90 時刻み

90 時刻み




月明かりの下を、大和と比菜は事務所に向かって歩いた。

比菜は、書類だけを戻すのなら、自分がやっておこうかと提案したが、

大和は無くされると困ると言いながら、途中の駅で降りることなく戻ってくる。

素直に送ると言えばいいものの、それが言えないのが大和なのだと、

比菜は歩きながらどこかおかしくなる。


「何、笑ってるんだよ」

「何がって、楽しいからです」


曲がり角を過ぎると、事務所のあるマンションは目の前だった。

比菜は、二人で並んでいられる時間が終わりに近づくのだと、

ほんの少しだけ歩みを遅くしてみたが、そんな気持ちに気づかないのか、

大和はマイペースに進んでいく。


「結婚するんだって、夏に」

「エ……」

「さっきそう聞いたんだ。そうなんだ……って言って、
本当によかったなってそう思った」


比菜は少し前を歩く大和に早足で追いつき、表情を見た。

のぞき込むような比菜の視線に、大和は目を合わせてくる。


「お前のおかげだ」

「……私?」


二人はマンションの何段かの階段を上がると、事務所の前についた。

大和はポケットに入れてあった鍵を取り出し、鍵穴に入れる。


「知らないうちに、背中を押されていた気がする。大阪でも、それに……今日も。
母さんにも貴恵にも、心の底から『幸せになってくれてよかった』って、そう思えた。
気が付くと、ボーッとしているお前が前にいて……」


大和が事務所の扉を開いたので、比菜はバッグの中に手を入れ、箱を取り出そうとした。

すると、同じマンションに住む男性が目の前に現れ、

何度か見かけたことのある比菜に向かって、挨拶をする。

比菜は箱から手を離し、すぐにこんばんはと頭を下げた。


「じゃ、おや……」


大和は、比菜の後ろ姿に、おやすみなさいと言いかけたが、

比菜は階段を上がるでもなく、何か言いたそうに見えた。

大和は玄関に入り、廊下にあるスイッチで、電気をつける。

ここが別れの時間にしたくないという気持ちは、大和の中にも確かに存在し、

その想いを素直に口にした。


「コーヒーでも、飲むか」

「……うん」


比菜は、扉を開けた大和の横を通り、事務所の中へ入った。

外の風が頬を当たる間は感じなかったが、部屋の中にいると、少し鼓動が速まり、

あらためてここにいるのは自分たちだけだと、教えてくる。


比菜はバッグを床に置き、カップを取り出しコーヒーの準備をし始め、

大和はいつもの場所に座り、書類をしまうとPCを立ち上げた。

比菜が小さなやかんを火にかけ、保育予定の一覧表を棚から取り出すと、

大和は、張り付いている付箋の意味を問いかけた。


「この日、1時間だけ子供が二人になるんです。
キャンセルが入ったから別の子を受けたんですけど、
キャンセルした子供もまた、預かってほしいと言い出して……。
急なことって、なかなか受けてもらえないみたいなんですよ。
みなさん、おじいちゃんとかおばあちゃんとか近くにいないし、大変そうで……つい……」


大和はその書類を見た後、自分の横に置いてあるカレンダーを確認した。

比菜はやかんの音に気づき、席を立つ。


「今回は仕方がないけれど、これからは重なるようなことは避けておけよ。
もし、何かがあったら、こういったサービスが出来なくなるかもしれないんだ。
断ることは難しいかもしれないけれど、出来なくなったんじゃ、もっと問題だろ」

「そうですね」


比菜はカップの中にコーヒーを入れ、そこにお湯を注ぎだした。

つい、なんとかしたくなり、予定外のことをすることはいけないことだと

そういえば邦宏から、最初に言われたことを思い出す。


「そうだった……。一番最初に、坂本さんに怒られたはずなのに、
私……何も進歩してませんね」

「いいよ、その日は俺、ここにいるから」


比菜は、その言葉にやかんを持ったまま大和の方を見た。

PC画面を見ながら、とりあえず誰かがもう一人いれば安心できるだろうと

付け足していく。


「すみません」


比菜の言葉に、大和は黙ったままキーボードを叩いていく。

インスタントコーヒーの香りが、目の前に置かれたカップから漂い出した。


「これ……」


比菜は床に置いたバッグから、小さな箱を取り出した。

大和はその包装紙に気付き、すぐに比菜の顔を見る。


「高杉さんを待っている時、ちょうどお店が目に入ったんです。
ちょっとのぞこうと思って中に入ったら、この時計が並んでました」


比菜は左腕につけた時計の文字盤を、大和の方に向けた。大和は包装紙を取り、

小さな箱を開ける。そこには色違いの時計が、しっかりと時を刻んでいた。


「高杉さんも、動き始めた時間を、大切にしてください」


大和は少し照れたような顔をしたまま、その時計の文字盤をもう一度見た。

すぐ横に座っている比菜の手を取り、2つの時計を並べて見る。


「秒針まで同じように動いてるんだな、これ」

「ちゃんとお店の人に、合わせてもらったんです」


長針と短針の間を、しっかりと回っていく秒針が、

ダンスを踊るように同じ円を描いていく。

上から下へ、そして下から上へ向かうと、少しだけ長針が動いた。


じっと見ていても、何も変わることのない動きだが、

大和も比菜もその針の動きをただ見つめ、

それぞれの時計がしっかりと動いていることを確認する。

過去の傷にどこか乱れた時を動かしていた日々は、もう彼方に消えていた。


「ありがとう……」


何分かの静けさから聞こえてきたのは、その一言だけだった。

それでも比菜は心から満足し、どういたしましてと笑顔を見せる。


「ごめん、何か言わないとと思うんだけど、どう言っていいのか」


比菜はそれ以上の言葉は必要ないのだと、何度か首を振った。

大和が今、何を想い、どう考えているのか、

比菜の手を握ったまま離さずにいるぬくもりから、しっかりと伝わってくる。


「……といいな」


大和の座っている椅子がキャスターを使って動き、左手が髪に触れた。

比菜は聞き取れなかった言葉が気になってしまい、

近づいた大和の顔が、閉じない比菜の目を前にして、止まってしまう。


「今、何、言いました?」


比菜は、大和が自分にかけてくれた、数少ない大切なセリフを聞き逃すまいと、

真剣な表情を見せたままになり、どこかぎこちないけれど、

近づいた空気を一気に崩してしまう。

そんな比菜の表情に、大和はおかしくなって笑い出した。

それでも髪に触れた手は離れずに、二人はおでこをつけたままになる。


大和の笑っている姿が嬉しくて、比菜も合わせて笑顔を見せる。

二人の時計は 笑顔とコーヒーの香りの中で、同じ時をしっかり刻み続けた。







91 空の下で


次回は最終回になります。

いつも読んでくれてありがとう!
励ましの1ポチ、よろしくお願いします (^O^)/

コメント

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一番乗り? ^^v

読みえて、むふふ・・・と顔が緩んじゃった^m^
緊張も照れくささも共有できるって、いいコンビかもね。

次回は、同じ時計を刻む人を見つけた三人の男性の、幸せな顔が見られるのかなぁ
待ってます^^

ごめ~ん><

↑読み終えて・・・です^^;

パスを入れ忘れて、訂正できなかったの><

この2人…

おはようございます!!

ももんたさん、もったいぶりますねぇ…あと1回なのに。

なにがって、そりゃあの2人の初ちゅうですよ。ちゅう!!!

あたしも大和の言葉は気になりますが、待ってました!のいい感じの時に 話しかけないでよ……比菜ちゃん!

この2人いいとこでアクシデントにみまわれる運命?(≧∀≦)ぷくくく

邦宏、靖史の方はどうなってるかな?


では、また・・・(^-^)/~~

Re: 90 時刻み

ジワリジワリと浸み込んで行く様な二人の関係。

一秒ずつしか進まないけど、確実に前に行ってる。

奈津のこと、貴恵のこと、幸せを喜べることって凄いよ。

そして比菜への感謝も忘れない、大和成長したな~。

さてさてこの続きは??

最後はドキドキするね

なでしこちゃん、こんばんは!

>緊張も照れくささも共有できるって、いいコンビかもね。

これだけ長く続いてきたのに、色気のあるシーンはほとんどなくて、
みなさんよくついてきてくれたなと(笑)。

だから、ちょっとのシーでも、むふふ……となっちゃうのかも。
大和と比菜は、やっとここまで来ました。

そう、次回は最終回なの!
なでしこちゃんもそうだろうけれど、決めてあったものだから、
どう受け取ってもらえるか、それがちょっと心配かな……

そこはご想像で

mamanさん、こんばんは!

>ももんたさん、もったいぶりますねぇ…あと1回なのに。

あはは……、もったいぶっているわけじゃないよ。
二人の『ちゅう』は、mamanさんの想像にお任せしないと。
おでこもちゃんとくっつけたんだもの、
それで『おしまい!』とは、ならないんじゃないの?(笑)

>この2人いいとこでアクシデントにみまわれる運命?(≧∀≦)ぷくくく

それもいいね。
そういう人達って、現実にもいそうな気がする。

さて、邦宏、靖史、大和の『ちゅう』まで全て含めて、
次回は最終回。

最後までよろしくお願いします。

一秒の進歩

yonyonさん、こんばんは!

>一秒ずつしか進まないけど、確実に前に行ってる。

こういうyonyonさんのコメントに、いつもありがたいなと想う私です。
そう、『一秒』ずつだけどね、それが大事な気がして。

大和は成長しましたよ。
でも、『あいつがいる』と思わせた比菜も、頑張りました。

さてさて最終回、
『フリーワーク』の集大成を、どうか見てやってください。

Re: 90 時刻み

まだ、時々ぎこちないけど
少しづつ素直になって、前に進んでいる二人がとっても微笑ましい^^v

比菜の手を取り、2つの時計を並べて見る二人

たくさんの想いのこもった「ありがとう……」は
どんな言葉よりも比菜ちゃんの心に響いたよね!

私も、ここまで来てオデコをくっつけるだけなの~~!?
なんて思わずPCに向かって叫んでしまいましたが^^;

「……といいな」聞けなかった大和の言葉をいろいろ想像しながら^^

『フリーワーク』の最終回、楽しみに待ってるね~♪

想像力全開で!

パウワウちゃん、こんばんは!

>少しづつ素直になって、前に進んでいる二人がとっても微笑ましい^^v

ありがとう! 近かっただけに、一気には進みにくいかなと。
微笑ましく思ってもらえて、ほっとしてます。

>私も、ここまで来てオデコをくっつけるだけなの~~!?

あはは……そうそう、文章上ではね。
その後どうなったのかは、想像してちょうだい。

最終回も、よろしくお願いします。