君に愛を語るとき …… 4 猿芝居

4 猿芝居



柊が律子と会わなくなってから2週間が過ぎていた。

当たり前のように過ごしていた時間が空いてしまい、柊は、毎日研究室に入り浸っている。


韓国行きを控えているのだから、勉強を今のうちにしておくべきだ。

柊はそんなことを思いながら、意味もなく本を読みあさり、過去の資料を引っ張り出す。


「山室、ちょっとこっちに来いよ!」

「あ、先輩。どうですか?」

「ん?」


後輩や、同級生が教授の授業を終え、研究室へ顔を出してくる。

その中には南美もいて、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。


「なんだよ、大騒ぎじゃないか」

「ダーツ大会だって。負けたらおごりらしいぞ」

「……はい、下克上です!」


ダーツの矢を1本手に持ち、投げるマネをする花田。

柊はその仕草を見ながら、少しだけ笑う。


「ごめん。今はいいよ。調べたいこともあるし、まぁ、気が向いたら……」

「なんだよ、山室。近頃付き合い悪いな、お前……」

「悪い……」

「じゃぁ、気が向いたら来て下さいよ」


柊はわかったという返事の代わりに、何度か頷いていた。

気が向いたら……そう言ったものの、そこへ行く気持ちなど、全くない。

いつもなら一緒に盛りあがってやる仲間達とも、どこか距離を置いていた。



『ねぇ、山室さんも投げて! 工学部でしょ?
きっと緻密な計算で上手なんじゃないのかな』



柊は、律子が入院していた時、部屋の人達と遊んでいたダーツを思い出していた。

彼女はどんな時でも、周りに気を使い、辛さや寂しさを顔に出したりしなかった。

それに比べて自分は、コントロール出来ない未熟な感情を、一人もてあましている。



『全く……子供だな……』



いつになったら、彼女のことを吹っ切ることが出来るのだろう。


初めて泣いた姿を見た時、ひとりにしてはおけないと思った柊は、

無意識に律子を抱きしめていた。しかし、彼女には彼がいて、

しっかりと支えてくれることを約束してくれた。


もう、律子の横に、自分の居場所はない……。


そんなことを考えていると、部屋の入り口に寄りかかり、

こっちを向いている南美と目があった。


「柊!」


南美は当たり前のようにそう呼んだ。


「そう呼ぶなと言ってるだろ!」


すぐに膨れた顔をして、柊から視線を外す南美。


「無理よそんなの。だって、私がここの学生になる前から、そう呼んでいたんだもの。
お兄ちゃんが友達だって紹介してくれてから……」

「あのな、南美。状況によって呼び方を変えたりするのは、
社会人としては当然のことなんだぞ。お前、友達が自分の上司にでもなった時に、
呼びすてして付き合うつもりかよ」


読んでもいない本に、視線を落とす柊。


「友達に出世で負けるようなドジは踏まないもん……」


どこまでも勝ち気で、それでいて正直な南美がそこにいた。

柊は何も言い返さず本を読むふりをする。


「ねぇ、もう行かなくなったの?」

「どこへ?」

「あの事故の人のところ……」


柊は、行かなくなったのではなく、行けなくなったのだ。そう心で思いながら黙っている。


「よかったね、自由になって……」


自由になって……。まるで律子に柊がしばられていたかのような南美の言い方に、

つい南美を睨み付けてしまう。


「そういう言い方はよせよ。別に彼女に強制されてた訳じゃないんだ」

「……」

「彼女には彼がいて、自分がそばにいるから……そう言われた。それ以上、
僕がウロウロすべきじゃないだろう。だから行くのをやめた。それだけだ……」


柊はそう南美に説明しながら、手に持ったボールペンを何度もカチカチさせる。



『いい加減に頭を切り換えろ』



そう自分自身に言い聞かせるように……。


「ねぇ、柊。彼女のこと、好きだったわけじゃないよね」


柊は席を立ち、本棚に本を戻していた。少しずれている本も、ついでに並べ直していく。



『僕は彼女が好きだった……』



隠すことでもない……。そう思った柊は、南美に言おうと振り返る。

その時、南美の目から、ポロッと涙がこぼれ落ちるのが見えた。


柊は結局、そのひと言を言い出せないまま、南美の横を通り過ぎ、

教授の部屋を出て行った。





「はい、今日は終了」

「ありがとうございました」


律子は、その日もいつものようにリハビリを受け、足につけた小さなおもりを外していた。

担当の横山先生は、首を左右に動かすと、律子に問いかける。


「ねぇ、山室君どうしたの? 近頃、顔見せないけど」


律子は黙ったまま、タオルで汗を拭く。横山先生は、答えない律子を見ながら、

窓の前に立った。


「試験とか何かで忙しいの?」

「……もう、先生。山室さんは来ないと思います。これ以上私も頼るべきじゃないし、
責任もないのに、ここへ来てもらうのも……」


律子はそう言うと、自分の荷物を取り、着替えに向かおうとする。


「責任? そうかなぁ……。彼、結構楽しそうだったけど?」

「……エ?」

「りっちゃんのリハビリの様子を見ながら、先生、あの動きはなんのためにするんですか?
って質問されて。じゃぁ、当ててごらんなんて、私も結構喜んでたんだけど……」


そう言っていた時の、柊の顔を思いだしているように、微笑む横山先生。


「5月か……。いい季節だ……」

「そうですね……」

「色々なことを始めるのには、とてもいい季節だと思うんだけど……」


横山先生は、そう言うとリハビリ室の窓を開けた。夕方の風が中へ入り、

律子の頬に触れていく。


「りっちゃん。ほら、いい風でしょ? 見ているだけじゃ風は感じられない。
窓を開けて、前に立たなくちゃ」

「……」

「心の窓も開けてあげると、きっと心地よい風が吹くと思うよ……」


その横山先生の言葉を聞いた律子は、風の行き先を追うように、

柊と二人で座っていた廊下のベンチを見た。


そこには、誰かに忘れられたタオルが、1枚だけ残されていた。





「おい……柊」

「……ん?」


それから3日後、柊は健介を誘い、居酒屋で飲んでいた。

金曜の夜だけあって、サラリーマンたちで店内は混んでいる。仕事を終え、

疲れを癒やそうと酒を飲んでいる人達の中で、自ら誘いながら、酒が減っていかない柊。


「南美から聞いたよ。あの子のところに行かなくなったんだってな」

「……あぁ……」


健介はビールのグラスを柊に渡し、少しは飲め……と合図する。

仕方なく、口をつけ、またすぐに下へ置く。


「柊、お前、もしかしたら本気で惚れてたのか?」

「……」

「お前、真面目だからさ。こうなるんじゃないかって心配してた」

「……惚れてたよ。でも、彼氏が出てきて、何も言えないままだったけどな」


健介は、自分のグラスにビールをついでいく。


「よかったんだぞ、これで……」

「エ?」

「男と女の出会いなんて、半々じゃないとうまくいかないよ。お前にとってあの事故は、
忘れないといけないことで、引きずられていいことなんてないんだからさ」


柊は姿勢を崩し、壁に寄りかかった。健介の言う言葉に、うなずく気にはなれない。


「半々ってなんだよ」


健介の意見に納得がいかない柊は、『半々』の意味を問い返す。


「どっちも空の状態のままで向かい合うってことだよ。彼女とお前じゃ、
お前が絶対に不利だ」

「不利?」

「あぁ……。自分が彼女の足を傷つけたって、見る度に思う。それじゃ、始めはよくても、
だんだん辛くなるぞ。それにそんな男のことを、周りが認めないだろ」

「周りか……」


柊の脳裏に、律子の父親の顔がよみがえる。彼女を見舞いに訪れた時、

ものすごい剣幕で、何度追い返されたことか。


「悪いことは言わない。もう忘れろって。放り出すわけじゃないんだ。
彼がいたんだからさ……」


柊は一度大きく深呼吸すると、一気にグラスを空け始めた。

健介が驚くようなペースで、どんどん飲み進めていく。


「そうだよな。ちゃんと守ってくれる男がいたんだ。
僕がいくら彼女の側にいたいと思っても、向こうがイヤだって言うんだからさ。
もう、忘れないと……」


健介は、一人で酒を飲んでいく柊を、じっと見つめながらこう言った。


「そうだよ。お前なら、また出会いもあるさ。南美を頼むなんて、もう言わないから」

「……」

「あいつには、お前のことは諦めろって、そう言うよ……」


健介の妹、南美。妹としてしか見られない、かわいい後輩。


「ごめんな、健介……」

「バカ、謝るなよ!」


柊は下を向き、頷いていた。





「もう一軒! 行くぞ!」

「おい……柊。お前酔ってるぞ。今日はもうやめよう」


あのまま酒を飲み続け、柊は店を出た。夜風が気持ちよく頬に当たり、気分もいい。


「健介! ほら……」


柊は空を見上げながら、フラフラと歩き出していた。

反対に向かうカップルの男と、肩が触れる。


「あ、すみません……」

「いえ……」


その男は背が高く、体型もがっちりとしていた。

柊はどこかで会った気がして、もう一度男の方を向く。


「ねぇ、和成……。明日は会えないの?」

「敦子、無理言うなよ……」


和成……。その男は、律子の病院で会ったあの男だった。

半年前から付き合っていますと自分の前で宣言した男が、別の女と歩いている。

柊の酔いは一気に覚め、見失わないように、そのカップルを追い始めた。



『はい、彼です……』



確かに彼女はそう言った。



『律子には僕がいますから……』



確かにこの男もそう言った。だからこそ、自分の気持ちを押さえ込もうと、

無理してここで酒を飲んでいたのに。目の前の二人は笑顔で腕を組み、耳元で語り合い、

嬉しそうに頬を寄せる。その友達関係には見えない二人の仕草に、

柊はますますイライラが募っていく。


手を伸ばせば届く距離になった時、柊の気持ちはついに爆発した。


「おい! お前! 何してるんだよ、ここで!」


振り返った和成は、柊の顔を見て表情をこわばらせた。

逃げようとする和成の胸ぐらをつかみあげ、柊は怒鳴り続ける。


「お前が言ったんだろ! そばにいますって。なんだよ、何してるんだよ!」


柊の声に、通行人たちが歩みを止め、周りを囲み始める。


「なんでこんなところにいるんだ。そばにいますって言ったんだろうが!」

「……あ、あの……」


柊の怒りはおさまらず、和成が逃げようとする度に、

さらにつかみあげた手に力が入っていく。


「何よ、この男! ちょっと離しなさいよ……和成、なんなのよ!」


和成をかばおうとする女は、柊の腕を必死でつかむ。



『はい、彼です……』



そう彼女が言ったこの男を、他の女が必死にかばっている……。

柊は女の手を右手で払い、さらに和成を睨み付けた。



『彼女は、こんなお前を信じてるのか……』



「……す、すみません……」


柊が右手を振り上げた時、追い掛けてきた健介が、その右手を押さえ込む。


「柊! 何してるんだ! よせ!」

「離せよ健介……。この男……」


柊は右手を押さえる健介を振り払おうと、和成から手を離した。


「……す、すみません、あれは芝居なんです! 
僕は律子と付き合っているわけじゃありません」


芝居なんです……。柊はその言葉を聞いた瞬間、動けなくなっていた。


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二人の恋の行方は……

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