君に愛を語るとき …… 6 風

6 風



「僕が……憎いですか?」


思いもよらなかった言葉に、律子は驚いた表情で柊を見た。

柊は律子の方を向いたまま、話し続ける。


「君の足を傷つけた男に、そばにいてほしくないと言うなら、諦めるしかないけど……」



『りっちゃん。ほら、いい風でしょ? 見ているだけじゃ風は感じられない。
窓を開けて、前に立たなくちゃ』



リハビリ室で聞いた横山先生の言葉が、律子の頭の中をよぎっていく。


「まぁ、憎くて……当然だよね」


柊は寂しそうにそうつぶやき下を向いた。


「……憎いだなんて……」


そんな柊の姿に、律子は心が締め付けられそうになりながら、小さな声でそう答える。


「憎いだなんて……そんな……」


そんな気持ちにさせたかったわけじゃないんです。律子はそう思いながら柊を見た。

柊は、下を向いたままこう聞き返してくる。


「だったら、教えてくれないか? 僕はどうすればいいのか」

「……」

「このまま、そばにいたいと思っていていいのか」


律子は首にかけていたタオルで、目を何度も押さえていた。

また、二人の間に沈黙の時が、刻まれていく。



『心の窓も開けてあげると、きっと心地よい風が吹くと思うよ……』



あの時感じた風を、律子は思い返すように目を閉じる。


「……怖かったんです」

「……エ?」

「山室さんを、探している自分が怖かったんです。
来てくれないからって、いつのまにか大学に行っていた自分が怖かった。
あなたにもう来られないって言われる前に、早く離れなきゃって」

「……」

「……憎いだなんて、一度も思ったことはありません」


一生懸命に気持ちを語ろうとしている律子。笑顔を作る余裕もない、彼女の顔を、

柊はじっと見つめていた。その言葉を聞き、安心したように少し大きく呼吸する。


「信じていいよね、それは芝居じゃないんだって」


声を出そうとすると泣き出しそうで、律子は首を小さく動かし返事をした。


「始めから僕に気を使うことなんてないのに……」


柊は、少し笑いながらそう言った。律子はタオルで目を押さえたまま、柊の方を向く。


「山室さん。本当に、私なんかでいいんですか?」

「……エ?」


柊にとって自分は、忘れてしまいたい存在なのだろうと思っていた律子は、

不安な顔をしたまま、赤くなった目で何度か瞬きをする。


「山室さんが私を見て、辛い気持ちにならないのなら……」

「……」

「私はすごく嬉しいです……」


そう言った律子の顔は、決して忘れない……。柊はそう思っていた。

飾ることなく、自分に想いを伝えてくる。柊の目には、そんな律子だけが映っていた。


「ありがとう……」


柊のその言葉に、一度だけ小さく頷く律子。

二人の心に5月の心地よい風が吹き、初めて分かり合えた瞬間だった。





それから柊の毎日は、順調に回り出していく。

天気のいい日曜日、二人は駅で待ち合わせをした。


「公園?」

「そう。サンドイッチでも買って、お日様の下で食べませんか?」


外の空気を吸うのが好きだという律子。

それぞれの昼食を買い込み、ゆっくりと歩いていく。


「うん……いい季節ですよね、5月って。横山先生がね、何かを始めるには
いい季節だって、そう言っていたけど、本当だ……。木も花も空も元気って感じがする」

「うん……」


こんなデートはあまりにも久し振りで、柊は少し照れくさいような気分だった。

二人が向かった公園には、ひなたぼっこをしたり、子供と遊ぶなど、

それぞれの時間を楽しんでいる人達がいる。

柊と律子は、陽当たりのいい場所にある、ベンチに腰かけた。


「韓国から戻ってきたら、一緒に遊園地へ行きましょう、山室さん」

「遊園地へ? 足は? 大変じゃないの?」


遊園地は歩く距離も多い。柊はそんなことを心配し、律子に問いかける。

少し頬を膨らませ、律子は首を横に振った。


「山室さんと会うのが、いつもリハビリ室ばかりだったから、
そんなふうに言われちゃうんですね。私、大学だって通っているし、
友達とだって出かけてますよ。病人扱いは、そろそろやめてほしいな……」

「……ごめん、律子……」


柊は告白をしてから、彼女のことを名前で呼ぶようになった。

その変化を自然に受け入れ、返事をする律子。



『君は僕の大切な人だ……』



柊は名前を呼ぶことで、そんな気持ちが伝わればいい……そう思っていた。律子にも。

そして、周りを歩く男達にも……。


「山室さん、ジェットコースター乗れますか?」

「……あんまり好きじゃないな」

「エ? どうして?」


あんなに楽しいものを信じられない……という表情で、律子は柊を見る。

そんな反応を示す律子がかわいく見え、柊は思わず口元がゆるむ。


「僕にとって、ジェットコースターは造るものだよ。だって……」

「また、難しい話だ」

「……いや、しないよ。律子は嫌いだろ、そういう話」


先日したコンクリートの話。内容についていけずに、

律子がポカンとしていたことを思い出す。


「数学頭じゃないんです、私」

「数学頭?」


彼女のとんちんかんなセリフに、不思議な気持ちで問い返す柊。


「世の中には、数字を上手く操れる人と、出来ない人がいるんですよ。
山室さんは出来る人で、私は出来ない人……なんです」

「おもしろい例えだな、それ……」

「人には向き、不向きがあるんです。でも、得意分野は別の方がいいでしょ?
互いにフォロー出来るから。あ……ほら、見て。あの犬、なんて種類でしょうか」


律子が指を差した方向には、少し年配の女性と歩いていく、

毛の色がグレーと白の犬がいた。口元の毛は少し長めで、まるでひげのように見える。

どこかで見たような気はする柊だったが、名前までは出てこない。


「わからないけど……」


その答えを聞き、当然とばかりに律子は満足そうに頷いている。


「……正解は、シュナウザーです! スタンダードかな、それともミニチュアかな?」

「……」

「ねぇ、山室さん。今、私のことすごいなぁ……って思いませんでした? 
ほら、得意分野は別の方がいいでしょ?」


そう言って笑う律子を見ながら、柊もまた笑顔になる。


「よし、じゃぁ約束ですよ。帰国後最初のデートは遊園地! ね、山室さん!」


相変わらず律子は柊を『山室さん』と呼んでいた。それをあえて変えようとはせず、

受け入れていく柊。自分が思うほどの気持ちは、まだ律子にはないのかもしれない。


それでも、少しずつ……距離が近づけばそれでいい……。


そう思いながらも柊は、まだ触れたことのない彼女の唇をつい見てしまう。

その視線に気付いたのか、律子は立ち上がり大きく伸びをした。


「韓国行きの出発って、何時ですか?」

「……あぁ、11時。教授がどうしても出ないといけない会議が終わってからなんだ」

「そうですか。その時間じゃちょっと無理だな」


太陽と律子が重なり、眩しさに目を細める柊。


「一緒の大学なら、いってらっしゃいって言えるのに」

「いいよ、そんなこと……」


やっと向かい合えた律子と、離れるのが少し寂しい気もする柊。

たんぽぽを手に取り、律子は綿毛をふぅ……っと吹いた。風に乗り、種が流されていく。


「律子は、ちゃんと授業を受けて、リハビリしてくれたらそれでいいよ」

「……はい!」


ふざけた敬礼をしながら、彼女は嬉しそうに微笑んでいた。





いよいよ韓国行きが迫った前日の午後、持って行く資料をまとめている柊の前に、

南美が現れた。


「荷物まとまったの?」

「うん、だいたいな……」


律子がここへ来たことを、言わなかったのは南美だろう。

柊はそう思っていたが、あえて責めることはしなかった。

南美は、南美なりに、自分のことを思ってくれていたのだから。


「お兄ちゃんに言われた。柊のことは諦めろって……」


柊は一度荷造りの手を止めたが、またすぐに動き始める。


「あの人のことが、好きなんでしょ?」


律子のことを決して名前で言わない南美。そんなところが……らしいのだが。


「うん。彼女が好きだよ。側にいたいと思ってる。これからも……」

「……」

「ごめんな……南美……」


南美は何も言わずに、研究室を出て行った。その後ろ姿は寂しそうだったが、

余計なフォローをしない方がいいのだろうと、柊はそのまま黙っていた。





そして、韓国に出発する日。柊は、辻教授の荷物と自分の荷物を

タクシーのトランクに詰めていく。何名かの後輩や同級生が、

二人を送るために工学部の入り口に集まってきた。


「じゃぁお前達、しっかり勉強しておけよ!」

「……寂しいです、教授がいないのは……あはは……」

「なんでそこで笑うんだ!」


タクシーのドアが開き、教授が先に乗り込んでいった。柊はその隣に座り、窓を開ける。


「山室、土産頼むぞ!」

「……ったく、要求だけかよ!」


そんな学生達の声に送り出されるように、タクシーは走り出した。

学校の門を通り一般道へ出た車は、スピードを上げ始める。


その瞬間、柊はすれ違った女性が一瞬気になり、横を向き確かめようとした。



『山室さん!』



そう呼ばれた気がして、さらに首を後ろへ動かしていく。


その女性は律子だった。タクシーの柊を今にも追いかけてきそうな律子の姿に、

柊は慌てて大きな声を出す。


「止めて! 止めてください!」

「山室……」


慌ててブレーキをかけたタクシー。柊はドアをガチャガチャと動かし、早く出ようとする。



『律子……走るな、走ったらダメだって……』



そう心で叫びながら、彼女の方へ向かっていく。律子は走れない……。

膝がうまく動かないため、走るとすぐに転んでしまう。

それでもこっちへ向かおうとした彼女が、4、5歩進んだところで、

右足の方向へ崩れていくのが見えた。


学生をよけながら、姿の消えた律子を捜す柊。

見つけた彼女は、右足を押さえ、恥ずかしそうに立ち上がろうとする。


「なんで走るんだ……。走っちゃダメだって言われてるだろ!」

「……山室さん」


柊は自分の左手で、すぐに律子の右足に触れる。


「足は……」

「大丈夫です。私、走れないこと忘れてた。タクシーとすれ違って、
追いかけなくちゃって……無意識に。……まだ、気持ちだけ陸上部なのかな」


心配そうな顔をしている柊を、微笑みながら見つめる律子は、

少し息があがり、肩も上下に動いていた。


「今朝、急に休講になったんです。これなら間に合うって家を出たんだけど、
よくばってお守りをもらって行こうなんて思っていたら、遅くなっちゃった。
私、数学頭じゃないから、時間の計算も出来ないみたい。遅刻です」


ここへ来るにも、律子なりに急いでいたのだろう。柊はそう思いながら、

足に触れていた手を離す。律子は立ち上がり、服についていた汚れを軽く払う。

そして、手に持っていた小さな袋を柊に差し出した。柊はその袋を受け取り中を見る。


小さなお守り袋と、薬の箱。


「水が変わると、お腹をこわす人が多いって聞いたから。ごめんなさい、こんなところで。
もっと早く渡せばよかったんだけど、急に昨日、寝る前にそう思って……。
私、山室さんにはいつもお世話になってばかりで、何も……」


学生がいるのはわかっていた。柊は自分の手を握りしめる。



『こんな場所で……。そう思われても構わない』



「お守りなのに……。転ぶような私が持ってきたのじゃ、意味ないな」


その言葉を聞き、返事もしないまま、柊は律子を抱きしめた。

髪の毛の香りが、柊の鼻にふわっと届く。


このまましばらく時間が止まって欲しい。柊はそう思いながら、さらに腕に力を込めた。



『律子……早く、僕の気持ちに追いついてくれないか……』



柊はただそう思いながら、彼女の息づかいを聞いていた。

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二人の恋の行方は……

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