9 彼の見るもの

9 彼の見るもの




航は食事を終えて立ち上がり、少し前に落ちていた吸い殻を拾うと、

クシャクシャにした袋を広げ、それを入れた。

友海はそんな航に何も言えず、黙ったままになる。


「中学3年の時に、僕の母は亡くなったんです。体は元々弱い人で、
小さい頃は手を引かれて歩いていたけれど、少し大きくなってからは、
いつも母がちゃんと後ろをついてくるのか、振り向きながら歩いてました。
肺の機能が弱かったせいか、煙が苦手で。
昔は今みたいに、分煙だの禁煙だのってことが少なかったから、
電車に乗っていくだけなのに、ホームでタバコを吸っている人達の煙が辛くて、
ハンカチでいつも口を押さえていた……。そんな姿が浮かぶんです。
だからなんでしょうね、僕はどうもタバコが好きになれない」


友海は斜め前に落ちていた吸い殻を拾い、自分が持ってきた袋に入れる。

確かに、吸わない人から見れば、

吸っている人は迷惑以外の何者でもないだろう。そう思う気持ちも少しはあった。


「でも、吸う人には吸う人の、理由もあるんじゃないですか」


航はその友海のセリフを聞き、またお節介なことを言ってしまったと笑う。

航は、そのまま軽く頭を下げると、落ちている吸い殻を拾いながら、

店へと戻っていった。



『減らせるのなら、一気に辞めてしまったらどうかな』



友海は、本当にお節介な人だと想いながら、一度大きく背伸びをした。





その日、バイトを終えた美鈴は、友海の部屋に顔を出した。

買ったことが信じられないと言っていた絵を見ながら、首を傾げてしまう。


「何よ、おかしいの?」

「ううん、友海の言っていたことが少しはわかる気がする。
確かに色も綺麗だし、絵もいいものなんだと思うよ。でもさ……」

「でも?」

「私は20万円、これに出せない」


そう言うと友海はテーブルまで戻り、友海が入れたコーヒーに口をつけた。

友海は人の価値観なんだからケチつけないでよと言い、

美鈴が触れた箇所に手垢がついたと、ハンカチで拭き始める。


「何よ、友海。まるで汚い人が触ったみたいじゃないの」

「価値の分からない人に、見せるんじゃなかった」

「あ……そうそう、何かメッセージがあるってそう言ってたでしょ。見せてよ」

「嫌よ、またケチつけるもの」

「つけないってば!」


美鈴に頼まれて、友海は額縁から絵を取り出すと、キャンバスを裏へ向けた。

そこには『最愛なる君へ』の文字が、鮮明に残っている。


「うわぁ……」

「でしょ? きっと誰かに描いた絵なんだよね。
この言い方だと、男性が女性へ向けて描いたものなんだろうけれど」

「なんだか、このセリフの方に感動しちゃうわ、私」


美鈴はなぜか携帯を取りだし、そのメッセージ部分を写真に撮り始めた。

友海は変なことをしないでよと、すぐに絵を額へ戻す。


「変じゃないでしょ、素敵じゃない。愛する人に絵を贈るなんて……。
あぁ……、こんなプレゼントもらってみたいと思わない?」

「もらえば? ボンボンから」

「友海! 気分が悪くなることを言わないで下さい」


美鈴は両方のこめかみを手で押さえ、本当に嫌そうな顔をした。

友海はそれを笑い、自分のカップを手に取り、口をつける。


「でもさ、それだけのプレゼントが、どうして売られてたんだろうね。
貧乏になってしまって、生活のために出したのかしら」

「さぁ……」


二人の話は、絵に始まり、スタンドの男連中の悪口へと進み、

日付が変わる少し手前まで、勢いよく続いた。





次の日、友海がコンクリート部分にブラシをかけていると、

その横スレスレを軽のトラックが通り、給油場所でブレーキをかけた。

中から出てきたのはボンボンで、美鈴を見つけすぐに駆け寄っていく。


「おはよう、美鈴ちゃん。1週間くらいさ、
問屋の講習会でちょっと京都まで行ってきたんだ。久しぶりだね」

「いらっしゃいませ、レギュラー満タンでよろしいですか?」


ボンボンの言葉など聞こえていないように、美鈴はマニュアル通りの接客を始めた。

友海はその口調を横で聞きながら笑いそうになり、慌てて後ろを向く。


「なぁ、そんなふうに言わないでよ。この間は、ちょっと俺も反省しているし、
あんなふうに帰らせてしまって、謝らないとと思っていたんだよね。
どう? 今度、一緒に飲みに行かない?」


友海は美鈴に向かって、必死にアピールするボンボンを横目でチラリを見た後、

すぐにブラシを再開した。

自分で飲みに誘っていながら、親父の知り合いの店だとか、

自分が世話をしてやっている店だとか、狭い範囲の権力を鼓舞しようとする。


「ごめんなさい、個人的なお誘いは……」

「そんなに堅苦しくするなって……なぁ……」

「いらっしゃいませ!」


その時、姿を見せたのは航だった。

ボンボンは始め誰なのかわからず会釈しようとしたが、

すぐにあの時、腕を締め上げた男だと気づき、顔色を変える。


「お前……」

「お客様、ワイパーのゴム部分がずいぶん傷んでますよ。どうですか? 
この際、お取り替えを……」

「うるさいな、今日はいいんだよ。呼んでもいないのに来るな」

「はい、満タン終了です!」


航の方へ気を取られているうちに、美鈴は給油を終了し、ボンボンのそばを離れた。

美鈴を追いかけることも出来ず、ボンボンは舌打ちを一度した後、

航の方を軽く睨みつけ、スタンドを出て行った。


「あぁ、もう……来なくていいのに!」


美鈴はそう本音を言うと、手に持っていた雑巾を思い切りぐいっと絞った。

バケツの中に、水が音を立てて落ちていく。


「大変だね、田上さんも。でも、きっぱりと断らないとダメですよ」

「はい、あの男が油田でも掘り起こさない限り、
私は1度たりとも、なびくつもりはありません」


美鈴は航に向かって軽く敬礼をし、航も笑いながらそれを返した。

友海は少し離れた場所でそんな二人を見ながら、油で汚れていた床を、

力いっぱい磨いた。





午前中『天神通り店』にいた航だったが、午後は本社に戻り、

朝戸から受け取った書類の山に目を通した。

だいたいのいきさつは登志子から聞いていたが、それ以上に話が動き出していて、

この先が大変だとため息をつく。書類の山を崩していると、

背中に感じる太陽の光が角度を変え、いつの間にか沈み始めた。

気がつくとすでに退社時間になっていたため、書類を棚にしまうと、

ビルの入り口へ向かう。


「あ……航さん!」


そう言って声をかけたのは、先日、海人についてきた聖だった。

仕事を終えて前を通ったから入ってきたと、楽しそうに笑う。


「海人なら、今日と明日は名古屋へ出張だよ。残念だけど」

「ううん、海人に会おうと思っているわけじゃないわ。
あなたがいたら、そのまま連れ出そうと思ったの。ねぇ、これから時間ない? 
パソコンがいよいよ壊れちゃったのよ、急いで新しい物が欲しいんだけど、
よくわからないから。あなたならアドバイスしてくれるでしょ」


聖はそう言いながらも、すでに航の横に立ち、

カバンの中に入れてきたパンフレットを両手で広げた。

多少強引ではあるけれど、約束だから仕方がないと、航も頷き二人は会社を出た。


「ガソリンスタンド?」

「あぁ、この先にある『ラムダ石油』の店が、
ちょっと変わったサービスをしているって、ニュースになったんだ。
一度見ておきたいと思って。悪いけど、その後でいいかな」

「ダメですと言いたいことろだけれど、
そちらの予定も聞かずに引っ張っているのだから、仕方ないわね」


聖はそう言うと笑顔を見せ、自分なりに調べたパソコンの知識を

披露しながら歩いて行く。

『ラムダ石油』まであと少しというところで、航は足を止めた。

そこにはおしゃれな喫茶店があり、入り口の横にあるガラス窓には、

何枚もの絵が飾られている。

店の中にいる男は脚立を用意し、かけてあった絵を目の前で取り替え始めた。

男と航の視線が重なり、ちょっと驚いたように男は会釈をする。

航は、知らない男性の会釈に、戸惑いながらも同じように頭を下げた。


「航さん、渡田さんをご存じなの?」

「渡田さん? いや、僕は知らないけれど、こっちへ挨拶をしてくれたから」

「うふふ……」


航には、聖がなぜ笑い出したのかわからなかった。

何かわかりきったかのように笑う姿に、ちょっと失礼な人だと思ってしまう。


「ごめんなさい。きっと渡田さんは私に挨拶してくれたのよ。
父がこの店を贔屓にしているの。若い画家の絵をよく買っているし、それに……」


渡田さんと言われた男性は、一番目立つ場所に、1枚の油絵をかけた。

広い海の真ん中に、ヨットが一艘浮かんでいる。

周りはゴツゴツした岩があり、日の光が水面を光らせ、複雑な色を見せる。


「航さん?」


航はその絵がもしかしたら、父の描いた物ではないかと思い、

聖の言葉を聞くことなく、吸い込まれるように店内へ入っていった。





10 邪魔者の右手
<photo:tricot>

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コメント

非公開コメント

了解です!

yokanさん、こんばんは!

>絵がだんだんと二人を近づけていますね^^

はい! これから、もっとこの『絵』に意味が出て来ます。
航は優しいけれど、芯は強い男です。
素敵に見えて、よかったわ(笑)

ポンの国のRさん、了解です!
さっそく、サークルのレスにお返事を返しておきました。
書き間違えなど、私なんてしょっちゅうです。
yokanさんのところでも『ありゃりゃ』をよくやってますから。

あーーァ

航の人となりが少しずつ見えて、友海も心引かれるものを感じてる?

そんな航に近づく聖、何か思惑が?
ただPCを買う付き合いをさせるだけなのか?

ってまたまたももちゃんの術中に嵌ったみたい。

???の多いレスになってしまった。

さて航が探す絵と、友海の買った絵が?

又?だ(´~`ヾ) ポリポリ

?がたくさん

yonyonさん、こちらもどうもです

>そんな航に近づく聖、何か思惑が?
 ただPCを買う付き合いをさせるだけなのか?

聖が味方なのか、敵なのか、
今はまだ、何も言えないのです。

>さて航が探す絵と、友海の買った絵が?

あはは……???ですね。