11 君の名前

11 君の名前




海人は無表情のまま廊下を進み、エレベーターの前に立った。

しかし、上から降りてくるはずのエレベーターは、2つ上階で止まり、

思ったタイミングで降りてこなくなる。

海人は、持っていた書類の束を強めに握り、

少し先にある階段を、カツカツと音をさせながら降りていく。


『芽咲海岸店』を売却する話は、昨年から持ち上がっていたもので、

勝手に吹き出たものではなかったはずだった。

今までならば、現場の従業員たちは、報告を聞くだけで、

特に意見など発することなく、会議は予定通り終了することが多かった。

しかし、新谷家の片隅にいるはずの航は、朝戸や関山の力を利用し、

いつの間にかデータを集めていて、その新たなる可能性に、

決まっていた動きは、混ぜ返される。


「聖! 昼休みだろ」


急に飛び込んでくるのはいつものことだが、雰囲気がどこかとげとげしく見え、

何かあったのだろうかと、聖は視線を向けた。


「海人、どうしたの? 今日は会議でしょ。
こんな時間に、あなたがこんなところにいていいわけ?」

「いいわけない。でも、おかしくなったんだ。
あの邪魔者が、決まっていたことをひっくり返すようなことを言い始めるから、
まとまるものがまとまらなくなった」

「邪魔者? あぁ、航さんのこと?」


海人は、聖の前に腰掛けると、航が『芽咲海岸店』売却に対し、

自分なりのデータをまとめ上げ、堂々と反対したことを話し出した。

すでに父親と自分が動き、それなりの方向性を決めていたのに、

無駄な時間が過ぎていくと、怒りのままに吐き出していく。


「航さん、ずいぶんあちこちの店を回っていたみたいよ」


海人は、聖が航の動きを知っているような口ぶりに、

とりあえず怒りの口調を押さえ、なぜそんなことを言うのかと聞き返す。

聖は、先日、PCを買う時に手伝ってもらったこと、

その時、ライバル店のサービスなどを細かくチェックしていたことなどを、

淡々と話し出した。自分の知らないところで、

二人が会っていたことを知った海人は、また、別の怒りに気持ちが乱される。


「海人も、現場に出てみたらいいのよ。
頭だけで考えているよりも、その方が身になるんじゃないの?」


聖はそう言うと、このPCを選んでもらって、少しおまけまでしてもらえたと、

航のことをさらに語りだした。海人はこれ以上、

聖から航の話を聞くのは耐えられないと、何も言わずに立ち上がる。

お茶でも入れましょうかと話しかけた、事務員の言葉を無視し黙って扉を閉めた。





航と同じビルの中にいるのが嫌で、海人はとりあえず外へ出た。

地下の駐車場から車が何台か出てきて、目の前を通りすぎる。

午後から人と会うような予定はなかったため、海人はそのまま地下へ向かい、

車に乗ると、『天神通り店』へ走った。


現場へ出てみたらと聖に言われたものの、どこへ行けば何が見えるのかさえ、

海人にはわからなかったが、『天神通り店』は12店舗の中で一番売り上げが多く、

客の流れもある程度予想できる。

航が報告書の中に取り上げていた『天神通り店』にまずは顔を出し、

現場の雰囲気を見てみようと考えた。


梅雨空が、一呼吸をするために色を変え、

日差しがフロントガラスに当たるようになると、道路に出来た水たまりが、

容赦なく海人の車体を汚していく。

昼過ぎのあまり混雑しない時間帯ならば問題ないだろうと、

そのままスタンドへ入った。すぐにスタッフが駆け寄り、窓を開ける。


「いらっしゃいませ、セルフもございますが、こちらでよろしいですか?」

「満タンにして、これ、洗車」


海人は鍵を外し車から降りると、近寄ってきたスタッフに鍵を渡し、店内へ入った。

3台の自動販売機がある横のボードには、洗車のすすめや、オイル交換割引など、

客にアピールする文面が並んでいる。

海人は、販売機前のテーブルに持ってきた携帯電話を置き、椅子に座ると、

スタンドの中で作業をしているスタッフの動きを追った。


海人から鍵を受け取った友海は、運転席に座り、エンジンをかけた。

洗車コーナーへ向かおうとして助手席を見ると、そこには書類が置いてあり、

それが本社のものであることがわかる。

海人が店へ来ることなど、滅多にないことなので、

ここで1年以上バイトをしている友海も、その顔を初めて見た。

本社のどんなポジションで、ここへ何をしに来たのかもわからなかったが、

それでも車を動かしセットすると、ボタンを押す。

チーフの馬場は、近くの道路で鍵をロックしてしまった車の運転手に呼ばれ、

店を離れているため、店長が会議でいないいま、海人の正体を知るものはいない。

美鈴は、洗った雑巾を干し終え、洗車機のそばにいる友海のところにやってきた。


「あのお客さん、ちょっと態度がでっかいよね。
腕なんか組んじゃってさ、こっちの様子を見ているみたいじゃない」

「あの人……たぶん本社の人だよ。だって、助手席にそれらしい書類があったから」

「そうなの? どういうこと?」

「さぁ……」


美鈴は、バイトたちの働きぶりを見に来たのだろうかと言いだし、

雑巾を1枚手に持つと、とりあえず色々な場所を拭き始めた。

時々、視線を海人の方へ向けるものの、

海人は美鈴の慌てぶりに気を止めることもなく、じっと前を見たままでいる。

やがて、洗車が終了し、友海が鍵を持ち海人のところへ渡しに行った。


「終わりました」


その言葉にも海人は反応することなく、

友海は、支払いは現金なのかカードなのかと問いかけた。

海人は、その時初めて友海の顔を見る。


「……溝口は会議か」


溝口と言うのは店長のことで、海人はポケットから財布を取り出すと、

カードを出した。友海はそのカードを手に取ると、

レジへ持って行きいつも通りの作業をする。


「君はバイト?」

「はい……」


海人はそれならば仕方がないかという顔をしながら、椅子から立ち上がり、

レジで作業をする友海のところへ向かう。

友海はサインをお願いしますと、ボールペンを差し出した。


「あのさ……これでも本社の人間なんだよね。
まぁ、知らないのだから仕方がないけれど……」

「だとしても、お金は払っていただかないと。洗車をされたのですから」


自分が本社の人間であることを、すでに気づいているような友海の言葉に、

ボールペンを持った海人の動きが止まる。

その時、ワゴン車に乗ってきた2人の子供が、

トイレを貸してくださいと言いながら、足早に横を通り過ぎた。

海人は自分の名前を書き終えると、また元の位置に戻っていく。


友海はサインの書かれた用紙で、海人の名前を確認した。

『新谷海人』という名前を見れば、いくらバイトの友海でも、

彼がこの『SI石油』の跡取りなのだと言うことが分かる。

それでも、自分の仕事は変わらないと、用紙を引き出しにしまい、

車検の申し込みに来た客の対応をし始めた。

するとトイレから出て来た兄弟は、ふざけながら自動販売機の前を走り、

入り口近くに積み上げてあったオイル缶の山にぶつかってしまう。

音を立てて崩れてた缶は、あちらこちらに散らばった。

友海がすぐに駆け寄ると、子供たちは驚きごめんなさいと泣き始め、

給油を終えて様子を見ていた母親も、慌てて一緒に謝罪する。

別の場所にいた美鈴も顔を出し、兄弟にケガがなかったことを確認すると、

二人はすぐに泣き顔から元に戻り、手を振りスタンドから出て行った。

その場に残ったのは、散乱したオイル缶だけになる。


「それにしても派手に壊しちゃったね、これ」

「うん、ほら、美鈴。積み上げちゃおう」

「でも、どうなっていたの? これ」


友海と美鈴は、崩れた部分を修正しようと缶を積んでいくが、

微妙なバランスがわからずに、どうやっても数が残ってしまう。

それでもなんとか積み上げ、それなりの形を作り出していく。


「友海、これ、手を離したら崩れない?」

「そうか……。じゃぁ、そこも外しておこう」


友海はずっと座ったままでいる海人の方を向いた。

二人の作業など、全く興味がないのか、

海人の視線は、友海とぶつかる様子も見られない。


「あの……手伝ってもらえませんか? 本社の方ですよね」


友海の呼びかけに、海人は首を横に向けた。

美鈴は本社の人間だとはじめから思っているので、

オイル缶を押さえながら、しっかりと頭を下げる。


「これ、崩れてしまったんです。
このままだとお客様がこちらに入りにくいですし。
残ったものを奥へ入れてもらえたら……」

「そこら辺に置いておけばいいだろ。男の手が空いたらやらせれば……」


そんなことを自分に言ってくることが間違っているとばかりに、

海人は友海の発言を止め、そう言い切った。

美鈴は友海に関わったらダメだと、目で合図する。


「乱れている商品を、買いたいと思うお客様はいません。
みなさんの手が空くまで待っていたら、みすみすチャンスを逃すことになります。
手伝っていただけませんか? 新谷海人さん」


友海はそう言うと、手に持った二つの缶を海人の座っているテーブルに置いた。

友海はわざと名前を呼び、関係ないそぶりをしている海人以上に、

この店に関係がある人間はいないのだと、そう間接的に伝えていく。

海人は、自分の名前を呼ばれたことで一瞬友海を見たが、

それでも動くことなく、また前を向く。

自分の問いかけを理解しながら無視する海人に、

友海はこれ以上語るのは無駄だと思い、背を向けた。


「航は……あいつは、何をしてたんだ、ここで」


航とここにいる海人がどんな関係なのか、友海にはわからなかったが、

途中入社した航が、何かを動かしていることだけは、感じとることが出来た。

顔を出したこともない海人が姿を見せたことも、

不思議といえば不思議なことだ。

友海は美鈴と転がっているオイル缶を集め、詰めなかった分を奥へと運び出す。


「成島さんは、ここで私たちと同じように仕事をしていきました。
ただ、それだけです」


半分の量をあきらめた二人は、また、すぐに入り出した客の対応に追われ始めた。

海人は自分の名前を見て、『新谷』という名字の意味を知りながらも、

手伝えと言った友海の動きを目で追っていく。


幼い頃から、祖父の仕事についていくのが好きだった。

ミニカーを持ち店へ行くと、自分よりも背も高く力も強そうな大人たちが、

一斉に頭を下げてくれた。椅子に座ると自然に飲み物が出て来て、

何かを言えば笑ったり、手を叩いたりしてくれる人が、必ずそばにいた。


現場から戻ってきた馬場が、海人が座っていることに気づき、

慌てて帽子を取ると、挨拶に入ってきた。

飲み物が出ていないと平謝りし、すぐに用意しますと奥へ入ろうとする。


「そんなことはしなくていい!」


そう言って立ち上がると、海人はスーツの上着を脱ぎ椅子の背もたれにかけ、

友海と美鈴が積み上げたオイル缶の山を、崩し始めた。

外で客を送り出した友海も、音に気付き、その様子を見る。

海人は何秒か場所を見ると、なにやら指で計りだし、

すぐ何箇所かに、基礎となるオイル缶を置いた。

隣に立っていた馬場は、海人の指示通り奥へしまい込んだ缶を取りに向かう。

海人は、作業を始めてほんの数分で、

友海と美鈴が奮闘したオイル缶の山を、元に戻した。

脱いだ上着を手に取り外へ出ると、海人はまっすぐに友海のところへ向かう。

馬場は、また友海が何かしたのではないかと、心配そうに見る。


「君……名前は」

「飯田友海です」


海人はあらためて友海のユニフォーム姿を記憶するように、

上から下へと視線を移動する。


「鼻っ柱だけ強くても、やることがやれなければ意味がない」


そう言うと、海人は友海のそばを離れ、止めてあった車に乗り込み、

そのままスタンドを後にした。





12 ブランコの風
<photo:tricot>

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コメント

非公開コメント

航と海人

>「鼻っ柱だけ強くても、やることがやれなければ意味がない」
と言うなら初めから手伝え!!!!!

航と比べられるのが嫌ならちゃんと自分らしさを出せばいい。

友海は正しい。でも年下の(多分)アルバイトに言われて素直に聞くような海人では無いだろう。

正しいからこそ

yonyonさん、こんばんは!

>航と比べられるのが嫌なら
 ちゃんと自分らしさを出せばいい。

ごもっとも!
でも、ごもっともが、あっさり通じちゃうと、
創作にならないのです。
でもね、航と海人の違いなどなどは、
さらにこれからわかるようになります。
(って、あっちとこっちの感想が混じりそうだ・笑)

>友海は正しい。

そう、なんだけど、だからこそ……って、
また書きそうになった(笑)

友海は正論なんだけど

yokanさん、こんばんは!

>海人は子供の頃からちやほやされて育っているから、
 率直に言う友海ちゃんにはビックリしたようですね^m^

お坊ちゃまをそのままにすると、
ろくな大人になりそうもないです。
海人にもズバッと立ち向かう友海ですが、
だからこそ……な出来事が、起こるんですよ。

ふぅ……。

なんとなく知らせるって、難しいなぁ。
『こんなことがおきます』って書いたら、
つまらないしねぇ。