5 涙のドライブスルー

5 涙のドライブスルー


堀田さんたちと別れた私たちは、店へ戻り仕事を開始した。

美夏さんは広告を機械にセッティングしながら、

イライラがおさまらないと、嘆いている。


「美夏さん、もういいわよ。隣の田口君が引き受けてくれたんだもの。
今日の帰りにでも、ナオ先生に話すから」

「堀田さん、絶対にナオ先生を恨んでいるんだわ。そうだわ、そうに違いない」

「恨み?」


私は整ったものを機械から外し、美夏さんの話に耳を傾ける。


「あのね、堀田さん。先週、ナオ先生に見合いを勧めたんだって」

「お見合い?」

「そう。それがね相手は自分の妹なのよ。年齢は28歳、一つ年上」


28歳と聞いて、自分の心臓がカチンと音を立てた気がした。

役員長の堀田さんは、まだ、嫁いでいない自分の妹と、

お見合いをしないかと、ナオ先生に持ちかけたらしいのだ。





28歳といえば、私と同じ。





「でもね、好きな人がいるんです……って、ハッキリそう言われたんだって。
当たり前だよね、ナオ先生に彼女の一人や二人、
いないと思っているあの堀田さんの頭の中が、おかしいんだよ」

「う……うん」


そうだった。ナオ先生の保育園以外の姿は、何一つ知らなかったが、

27歳の普通の男性だ、彼女がいて当たり前で、

そんな恋愛盛りの人に、確かに見合いを勧める方が、無謀な気がする。





『好きな人がいるんです』





そうしっかりと答えたのだから、

ナオ先生には未来を約束している人がいるのだろう。

あの優しい先生の心を捕らえた女性が、どんな人なのか、知ってみたくなる。


「自分の勧めた見合いを断ったくせに、藍さんとあゆみちゃんには
優しい言葉をかけていたのが気に入らないんだろうね。
女って、ひがみ根性だけは、着々と成長するものなんだわ、あぁ心が狭い、狭い。」


美夏さんはそう言うと、余った広告を何枚か取り、

思い切り丸めるとゴミ箱に向かって放り投げた。





その日の帰り、私は同じ配達員の男の子に、競技参加を頼んだとナオ先生に告げた。

気を遣ってもらい申し訳なかったと、自分の方が先に探すべきだったと付け加える。


「そうですか……。僕の方こそ、何か余計なことだったのかな」

「いえ、私の方こそ、気を遣わせてしまって、申し訳ありませんでした。
美夏さんにも、ナオ先生も嫌な想いをさせてしまって……。
自分でどんどん動かないとならないのに、気がつかないというか、すみません」


私のことを心配し、動いてくれた人たちが、嫌な思いをした。

このことが何よりも辛かった。ナオ先生は一瞬、何かを言いたそうにしたが、

それを止めるように下を向く。

私は何かあるのなら隠さずに教えてくださいと先生に話した。


「あゆみちゃん、頑張っています。みんなとも仲良くして、
もちろん、ケンカもするけれど、ちゃんと謝ることもできるし……ただ……」


あゆみは園庭のブランコに乗り、歌を歌いながらゆらゆらと揺らしている。

同じように別の教室でお迎えを待っている男の子が、隣に乗りまた揺らし始めた。


「体を動かす遊びが、とっても好きなんです。
体を1回転させてあげたり、飛行機だと言って、足の上に乗せたり、
あんまり体を使った遊びを、してもらったことがないんですね」


父親がいながら、父親らしいことをしてもらったことのないあゆみは、

ナオ先生にそういった遊びをねだることが多いらしい。

そういえば、販売店の学生さんたちにも、

肩車をしてもらって喜んでいる姿を何度も見たことがあった。


「主人は、そういった遊びをしてくれるような人じゃありませんでした。
今思えばきっと、主人も子供の頃、義父にしてもらった覚えがなく、
出来なかったのかもしれません。私もなるべく外で遊んでやらないといけないとは
思っているんですけど」


大学教授の義父は、私達が結婚することを話した時も、食事を一緒にしただけで、

話の輪に加わるようなことはなかった。

昔から父はそうなんだと、誠一さんが言っていたことを思い出す。



愛情を受けなければ、愛情を受け渡すことも出来ないのかも知れない。



「もう、戻ることはないんですか?」


突然飛び出したナオ先生の質問に、私は思わず顔を上げた。

ナオ先生は、私のその表情に、慌てて余計なことを言ってしまったと

頭を下げてくれる。


「すみません、つい余計なことを」

「いえ……。それが私たちの現実なので。
あまりにも要求がひどかったら言ってください。私からあゆみに言い聞かせます」

「いえ、そんなことじゃないんです。僕は迷惑だなんて思ってませんので」


ナオ先生に頭を下げ、私はあゆみを連れ保育園を出た。

まっすぐな道を歩きながら、少し前に出た言葉を思い出してしまう。





『もう、戻ることはないんですか?』





浮気をしたわけでもなく、給料を家に入れないわけでもない誠一さんから逃げて、

ここで暮らしている私たちのことを、ナオ先生はわがままな親子だと、

そう見ているんだろうか。





『好きな人がいるんです』





美夏さんから聞いたあの言葉と重なり、なんだかとても寂しい気がして、

私はほとんど下を向いたまま、アパートへ戻った。





あゆみが楽しみにしていた『たんぽぽスポーツ祭り』は、快晴の空の下で、

大きな怪我もなく終了した。それから3日後、美夏さんから何枚かの写真をもらう。

あゆみがニコニコ笑いながら、楽しそうにお遊戯をしているところ、

私と田口君のかついだカゴに乗り、真剣な表情を見せているところ、

かけっこのスタート地点で、構えているところ、

私は、その写真をじっくりと見つめ、アルバムにしまおうと手を伸ばす。


その時、何人かの保護者に混じって、誠一さんの顔が目に入った。

深く帽子をかぶっているが、間違いなく彼だった。

保育園側は、まだ父親としての籍が抜けていない誠一さんにも、

園の予定表を送っているらしく、それを見た彼が私たちに内緒で園に来たのだと、

その時に初めて気がついた。





季節は夏を過ぎ、秋に変わる。

何度目かのお願いをするために、調停員に会ったが、彼の気持ちに変化は全くなく、

いまだに戻ってこいといい続けている。


「ご主人の子供に対する態度が、離婚を望む原因だとそう言われましたよね」

「はい……」

「彼からは、それは奥様の思い違いだと、そう意見が入っているんですよ」

「思い違い?」


誠一さんは、私たちが家を飛び出してからも、援助を続けてきたこと、

いまだに私たちの帰りを待ち、別の道を全く考えていないこと、

そして、先日も保育園のイベントにあゆみの姿を見に行ったことなど、

調停員に語っていた。


「本来、真面目な方ですし、やり直すことが出来るんじゃないですか?」


出世することの楽しさを知っている誠一さんは、

調停員に対する自分の見せ方も、知っている。

私は、イベントに現れ写真に残っていた姿を思い出し、

誠一さんらしいやり方だと、そう思った。

その日は、何も言い返すことが出来ないまま、私は書類だけを記入した。





暦はまた12月を迎えた。

仕事を始めて1年が過ぎ、私はいつものように夕刊を配って回る。

陽はあっという間に沈み、暗くなったその時、

道路の反対側から飛び出てきたネコを避けようとして、

横にあった小さな溝にタイヤをひっかけ、その場に放り出される。


「何してるんだ、轢くところだぞ!」

「すみません」


横を走ってきた車の運転手に怒鳴られ、頭を下げると、

私は散らばった新聞を必死に集め、止めた自転車のカゴにもう一度納めていく。

履いていたジーンズの膝部分が破け、うっすらと血が滲み出した。

それでも残りを配り終えようと自転車にまたがったが、

激しい傷みが頭の先まで走っていく。


「やだ、こんなところで……もう……」


それでも必死に漕ぎ続け、足を引きずりながらなんとか配り終えることが出来た。

今日は先生方の研修があるため、少し早めに迎えに行かなければと、

私はそのまま保育園へ向かう。


「すみません、岸谷です」

「あゆみちゃん、ママだよ」


あゆみは遊んでいたおもちゃを片付け始め、

ナオ先生はいつものように私に荷物を手渡した。


「どうしたんですか、足」

「エ……あぁ、ちょっと配達中に転んでしまって。ネコが飛び出してきたんです。
それを避けようとして、こんなことに。ドライバーの方に怒られました」


小学生の子供でもあるまいし、破けたジーンズを履き、

足を引きずる自分が恥ずかしくなり、照れを隠すように笑ってみせる。


「大丈夫ですか? 今、救急箱を持ってきますから」

「いいんです、ナオ先生!」


ナオ先生はそのまま職員室の方へ向かい、救急箱を持ってきてくれた。

私は家に戻るから大丈夫だと、その場に立ったまま言ってみる。


「でも、ばい菌が入りますから」

「イッ……」


ナオ先生が私の足に触れた時、また激痛が走り、

あまりの痛さに、私はその場に崩れてしまった。

心配をかけてはいけないと思っているのに、

今まで感じたこともない傷みが、体中を貫く気がする。


「岸谷さん」

「すみません、すぐに……、すぐに立ちますから」

「そんな状態じゃ立てませんよ。顔が真っ青じゃないですか。
もしかしたらひびが入っているのかもしれないし、
腱でも痛めているのだとしたら、固めないと」

「ママ……」


心配そうに顔をのぞくあゆみに、何度も大丈夫だとそう言ったが、

あゆみは悲しそうな目をしたままで、私の足をさすってくれる。


「今、車出します。近くの医者に診てもらいましょう」

「いえ、いいんです。少ししたら……」

「いいわけないじゃないですか。
この足でどうやってあゆみちゃんを連れて帰るんですか」


ナオ先生は職員室へ向かい、『たんぽぽ保育園』と書かれた

軽自動車を園の入り口に止めた。私の体を支え、何とか立ち上がらせると、

そのまま支えるように少しずつ歩いてくれる。


「すみません、今日は研修なんですよね。
ナオ先生、行かなければならないのに……」

「いいんです、別の日に受けますから」

「でも……」


その言葉の続きが、どうしても出せなかった。迷惑だとはわかっていても、

この場に放り出されたら、私はどんなに意地を張っても、歩くことが出来ない。


今さらながら、こんな足で迎えに来てしまったことを後悔する。

美夏さんにでも事情を話して迎えに来てもらえばよかった。

ナオ先生は、引くに引けなくなって、私の面倒を見てくれているのだろう。





きっと、呆れている。





「あの……」

「あれこれ言わなくていいですから。早く病院に行きましょう」


あゆみと私を乗せた車は、保育園の指定になっている病院へ向かった。

先生と園長先生との長い付き合いで、診療時間外だったが、嫌がらずに診てくれる。


「これは?」

「痛いです」

「こっちは?」

「あ……もっと痛いです」


レントゲンを撮った結果、私は足首にひびが入ってしまったことがわかった。

受付で支払いをしようとして、たいした手持ちがなかったことに気づく。


「先生、僕が払っておきます」


私の戸惑いに気づいたナオ先生が、治療費を代わりに支払い、

その場を収めてくれた。

固められた足は、来るときよりも動きやすくなっていて、また車に乗る。

ここから自分で帰りますと、口から出そうになったが、

強がることが出来る状態ではなく、黙ったまま後部座席で下を向いた。


「お腹空いたよね、あゆみちゃん」

「うん……」

「じゃぁ、ドライブスルーしようか」

「うん!」


病院を出た車は、そこから10分ほど進んだファストフードの

ドライブスルーへ向かった。あゆみは初めての経験で、

嬉しそうにマイクに向かって食べたいものを注文する。


「ダブルのセット……、岸谷さんも同じでいいですか?」

「あ……はい」


暖かい紙袋が定員さんから渡され、ナオ先生はその一つを私の手に乗せた。

あゆみはおまけでついてきたおもちゃを早速取り出し、軽く音を鳴らす。


「これから家に戻っても、その足じゃ食事の支度は無理ですよ、きっと。
こんなものいつも食べないのかもしれないけど、結構、バカになりません。
おいしいんです」


ナオ先生はそう言うと、アパートへ向かって車を走らせる。

私は手に袋を乗せたまま、その優しさと温かさに、

あふれ出そうになる涙をこらえることで必死だった。






6 ご迷惑な親子

『ももんたの発芽室』も、2年を迎えます。
これからも、変わらぬお付き合い、お願いします (^O^)/

よかったら、『ポチリ』してね!

コメント

非公開コメント

とか、なんとか。

こんばんは^^
なんかドキドキする展開ですねぇ^m^

ナオ先生は藍が好きなんだと思うけど?
でも、イマイチ好きになったコレっていう事が見つからない
んだよなぁ・・・
とか、なんとか考えながら読んでます。

同情? 愛情?

先生と保護者の関係が微妙に変化しているような・・・

でも、これって愛情というには不確かで、同情なのかな。

怪我をして弱気になっているとき差し伸べられた手って、勘違いしちゃうかも。

そして読者はやきもきする・・・

担任と保護者

嫉妬心むき出しで
相変わらず藍の気持ちなどわかろうとしない誠一
運動会を見に来たのにはそんな訳があったのね
離婚調停、なかなか難しそうだね

思わぬ怪我で
ナオ先生の優しさに又助けられることになった藍
これから少しづつ担任と保護者の関係が変わっていくのかな

ナオ先生の好きな人って・・藍だと思ってるんだけど・・・




難しいなぁ

ももんたさん、一気に読めて得したわ^^

ナオ先生とは少し関係が変化してきましたね。
お互い毎日を見てると、形だけの夫婦より分かり合えるのかも。

誠一さんは、とにかく理論で物事を埋めたい性格なのね。
何事も気持ちじゃなく、自分の立場がどう出るか・・・そのことだけで行動しているようにみえる。

そういう人って感情の伴わない理論だけが完璧なのよね。
これからの誠一さんとの関わりが藍に不利にならなければいいのにね。

弱り目に祟り目

こっそり見に来る誠一、何だいい奴じゃん!と思ったのに
作戦?だったのか・・・

こうなると余計に難しい。

心が折れそうな時に、泣きっ面に蜂で、怪我なんかしちゃうのよね~

そして又ナオ先生の優しさに触れて・・・・

『好きな人がいます』誰なの~~~?
って↑同じ想像してます。

発言の意味

ヒャンスさん、こんばんは!

>ナオ先生は藍が好きなんだと思うけど?
 でも、イマイチ好きになったコレっていう
 事が見つからないんだよなぁ・・・

そうそう、そうだよね。
特に、藍と何かが起こったわけではないし、
好き……にさせた、なった理由がないでしょ。
ナオ先生の言った発言は、
本当に好きな人がいるのか、
それとも面倒だからそう言ったのか……

まぁ、それは取り方となるのですが。

……と、具体的には書けない私(笑)

情の種類

なでしこちゃん、さらに、さらに!

>これって愛情というには不確かで、同情なのかな。

母と子供、頑張ろうとしている藍とあゆみ、
ナオ先生の発言は、逃げなのか、
本心なのか……

同情、愛情、友情など、情にも色々ありますので(笑)

はぁ……、具体的に書けない!
やきもきOK!
そのままおつきあいください。

藍の心の変化

yokanさん、こんばんは!

>ご主人は改心したんじゃないのかと思ったり、
 でも藍さんはかたくなだし、
 こころはナオ先生のほうへ向かっているような・・・

子供が生まれる前の藍の感情と、
生まれてからの藍の感情は、
全く違うものだと、思います。

さて、誠一との間、ナオ先生の発言、
藍の心の揺れ

などなど……は、この先へ続きます!

発言の意味は?

パウワウちゃん、こんばんは!

>嫉妬心むき出しで
 相変わらず藍の気持ちなどわかろうとしない誠一

プライドの高い人ですからね、
簡単にはいかないでしょう。

>ナオ先生の好きな人って・・藍だと思ってるんだけど・・・

さて、その心は、どこに向かっているのか、
逃げか、それとも本音か?

ということで、さらに続きます。

男の心

tyatyaさん、こんばんは!

>ももんたさん、一気に読めて得したわ^^

今回は、私にしては1話が長いので、
一気は大変じゃなかったですか?

>ナオ先生とは少し関係が変化してきましたね。

そうですね。
藍のこと、あゆみのこと、色々見えてきたところが
あると思います。
もちろん、藍もナオ先生について
知ったことも増えてますしね。

さて、別れないと言っている誠一、
別れたい藍。
どんな展開になるかは、まだまだこれからです。

誠一の作戦

yonyonさん、こんばんは!

>こっそり見に来る誠一、何だいい奴じゃん!と思ったのに
 作戦?だったのか・・・

はい、父親の素質はないけれど、
エリートの素質は十分な男のようです。
でも、彼は彼なりに必死。

>『好きな人がいます』誰なの~~~?

はい、この発言については、
うるさいママ達からの逃げなのか、
それとも本音なのか……

それは、まだまだこれからです。