88 重なる時間

88 重なる時間




比菜が大と遊んでいると、出掛けていた邦宏が事務所に戻ってきた。

椅子に座り大きく息を吐き、目を閉じる。

比菜は何か飲み物でも用意しようかと立ち上がり、何も知らない大は、

遊んでもらえると思うのか、邦宏に近づき手を伸ばした。


「お……大。お前大和がいないと俺に来るんだな。
ちゃっかりしてるよ、さすがアリスの子だ」

「大ちゃん、こっちにおいで」

「いいよ、長瀬さん」


邦宏は大を抱き上げ、落ちていたおもちゃを拾った。大は嬉しそうに声を出し、

デスクの上にある『たこやきクッキー』に手を伸ばす。


「なんだお前。クッキーを取るためにこっちへ来たんだな。まぁいいか」


邦宏は『たこやきクッキー』の袋を取り、大に握らせた。

大はその袋をテーブルにぶつけてしまい、クッキーは中で割れてしまう。


「『たこやきクッキー』かぁ。さすが大阪。色々なものが売ってるんだな。
なぁ、長瀬さん。大和、お母さんと話せたんだろ」

「あ……はい。なんだかいざ目の前にしたら、強いことが言えなかったって」

「そう……」


比菜は大の手からクッキーの袋を取り、ティッシュを1枚引いたその上に、

中身を出していく。


「高杉のお母さんが色々してくれたこととか、美帆ちゃんのこととか、
そんなことばっかり思い出したって……」

「ふーん……。長瀬さんにはしっかり報告してるんだ、あいつ」

「あ……」


比菜は、大和が邦宏に何も知らせていなかったのだと気づき、

あの夜の出来事が知られてしまった気がして、思わず下を向く。


「ようやく巣立ってくれた気分だな。大和も、靖史も」

「……巣立ち?」

「あぁ。これで自分のことだけ考えられそうだ」


邦宏はそう言うと笑い、大を下におろした。

自由になった大は、また、いたずらできそうなものを探しに歩き出す。


「頼むね、大和のこと」


比菜はその言葉に、どう答えていいかがわからずに、すぐ返事が出来なかった。

邦宏は新聞に手を伸ばし、また椅子に座る。


「心の中を語れる人がいるっていうのは、いいことだよ。
あいつは今までそれが出来なかった。出来ないまま、あれこれ抱え込んで。
でも、大阪から戻った大和は、何か吹っ切れたみたいに見える」


比菜がその返事をしようと思ったとき、玄関のインターフォンが鳴り、

信恵が姿を見せた。両手に紙袋を下げそのまま中へ入ると、まずは大を抱き上げる。


「あ……邦ちゃん。久しぶり!」

「おう! 久しぶり! お前、それにしてもよく買うな」

「買い物は女のストレス解消だもの。いいじゃない、自分で稼いでいるんだから。
貢がせてるんじゃないもの。ねぇ、邦ちゃん。タクシー呼んでくれない?」

「は? お前、バーゲンに行って、タクシーで帰るのか?」


信恵は足が痛くて、とても電車では帰れないのだと、

ストッキングの下で赤くなっている部分に触れ、大げさに言い出した。


「全く……ほら、送ってやるよ」

「エ! 本当? 邦ちゃん嬉しい、ありがとう。じゃぁさ、
料金はタクシーの半分でいい?」

「いいよ、そんなもの」


邦宏は『フリーワーク』号の鍵を取り、信恵が持ってきた荷物をまとめて肩にかけた。

信恵は大を預けた料金を比菜に支払い、書類にサインをする。


「だめだめ、ちゃんと料金は取ってね。部屋に送ってもらった後、
体で返せって言われたら、断れなくなるじゃない」

「……そんなこと言うか!」


比菜は信恵らしいジョークだと笑顔になり、信恵も比菜に向かって舌を軽く出す。

何もわからない大は、信恵のスカートの裾をつかみ、顔をこすりつけた。

『フリーワーク』号のエンジン音が聞こえ、3人が事務所を出て行くと、

にぎやかだった部屋が一気に静かになる。

その音が遠ざかっていくのを確認し、比菜は大がいたため、

上げていた大和のPCや、動かした机を元に戻した。

今日は『とんかつ吉田』へ行く日でもなかったため、

比菜は少し汚れの気になったキッチンのシンクを磨こうと、バケツを準備する。

時計の針が次の時刻をさしてからしばらくして、事務所のドアノブが動き、

大和が姿を見せた。


「お帰りなさい」

「あぁ……。邦宏は?」

「15分くらい前に、信恵さんたちを送るために出て行きました。
しばらくしたら戻るんじゃないですかね」

「ふーん」


大和はPCを立ち上げ、仕事の終了を打ち込んだ。

違う場所で作業を頼んだ学生たちからも、終了のメールが届いている。

明日の最終確認をするために、予定メンバーへメールを送信し、

さらに持ち帰った現金封筒をバッグから取り出し前を見ると、

比菜はまだ丁寧に流しを磨いていた。


「今日は靖史のところじゃないんだ」

「あ……はい。昨日、ちょっと予約が入って、今日の出と変わったんです。
今日の夜は町内会の集まりがあるとかで、臨時でお休みにするみたいですよ」

「ふーん……」


大和は作業する比菜を時々見ながら、明日の準備を進めた。

その間に比菜は流しの掃除を終え、そのまま洗面台へと向かう。

カシャカシャとブラシが動く音が聞こえ、その音を聞きながら、

携帯で時間を確認すると、残り10分ほどで、夕方の6時になるところだった。


「なぁ……」

「はい」


比菜は雑巾を固く絞り、流した場所を丁寧に拭いた。

曇っていたガラスはまた輝きを取り戻す。


「……食事にでも行くか?」


その言葉に、雑巾を動かしていた比菜の手が止まり、

綺麗になった鏡に自分の顔を写し、軽く微笑んでみる。


「はい!」


大和は、その比菜の返事を受け取りながら、自然に顔がほころんだ。





邦宏が信恵たちを送り届け、事務所に戻ると、比菜の姿はなかった。

流しは綺麗に片付き、動いていた机も元に戻っている。

大和のPCの電源は落ちていたが、隣には打ち込みを終了した書類が

残されたままになっていて、ここへ戻ってきたけれど、

もうすでに出て行ったのだと気づく。


ファイルを手に取ると、その下には比菜の名前で記入された書類が重なっていた。

邦宏は前に進みだした二人のファイルを重ね棚に戻すと、

そのまま事務所を出て行った。







89 再会


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コメント

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邦宏、お疲れさま♪

大和の巣立ち。。ホントそうですね。
邦宏にしか言えなかったようなことも
これからは、比菜ちゃんに聞いてもらうんだろうなあ~

>「……食事にでも行くか?」
 「はい!」
ふふ♪いい感じです*^^*

最後の辺り、邦宏は鋭いなあ~

ももんたさん、描写が細かいから
大ちゃんと邦宏、比菜ちゃん、3人の動きが目に見えるようですよ。

Re: 88 重なる時間

大和の変化、比菜の変化、邦宏にはどちらも微笑ましく、嬉しいものでしょう。

反対の方向から向かい合って近づいて、重なって同じ方向に向かう。自然に手をとりえたる。
貴恵では出来なかったこと・・・・

邦宏の方の荷が一つ下りたかな?

これからは

れいもんさん、こんばんは!

>邦宏にしか言えなかったようなことも
 これからは、比菜ちゃんに聞いてもらうんだろうなあ~

あはは……なんだか気持ちが入っている気がする(笑)
そうそう、そうなんだろうね、比菜に語ると思いますよ。

描写が細かいだなんて、ありがとうございます。
まだまだ足りないなと思うことばかりなので、
ちょっと落ち込んでみたり、なんだりかんだりの日々です。

あと3話、最後まで大和を見てやってね!

仲間

yonyonさん、こんばんは!

>大和の変化、比菜の変化、邦宏にはどちらも微笑ましく、
 嬉しいものでしょう。

だと思います。飛び込んできた比菜と、それに否定的だった大和ですからね。
でも、邦宏の気持ちの中で、どこか、もしかしたら……の思いは、持っていた気がします。

靖史のこと、大和のこと、
そう、肩の荷は、少し下りたんじゃないかな(笑)

彼が社長です!

yokanさん、こんばんは!

>邦宏君がこのまま去っていきそうな気がして・・・(TT)

うぅ……優しいな、yokanさん、
でも大丈夫です。そうなると、残り3話じゃ無理だし(笑)

大和と比菜のこれからを、ちゃんと見てやらないと、
またケンカしてプン! じゃ、困るしね。

そのまま行くと、いいんだけど……うん。

Re: 88 重なる時間

大阪から戻って、何か吹っ切れたような大和、

学生の頃からずっと一人でいろんなものを抱えていた大和を見てきた邦宏には
この変化は本当に嬉しいだろうなぁ~

おまけにその相手が比菜ちゃんだしね!

重なった二人の書類でピンときちゃう
鋭い邦宏、さすがだね^^

大和と比菜ちゃん、今日は憎まれ口ばっかりじゃなくて
二人だけの時間をゆっくり楽しんでおいでよ~~♪


ありがとう

パウワウちゃん、こんばんは!
すぐにお返事です(笑)

>学生の頃からずっと一人でいろんなものを抱えていた
 大和を見てきた邦宏には

そう、そうなんだよね、邦宏は大和の本当のところを
知っていただけに、思いもあったはず。
もっとうまく生きたらいいのにってことも、
考えたりしたはずなんだけど、
でも、黙って応援し続けた、いい友達です。

さて、すぐに口ゲンカの大和と比菜ですが、
今日はどんな日になるのか……は、
次回へ続きます。

Re: 88 重なる時間

こんにちは!!

邦宏親鳥?

二人の雛鳥の巣立ちが嬉しくもあり、寂しくもあり?・・・寂しくはないかぁ(笑)

自分のことに集中出来ると思うのは、甘いんじゃないの?

きっと邦宏のところに、駆け込んでくるよ・・・みんな\(゜ロ\)(/ロ゜)/

どうしたらいいんだ、とか
聞いてください!とか
あいつは何怒ってんだ?とかさ・・・

プププ・・・

大和と比菜ちゃん、初デートなんだから
何事もなく楽しめますように・・・祈ります。


    では、また・・・e-463