1 たまごの私

1 たまごの私


世の中の不況の嵐は、私、前島史香(ふみか)のところにも容赦なく襲いかかった。

試験は受けるものの不合格が続き、どこか近くのお店にでも、

パートに行こうかと悩んでいる時、母の知り合いの紹介で、あるタレント事務所に入り、

マネージャーの卵として働く話が舞い込んだ。

別に芸能界など興味も何もなかったが、頑張れば正社員に昇格という条件だけで、

私は指定された事務所へ急ぐ。

そこに待っていたのは、事務所の専務であり、

ベテランマネージャーでもある田沢さんという男性と、

スタイリストとして動く米原さんという女性だった。


「仕事は忙しいですし、時間も不規則ですが大丈夫ですか?」

「はい……」


人物紹介は、すでに入っていたのだろう、

私はその場で『マネージャー見習い』がOKになった。しかし、条件が一つ。


「『社内恋愛は禁止』です。うちには若いタレントもいるから、気をつけて」

「はい……」


その言葉を何度か念押しされたが、働き始めてから米原さんは、

史香には必要ない言葉だったかもね……と、あまりの色気のなさに、

そう付け加えてくれた。





それから、私の仕事が始まり、

しばらくは新人女優のアシスタントマネージャーをしていたが、

半年ほど前、社内事情から配置換えを言い渡される。


「史香! スプレーは?」

「あ……今、今出します」


やらなければならないことも頭ではわかっているのに、行動が伴わなくて、

まだまだ半人前、いや、そのさらに半人前程度しか役に立っていない。

それなのに、近頃ドラマで人気を上げてきた日向淳平の担当になってしまった。

事務所一押しの彼には、田沢さんもマネージャーとしてついているし、

スタイリストももちろん米原さんだ。


「史香、ごめん、大急ぎでコンビニ行って、歯磨き粉買ってきて」

「はい……」


田所さんは、私に千円札を握らせて、すぐに向かうようにと指で扉を示した。

そうだ、この撮影後、車で移動して、スタジオでポスター撮りがある。

それでなくても今日のスケジュールは押していた。


「史香! グリーンフレッシュじゃないとダメだからな!」

「はい……」


日向さんはタオルを肩にかけた状態で、私にそう指示を出した。

左手が上がり、いってらっしゃいと振られている。


色々な俳優さんや女優さんを見ているけれど、日向さんは他の人とは少し違った。

役柄ではプレイボーイもこなすのに、普段楽屋では結構おとなしく、

本を読んだりして過ごしているか、眠っているか……そんな姿しか見たことがない。

時々、読書から得た知識で、私にクイズを作り、楽しそうに出してくる。


ほとんど答えられないような、難しいものばかりだけど、

それでも、それを一生懸命解説することがまた楽しいのか、

『わかりません』と言うと、なぜか嬉しそうだから不思議だ。


そう、先月は私の誕生日だった。

まぁ、本人さえ忘れていたのだから仕方ないけれど、

他のスタッフさんが誰も気付かない中、日向さんだけがメイクの最中、

『おめでとう』と声をかけてくれた。



もちろん、彼は他のスタッフの誕生日も、声かけを忘れたことはないと思うが。



でも、夜の10時過ぎに、誕生日をあと2時間残してやったから、

一緒にいたいヤツと早く会うんだぞと言ったのは、ちょっと余計でした。


「日向さん、どうしてそういうことを言うんですか。むなしくなります」

「史香、誕生日、一緒に喜んでくれるヤツいないのか……。しょうがないなぁ」


結局、また、私のことは日向さんの楽しい笑い話になっていて、

今年の誕生日も、別に暮らしている母からの留守電メッセージだけが祝ってくれた。





「エ! グリーンフレッシュないんですか?」

「すみませんね、切れてるんです」


まさかの展開。一番近かったコンビニにはグリーンフレッシュがなく、

私は100メートル先にある別のコンビニへ向かった。

日向さんはグリーンフレッシュじゃないと、気持ちが悪いと言って、

その日が不機嫌になる。時計を見ると、すでに10分が経過していて、

また、田沢さんに嫌味の一つでも言われそうな予感がし始める。

やっと商品を見つけて、レジへ並んだ時、ポケットに入れておいた携帯が鳴った。

メールは田沢さんからのもので……



『何してるんだ、先にスタジオへ向かう! 自分で来い!』



「はぁ……」


私は左手に『グリーンフレッシュ』を握りしめ、地下鉄の駅へ向かうことになった。





やっとのことでスタジオへつくと、日向さんの撮影はすでに始まっていた。

今は夏、外を歩けば汗が流れそうになるのに、彼が目の前で着ているのはすでに冬。

ガンガンに冷房をかけているからか、汗をかいたまま飛び込んだ私には、

ちょっと寒すぎる気がして、思わず体に力が入る。

出入りするのにも、光が入るからと自由にならず、

震えるような状態で、30分が経過した。


「クシャン!」

「ほら、史香。お前、バイキンを飛ばすなよ」

「すみません」


鏡越しに笑っている日向さんが見えた。

一日に何度、田沢さんに怒られるんだろうと、思っているんだろうな。


「史香、これ、サンキュ!」

「いえ……」


それでも、グリーンフレッシュを嬉しそうに受け取ってくれた笑顔を見て、

落ち込んでいた気持ちは、どこかに吹っ飛んだ。





それから1週間後、ワンクールやってきたドラマの最終撮影があった。

いつもは楽屋に残り、片付けをしたり、細かい作業をこなしているが、

今日は田沢さんが別の番組の打ち合わせに行っていて遅れたため、

スタジオの隅に立ち、撮影の経過を確認する。

カットがかかるたび、番組のスタイリストが日向さんのところへ走り、

乱れた髪を整える。男性にしては元々髪質が柔らかい日向さんは、

少し大きな動きをすると、思っていた以上に崩れてしまうことがあるからだ。

それでも、彼にしか出来ないスタイルもあり、

雑誌で特集が組まれるようになったことを、米原さんも喜んでいた。


撮影は終了し、テレビ雑誌用の撮影が残された。

私は先に楽屋へ戻り、次の仕事へ向かうため、片付けをしなければならない。

いつも口うるさい田沢さんはこの後、

15分くらいしたらここへ来ることになっていたが、まだついていないようだった。


「座り心地……よさそう」


私は日向さんがいつも座る椅子に腰掛け、鏡を見た。

意外に部屋の隅々まで目が届くのだとあらためて想い、

隅の方であくびをしている姿など、見られて笑われているのではないかと、

妙に気になってしまう。


「ふぁ……」


昨日は見始めた映画がおもしろくて、結局2時間くらいしか寝ていない……。

この仕事に寝不足など、やってはいけないことなのだけれど、それでも見てしまった。

ライトがとっても温かくて、つい、目が……閉じそうになる。



ほんのちょっとだけ……





「史香!」

「キャー!」


眠りから覚ましてくれたのは、王子様ではなく、上半身が裸の日向さんだった。

プロレスラーじゃないんですから、首を絞めないでください。


「何してるんだよ、気持ちよさそうに。
こっちだって寝不足なんだぞ、幸せそうな顔をして寝るな」

「すみません!」


私はすぐに立ち上がり、慌てて片付けを続けた。

急に声を出されたから驚いたのは当たり前だけど、

それよりも、一瞬目覚めた時に鏡で見た日向さんの顔が、私の横に、本当に近くて、

腕の感覚も、息づかいさえも、忘れられなくなるくらい、ハッキリと残された。


「史香」

「はい」


振り向くと、日向さんの手には、今日終了したドラマの台本が握られていた。

私に向かって投げられた台本は、慌てて出した両手になんとかおさまってくれる。


「それやるよ。史香が担当に入ってくれて、初めて終了したドラマだからさ。記念に」

「いいんですか?」

「あぁ……」


パラパラとめくると、日向さんの書き込みなどが残されていて、

撮影の熱気がそのまま伝わる気がした。そんなものは後で読めと注意され、

私は自分のバッグに入れると、田沢さんに怒鳴られないように、片付けを続けた。





撮影中や準備中などに、他の事務所のスタッフや、局のスタッフから、

色々と聞かれることがある。

日向さんの趣味から、好きな食べ物まで質問はあるけれど、近頃多い質問は……。


「ねぇ、日向淳平って、吉野ひかりと本当に付き合っているの?」

「さぁ……」


そう、先日終了したドラマで競演した女優、吉野ひかりとの噂が、急激に広まったのだ。

5年前にも、互いに新人同然で競演したが、

その頃はまだクラスメイトくらいの相手役だった。

その時にも一緒のCMが決まったり、食事に行ったことであれこれ騒がれたが……。


「だってさぁ、あのベッドシーン、あれはリアルだったよね」

「うん、うん」


年齢も上がり、二人の競演も当初から話題になっていた、

すっかり大人のカップルになった日向さんと吉野さんは、

スタッフ達も気合を入れた、大人のシーンも撮影する。

あの日だけは、カメラも取材も一切NGだったんだよね。

現実と空想の狭間を、行ったり来たり……。

シーンが全てOKになるまで、スタジオを出ないと言い切った日向さんに、

次の仕事が間に合うのかと、田沢さんはイライラしていたことを思い出す。


私も放映日には、テレビの前で正座して見てしまった。

着替えているところなんか、何度も見ているけれど、

そう言った感覚とは違った筋肉の動きに、これは本当に撮影なんだろうかと、

確かに思った気がする。

日向さんも男なんだから、彼女くらいいたっておかしくないし、

競演して長い間一緒にいれば、気持ちが動いたっておかしくなんかない。

そんな大人の関係だって、きっとあるだろう。



俳優って大変だ。



プライベートと普段の状況がどこか重なってしまって、人の心に残ってしまう。


「史香、何ボーッとしてるのよ。準備は?」

「はい……」


米原さんの指示通り、日向さんの支度を整えていく。

そうだった、日向さんのプライベートのことなんて、私が考えても仕方がないこと。


「ねぇ、史香。畑山宗也に声かけられたことある?」

「畑山って、あの、サウンドプロダクションのですか?」


畑山宗也は、日向さんのライバルとも言える俳優で、

真面目な好青年の役が多いが、実は女性にだらしがなく、

若いスタッフなんかにも簡単に声をかけその気にさせると、米原さんが語り出した。

私は畑山さんに声などかけられたことはない。


「無責任な男だから、ひっかかったらダメよ。
変わり身が速くて、泣かされた女の子が多いんだから」


先日、初めて近くに来てくれた時、以外に背が高いんだなと思っていたら、

日向さんに腕を引っ張られ、立っている位置が違うと怒られたことはあった。


「まぁ、史香じゃ、畑山君の好きそうな色気が足りないかな」


声などかけられていないと言った私の話を聞いて、米原さんは楽しそうに笑い出す。

カーテンをひきながら、確かに色気なんてないのかも……と、

私は鏡に映る自分の顔を見ながら、少し長くなった前髪を引っ張った。






2 空想と現実


これからどうなるの? と思いつつ、
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コメント

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お返事場所を間違えてました

yokanさん、こちらもこんばんは!

ブログのUP、待っていてくれたんですか。
ありがとうございます。

>この作品のことはNさんより伺ってました^m^

Nさん? 私の知っているNさんでいいのかな?
なんて言ってたんだろう、気になるなぁ(笑)

>社内恋愛禁止ですが、社内恋愛の匂いがプンプンします

あはは……する、する。
さて、どうなっていくのか、続きを待ってね。

日向も畑山も、史香も、自由に空想してください。
それが読む楽しみだもんね。