7 ママからの叫び

7 ママからの叫び


年中になったあゆみは、『すみれ』組で新しいスタートを切った。

トコ先生は優しく、クラスの子供や保護者もいい人が多い。

それでも私の中で、堀田さんの言葉をぬぐい切れないまま、

どこか納得出来ない日々を送る。





『今年はちょっと楽をさせて欲しいって、園長先生に頼んだようよ』





遅れた時に大丈夫ですと言ってくれた笑顔も、声をかけてくれた優しさも、

ただ、そのまま受け取っていてはいけないものだった。

いつの間に私は、ナオ先生に助けてもらうことを

当たり前だと思うようになったのだろう。





「あゆみ、準備はいいですか」

「はい、いいです」


私は、もうじき還暦を迎える母に、誕生日プレゼントを贈ることにした。

余裕はないが、それなりに生活していることを報告し、

心配を少しでも無くしてあげたかったからだ。

あゆみを連れて街へ出て、大きなデパートに入っていくと、

普段見ることも買うこともない洋服が並び、

おしゃれな人達があちこちで楽しそうな声を響かせる。


デザインが気に入っても色が気に入らなかったり、そのまた逆もあったりで、

なかなか決まらないでいると、私の買い物に、あゆみは飽きてしまったのか、

店のタイルを使い遊び始めた。片足でポンポンと跳び、またこっちへ戻ってくる。


「あゆみ、こっちにいなさい」

「あ!」


ジャンプをやめたあゆみは、反対の方向を指差し私の方を見た。

何を見つけたのかと聞くと、思いがけないことを口にする。


「ママ、ナオ先生とトコ先生」

「エ……」


まさかと思いながらあゆみの元へ近付くと、

エスカレーターを挟んだ反対側の売り場で、一緒に買い物をしている二人がいた。

トコ先生はいくつかの商品を手に持ち、隣に立つナオ先生に何やら聞いている。

ナオ先生は首を横に振り、また笑顔を見せた。



男性の下着売り場で、二人が揃って立っている。



それだけで、以前見かけた光景が、幻ではなかったのだとそう思えた。

何も関係のない二人が、並んで買い物をするような売り場ではない。


「トコ先生! ナオ先生!」

「あゆみ……」


あゆみの声に気付いた二人が顔をあげ、そしてすぐに顔を見合わせた。

私はあゆみの頭を手で押さえ、一緒にお辞儀をさせる。

状況としてはすぐにでも走り去りたいところだけれど、それもわざとらしくて、

逆に気を遣わせるのじゃないかと、私は平然を装ったまま、元の位置に戻る。


「ママ、先生だよ、お話しよ」

「あゆみ、先生はお買い物中だからダメよ。ここは保育園じゃないの」


ナオ先生もトコ先生も、あゆみに気付いたはずなのに、

こちらに来ることはなかった。どこか名残惜しそうに振り返るあゆみの手を握り、

私は少しずつ二人と距離を開けた。



トコ先生は、色白でかわいい女性だ。

保育士になるために産まれてきたような、そんな雰囲気を持っている。

子供達からの人気もあり、保護者からの評判もいい。

ナオ先生は園長先生の後を継ぎ、

『たんぽぽ保育園』を盛り上げていくつもりなのだから、

二人が未来を語り合っても、何一つ不思議なことなどないのに……。





それでもどこか……。

私の心の中を占めたのは、『寂しい』という感情だった。





次の日の朝、あゆみを保育園に送ると、私を呼び止めたのはトコ先生だった。

昨日はきちんとご挨拶をしないで申し訳ありませんと、頭を下げてくれる。


「いえ、こちらこそ、あゆみが大きな声を出してしまって、すみませんでした」

「いえ……、あゆみちゃんにあんな場所で会えるとは思わなくて、
ちょっとびっくりしてしまって」


特に、二人でいたことを口止めされることなど無く、

トコ先生はお仕事頑張って下さいと、声をかけ部屋へ戻った。

二人にとっては、隠しておかなければならないような事実ではないのだろう。


あゆみがロッカーに荷物を入れ、

お気に入りのぬいぐるみを箱から出しているのを確認し、私は店へ戻った。





季節はまた梅雨を迎え、『すみれ』組ではある出来事が話題になった。

それは、朝、子供達を迎える時、

トコ先生が左手に指輪をしていたことを見つけた母親がいたからだ。

トコ先生はそれを指摘され、慌てて外したようだったが、

噂話が好きな親たちからすると、格好のネタになる。


「ねぇ、素敵な指輪だったんだって、お相手って誰なんだろうね」

「うーん……」


私は美夏さんと、その井戸端会議の輪の横を抜け、店への道を歩く。


「トコ先生も、つい嬉しくて外すの忘れて、
気づかないままお迎えに出ちゃったんだろうな。
しばらくは親たちの語りと、噂話からは逃れられないよ」

「うん……」

「みんなの予想の本命は、ナオ先生なんだって。
あの二人、仲がいいって他の先生からも聞いたことがあるし、
共通の友人もいたりするらしいのよ、そう言われて見れば、そうなのかもね」

「いいじゃない、ナオ先生なら。トコ先生がお相手なら、
結婚して二人で保育園を盛り上げていけるんだし、園長先生も満足じゃない?」

「ん? まぁ、そうだよね、トコ先生は三姉妹の三女だって聞いたことあるし、
そうか……ナオ先生もちゃんと考えているってことか」


中には堂々と、トコ先生に指輪の送り主を聞いた母親もいたようだが、

結局、それが憶測から抜け出すことにはならないまま、季節は動いた。





梅雨独特の湿った空気の影響か、少し前から保育園でおたふく風邪が流行だし、

あゆみも例外ではなく感染し、保育園を1週間休むことになった。

部屋から連れ出すことも出来ず、私はまた、自由な時間を失ってしまう。


「あゆみ、ご飯食べよう」

「いや……」


腫れている頬が痛いのか、あゆみはいつもに増してわがままになる。

守君や謙君にうつしてはまずいと、接触することも避けていたため、

遊び相手もいないことが、余計に気持ちを乱すのだろう。


「もう少し、腫れが引かないと……」

「お外に行きたい。保育園に行きたいよぉ……」


起きるたびに、何かをするたびにそう言われ、

逃げ場のない私も、少しずつ気持ちを乱してしまう。


「早く食べて!」

「ママ、お外……」

「行けるわけがないでしょう、いい加減にして!」

「うわぁーん……」


実は、私の気持ちが不安定になるのは、あゆみだけの責任ではなかった。

何日か前に、母から電話があった。

私の短大時代の同級生が、久しぶりに東京へ出て来たので会えないかと、

実家に連絡を寄こしたのだと言う。


彼女は結婚する道を選ばずに、現在も自分の夢に向かって歩いている。

どうしても宝石のデザイナーになりたくて、短大を出るとさらに専門の学校で学び、

4年前に念願のデザイン1号を出したのだと、手紙を受け取った覚えがあった。


あの当時は、私も自分の理想の結婚へ突き進んでいて、

彼女の生き方に対し、それはそれだとしか思えなかったけれど、

今、こうして小さな部屋の中に閉じこもってみると、

どうして自分だけがこんな生き方をしているのだろうと、

抑えていた感情がわき上がりそうになる。





「アイス! ママ、アイスが食べたい!」

「後で買ってくる」

「今……もう、平気」

「おとなしく寝てなさい!」


頬の腫れが少しずつ引き、動くことが嫌でなくなったあゆみは、

持っていたぬいぐるみを、私に向かって投げつけた。

ウサギのぬいぐるみが、目の前に転がり、とぼけた顔が正面に見える。


「ママ嫌い! 怒ってばっかり、いやだ」


私はウサギのぬいぐるみを手に取ると、横で文句を言うあゆみの顔をにらみつけ、

反対の方向へ放り投げた。





嵐のような日々が過ぎ、あゆみはまた保育園に戻り、私は久しぶりに街へ向かった。

誠一さんのところを飛び出してから、

ずっと下ばかり向いて生きてきた気がするけれど、

私だってまだまだ、やれることがあるはずだ。

久しぶりに少し洒落た美容室で髪を整え、ちょっと贅沢にランチを楽しむ。

高い物ではないけれど洋服を買って、雑誌に載った店へ向かった。


楽しく歩いたからかのどが渇き、雰囲気のいい店に入りメニューを見ると、

美味しそうなカクテルの写真が貼り出されている。

コンテストで賞を獲ったバーテンがいる店らしく、

まだ夕方になりかけの時間だけれど、それを楽しみに来た客も多い。

気持ちがふわりと浮いていた私は、勇気を出してそのお酒を注文した。

元々、お酒が強いわけでもないのに、街の明るさと、賑やかさに、

いつも閉まっている鍵が、どこかで外れていたのかもしれない。

時間が過ぎていくこともすっかり忘れ、気がつくと別のカクテルをまた頼んでいた。



予定よりも、駅へつく時間が30分遅くなった。

あゆみをお願いした時間は6時だったが、延長は7時まで認められている。

今までだって、予定時間より遅れたことなど何度かあった。

今日もきっと、お友達と笑いながら、私のことを待っているはず。



たった30分。



一日、自由を得た私は、気持ちをまた入れ替えて、明日から頑張ろうと、

一歩ずつ保育園へ向かう。

園庭に入ると、すでに保育園は真っ暗で、唯一灯りがついているのが、

『すみれ』組だった。

いつもなら他にも子供達がいるのに、今日に限って誰もいない。

部屋の入り口に座っているのは、あゆみとナオ先生だった。


「遅くなりました、岸谷です」

「ママ、遅い!」

「ごめんね」


どうして誰もいないのだろう、そう思いながらナオ先生に頭を下げ、

トコ先生は何かあったのかと問いかける。


「岸谷さん。今日は通常保育のみですと、手紙をお渡ししたはずなんですが」

「エ……」

「携帯の方にも、何度か連絡を入れたのですが、出てもらえなくて」


私は慌てて携帯をバッグから取りだした。

そう言えば、ランチを済ませ、話題になっている映画を見る時、

マナーモードにしたままだった。謙君ママでもいてくれたら、

話は違ったのかもしれないが、今日に限って親戚の法事で、

謙君は保育園を休んでいる。

慌てて受話器を開けると、着信の記録が5件もあり、

それは全て『たんぽぽ保育園』になっていた。


「すみませんでした」

「色々とご都合があるのはわかりますが、こちらにも予定があるので。
きちんと守っていただかなければ困ります」

「はい……」


ナオ先生に責められたからなのか、

それとも久しぶりに飲んだお酒だったからなのか、そこから急に顔がほてり出し、

耳まで赤くなっていく。私はふらつかないように、その場で大きく息を吐いた。


「お酒でも、飲んでたんですか? 耳が赤いですよ」


ナオ先生の言葉が、いつもよりとげとげしかった。


「あ……あの……」


私がお酒を飲んだことを否定しなかったからなのか、

ナオ先生の表情が明らかに曇る。

あゆみの連絡帳をカバンに押し込み、その後、何も声をかけてくれなくなった。


「ナオ先生、明日ね」


あゆみの言葉にも反応しないなんて、ナオ先生にしては珍しかった。

私はとりあえず頭を下げ、あゆみの腕を引こうとする。


「あなた、母親じゃないんですか。
あゆみちゃんはまだ、病気が治ってから2日しか経ってないんですよ。
もし、ぶり返して熱でも出たらとか、考えることはなかったんですか」

「エ……」

「時間も守らずにお酒を飲んで帰ってくるなんて、案外……」


ナオ先生は何か言いたげな唇を噛みしめ、そこで言葉を止めた。

案外……の後は、聞かなくても分かる。

思っていたよりもだらしがない人間だと、私のことを責めたかったのだろう。

確かにあゆみはおたふく風邪から復帰して、まだ2日しか経っていない。




それでも……。




「私だって……」




私だって、生身の体で、色々な感情を持って生きている。

そう心が叫びをあげ、そのまま言葉となり飛び出してしまう。




「私だって、気持ちを自由にさせたい時があるんです。
ナオ先生、あなたにしてみたら、だらしのない母親に見えるんでしょう。
昨年もご迷惑ばかりおかけして、また、こんなことになって、
もう、いい加減にしてほしいと、そう思われても仕方のないことかもしれません。
でも……あなたは熱を出した子供と、1週間向き合い続けたことがありますか? 
どうして泣くのかわからない赤ちゃんをあやしながら、
夜の道を、一人で歩き続けたことがありますか。
どこで叫んだらいいのかわからない思いを抱えながら、
溜息をついたことがありますか」


もはや、私の心はブレーキのきかないものになっていた。

あゆみが病気になりストレスが溜まったこと、

友達が自由に生き、私に無いものをしっかりと持っていること、

誠一さんとの離婚調停が、なかなか前へ進まないこと、




そして、目の前にいるナオ先生が、優しい言葉をかけてくれても、

その目に映る人が、他にいること。




何もかもが嫌になり、身勝手に、言葉をナオ先生に投げつけたまま、

私はあゆみの腕を引き、そのまま園庭を出ると、振り返ることなく歩き続けた。






8 いつかを待つ日

『ももんたの発芽室』も、2年を迎えます。
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コメント

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叫びたい相手だから・・・

つい苦しさを叫んでしまった藍
相手がナオ先生だから言っちゃったのかもね。
気になる相手に、聞いて欲しい、何とかして欲しいと思う気持ちがそうさせた。

一方ナオ先生の問い詰めるような言葉は、逆から見れば
藍が気になるから苦言を言ったともとれるかな。
何とか立ち直らせたい、しっかりして欲しいと思う心がキツイ言葉になったのでは・・・

と思うのですが、作者さん、いかがでしょう!^m^
(深読みしすぎかなぁ)


面白い展開になってきましたね~♪
心をさらけ出す・・・いいわぁ~^^

あ゛~あ

ナオ先生を意識するあまり、いろんなことを考えすぎたみたいね。

堀田さんが言った言葉も必要事情に気にしすぎているのでは?
それが却って、藍さんは「自分の素行を非難された」と悲観的に見てしまったのではないでしょうか。

でもね。
あゆみの言葉にも反応しないナオ先生はちょっとイカンです。
子供には関係ないことなのですから。

ナオ先生に思いを爆発させてしまった藍さん。
読んでてオロオロしちゃうよ~~。(’o’)

どちらも。。

藍さんもナオ先生も感情的になってます。
気持ちが動いている証拠なのかなあ。。

こういう時期も必要ですね。
これを乗り越えなきゃ前には進めないのかも。

でも、あゆみちゃんが犠牲になるのはいけません。

とうとう爆発!

確かに病気の子供と二人っきりで
お篭りするのってストレスたまるんだよね~

そこにいろんな事が重なって
とうとう爆発!

そしていつも穏やかなナオ先生の厳しい言葉。。。
あゆみちゃんの言葉にも反応しないなんて
相当頭にきちゃってるね~

時には心の中をさらけだすことも必要だと思うけど

いつもと違うナオ先生とママを
傍で見てしまったあゆみちゃん
心が深く傷ついてないか・・とても心配です。

それ言っちゃ・・・

何故自分ばかりが?と・・・

好きな人と結婚して、子供が生まれて幸せになるはずだったのに!

何故こんな事に??

子供は我がまま言うし、誰も分ってくれない。
爆発したのね。でもどこかで言ってしまわないと、そのまま抱えていたら、あゆみに手を上げる事だってあるかもしれない。

ナオ先生も心配したからこその苦言でしょう。

つい……

なでしこちゃん、こちらでもこんばんは

>つい苦しさを叫んでしまった藍
 相手がナオ先生だから言っちゃったのかもね。

お酒を飲んだこともあるだろうし、イライラが募っていたことも
あるだろうし、もちろんナオ先生だったから……もあると思う。

面白くなってきた? ならばよかった。
なでしこちゃんの予想が当たるのか、
全く別の方向へ進むのか、

それは後半の7話で!

感情的な二人

tyatyaさん、こんばんは

>でもね。
 あゆみの言葉にも反応しないナオ先生はちょっとイカンです。

そうです、そうです。
ちょっと冷静でなくなっている二人。
次の日、冷静になれるでしょうか。

思いをぶつけてしまった藍。
彼女の未来は明るくなるのかどうか。

それは後半の7話で!

あゆみの心

れいもんさん、こんばんは

>藍さんもナオ先生も感情的になってます。

はい、なってます。
思い切りぶつかってます。

>でも、あゆみちゃんが犠牲になるのはいけません。

その通りです。
藍とナオ先生の次の日は、どんな朝なのでしょう。
それは後半の7話で!

心の声

パウワウちゃん、こんばんは

>そしていつも穏やかなナオ先生の厳しい言葉。。。
 あゆみちゃんの言葉にも反応しないなんて
 相当頭にきちゃってるね~

ねぇ、感情を出してはダメですよね。
まだ、若いのです。ナオ先生も(笑)

叫び声をあげてしまった藍、
さて、あゆみはどんなふうに……

は、次話で。

こんな思い、実はあるよね

yonyonさん、こんばんは

>でもどこかで言ってしまわないと、そのまま抱えていたら、
 あゆみに手を上げる事だってあるかもしれない。

こういうもやもやした気持ちって、
子供を持った人なら、みんなあるんですよね。
でも、聞いてくれる人がいたり、
同じ境遇の人がいたりして、話を聞いてもらう。
ストレス発散できるんですけど。

藍はナオ先生にぶつかってしまいました。

さて、この後二人はどうなるか、
あゆみは……

は、次話へ進みます。