TRUTH 【氷の音】

TRUTH 【氷の音】

【氷の音】



東京に戻ってからは、夏のイベント準備で忙しくなった。

1年で一番大きなファッションショーを兼ねているだけに、

力を入れたメーカーからの注文も細かくなる。

資料集めをした後、社長へ進行具合の連絡を入れると、

話があるから本社へ来て欲しいと呼び出された。

含みがあるようなあの言い方は、こちらにとってはよくないことに思えて、

自然に足取りも重くなる。


タクシーを降り、本社が入るビルの中に入った時、こっちへ向かってくる男が見えた。

うつむき加減の顔を確かめると、『緑山南店』の瀬口で、私に気付き頭を下げる。


「森住さん、急いでますか?」

「どうした、何かあったのか」

「ちょっと……」


何か言いたげな瀬口を、そのまま帰すわけには行かず、

30分の約束で、近くのファストフードの店へ入った。

昼時間を過ぎていたからか、2階の席には余裕があり、静けささえ漂っている。


「『相原沙耶』が?」

「はい」


今、女優としても売れている相原沙耶は、

ファッション雑誌モデルの頃から、瀬口を指名するタレントだった。

以前は黒髪だった彼女に、ブラウン系の色を薦め、

さらにショートヘアにさせたのは瀬口のアイデアで、

そのイメージチェンジに成功した相原の事務所も、普通の報酬以上のものを、

こちらによこすことが多い。


「ハリウッドの映画に出ることも、今、話題になっているんですけど、
それに同行してくれないかって頼まれて、俺、行きます! って即答したんです。
店のことはもちろんありますけど、こんなチャンスめったにないですし、
期間だって1週間じゃないですか。有野もいるしどうにかなるだろうと思ったら、
昨日の夜、沢木さんから電話があって……」


沢木琢磨は、本社に勤務する優秀な大学を出たエリートだ。

私と違い現場などには立ったこともなく、管理者として会社の中心部分を担っている。

しかし、その分、現場のスタッフたちとはすれ違いが多く、

彼の対応と言い分に、不満を漏らすものも少なくない。


「個人で勝手に約束をするなんてっていきなり。
どうも相原の事務所から、依頼の確認が入ったらしいんです。
沢木さんは、そういうことはうちのスタッフにはさせないって言ったらしくて、
そうしたら、すでに俺がOK出したって話になって……で……」

「行くなってことか」

「はい。規則だの規定だのってことはわかっています。
でも、こんな機会逃したら二度とないかもしれない。
向こうのスタイリスト達と、コンクールじゃない場で、ラフに話ができるし、
情報もつかめるし。俺、確かに自分のことだけだと言われるもしれないですけど、
そうして頑張ることが、店の……いや、会社のためになるとは、
どうして思ってもらえないのかって。沢木さんにしてみたら、俺たちスタッフなんて、
誰でもいい、すぐ取り替えられる消耗品くらいにしか思ってないんですよ」

「瀬口……」

「森住さん、俺、間違ってますか?」


間違っているなどと、言うことは出来なかった。

私自身、スタッフとして瀬口と同じような夢を見たこともある。

現場で上を目指すものにしてみたら、何を差し置いても行ってみたいと思うだろう。

ただ、客の髪の毛を切るだけが仕事だと思ってしまったら、技術の進歩など望めない。


「わかった、私から話をしてみるよ。これから会議なんだ。
おそらくそのことが話題になるだろうから」

「……すみません、いつもお願いするばっかりで。
でも、俺たちスタッフは、森住さんに頼るしかなくて……」

「わかっている。必ず行かせてやるから、そうカリカリするな。
これから店に出るんだろ。お客様やスタッフに、気持ちの乱れが伝わるぞ」

「……あ……はい」


勢いに任せて話をしたからか、瀬口はアイスコーヒーのふたを開け、一気に飲み干した。

氷の砕かれる音が、瀬口の方から聞こえ、その姿を見ながら、

私はカバンに入れていたものを思い出し、目の前に置いてみる。


「何ですか、これ、チョコですか?」

「あぁ、昨日行った店で、ご贔屓にしてくださいとママが寄こしたものだ。
糖分を取ると、イライラが収まるぞ」

「……森住さん。俺、甘いものはちょっと……」


そう言いながら瀬口は照れくさそうに笑った。

お店のスタッフが2階に現れ、空いているテーブルの上を順番に拭いていく。

真新しいユニフォームに、少し手際の悪い動きが重なり、

端にあったテーブルに足を引っかけた。まだ、仕事慣れしていないことがすぐにわかる。


「瀬口、そういえば新人たちはどうだ」

「それぞれ5つの支店に分かれましたけど、もう3人辞めました」

「3人辞めた?」


すぐに越野柚希の顔が浮かび、辞めたのは誰なのか瀬口に問いかけた。

以前、会った時には楽しそうに雑務をこなしていたが、

この慣れ始めた頃というのは、実は辞める人間が多い時期なのだ。


「宮下って覚えてますか? 頭を一番派手にしていたやつですけど」

「あぁ……覚えている。自己主張のあるやつだと思った記憶がある」

「アイツ、大きな口を叩いていた割には、描いていたものと違うとかなんとか言って、
辞めました。それと……」


瀬口の口元を見ながら、どうか越野柚希の名前ではないように祈る自分がいた。

それと同時に、一度就職したところを辞めてまで、目指したものだ、

そう簡単には辞めないだろうという妙な安心感が顔を出し、揺れながら入れ替わる。


「木下さんと松本さん、この3人です」

「そうか……」


越野柚希の名前がないことにほっとして、残っていたアイスコーヒーを飲んだ。

一緒に口に納まった小さな氷を一度だけ噛むと、冷たい刺激が喉を通過する。


7年前のあの日、結局、自分の要求ばかり突きつけたまま

別れてしまった女性とどこか似ている。

ただ、それだけだったはずなのに、彼女が笑顔で働く姿を見ることが、

あの日の続きを見ているようなそんな気分だった。


「うちの越野さんと山下さんは大丈夫です。ずっと雑用をさせていましたけど、
今月からシャンプーに入ってもらっています。まだ、慌てることもありますが、
二人とも明るいし、お客様からもスタッフからも評判はいいんですよ」


保護者でも何でもないはずだったが、越野柚希の状況を聞き出せたことで、

とにかく安心感が増した。

まずここを乗り越えたのなら、簡単に辞めることはないだろう。

店の前で瀬口と別れ、沢木とぶつかりあうために大きく深呼吸をし、気持ちを整えた。





「森住さんは、現場に甘いんですよ。瀬口のしたことは、規定違反です。
彼らは会社から給料をもらっている身で、本来ならタレントと個人契約をすること自体、
間違っている。例外を作ることはよくありません」


沢木は私より2つ年下で、基本的には『森住さん』とこちらを呼ぶが、

言ってくる内容の意味を考えると、とても先輩だと認識しているようには思えなかった。

現場からあがってきた、運のいい男くらいにしか、私のことなど考えていないのだろう。


「沢木君、現場のスタッフが注目されることのどこが間違っているんだ。
確かに、今、通信販売などが伸びていることはわかっている。
でも、それはスタッフの頑張りがあって、店の評価があがっているからこそのことだ。
瀬口が勝手に返事をしたことは、決して正しいとは言えないが、
僕は自分がスタッフだったから、彼の行きたい気持ちは理解できる。
瀬口が突破口を開くことで、彼を目指そうとするほかのスタッフたちにも、
いい影響が出るはずだ。これは例外じゃない、それだけ稀なチャンスだ」


その後も、沢木やその周りにいる男たちから、あれこれと注文が出ていたが、

最後は結局、社長の一言で、瀬口は1週間の出張を許された。





「ありがとうございました。この後、早速、瀬口に報告します」

「森住は変わらないな。もう、現場を離れて3年以上経つのに、
心はまだスタッフのままか」

「そうかもしれません」


社長の柴本猛は、今年45歳になる男だ。

家庭を持つことよりも仕事に時間を費やしたいと、いまだに独身を通している。

父親の持っていた小さな美容室を、自らの力で大きくし、

雑誌に特集を組まれるほどに、評判をあげてきた。

彼もまた店に立っていた経験があるからこそ、私をそばに置き、育ててくれる。


「でもな、森住。沢木たちの言い分も一理ある。気に入らないかもしれないが、
力をあわせてやっていって欲しい」

「はい」


私が社長に拾ってもらった頃とは、店の規模も時代も大きく変わっている。

沢木たちの言い分に正しいところがあるのも、十分承知していたが、

現場とのパイプ役をやれるのは自分だけだと、自負もあった。

誰かが見てくれているというサインを出してやらなければ、

個性の強い連中と、まとまりは作れない。


「さて、ちょうどよかったな、瀬口のことで恩を売れて」

「恩……ですか?」

「あぁ、今日ここへ呼んだのは別の理由があったからだ」


そういうと社長は卓上のカレンダーを指差し、

2週間後の3日間を空けて置くようにと言い出した。

すぐにスケジュール帳を見ると、大きな仕事は入っていなかったが、

空けておく理由がわからず質問をする。


「『トワレ』のお嬢さんと大阪へ行ってくれ。向こうからのご指名だ。
久しぶりだろう、スタッフじゃなくなったから、指名が入るのは……」


社長はそう言うと、楽しそうに笑い出した。

『トワレ』は全国に工場があり、その大阪工場の改築式に一緒に出て欲しいと

依頼があった。どうもお嬢さんは先日の福岡出張にも同行していたらしく、

会場で私の姿を見かけたようだ。

あの日は、真知子さんのところへ行こうと決めていたので、

あちこちに挨拶することもなく、仕事が終わったらそのままホテルを出た覚えがある。


「どうしても森住さんを連れて行って欲しいと、ご希望らしいぞ。
お前、いつ気に入られたんだ」

「いや……」

「本来ならな、部長職の森住が行くようなものじゃないけれど、
まぁ、もしかしたら人生の転機になるかもしれないし、なぁ……」


社長はお嬢さんが私を気に入り、もし、婿にでも入れば、

自分も頭を下げる立場になるのではないかと、くだらない冗談を言い始める。


「お嬢さんは23歳だって言っていたな。
うちの2、3年目のアシスタントと同じくらいじゃ、ちょっと年齢的には差があるが」

「社長、冗談はやめてください」


全く、呆れるとはこのことだ。自分のわがままに、他社の人事まで動かそうとするとは、

どうしようもない娘に違いない。


「いや森住、女はわからないぞ。キャンディの匂いしかしないと思っていたら、
1年でゾクッとするほど、色気が出ることもある。
音楽大学を出た社長の宝物だそうだから、とりあえず気に入られるのは悪くない」


そんな肩書きをつけられた接待は、気分などとても乗るものではなかったが、

それでも、瀬口のわがままを通してもらった手前、断ることも出来ず、

了解だけして本社を出た。他の客を降ろしたタクシーに飛び乗り、時間を確認する。

今日は特に急ぎの仕事もなかったので、このまま『緑山南店』へ向かい、

出張が決まったことを、瀬口に報告をしてやることにした。

今日は金曜日、デートに向かうOLも多く、店も混雑しているに違いない。

嬉しい話に、瀬口のやる気はアップするだろうか。





街灯が少しずつ付き始めた頃、私は『緑山南店』の扉を開けた。


「ちょっと! なんていうやり方しているのよ! 冗談じゃないわ!」

「……すみません」


入った私の耳に飛び込んだのは、シャンプー台から聞こえてくる客の声と、

ただ、悔しそうに下を向く、越野柚希の姿だった。






【髪に触れる指】


森住の心は、どこへ向かうのか……
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