1 ママと娘の旅立ち

1 ママと娘の旅立ち


彼は本当に優秀な人だった。

会社でも目立っていたし、上司からの受けも良く、また、同僚からも一目置かれ、

将来は心配のない、そんな素敵な時間が待っている……





……はずだった。








「ねぇ、誠一さん」

「何?」


それは結婚して1年後のこと。

愛し合って結婚した者同士なら当たり前の出来事に、私の体調が変化を見せた。

私はすぐに病院へ向かい、そのドキドキを確かめ、

夕食の支度を整え彼の帰りを待った。


「あのね、私、子供が出来たの。今日、病院で2ヶ月だって……」


すぐに言葉を返してくれると思っていた誠一さんは、

少し考えるような表情を見せた。この微妙な空気が流れる風を止めそうになる。

戸惑いなのか、照れなのかと思っていたら、出てきた言葉は予想もしないもの。


「なんだ……そうか。ちょっと早いな」

「早い?」

「あぁ……」


明らかに喜んでいないことが見て取れた。私は思わずお腹に手を当てる。

まだ、聞くことなど出来ないだろうけれど、赤ちゃんに今の言葉を聞かせたくはない。



女性と男性は、思う時期が違うのだろう。

確かな命が芽生えた感覚は、女性特有のもので、

男性は赤ちゃんが誕生してから、それから遅れて愛情が芽生えてくる。

私はそう思いながら、少しずつ大きくなるお腹を、何度も何度もさすった。





その年の11月28日、私は小さな女の子を出産した。





「ご主人はいらっしゃらないの?」

「仕事が忙しくて、休めないそうなんです」


病院の看護師さんたちは、私の言葉に顔を見合わせた。それはそうだろう。

同じ日に生まれた赤ちゃんの父親は、息を切らしながら病院にかけつけ、

我が子の顔を嬉しそうに眺めていたし、お産の日、廊下で一緒に力を込め、

産み落としたかのように汗をかいている人もいた。



誠一さんが姿を見せてくれたのは、赤ちゃんが誕生してから3日後のこと。



「藍、しばらく実家に戻ってくれないか」

「エ……」

「研究資料をまとめないとならないんだよ。今、家に戻られて、
赤ん坊の泣き声に悩まされたら、仕事に支障がでる。わかるだろ」


私はその提案に、すぐ頷くことが出来なかった。

実家は車で30分ほどのところにあるが、そこにはすでに兄夫婦が入っていて、

体の弱い母は、義姉に対し気を遣い生活をしている。

私が赤ちゃんを連れて転がり込むようなことをしたら、いい顔はされないだろう。


「僕の方から川村の家には電話しておくから、それでいいね」


それでも結局、誠一さんの提案を断り切れず、私は実家に戻った。

母は赤ちゃんの誕生を本当に喜んでくれて、

義姉もお産で実家に戻るのは当たり前だと、嫌な顔をせずに迎え入れてくれた。


「名前は? 藍さん」

「……あゆみにしようと思って」

「あゆみちゃん? あら、かわいい」


岸谷あゆみ。その名前だけは誠一さんがすぐに決めてくれた。

役所に提出し、あゆみは正式に岸谷家の一員になった。


しかし、実家に戻り2週間が過ぎた頃、母が私に申し訳なさそうな顔をして、

マンションへ帰ってくれないかと頭を下げた。


「ごめんね藍。もう少しここに置いてやりたいんだけど……」

「ううん、そろそろ戻らないとって思っていたの」


口ではどうぞと言っていた義姉さんだったが、

仕事を持っているため、私たちがいることで負担が増えると、

兄に愚痴をこぼしていたらしい。

生まれ育った家であっても、もう、私の住む場所はここではないと、

あゆみを連れてマンションへ戻った。


「ただいま……」

「あぁ……」


病院以来の再会なのに、誠一さんの態度は、そっけないものだった。

戻って来てからも、あゆみを抱くことはほとんどなく、

むしろ夜中に泣き出したりすれば、どうにかしてくれと慌てるばかりで、

おむつを変えることもしてくれない。


「泣かせるなって言ったって、仕方がないじゃない。これが赤ちゃんなの」

「うるさいんだよ」


一体、男の人はいつになったら父親になるのだろう。

そんな思いを抱えながら、3ヶ月が過ぎた。

検診に向かうと、同じ病院で子供を産んだ女性に出会い、久しぶりに挨拶を交わす。


「元気?」

「うん……」


彼女の名前は岡本美夏さん。

ご主人はトラックの運転手さんだと、確かそう言っていたが、

母子手帳の名前の欄には、別の名前が記してある。


「離婚したのよ、私」

「エ……、いつ?」

「謙が産まれて、1ヶ月後かな」


美夏さんとご主人の間には、産まれた謙君と2つ年上の守君がいるが、

仕事を見つけては辞めてを繰り返すご主人に、愛想がつきたのだと笑う。


「その時はね、わかった、次は頑張るって言うのよ。
でも、ちょっとすると上司が嫌だとか、同僚が嫌だとか言って、
結局辞めて帰ってくるの。もう、情けなくてさ。
こっちは赤ん坊抱えて、毎日必死に戦っているのに、ついに蹴っ飛ばしてやった」

「ご主人を、蹴ったの?」

「そうよ、こいつに養ってもらうんだって思わなければ、ただの厄介者だもの。
それなら自分が表に出て働いてやる! って家を出た」


美夏さんの言葉には、ただ驚かされた。

私には、そんなことなんて出来ないだろう。

確かに誠一さんは冷たく感じることもあるし、未だにあゆみに対し、

父親らしいことなど特にしてくれたことはない。

それでも、お給料をしっかり持って帰り、食べ物には困ったことがなかった。


「うちはさ、実家が新聞販売店なんだよね。働いてやるって言っても、
実際には親元へ戻ったって言った方が正しいんだ。かっこ付けたけど……」


美夏さんはそう言うと、謙君を抱きあげほっぺたに何度もキスをした。

謙君もあゆみも成長は問題なく、次は7ヶ月検診だねと互いに約束し、

その日はベビーカーをひきながら、別れの挨拶をした。





それから時は過ぎ、梅雨もそろそろ終わりに近付いた頃。





「誠一さん、おむつが足りないの。ちょっと薬局へ行くから、あゆみを見ていて」

「あぁ……」


私は、その日、初めてあゆみを誠一さんに預け、買い物へ向かった。

いつもならベビーカーに乗せていくが、小雨が降っていては、

風邪をひかせてしまうかもしれない。

道路を渡り薬局へ向かうと、思いがけない場所で、ドラマのロケが行われていた。

人が集まる場所にちょっとだけ興味を持ち、10分で戻るつもりが、

30分を過ぎてしまう。私は慌てて買い物を済ませ、マンションへ戻った。

扉を開け、誠一さんにあゆみのことを尋ねてみる。


「あぁ、隣に入れてあるよ」

「隣?」


誠一さんは当たり前のように隣だと指を差した。

その場所はクローゼットになっていて、換気の窓もない。

扉の前につっかえ棒のように置かれたゴルフセットをどかし、

中にいるあゆみを探す。閉じ込められたと思っていないあゆみは、

私の顔を見るとニコッと笑い、覚えたてのハイハイで懸命に進もうとした。


「誠一さん、どうしてこんなことをするの。もう少し気温が高かったら、
暑くて大変なことになるのよ。ちゃんと見ていてって言ったじゃない」

「見ていたよ、最初は。でも、あちこち触るんだ。
僕が仕上げた書類に汚い手で触られたら、どうしたらいいんだよ」

「汚い……手?」

「あぁ……」


全身から力が抜ける思いがした。

この人にとったら、あゆみはかわいい分身どころか、

得体の知れない異星人くらいの感覚しかないのだろうか。

悔しさのあまり握った手の平を、必死の思いで広げ、

あゆみを抱えたまま、玄関を飛び出し大きく息を吸い込んだ。





この子が『パパ』と呼んだら、きっとその時は、彼も……。





しかし、あゆみが『パパ』という言葉を覚えても、態度は変わらず、

言葉を話すようになると、さらに存在を煙たがるようになる。

あゆみの誕生日も2度目を迎えるあたりになると、色々なものに興味を持ち始め、

誠一さんが大切にしていた限定品の『プラモデル』に、

少しだけ触れて壊してしまう。


「何をしてるんだ!」

「うわぁ~ん」

「うるさい!」





限界だった。





かわいく笑うようになったら……

よちよちと歩くようになったら……

いや、『パパ』という言葉を覚えて話すようになったら……

そう思い続けてきたけれど、誠一さんは結局、何も変わることなどなかった。


私に対しては、ずっと夫婦でいることを求めてきた。

しかし、私はその気持ちに応えることが、日々辛くなっていて、

近頃は天井だけを見つめ、ただ横たわっているだけになっている。




その日、私はあゆみを抱え、何も持たずに家を飛び出した。




目の前に到着したバスに乗り、

ただ、あの人のいるマンションから離れようと必死になった。

それでも終点に到着し、行くあてもないため、そこから先に進めなくなる。


駅の前にあった不動産屋へ入り、

どんな場所でもいいから借りることは出来ないかと尋ねてみた。

保証人が必要だと言われ、また、これだけ小さい子がいるのなら、

それを預けて働ける場所を確保して欲しいとも言われてしまう。


どれもこれもが、当たり前のことだった。

私は、こんな無力なままで、何をしようとしたのだろう。



あゆみと二人で、生きていくことなんて……

私に、出来るはずがない。



不動産屋の扉を開け、仕方なく町を歩く。

あゆみは、見慣れない町に、キョロキョロと不思議そうな目を向けた。


「岸谷さん!」


振り向いた場所に立っていたのは、ベビーカーに謙君を乗せた美夏さんだった。





2 雨の日の助け人

『ももんたの発芽室』も、2年を迎えます。
これからも、変わらぬお付き合い、お願いします (^O^)/

よかったら、『ポチリ』してね!

コメント

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これからも。

2周年おめでとうございます。
これからも楽しみにしています♪

これから藍とあゆみちゃんが心配です。
美夏さんが、キーパーソンかな?

毎日連載、ファイト!

楽しみにしてます。

2周年おめでとうございます(^-^)//""パチパチ

今回のお話はちょっと辛い出だしですね。

早く子供な誠一から自立して幸せになって行くのを
祈ってますね。。

毎日待ってます~

2周年おめでとうございます。
今は、これで4つのお話が進行してることになるんですよね。
すごいなあ~

ママはこれから自立すべく強くなっていくのかな。
パパは、パパになるんだろうか。。
あゆみちゃんの笑顔を奪ってほしくないです。

私がくじけずに読めますように。
辛い話は辛いので。。

おめでとう♪

ももんたさん、2周年おめでとうございます!

大変ご無沙汰です(;^_^A
でも、こちらにはしょっちゅうお邪魔はしてるんですよ♪

『発芽室』もう2年かぁと思ったり、まだ2年?と思ったり…
いつも癒していただいてます。
これからもよろしくで~す!

藍とあゆみ、穏やかな日が早く来るといいなぁ
私の知り合いにも誠一のような人が居て…
なんだか人事ではありません。

2周年記念のお話、毎日楽しみにしてますネ!(^^)/

ももんたさん♪

2周年、おめでとうございます!

これから前向きに頑張って生きていく母子のお話かな
どんな風に幸せを掴んでいくのでしょう
楽しみです♪

これからもご自分のペースで楽しみながら
この暖かいお部屋を続けていってくださいね^^

応援しています☆

毎日のUP、楽しみです!

ももちゃん、2周年おめでとうございます!

ちょっと辛い展開で始まった今回のお話
まだ幼いあゆみちゃんを抱えて
飛び出した藍がとっても心配だけど・・・

二人に少しでも早く穏やかな幸せが訪れる事を祈りながら

毎日のUP、楽しみに待ってるね~^^v

ありがとう!

ヒャンスさん、こんばんは!

>これから藍とあゆみちゃんが心配です。
 美夏さんが、キーパーソンかな?

早速、遊びに来てくれて、嬉しいです。
飛び出してしまった藍とあゆみ。
美夏は、藍よりも先に、再出発を決めた女性です。
はたして、どんな再会になるのか。

お祝いの言葉をありがとう。
みなさんのおかげで、続いています。
これからも、お気楽に遊びに来てね!

ありがとう!

yasai52enさん、こんばんは!

>今回のお話はちょっと辛い出だしですね。

あぁ、そうですね。
平凡な家庭をと願っていた藍、子供が産まれてみて
初めて知った誠一の性格。

藍が新しいスタートを切るのか、
誠一が気持ちを入れ替えるのか……

この先にも、ぜひぜひおつきあいください。

お祝いの言葉をありがとう。
みなさんのおかげで、成り立っている発芽室です。
これからも、よろしくね!

ありがとう!

yokanさん、こんばんは!

>なんという父親なんだ!もう、言葉が出ないわ・・・

はい、誠一は父親になる準備のなかった男でした。
藍が行動に出たことで、二人の気持ちが変わるのか、
それとも……ということで、
この先も、よろしくお願いします。

お祝いの言葉をありがとうございます。
みなさんの訪問で成り立ってます。
これからも発芽室を、よろしくお願いします!

ありがとう!

れいもんさん、こんばんは!

>今は、これで4つのお話が進行してることになるんですよね。

あぁ、そうか。
いえいえ、でも『記念創作』は仕上げてのUPですから。
『3兄弟』は書きながらですけどね。
でも、全て1ヶ月半くらいの余裕はあるので、
大丈夫です。

>私がくじけずに読めますように。

うわぁ……れいもんさん、どこまでOK?
そんなに大変なことには、
ならないはずなんだけど(笑)

お祝いの言葉をありがとうございます。
みなさんが来てくれるからこそ、
楽しく書かせてもらっています。
これからも、よろしくお願いします。

ありがとう!

Arisa♪さん、こんばんは!
こちらこそ、ご無沙汰です!
Arisa♪さんの名前を見ると、オフ会を思い出す(笑)

>『発芽室』もう2年かぁと思ったり、
 まだ2年?と思ったり…

あはは……。そうかも。
時々、自分で1年前の記事を読み返したりしています。
ブログって、一応日記でもあるんですよね。
(ほとんど妄想で成り立ってますが・笑)

>私の知り合いにも誠一のような人が居て…

あぁ、そう感じてくれると嬉しいな。
彼の態度、信じられないと思いつつ、
今はこんな人もいるんじゃないかな……と。
ママ友さん達との井戸端から、
色々な情報を得ている私です。

お祝いの言葉をありがとう!
みなさんがいてこそ! の発芽室です。
お気楽に遊びにきてね。

ありがとう!

藍染隊長さん、こんばんは!

>これから前向きに頑張って生きていく母子のお話かな

はい、そうです。
あ、でも、それだけじゃないです(笑)
子供がいるから感じること、また、忘れていたこと、
そんなことをからめながら、話が進みます。

お祝いの言葉を、ありがとう!
こうしてみなさんに来てもらえることが、
何よりも嬉しいです。
この先も、お気楽におつきあいください。

ありがとう!

パウワウちゃん、こんばんは!

>まだ幼いあゆみちゃんを抱えて
 飛び出した藍がとっても心配だけど・・・

はい、我慢に我慢を重ねていた藍が、
ついに飛び出してしまいました。

しかし、それですべてOK! とは、
ならないのが世の中でして。

誠一の心が変わるのか、藍の心が変わるのか、
出会った美夏の存在は、あゆみは?

ということで。

お祝いの言葉を、ありがとう。
みんなに支えられて、重ねてきた2年です。
本当に、自分自身が楽しませてもらって、
感謝でいっぱいですよ。

これからも、お気楽にお付き合いお願いします。

おめでとう!

2周年おめでとう!早いものですね。
毎日覗いていて、一日でも空けてしまうと何だか物足りない気がする。

日々の何でも無いことがきらきら光って見えたりして、凄く素敵な場所です。
楽しみに来てますからこれからもずっとずっと続けて行ってね(^^)

オイコラッ!誠一!
でもこんな人いるよ。家は姑がそうでした。孫は可愛いっていうけど、全然抱こうとしなかった。
おんぶしたり、ベビーカーで散歩なんて一切無かった。

美夏さんが救世主になってくれるといいな。

ありがとう!

yonyonさん、こんばんは!

>毎日覗いていて、一日でも空けてしまうと
 何だか物足りない気がする。

うわぁい、なんて嬉しいお言葉でしょうか。
yonyonさんのネット散歩コースに
入っているのが、とても嬉しいです。

これからも、マイペースに続けますね。
お気楽に遊びに来て下さい。

>でもこんな人いるよ。家は姑がそうでした。

あら、抱っこもないの?
でもまぁ、誠一ほどではないはず。
うん……。今の彼の行動では、かわいいと言う気配すらないからね。

さて、このままなのか、やり直すのか
それは続きで!

2周年への挨拶、ありがとう。
みなさんのレスや拍手でここまで来てます。
特にyonyonさんには、サークルから
ずっと、ずっとお世話になりっぱなし。

でも、これからもよろしくお願いします(笑)