君に愛を語るとき …… 8 Kiss

8 Kiss


柊の韓国短期研究旅行は、順調に半分を越えていた。

ただのお隣さんと思っていたハンジュはとても愉快な男で、

ずっと付き合っていけるのではないかというくらい、一緒に過ごすことが増えていた。


「シュウ、何してるんだよ」

「何って、課題だよ。僕は遊びに来てるんじゃないんだ、ハンジュ」

「チェッ……」


終わったら飲みに行こう! ハンジュはそう告げると、部屋を出て行った。

その時、柊の携帯にメールが到着する。送信相手は律子だった。



『今日は院内学級に行きました。お楽しみ会に出場!』



律子はリハビリの横山先生と、小児病院の院内学級に出かけていた。

添付ファイルが付いていることに気付き、開いてみる。


「……は?」


そこにはゴリラの着ぐるみがアップで写っていた。

意味がわからず、メールを見続け考えていると、さらにもう一つメールが届く音がした。

そこにも付いている添付ファイル。今度はゴリラの着ぐるみの上を外し、

変な顔をした律子が写っている。


「あはは……」


律子はお楽しみ会にこの着ぐるみで出たようだった。おどけて見せている表情が、

生き生きしていておもしろい。彼女のそんな小さな励ましに、柊は大きなパワーをもらう。


ゴリラのぬいぐるみを着た律子を、彼女と紹介するのは気が引けたが、

初めてもらった写真なので、柊はきちんと保護をした。



『これからは毎日、律子に笑わせてもらおう』



ベッドに横になりながら、柊はその写真を愛しそうに見つめる。

そんなメールのやりとりをしたり、短い日常の報告を電話でしたり……。

自分たちは互いに大事な存在になっているのだと、そう強く感じるようになっていた。





「エ……?」


ある日、律子に送られてきたメールには、

柊がノートに書き写した難しい数式が写っていた。



『よく眠れるように……』



数学頭ではない自分に対する挑戦状のつもりだろうか。

律子は訳のわからない数式を見ながら、思わず笑ってしまう。


「律子……お風呂空いてるけど?」

「あ……うん」


母の視線を感じ、慌てて携帯を閉じ部屋を出て行く律子。母はそんな律子の後ろ姿を、

じっと見つめていた。


律子はシャツを脱ごうとした手を止め、洗面台の鏡に映る自分の顔を見た。

そして、唇に軽く指で触れる。


「……」


帰ってくるのを待っている自分と、少し臆病になる自分。



『りっちゃん、ケセラセラ。なるようになるのよ!』



そう自分を励ましてくれた横山先生の言葉を思い出す。


声は出さずに、唇だけを動かし、律子はそっと柊の名前を呼んでいた。





ヘルメットをかぶり、教授のお供として建設現場へ通い続け、

博士達の話しを聞きながらメモを取る。柊は素材の資料などを探しながら、

研究課題に取り組んでいった。


そして、柊の研修旅行も、終わりが見え始める。


「韓国も日本も土地が狭いだろ。騒音の問題も、環境の問題も……。
そういった共通点もあって、すごく参考になったよ」

「本当にシュウは好きなんだな。暇さえあれば本を読んでるし。
もっと遊んでくれると思っていたのに」


ハンジュは手際よく肉を焼きながら、少し呆れたように笑う。


「だから、勉強に来たんだって、何度も言っただろ!」


柊はハンジュが焼いていた肉を奪い、口に入れた。


「あ! 泥棒!」

「……」


二人は顔を見合わせて笑いあう。誰も知り合いのいないこの土地で、

柊を支えてくれたのは、間違いなくハンジュだった。

感謝の気持ちを込めて柊が右手を差し出すと、

それに応えるようにハンジュも右手を差し出した。


「色々とありがとう。ハンジュがいてくれて楽しかったよ」

「頑張れ、シュウ。僕が日本へ行くときには……いい男だ!」

「それ、日本語がおかしいよ、ハンジュ。一人前とかそういう意味? 
すぐには無理だよ。きっと……。あ、でも、日本へ来たら連絡はくれよ」


自分が世話になった恩返しを、ハンジュにしたいと思う柊。


「OK! 僕の彼女と、シュウの彼女と4人で食事、行きましょう」

「……うん」


辛いと思っていた味にも慣れ、律子が心配していた水の変化も、

なんとか対応できた2ヶ月。


柊は部屋に戻り荷物をまとめ始める。律子への土産は忘れないように、最初に中へ入れた。

ハンジュに店を聞き、買いに行ったかわいらしいポーチは、チマチョゴリを意識した、

カラフルなものだった。


誰にも出来ないような経験をしに来たことに、満足の出来る日々だったが、

この荷物を見てしまうと、気持ちだけ日本へ飛んでいく。


何度も空を眺め、ため息をつき、そして頭を悩ませながら過ごしてきた、

柊の短期研修旅行は、こうして終わりを迎えた。





柊が向こうへ行っている間に、季節は夏休みに突入し、行く前の雰囲気とは、

空港内も変わったものになっている。子供達の声が聞こえる中、荷物を受け取り、

柊は自分を連れて行ってくれた、辻教授にお礼を言った。


「本当にタクシーに乗らなくていいのか?」

「はい、寄り道をしたいところがあるんです」


今日は律子のリハビリの日だったため、柊は始めからそうするつもりだった。

連絡もせずに病院へ行ったら、どんな顔を見せてくれるだろうか。

そう思いながら電車に乗る。

思わず抱きしめてしまった、あの日以来の再会。電話で声は聴いていたものの、

顔を見るのは、どこか気恥ずかしかった。


「ねぇ、横山先生」

「りっちゃん……ほら」


横山先生の指差す方向を見るために、振り返る律子。

エレベーターを降り、そこに立っていた柊に気付く。


「……山室さん! いつ戻ってきたんですか?」


律子の声のトーンは高かった。柊はそんな律子の反応に、

少しだけ緊張していた気持ちが解放され、つい笑顔になる。


「さっき成田に着いたんだ。そのままここへ来た」

「……」


君に会いたかった……。その無言の告白を、律子も笑顔で受け取っている。


「りっちゃん、ちゃんとリハビリしてたわよ、山室君」

「そうですか」


そう言われて少し得意気に頷く律子。自分の成果を見せたいと、ゆっくりと歩き出す。

最初の頃より、旅行前、そして今、確かに傷は癒えている気がした。


「山室君……」

「はい」


横山先生は、律子の後ろ姿を見ながらそっと柊にささやいた。

「りっちゃん、これからが辛いところなの。
今まではハッキリわかるくらい回復しているけど、ここが限界……」

「……」

「これからは、どうしても上手くいかないことが見えてきて、
精神的にも追い込まれる時があるかもしれないから……」

「……」

「支えてあげて……」


横山先生は厳しい状況を柊に告げた。一瞬、浮かれた気分で律子を見ていた柊は、

その言葉で現実に引き戻される。


「律子は……先生、律子はそれを知ってますか?」

「知ってるわ。ちゃんとわかってる」

「そうですか」


出来れば事故の前のように、全て元に戻って欲しい。それは正直な気持ちだった。

でも、柊はこの律子しか知らない。柊にとっては、律子は出会った時から

こういう女性だった。だから、この姿を見て、悲しいと思うことはない。


ただ、彼女の夢をつぶしたのが自分だということが辛かった。





「美味しい」

「そうかな。なんだか味が薄い気がするよ」

「エ……山室さん、韓国で唐辛子のかけ過ぎじゃないの?」


久し振りに二人で食事に行く。2ヶ月間、互いにどんなことをして過ごしていたのか

質問し合う。


「ねぇ……」

「ん?」


律子はデザートのアイスを食べながら、本当に素朴な質問をした。


「どうして山室さんは滑走路が好きなの?」

「……」

「どうして?」


柊はその質問に正直に答え始める。最初から滑走路が好きだったわけじゃなくて、

始めは飛行機に憧れて、パイロットになりたいと思っていたのだ。

でも、自分の道を探すうち、その影で働く多くの力を知ることになった。


「影の力?」

「うん。高校の友達の父親が整備士をしていて、一度見学に行かせてもらったことが
あるんだ。地方の空港だったけど、朝、一番の飛行機が飛び立つ前に、滑走路に立った」

「へぇ……それはすごい体験かも」

「だろ。そのなんとも言えない開放感と、まっすぐに伸びる雄大さに、
気持ちが惹かれていた。それからそのことばっかり考えるようになったのかな」

「ふーん……」


律子は残ったアイスをまた食べ始める。『君の夢は?』そう聞き返しそうになり、

柊は言葉を止めた。陸上をしていたという律子は、

新しい何かを探すことは出来たのだろうか。



『インストラクターになる夢』



入院していた頃、柊が見舞いに訪れたのを嫌がった彼女の父が、そう言っていた。

傷つけてしまった君の足と、君の夢。


「行こう!」


律子のその声に、顔をあげた柊は素直に頷いた。





向かった駅は普段以上に混雑していた。大きな張り紙に

『電気系統トラブルのため運転見合わせ』と書かれてある。


「あら……」

「……」

「あと、30分くらいで戻りますから……」


駅員は、そう話しをしてくれた。律子は柊の腕を引き、駅を出て行こうとする。


「どうするんだよ」

「カラオケ行きましょう! 1時間くらい歌っていれば、きっと空いて……」

「……うーん、歌はなぁ」

「エ、山室さん、歌わないの?」


カラオケが好きじゃないと言う柊を、不思議そうに見る律子。


「うん、歌は……」

「山室さんって、滑走路しか楽しくないのかなぁ……」

「エ?」


そんな発言をしながら、律子はクスクス笑い出した。


「わかった、行くよ。でも、歌わないよ」

「いいですよ。私が歌ってあげる。友達と行っても、みんなマイクの取り合いで、
なかなか歌えないんだもん」

「……」


律子は楽しそうに、駅の向かいにある店へ入っていった。


「よし! 歌います!」


律子は曲を口ずさみながら、手慣れた様子で準備する。好きな場所ではないにしろ、

そんな律子のいろんな面を知ることが、嬉しくて仕方ない柊だった。


最初の2曲はきちんと聞いていた。CMで使われている明るい女性ボーカルの曲、

そして何年か前に流行ったドラマの主題歌。そして……。


柊は旅の疲れで、いつのまにか座ったまま眠っていた。


カシャ……という音に、柊の短い眠りが覚める。ふと横を見ると、

律子が携帯のカメラを柊に向けていた。


「何……してるの?」

「幸せそうに寝てるから。なんとなく……」


ここがカラオケルームだったことに気付き、姿勢を正す柊。


「ごめん、すっかり寝てた」

「無理するからよ、旅の疲れがあるのに……って、無理させてるのは私だ」


そう言いながらいつもの笑顔を見せる律子。目覚めたばかりだからなのか、

柊にはその笑顔がより眩しく見えた。


バックに流れているのは、ディズニー映画の『星に願いを』。

何度も繰り返し入れてあるのか、終わったと思ったら、また流れ始める。


「星に願いを……か……」

「あ、知ってる? 私、この曲が好きなの。山室さん寝ちゃったから、
子守歌のように流してました」

「……歌わなかったの?」


律子は携帯を閉じ、カラオケの本を揃えている。


「歌いましたよ、5曲くらい。でも、起こしたらかわいそうだなって……」


律子はマイクを本の上に置き、『星に願いを』を楽しそうにハミングする。

そんな横顔を、じっと見つめる柊。


柊の右手は自然に律子へ向かい、彼女の左頬に添えられた。


「……」

「……」


柊の手が触れた瞬間、一瞬、ビクッとする律子。そのまま柊は顔を近づけ、

律子に初めてキスをした。触れた彼女の唇はあたたかく、

柊の心にぬくもりを与えてくれる。


『星に願いを』そう、今、星に願うことが出来るなら、このままずっと一緒にいたい。

柊は律子を見つめ、そう考える。

少し頬を赤らめた律子と、柊の視線がぶつかっていく。


律子を離したくない……。そう思う柊は、もう一度優しく、くちびるに触れにいった。

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二人の恋の行方は……

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