる。


「ちょっといい?」

「あぁ、入りなさい」


穂乃は部屋へ入ると、邦宏から聞いたことが本当なのか、

どうしてそんなことをしようとしているのかを、イネに問いかけた。

イネは穂乃の問いかけを聞きながら、大事にしている家族写真を手にとる。


「お父さんが生きていてもきっと、同じようにすると思うから」

「お母さん……」

「穂乃、お前が今一番欲しいものはなんだろうかと母さん考えたんだよ。
仲岡家から戻ってきて、どうなることかと思っていたお前が、
仕事を見つけて前向きに歩こうとしている。その道を助けてやるには、
自由にしてやらなくてはとそう思った」


久之があれこれ言ってきても、何も言わなかったイネだったが、

それなりの葛藤を繰り返しながら、この結論を出したのだと、穂乃に告げていく。


「お兄ちゃん、今はあんなわからないことを言っているけれど、
心の奥底まで腐ってなんていないはずだ。母さんはそう思ってる」

「はい……」


「お前は遥香と暮らせる場所を探しなさい。それくらいの援助なら母さんしてやれる。
でもね……坂本君に頼ってはいけないよ」


邦宏とのことを応援してくれていると思っていたイネの、彼を否定するような言葉に、

穂乃は一瞬戸惑いの表情を見せた。







73 イネの決意 【2】


いつも読んでくれてありがとう!
励ましの1ポチ、よろしくお願いします (^O^)/

コメント

非公開コメント

追いつきました^^;

おはよう^^

イネさん、まさかこうくるとは!
親って、どこまでも子どものことを想うもの。
どの子にも、自分が育てた責任がありますから、なんとかしたいと体が動いてしまう。
愛情の深さが哀しいときもありますね。

イネさんの愛情に、娘と息子はどうこたえるのでしょう (とっても興味津津)
そして「坂本君に頼ってはいけないよ」の意味は・・・

>比菜は小さな鏡の前に淳平がくれた名刺を置き、息を吹きかけた。

この一文、比菜の心そのものだね!
上手いな~^^

No title

    こんにちは!!

 イネさんは子供達のために老人ホームに行くことにしたけど、
穂乃さんと邦宏のことは認めてるんだよね?
「・・・坂本君に頼ってはいけないよ」は自立はしていなさいってこと?

久之は、イネさんの言うとおりだといいんだけど・・・バカな子ほどかわいい?!
老人ホームのこと聞いたらまた一悶着あるんだろうな。
邦宏のことも持ち出して来る(?)よね。

比菜ちゃん、大和に言われてこと気にしまくってますね^m^

どうなるんでしょうね・・・

    では、また・・・e-463

親の思い

稲坂にある『サンライズ』・・イネさんなりに色々考えて出した結論だろうけど
何だかちょっと切ないなぁ

親にとってどの子も可愛いのは同じ事。
久之の事を庇うように話すイネさんの思い
そしてどんな気持ちで老人ホームの事を決めたのか
今の久之にちゃんと伝われば良いけど・・・

>・・坂本君に頼ってはいけないよ
二人が付き合うことに反対するつもりじゃないんだろうけど
誰よりも邦宏が優しい男だってわかってるイネさんだからこそ、この言葉が出たような気がします。

相変わらずの大和と
そんな大和に思わずしかめっ面の比菜ちゃん
この二人もまだまだこれからだね~~


馬鹿な子ほど可愛い

イネの決断が切ないな~
辛い思いをした娘にせめてもの・・・
大きくなったからといっても同じ子供、どちらが可愛いなんて言えない。

邦宏もちゃんとその思いを受け止めなきゃいけない。
穂乃に言ったイネも言葉、金銭的なことかしら?
フリーワークが、それほど儲かる仕事ではないことは分っているのでしょう。

淳平のことより、大和に言われたことが気になる比菜。
いつか『康哉より、淳平よりよっぽど俺の方が・・』って言ってくれるかな?

ウキウキ

なでしこちゃん、こんばんは!

>イネさん、まさかこうくるとは!

そう、まさかなのです。
今まで、久之が何を言ってきても黙っていたイネでしたが、
心の奥底では、色々と考えることがあったようです。

>イネさんの愛情に、娘と息子はどうこたえるのでしょう
 (とっても興味津津)

ありがとう!
どう答えるのかは、これからわかりますよ。
邦宏に対する、言葉の意味もね。

>この一文、比菜の心そのものだね!

うわぁい! ありがとう。
ウキウキと寝られそうです(笑)

イネの想い

mamanさん、こんばんは

>「・・・坂本君に頼ってはいけないよ」は
 自立はしていなさいってこと?

イネにとっては、久之も穂乃も両方子供。
どちらか一方から見ることなど、出来ないんですよね。
さて、言葉の意味は……。それは次回で。

>比菜ちゃん、大和に言われてこと気にしまくってますね^m^

あはは……。全くねぇ、他のペアに比べて、
素直さの足りない二人です。

深い場所

パウワウちゃん、こんばんは!

>久之の事を庇うように話すイネさんの思い

そう、どちらも子供で、どちらもかわいい。
それがイネの本音だと思います。
これだけの決意が、久之に伝わるのかどうか、
それは次回へ。

>この二人もまだまだこれからだね~~

はい、大和との比菜の間にも、
ちょっとした出来事? が起こります。
心の奥底に、気付けるでしょうか。

大和、言えるか?

yonyonさん、こんばんは!

>大きくなったからといっても同じ子供、
 どちらが可愛いなんて言えない。

そうなんですよ。どちらがかわいいかなんて言えません。
それが親心ですよね。

邦宏に対しての言葉、その意味は、
次回でわかります。

>淳平のことより、大和に言われたことが気になる比菜。
 いつか『康哉より、淳平よりよっぽど俺の方が・・』って
 言ってくれるかな?

おぉ! このセリフが言えたら、
このお話は、即終了! になりそうな気がします。
言えるんだろうか(笑)