2 アパートの女

2 アパートの女




結局、友海は土手に戻らず、昼食を事務所内で食べる美鈴のそばに座った。

美鈴は友海よりも2つ年下で、まだバイトとして入って日は浅い。

一人っ子で甘えん坊の美鈴は、しっかり者の友海を姉のように慕っていた。


「驚いちゃった、友海、思い切り言い返しているんだもん」

「だっていきなり、コイツとんでもないことをしているって
言いたそうな目をしたから、負けるものかって……つい」

「普通はそうならないでしょう。まぁ、それが友海と言えば友海なんだけど。
でもさぁ、あの人、ただの新入社員じゃないんだろうね。
だって、一緒に来ていた本社の朝戸さん、どう思われますか……なんて、
丁寧な言葉を使っていたから」

「ふーん……美鈴、よく聞いてるね」

「耳が勝手に旅をして、聞いてくるのよ」


美鈴は自分の巾着から、小さなおにぎりを取り出すと、2つ友海の前に置いた。

味は昆布と、家で漬けてくれた梅干しだと付け加え、

給料日前だから食べないのでしょと、笑顔を見せる。


「ありがと、美鈴。いつも助けてもらってるなぁ、私」

「こんなことくらいならいいんだけど、まだ5日前なのにもうピンチなの?」

「うん……」


友海は美鈴が寄こしたラップ入りのおにぎりをひとつ手に取り、丁寧にはがした。

美鈴は、自分も同じようにおにぎりを手に持つと、

前に言っていたことが本当なのかと問いかける。


「そうだよ、言ったでしょ、絵を買ったって」

「ウソだと思ってた」

「ウソなんかつかないよ」


友海が貧乏になる理由のひとつが、絵を買ったことだった。

2月の寒い日、突然降り出した雨に、傘もなかった友海は、

雨宿りのつもりで、初老の男性が経営している小さな画廊へ入った。

交差点の信号が変わるまでのつもりだったが、その一番奥に飾られていた絵に、

吸い込まれそうになったのだ。


「とっても綺麗な碧だったんだ。深く、深く……何もかも飲み込みそうな海に、
小さな帆を張った船があって……」

「ふーん、友海に絵のイメージないんだけどな」

「私もないよ、でもね、どうしても欲しくなったの。
何を我慢しても、手に入れたいってそう思った。
その画廊にいたおじいさんがさ、こう説明してくれたの。
この絵は、相手の女性への深い愛情を表した絵なんですよって。で、裏を見たら」

「うん……」

「最愛なる君へ……って、そう書いてあって。
私、それを見た瞬間、これは買わないとって、値段を聞いていた」


美鈴は、玉子焼きを口に入れ、何度か噛むと飲み込んだ。

そして、値段はいくらだったのかと友海に聞いてくる。


「20万!」

「エ!」


美鈴は大きな目をさらに大きくした後、すぐに目を閉じると首を横に振る。

友海は、そんな美鈴の反応に笑いながら、もらったおにぎりをほおばった。





昼間は美鈴のおかげで乗り切ったものの、友海のお金は本当に底をついていた。

仕事を終えたあと、自転車で商店街の中を走っていくと、

誘惑するような食べ物の匂いが、友海の足を止めそうになる。

友海は、呼吸を止めて必死に走り、誘惑の中をくぐり抜けた。


友海が暮らすアパートは、隣の大家の家と壁がくっついている小さなところだ。

同じ門をくぐり、横についている外階段を上ると、友海の部屋がある。

最後の角を曲がるとき、ちょうど洗濯物を取り入れる大家さんの姿が見え、

友海の自転車が止まった。


1年前、急に母の手術が決まったときも、

今のようにお金が足りなくなったことがあり、事情を知った大家さんは、

給料日までのつなぎ資金を快く貸してくれ、

また困ったときには遠慮なく相談してと、言ってくれたことを思い出す。


「あ……友海ちゃん、お帰り」

「ただいま」


大家さんのご主人は、2年前から単身赴任で北海道に行っていた。

子供がいないため他に家族はなく、1階に住む川本と2階に住む友海は、

ただの住居人以上によくしてもらっている。

そんな優しい大家さんに、また、お金を貸してくれと言うわけにはいかないと、

友海は自転車を引きながら、門を開け中に入った。

すぐに玄関が開き、大家さんである天野澄佳が姿を見せる。


「友海ちゃん、ねぇ……肉じゃが食べない?」


友海の自転車のハンドルを右手で握り、澄香は引き止めようとする。


「作り過ぎちゃったの。ちょっと待っていて、今、あげるから」

「大家さん……」

「だって、お給料までまだ、時間あるんだもんね」


そう言うと澄佳は、友海を玄関で待たせ、一度部屋の中へ戻った。

友海は外階段の下に自転車を止め、玄関の方をのぞく。

奥のリビングから再び目の前に出てきた澄香は、深く大きな皿に、

一度では食べきれないほどの量を入れてきた。


「大家さん、これ多くない?」

「冷蔵庫に入れたら、明日も食べられるから」


お金が足りないことを話したわけでもないのに、

澄佳には友海の気持ちが、すでにわかっているように見えた。

手の中にある皿から伝わる熱に、じんわりと優しさを感じていく。


「あ……そうそう、ちょっと待って。ねぇ、航! 航いる? ねぇ、ビニール袋、
そこらへんにないかしら」


その呼びかけに男性の声がした後、廊下の奥から姿を見せたのは、

今日、スタンドで会った成島航だった。

どうしてここにいるのかと、友海は2、3歩後ろへ下がり、表札を確かめる。

ローマ字で書かれているのは確かに『AMANO』で、奥へ視線を向けた。


「あれ? 飯田さん……だったよね」


友海と航の間に挟まれた澄佳は、廊下の真ん中に立ち、

航に友海を知っているのかと問いかけた。


「『天神通り店』で働いているんだよ、今日、失礼なことを言ってしまって」

「あら……失礼なこと?」

「勘違いをして、怒らせたんだ」

「あら……」


友海は肉じゃがの入った皿を持ったまま、二人の会話に入ることが出来ずに、

ただ立ち尽くす。その間にも航は澄佳からダンボールを開けるように言われ、

何やら奥で動き始めた。


「大家さん、これだけで十分ですから……ありがとうございました」

「あ……友海ちゃん、ねぇ……」


友海は一度しっかり頭を下げると、外階段を足早に登り、そのまま部屋へと消えた。

澄佳は扉の閉まる音を確認し、航からビニール袋を受け取る。


「新谷家のスタンドで働いていたんだ、友海ちゃん。
クリーニング店をやめて、スタンドに移ったってことは聞いた気がしたけど、
でも『SI石油』だったとは。おばさんそこまでは知らなかったわ」


澄佳は親戚から届いたりんごを一つずつ見ると、色のいいものを選び、

5つビニールに入れていく。

航は、澄佳が友海を心配することを不思議に思いながら、

開いたままの玄関を閉じた。


「おばさん、こんな風にいつもアパートの人にお裾分けするの?」

「うん。ここはみんなが一人暮らしでしょ、
おばさんだって航が来たから今は二人だけど、2年近く一人だったんだもの」

「それはおばさんが、北海道は寒いから行かないってごねたんだろ」


航はダンボールに入っていたりんごを一つ手に取り、

そばにあったタオルで軽くこする。


「何よ、それで助かったのは航でしょ」

「まぁ、そうだけど……」


航はりんごを一口かじり、その通りだと笑顔を見せた。


「1階の川本君もまだ学生だし、時々、いただいたものを分けたりしてるのよ。
だって、縁あってこのアパートに住んでくれているから……。
あ、でも友海ちゃんは特別。だってあの子、頑張り屋なんだもの。
自分はギリギリの生活しかしないのよ。前に一度、
昼と夜のバイトを掛け持ちして、外階段から落ちたことがあるの、めまいで」


澄香はりんごを入れたビニールの口を結び、テーブルの上に置くと、

また別のビニールにりんごを入れ始める。


「落ちた? そんなにギリギリの生活しか出来ないのかな、
彼女の来ていたユニフォームだと、常勤務だから、
普通のバイト以上には給料を取っているはずだけど」


航は昼に会った時の、友海のユニフォーム姿を思いだし、

そこまで生活が苦しいのは信じられないという顔をする。

澄佳はりんごを入れたビニールを二つ手に持ち、玄関へ向かった。


「お金を送ったりしているのよ、伊豆にいるお母さんに……」

「伊豆?」


澄佳はサンダルを履くと、そのまま友海の部屋へ続く階段を上がっていった。

航はその音を聞きながら、スタンドで見せた強気の表情と、

今、ここで聞いた友海の日常を思い返しながら、またりんごをかじった。





3 航の事情
<photo:tricot>

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コメント

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絵の存在

縁かしら?

強気で言い返してきた友海、ギリギリの生活をしている友海。
そんな彼女に非常に興味を持ったね航さん。

これからが楽しみだわ。


しかし生活が苦しいのに買わずにはいられなかった”碧い絵”
それが何かを巻き起こす?

ドキドキのままで

yokanさん、こんばんは!

>はじまりはドキドキしますね。

そうですか? そう言ってもらえると、嬉しいです。
友海と航には共通点などが色々ありまして、
それをこれから、発見していきます。

また、短めの回数多めになりそうなので、
お気楽におつきあいくださいね。

色々な友海

yonyonさん、こんばんは!

>強気で言い返してきた友海、ギリギリの生活をしている友海。
そんな彼女に非常に興味を持ったね航さん。

はい、持ったようですよ。
何かを巻き起こすのかどうかは……続きで。
って、こちらにもコメント、ありがとう。

それぞれの事情

こんにちは!!

友海と航、仕事だけでなく私生活でも関わりが出来て、これからの展開が楽しみです(^o^)/

2人共家庭の事情みたいのもありそうで、そこからも何かがあるのかな?

友海の買った絵も意味深だわ…(^m^)


では、また・・・(^-^)/~~

何かが起こる?

mamanさん、こんばんは!

>2人共家庭の事情みたいのもありそうで、
 そこからも何かがあるのかな?

友海の事情は友海の性格を作っていると言っても
良い感じです。徐々に見えてくるのですが、
航とどう関わるのかは、もう少し先で。

>友海の買った絵も意味深だわ…(^m^)

そうなんだわぁ……(笑)