君に愛を語るとき …… 7 願い

7 願い




韓国の新しい滑走路建設現場。

辻教授に付き添ってきた柊は、偉い博士や研究者達の輪から少しだけ外れた場所に

立っていた。ハングルはわからない……。


だから、遅れて聞こえてくる通訳の言葉に、耳を傾ける。


ゴーッという音をさせながら、飛行機が飛び立っていった。

柊は空を見上げ、やってきたばかりの韓国から、日本の方向を探している。

ここでの経験が、自分をさらに成長させてくれる。

そう信じながら、また通訳の言葉に耳を傾けた。

そして柊は、滑走路建設のメンバーに入っている、韓国の大学教授に紹介された学生寮に、

2ヶ月間世話になることになった。


「ヤマムロシュウ……」

「僕は、チョン・ハンジュ……です」


すぐに部屋を訪ねてくれたハンジュは、会話に全く困らないくらい、日本語が上手かった。

なんとかしようと書き写してきた、ハングルの会話文を、柊は横に置く。


「へぇ、日本へ?」

「うん、卒業したら就職する……つもり」

「どうして? ハンジュならこっちだっていい企業に入れるんじゃないの?」

「……僕の彼女は日本人です……」


ハンジュは嬉しそうに笑い、携帯電話に入っている彼女の写真を柊に見せてくれた。

彼女は1つ年上、背の高い美人で、会社員なのだという。


「ふーん……」


ハンジュにケチをつけるわではないが、この人なら、律子の方が上だな……と、

くだらない優越感にひたる、柊。それでもハンジュの意見を認めるように、

何度か頷き携帯を戻す。


「シュウ……彼女は?」


彼女……律子のことをそう紹介してもいいのだろうか。柊は、一瞬そうためらったが、

ポケットから携帯電話を取り出し、そのストラップに触れる。


「写真はないんだ。これは、彼女からもらったものだけど……」

「これ? 何?」

「トンボ……」


律子が入院している時、隣の患者さんから教わり、お礼だと渡してくれた

ビーズのストラップ。下手で申し訳ない……と言っていた、彼女の顔を思い出す。


そう、律子の写真を柊はまだ一枚も持っていなかった。

リハビリ室へ行けば、毎日のように会えたから、身代わりを持つ必要もなかったのだ。

目を閉じれば、彼女の笑顔が浮かんでくるが、

せめて写真くらい撮っておけばよかったと……柊は初めて後悔をする。


「わからないことは、僕に聞いて!」


ハンジュはそう言って、手を差し出した。

柊はこっちへ来る前に聞いてきた、韓国の握手をする。


「よろしく、ハンジュ……」


ハンジュは任せておけ……という顔で、笑っていた。





ハンジュが部屋に戻り、柊は机に置いてあった袋からお守りを取り出した。

ベッドに横になったまま、これを届けてくれた律子のことを思い出す。

学生達が見ている中で、彼女を抱きしめた、柊。


「山室さん、ねぇ……ねぇってば……」


律子は恥ずかしかったのか、腕の中から逃れようとしたが、

柊は固く抱きしめたまま離すことをしなかった。


日に日に募っていく律子への想い。


側にいたい、ゆっくり距離が近くなればいい……

そんなふうに自分の気持ちに言い聞かせてきた。でも、一つクリアになると、

さらに先へとコマを進めたくなる。隣で笑ってくれたらそれでいい……。

そんな想いだけでは満足できない自分がここにいた。



『君を抱きしめたい……そう願ったら律子はどうするのだろう』



彼女にとって、自分の存在はどれくらいのものなのだろうか。

頼りになる先輩のような気分なのか、それとも兄のような気分なのか。

手に持ったお守りを顔の上に乗せ、目を閉じながら考える、柊。


それとも……。


始まったばかりの韓国での日々は、期待と寂しさが半々だった。





季節は梅雨に向かい、雨の日が増えていた。律子はいつものようにリハビリをこなし、

相談事があるのだと、横山先生を待っている。


「ごめん、りっちゃん……遅くなった」

「いえ……忙しいのにすみません。もう大丈夫ですか?」

「いいのよ。たいした話をしない人に限って、時間だけは長くとるんだから!」


会議室から戻ってきた横山先生は、手を振りながら気にするなと合図する。


「先生、そんなこと言ったら聞こえるって……」


律子は慌てて、周りを見回した。

とりあえず、白衣の人がいないことを確認し、ほっとする。


「……平気よ。年寄りの耳は遠いの!」


そう言いながら横山先生は、律子の隣に腰かけた。


律子は入院している時から、横山先生を姉のように慕っていた。

柊が律子の父親にいやがられ、見舞いをさせてもらえなかった時も、

メモを届けてくれたのは彼女だった。


「横山先生、今日は2つ質問があるの。1つは先生として、もう1つは……」

「……」

「女性の先輩として……」


律子はそう前置きをすると、右足に触れながら話し始めた。


「正直に言ってね。私の右足、もっと努力して、人の何倍もリハビリして……。
そうしたら陸上部とは言わないけど、違和感ないくらい元の状態に戻る……可能性……」


横山先生は、律子の質問に頷きながら、少し目を閉じ考えをまとめているように見えた。

律子はその間、何も言わずにただ前を見つめる。


「りっちゃん、私、あなたがリハビリをものすごく頑張っていることもわかってる。
あなたなら……って可能性も考えてみた。でも、医者だから、間違ったことは言えない」

「うん……」

「りっちゃんの右足は、今が限度。これ以上の回復は無理よ……」


律子は黙ったままその現実を受け入れようと目を閉じた。最初に手術をした時から、

無理だとは言われていた。それでも、もしかしたら……、回復していく足を見ていたら、

どうにか……そんな気持ちが湧いてきたのだが。


現実はそれほど、甘いものではない。


「わかりました……」

「どうして急に、そんなことを聞くの?」


横山先生は、不思議そうに律子を見た。今までだって、治りきらないということは、

何度も説明をしてきたはずなのだ。


「もし、奇跡でもいいから治ったら、山室さんが楽になれるんじゃないかなって……
そう思ったから……」

「山室君?」

「うん。山室さんね、何をしてもすぐに気にするの。足は大丈夫なの? って。
そんな彼の負担を、軽くできたらってそう思うから……」

「そう……」


律子の中にある、柊に対する、申し訳ない……という気持ち。


「彼はわかってるわよ。りっちゃんが頑張っていることも、
これ以上治らないってことも……」

「うん……」

「でも、リハビリに意味がないわけじゃないのよ。筋肉でカバーする必要があるから。
だから、辞めたりしないでね」

「わかってますよ。ちゃんと続けます。ここから悪くなったりしないようにしないと……」


横山先生は、律子の顔を一度見た後、彼女の右足にそっと触れた。


「ねぇ、そういえば山室君、来ないの?」

「……あ、山室さん韓国なんです。教授に選ばれて
新しい空港の滑走路建設を見に行きました。2ヶ月は戻ってこられないから」

「そうなんだ。りっちゃんのリハビリには、彼が付いてくるものなんだと思ってたわ。
そりゃ寂しいでしょ……」


横山先生はそう言うと、明るく笑う。


「……うん……寂しい……」


そう言った後、律子は一瞬横山先生の方を向いた。

何気なく出ていた言葉が恥ずかしかったのか、すぐに下を向く。


「先生の言っていたとおり、私、心の窓を開けたんです。怖がらずに……」

「……うん」

「今まで、男の人と二人で過ごすなんてことはしたことなかったけど、
彼といると楽しいし、気持ちがあたたかくなれるし……」

「りっちゃん、彼氏いなかったの? エ……意外。もてそうだけど……」

「ううん……。もてないですよ。ずっと部活ばかりしていたし。大学に入ってからも、
みんなで騒ぐのは好きだけど、個人的にお付き合いっていうのは、したことなくて……」


普段話さないようなことを話している自分に、少し照れくさくなる律子。


「ふーん……心の窓は閉めっぱなしだったんだ。
いや、りっちゃんの窓には雨戸までついていたに違いない。
ガンガン叩きながら疲れ切った男も、いたことだろうに……」

「エ……」


横山先生は、そう言うとクスクス笑い出した。


「もう、先生、真面目に聞いて!」

「ごめん……」

「ねぇ……先生……」


律子はゆっくりと右足をさすりながら、横山先生を見た。


「先生、この右足、思ったように動かないじゃないですか……」

「……」

「私……」


そう言った律子は、そこで言葉を止めた。自分から相談しようとしたのだが、

少し困ったような表情を見せる。


「何? どうしたの? なんなのよ、りっちゃん」

「あ、いいです。やっぱり、いいです……」


なんだかとんでもないことを言い出してしまった……と、律子は何度も首を振った。

その反応を見た横山先生は、律子にさらに近づいていく。


「りっちゃんらしくないよ。ハッキリ言って。一応32でそれなりに人生経験あるからさ、
少しは役に立つと思うけど?」

「……」

「ほら! りっちゃん!」


横山先生は、律子の背中を軽く叩き、覗き込むように顔を見た。

律子は一度大きく息を吸い込み、ふぅ……と言いながらはき出していく。


「先生、私、山室さんに、迷惑をかけるようなことにならないかな……」


なんとなく予想していたことなのか、横山先生はその切り出した律子の言葉に、

少しだけ口元をゆるめていた。


「まだ、向こうに行ったばかりなのに、ここに山室さんがいないことが、
すごく寂しくて……。意地張って彼を遠ざけた時より、もっと寂しい気がする。
だから、戻ってきてくれたときには、きっともっと、一緒にいたいって……
そう思うだろうし……」

「そうだね」


少し離れた場所のエレベーターが、到着したのを告げる音がした。

わかってはいるのだが、降りてくる人を、つい確認したくなる律子。


「何も考えず、支えてもらえばいいじゃない。怖がらずに……」


横山先生の言葉を、黙って聞く律子。

先生の言葉はいつも、自分を優しく包み込んでくれる。


「大丈夫よ。右足が上手に動かなくても、そんなこと気にしなくて大丈夫。
不格好だっていいの。どこがおかしい?」


繰り返される『大丈夫』に、律子の心の中でからまっている不安の糸が、

少しずつほどけていく。


律子は少し目に涙を溜め、横山先生の方を向いた。最後まで言わなくても、

気持ちはちゃんと伝わっている。


今、何を不安に思い、何を気にして、そして、何を願っているのか……。


「山室君は、りっちゃんをわかってるでしょ? 迷惑なんて思われないから、
大丈夫だよ……」


律子は頷くことしか出来なくなっていた。横山先生は肩を引き寄せ、話し続ける。


ひと言ずつ、ひと言ずつ、律子の心に届くように。


「誰でもね、はじめは不安なのよ。わからないんだから……。でも、その不安は、
想いの裏返し……」

「……」

「りっちゃん、ケセラセラ。なるようになるのよ!」


そう言った横山先生は、自分の出した答えに満足そうに頷いた。


「……クスッ……先生らしい……」


律子は、いつも明るい横山先生らしい励ましだと思いながら、笑顔を見せた。


「あぁ……」

「エ?」


大きなため息をつく横山先生の方を向き、律子はまた不安そうな顔をする。

「あ、ごめん、違うのよ、りっちゃん。この想いを山室君に届けてあげたいなぁって……」


律子は部屋にかかる時計を見た。今、この時、彼は何を想い過ごしているのだろう……。

つい、そんなことを考える。


「彼もきっと、同じように想ってるよ……。あなたに会いたいって……」

「……そうかな。でも、山室さんは大好きな滑走路を見に行っているから、きっと……」

「は? あんなコンクリートの固まりに、負けるはずがないでしょ!」


横山先生のその言葉に、微笑んで頷く律子。


柊は律子を想い、律子は柊を想い……

二人はそれぞれの空の下で、同じ期待と不安に揺れていた。

                                          8 Kiss   はこちらから



二人の恋の行方は……

ランキング参加中です。よかったら1ポチ……ご協力ください。

コメント

非公開コメント