君に愛を語るとき …… 12 怒り

12 怒り


まだ空は夜に近い状態だったが、律子はうっすらと目を開けた。

そばに置いてあった携帯電話がピカピカと光り、時間を教えている。

柊の腕枕に頭を乗せ、彼の息づかいと体温をしっかり感じる律子。


「起きたの?」

「……柊、起きてるの?」

「……うん」


律子は体を起こしながら、柊の頬に軽く口づける。


「昨日はごめんね、わがまま言って」


柊は首を横に振り、律子の腕をとった。まるでまだ起きないでと

言っているように見える行動に、少しだけ律子は不思議な顔をした。


「ごめん、起きよう……」


始発へ乗れるように、二人は駅へ向かっていく。昨日強く降っていた雨も、

いつの間にかあがっていた。


「律子……これ」

「エ?」


改札へ向かう律子を止め、柊はポケットからプレゼントを取り出した。

『クリスマス』に渡そうと思っていたあの時計。


「……」

「就職活動するのに、時計くらいしておけよ」


律子はその箱を受け取り、すぐに嬉しそうに笑った。

赤いリボンと金のシールがついている。


「クリスマスじゃないの? これ」

「……あまりにもそれじゃ、普通だろ。なるべく早く役に立ってもらいたからさ」


柊はそう言いながら軽く笑っていた。しかし、それは本音ではなく、

この先起こるであろう出来事を、予想してのことだった。



『クリスマスは会えないだろう……』



昨日、柊はその覚悟で律子の手を引いていた。おそらくこの外泊はすぐに嘘がバレ、

自分たちが責められることもわかっている。

それでも、昨日だけは律子をそばに置きたかった。


「開けてもいい?」

「うん」


律子はリボンをほどき、箱を開けた。嬉しそうに時計を手に取り、腕にはめる。


「ありがとう……柊」

「……うん」


電車が到着するという放送が流れ始める。律子は慌てて時計をしまい、

改札を通ろうとする。


「律子、やっぱり送るよ」

「……大丈夫よ、ちゃんと終電には乗れなかったって電話したでしょ?」


自分のウソが通用すると思っている律子。

柊は結局、その気持ちを尊重し、駅で別れることに決めた。

背を向けた律子を、そっと自分の腕の中に収めるように後ろから抱きしめる柊。

韓国へ行く前……。あの時と同じ、香りのする髪に、柊はそっと口づけた。



『律子……必ずまた、君を抱きしめてみせる……』



柊の心の中を知らない律子は、その包まれる力強さに、安心したように微笑み、

柊を受けとめていた。





律子が家に戻り、廊下を歩いていると、すでに起きていた母が、台所から声をかけた。


「律子……」

「あ、お母さん、ごめんね。みんなで始発に乗ってきた」


昨日、最終電車に乗り遅れたと連絡だけは入れていた。しかし、どこか気まずいのか、

視線をあわせることが出来ない律子。母は2階へ上がろうとしている娘の手を取り、

椅子に座らせる。


「正直に言いなさい。本当にサークルなの?」

「……本当よ」


母はコンロにかけていたやかんの火を止めた。律子に背を向けたまま、話しを続ける。


「誰か、お付き合いしている人でもいるの?」

「……」

「いるんでしょ?」


律子はカバンの中に入っている時計の箱を、見えないように奧に押し込んだ。


「……いないよ、別に……」

「嘘つかないとならないような人なの? 律子」

「エ……」


やかんのお湯をポットに注ぐ母。そんな母の落ち着いた口調に、

律子は自分の心が透かして見られているような気持ちになる。


「お付き合いを言えないような人なら、許せないけど……」

「……」


いつも律子を包むような、柊の優しい笑顔がふっと浮かんでくる。

そんな彼を好きになり、初めて開けた『心の窓』。


「言えないような人じゃないもの……言えないような変な人じゃない!」


律子は母親を軽く睨むように視線を向けた。





それから3日が経ち、年明けから研修が決まっている柊は、荷物を片付け、

紙袋に詰めていた。必死に勉強し、学んだ場所とも、今日で別れることになる。


「山室! ちょっとこれ持てって」

「……なんだよ、落合。お前力ないなぁ」


年末恒例のゼミ教室、大掃除の日がやってきた。柊は同期の友人と、部屋を片付けていく。

大学に入り、教授の授業が好きになり、入り浸った研究室。角にある小さな机は、

いつのまにか柊専用のものになっていた。


「ゲホゲホ……」

「ほこりだらけだよ。全く、辻教授は自分で掃除くらいしないのかって!」

「ほこりじゃ死なない……っていつも言うぞ……」


初めてこのゼミに入り、掃除をしている後輩達が、毎年同じ言葉を並べていく。

柊も何度もそう言っていた。親友の健介もその一人だった。


「柊……」


その声に柊が振り返ると、そこには南美が立っていた。バンダナで鼻と口を覆い、

頭にもバンダナを巻いている。


「なんだよ、南美。お前、このまま銀行強盗にでも行くのか?」


柊はそう言いながら、思わず吹き出して笑っていた。


「笑わないでよ。これくらいしないと、ノドがおかしくなっちゃうわ」

「はいはい……」


南美は柊の方に近づくと、机の上に1冊の辞書を置いた。

それは柊がずっと使っていたドイツ語の辞書だった。いつのまにかなくなっていたと思い、

すでに新しいものを購入していた柊。


「ごめんなさい……」

「南美が持ってたのか」

「ちょっとだけ借りようと思ったの。でも、柊のひいたアンダーラインを見ていたら、
返せなくなってた……これ、もらっちゃダメ?」


あちこちに手垢のついたような辞書を、南美が大事に持っていた。

そう思うと、胸が熱くなる。


「こんなものでいいなら、やるよ……」

「……うん……」

「でも、お前、最後まで柊って言うのが直らなかったな」

「……いいの。だって、柊と同じ会社は受けないから。もう、追いかけるのはやめるから」

「南美、お前大学院に進まないの?」

「行かない。就職するつもり……」


自分を好きだと言ってくれた親友の妹。負けず嫌いで強いことばかり言うけれど、

本当はすごく寂しがり屋だ。南美も律子と同じ、大学3年生だったことに、気付く柊。


「もう一つ柊に謝らないといけないことがあるの……あのね……」

「もういいよ。過ぎたことなんだろ」


何を言い出そうとしているのかは分かっていた。以前、柊を訪ねてきた律子を、

強い口調で追い返したこと。きっとそのことだろう……。


「もういいよ。気にするな!」


柊が律子との距離を縮めていく間に、南美は柊から離れていく努力をしていた。

そんな南美を、柊はこれ以上責める気もない。


「南美、辞書貸してごらん」


柊は南美から辞書を取り、最後のページを開けた。ボールペンを取り出し、書き始める。



『お前なら、第一志望の会社に絶対に入れるぞ! 夢を追えよ、南美! 柊』



南美はその辞書を受け取り、小さく何度も頷いていた。


「柊、嫌いにだけは……ならないでね……」

「嫌いになんてならないよ。僕にとっても、南美はずっと妹だ……」


南美は無言のまま一度だけ頷き、部屋を出て行った。

南美の姿がなくなり、柊は携帯を取りだし、メールや着信記録がないかの確認をする。

あの外泊をした日から3日、律子からの連絡は途絶えたままだった。仕掛けた罠にはまり、

出口の見えない部屋に閉じこめられている、そんな気分の毎日。



『具合でも悪いのか? 出来たら連絡を下さい』



そう送信するのも、もう5回目だった。


「柊! お客様……」

「……」


部屋を出て行った南美が急に戻り、そう告げる。


「ちょっと白髪交じりの男性だけど……」


柊はその言葉を聞き、その時が来たのだと思っていた。

律子の父親の顔は、あれから忘れたことなどない。

部屋を出て、一度大きく深呼吸した後、角を曲がる。

そこに立っていたのは、間違いなく律子の父親だった。


柊は、律子の父親を連れ、ゆっくりと研究室の裏庭へ歩いていく。

張り詰めるような冬の空気が、二人の間を流れていった。


「山室君。まさか君にまた会うことになるとは思ってなかったよ……」


律子のウソがバレることは、柊にもわかっていた。来るべき時が来た……。

わかっていたからなのか、気持ちは案外落ち着いている。


「あの事故の後、君に頼んだはずだよね。もう律子に、二度と会わないでほしいと……」

「……はい」

「どうして守ってもらえないんだろう」

「会わないという約束をした覚えはありません」


柊の言葉を、受け取る律子の父親。次に何を言い返してくるのだろうと、柊は思っていた。

興奮して首をつかまれても、自分の言いたいことだけは言わなければならない。

そんな強い視線で見つめ返す。


「律子が足に傷を負ったのは、君の責任じゃないと、
警察にも保険会社にも何度も言われた。頭ではわかっているつもりだ。
でも、私が事故の現場で見たのは、君の運転する車に挟まれ、
真っ青な顔をした娘の姿だった。あれだけは1年が過ぎても、忘れることは出来ない」

「……」

「その時、運転席でハンドルを握ったまま、もうろうとしていたのが君だった」


右肩のひどい痛みを感じながら、今でも耳に残る、通行人の声。

当時のことは、柊も鮮明に覚えている。


「あの事故で、律子はずっと続けていた陸上をやめ、
夢であったインストラクターの仕事にも就けなくなったんだ。
それだけでも辛いのに、君はまだ、娘の人生をもて遊ぶつもりなのか?」


父親のその言葉に、柊は誤解しないで欲しいと、首を振る。


「……もて遊ぶだなんて、それは違います。僕は真剣に彼女と向き合っています。
律子さんは……」


柊は真剣に、律子と今を生きている。辛かった出会いを越え、互いを必要としている。

そう強く訴えかけた。


「真剣? なら、どうして1年もの間、私たちを騙していたんだ。真剣だと言うのなら、
どうして娘にウソをつかせてまで、外泊させるんだ? 答えてくれないか……」


柊の足元の枯れ葉が、風に舞い、飛んでいく。


「騙していたと思われるのなら、それは謝罪します。正直、ここまで来るのに、
僕にも葛藤がありました。律子さんの気持ちを推し量るだけで、ご両親のお気持ちまで、
考えている余裕がなかったというのが本音です。外泊は……」



『泊まったらダメ?』



そう問いかけた律子の声を思い出す柊。


「あの事故から1年でした。だから、僕は彼女のそばにいたかったんです。
一緒にいてほしいと……僕が言いました」

「……律子は、自分が言ったと言っていたが……」

「どちらからというより、二人とも同じ気持ちだったということです。
ご心配をおかけしたのなら、謝ります」

「娘から、君を好きだと言われたときには、どうしようもない怒りで言葉が出なかった。
自分を傷つけた男を、好きになったという娘の感情が全く理解できない。
それを聞いたとき、あの子は、冷静にものが判断できない状況になっている、そう思った。
だから、大人である山室さんの方から、ひいて欲しい」

「……」

「こんな立派な大学の大学院まで出て、就職も一流企業に決まっているだろう。
律子なんか相手にしなくても、あなたにはもっと出会いがあるはずだ。会わなければ、
忘れることが出来る。もう、あの事故を忘れさせて欲しい。娘を解放してやってくれ……」


律子の父親はそう言うと、悔しそうに空を見上げていた。

柊は一度呼吸を整え、静かにこう告げる。


「あの事故を忘れることなど、僕らには出来ません……」


冬の風は、また何枚かの枯れ葉を舞い上げていた。

                                          13 影   はこちらから



二人の恋の行方は……

ランキング参加中です。よかったら1ポチ……ご協力ください。

コメント

非公開コメント