12 ずっと、ずっと

12 ずっと、ずっと


あゆみが年長の夏は、それからあっという間に過ぎた。

完成した平山団地に無事引っ越し、美夏さんの店で勤める学生達が、

店のトラックを使って、少ない家具を運んでくれる。


「川村さん、棚はここでいいですか?」

「あ、ありがとう、そこでいいです」


冷蔵庫の設定と、洗濯機の設定は、業者の方に頼んだため、

まだ使うことが出来ないが、それでも何もなかった部屋に、

少し家具が入っただけでも、見る景色が変わってくる。


「すみません、お世話になりました」

「いえ……」


学生達は、夕方の仕事があるので、先にトラックで店へ戻った。

真新しい畳の匂いが心地よく、

私は美夏さんと顔を見合わせ大きく息を吸い込んでいく。

自分の部屋になる場所が、あることが嬉しいあゆみは、

ここに机を置くのだと、謙君に説明をした。


「日当たりもいいし、本当に良かったよ、藍さん」

「うん……なんだか、ずっと一部屋にいたから、広すぎる気がして」

「そんなことないよ、大丈夫」


少し離れた場所を、車が何台か通っていく。

子供達の声を聞きながら、互いにそこからは何も語らなかった。

美夏さんと出会えたことを感謝し、これからも変わらない友達でいられることを、

心から願った。





食事の支度をしながら夕方のニュースに目を向けると、

『矢部金属』の社長と、合併先である『MINOWA』の社長がフラッシュの中、

満面の笑顔で握手するシーンが映る。

私たちがスタートを切ったように、

誠一さんもまた新たな場所で、スタートを切るのだろう。


「出来た! 見て見て、ママ!」

「ん? 何書いたの? あゆみ」


今までも使っていた小さなテーブルを部屋の真ん中に置き、

あゆみはクレヨンで何やら絵を描いている。

片方は王冠を被ったお姫様で、片方はジャージ姿の男の子だ。


「何、これ、何の絵?」

「あのね、これはナオ先生。こっちはあゆみなの。
あゆみね、大きくなったら、ナオ先生のお嫁さんになるから」


謙君がトコ先生に憧れたように、あゆみにはナオ先生が憧れの人だった。

父親にしっかりと抱かれたことがなかったあゆみを、

体を使って遊んでくれたのも、ナオ先生だった。

母親にはない男の人の強さを、あゆみに見せてくれたのも、ナオ先生だった。


「あゆみ、ナオ先生のお嫁さんになるの?」

「うん、なるの! 舞ちゃんもなるっていうから、ダメだって言ったんだよ」

「そう……」


ナオ先生がいつも子供達に見せているジャージ姿で、

王子役にはまっているのがおかしく、私は思わず笑ってしまう。


「ママ、笑っちゃダメ!」

「はいはい……。早く、ナオ先生が戻ってくるといいね」

「うん!」





新しい場所での新しい生活になじみだした9月の終わり、

リハビリの病院からナオ先生が退院し、保育園に姿を見せてくれた。

『ほし』組の保護者が集まり、松葉杖の外れたナオ先生が椅子から立ち上がる。


「色々とご迷惑をおかけしました。年長さんには最後の年なのに、
僕の責任でこのような状況を作り出してしまい、お詫びの言葉もありません。
まだ、足は完全ではないのですが、少しでも子供達と触れあいたくて、
今日からまた、保育園に戻りました。残り半分になった『ほし』組ですが、
担任はこれから先もリナ先生にお願いする形のまま、
僕もせいいっぱい子供達と関わっていきたいと思っています」


怪我のことを考え、あまり無理しないようにという意見もあったが、

ほとんどの保護者がナオ先生の早い復活を喜んだ。

私も部屋の隅に座り、前で語るナオ先生に視線を向ける。



あなたがそこにいるだけで、子供達は何倍も明るい笑顔を見せるんですよ……

その思いを込めて、みなさんと一緒に拍手をした。



迎えた秋の運動会では、あゆみはリレーの選手として全力疾走する。

私は美夏さんと揃いのボンボンを持ち、

保育園最後の運動会に、枯れるほどの声で応援した。





そして、冬の発表会。

足もほとんど回復したナオ先生は、年長組の子供達に『ソーラン節』を踊らせた。

大人の振り付けほど激しくはないが、体全体を動かし、声を出し、

力強く踏みしめた足の音は、ホール全体に響き渡った。


かけつけてくれた母も、あゆみの成長を喜び、

最後の発表会は、大きな拍手と感動の中で終わりを告げた。





年末が近付くと、仕事はその年のまとめに追われるようになり、

定時で終わることが少なくなる。

携帯で連絡を取りながら、私は慌てて保育園の道を急いだ。

以前、販売店にいた頃なら、美夏さんにお迎えをお願いすることも出来たが、

勤めを変えてからはそうはいかないと、時間との戦いになる。


「川村です、遅くなりました、すみません」

「大丈夫ですよ」


あゆみは『ほし』組の部屋の前で、ナオ先生とウサギの『ぴょこ』を抱き、

私が来るのを待っていた。支度を済ませすぐに靴を履き始める。


「机がもうじき来るんだそうですね」

「はい……あゆみ、そんなことをナオ先生に話したんですか?」

「とても嬉しいって、色とか形とか教えてくれました」


あゆみは、おばあちゃんが一緒に買い物へ行き、選んでくれたのだと得意げに語り、

また明日と挨拶を済ませ、園の門をくぐる。

私は自転車のライトをつけると、後ろにあゆみを乗せ振り返った。

ナオ先生は、部屋の前に立ったまま、私達が走り出すのを見届けてくれる。

もう一度だけ軽く頭を下げ、私は自転車を漕ぎ始めた。


「ナオ先生と約束したんだ」

「何を?」

「あのね、ずっとお話を聞いてくれるって」


あゆみは、『ほし』組を含めた年長さんの中で、

自分だけが別の小学校に通うことが嫌だと、ナオ先生に話しをした。

ナオ先生は、明るいあゆみなら、新しいところでもすぐに友達が出来ると

アドバイスをしてくれたらしい。


「また、昴君みたいな意地悪な子がいたら嫌だって言ったら、
ナオ先生がね、そうしたらすぐに知らせにおいでって、言ったの」

「知らせに?」

「うん……。これからも、ずっと、ずっと、あゆみの話を聞いてくれるって約束した」





『これからも、ずっと、ずっと……』





それが本当に可能ならば、どれくらい嬉しいことだろう。

保育園の時間が、このまま永遠に続くのなら、

私は、どれだけ心強く、毎日を送れるだろうか。





「あゆみ、ナオ先生は保育園の先生だもの、ずっと、ずっとってわけには、
いかないんだよ」

「どうして?」

「ナオ先生は……」



ナオ先生は、私とあゆみのものではない。

そう言い出しそうになる自分の口をしっかりと止め、一度呼吸をする。



「ナオ先生は、『たんぽぽ保育園』に通ってくる、みんなの先生なの」



私が出した答えに、後ろに乗ったあゆみが、返事を寄こすことはなかった。

二人ともそこから黙ったままで、私は、自転車を家まで漕ぎ続けた。





年末年始は、初めて母と3人で迎えることになった。

長い間子供の出来なかった兄夫婦に子供が出来、

義姉はその報告も兼ね、夫婦揃って宇都宮の実家へ戻ったからだ。


「おばあちゃん、机ありがとう」

「いえいえ……よかったね、あゆみ」


あゆみは部屋に届いた机で、毎日絵を描くことを続けている。

母は、嬉しそうに椅子に座るあゆみの頭を、軽くなでながら笑顔を見せた。


「いいところだね、藍、ここは」

「でしょ、あゆみもここのところやっと友達が出来て、毎日遊んでくるのよ。
それでも目の前が公園だから、そこから様子も見られるしね。
どこにいるのかすぐにわかるっていうのは、安心する」

「うん……」


誠一さんのところを飛び出してから、心配をしてくれながらも、

何も出来なかったと嘆く母に、私は煮物の味付けを見てもらう。

こうして台所に並ぶのは、何年ぶりだろう。

しっかりと合格点をもらい、また落としぶたをする。


「『矢部金属』、合併したんだね」

「うん、私がいた頃から何度も言われていたけど、なかなか決まらなくて。
やっと動き出したみたい」

「ねぇ、藍。あれから、誠一さんとは連絡は取っていないの? 
あゆみのこと、気にしてくれるとか……」

「ないわよ全く……」

「そう……気にならないのかね、自分の娘なのに」


母の目は、自然にあゆみへと向けられた。

その視線の先で、あゆみは届いた机の引き出しに、

画用紙やクレヨンを入れては出し、楽しそうにデスクのライトをつけている。

あゆみが誠一さんと最後に会ったのは、まだ、保育園に入ったばかりの頃だった。

あの頃とは、すっかり様子も変わっている。


「あれだけ仕事に頑張っていた人だから、合併したことで頭がいっぱいなのよ」


誠一さんがどうなっているのかは、本当に何もわからなかった。

私達のマンションを出て、別の女性と暮らし始めたことは聞いたけれど、

あれから会社の合併が決まり、研究施設も福岡へ統一されたことになっている。

今頃は、東京を離れて、新生活をしているのかもしれない。


「向こうは自由だなんて、なんだか悔しいね」

「ん? そんなことで悔しがらないでよ。私だってちゃんと暮らしてるでしょ」


今までは、とにかく頑張って欲しいと願っていた母も、

少し広くなった部屋に気持ちが落ち着いたのか、また別の心配をし始める。

親としては当然のことなのだろうが、私は返事に困った。





心を動かしてくれる人はいても、その人は……

私が想いを、告げられる人ではない。





「ねぇ、お母さん。これからは、好きなだけいていいからね。
どんどん泊まりに来ればいいわよ。お義姉さんだって気分転換になるし」

「そうだね、そうするよ」


私はなんとか母の気持ちをそらし、新年を迎える準備を続けた。





年が明けてからの寒さは、例年よりもきつかった。

2月に入ってからは、何度か園庭を真っ白にするような雪が降り、

その名残が3月に入っても消えず、家賃が安いと言っても、

暖房費がその分かさんでいった。



その日も朝からみぞれ混じりの雨が降り、私は仕事を終えると保育園に向かう。

いつもならば自転車で走るのだが、今日はバスを使ったため、

保育園まで20分かけて歩かなければならない。

荒くなる息を吐き出すと、白くなりすぐに消える。

あゆみと一緒に待っていてくれたのは、リナ先生だった。

部屋の暖かい空気が逃げてしまうので、私はすぐに扉を閉める。


「今日は自転車じゃないんですね、だとするとまた別の日にでも」

「いえ、自転車でも前カゴには、それほど乗りませんから。
逆にバスなので、バス停まで頑張れば大丈夫です」


保育園の卒園式までは、残り1週間になり、部屋の中も『卒園式』に向けた

飾りがつけられ、掲示されていた絵や作品は、全て剥がされた。

私は、あゆみの作品が入った大きな袋を、リナ先生から受け取っていく。


「あゆみちゃん、また明日」

「リナ先生、また明日」


私はしっかりと頭を下げ、あゆみにレインコートを着せると傘を持たせ、

大通りのバス停へ向かって歩き始める。


「ママ、お腹すいた」

「わかってるけど、ここじゃ食べられないでしょ」

「うーん……」


大丈夫だと言って荷物を持ってきたものの、あゆみを迎えに来るときよりも、

雨足は強くなった。叩きつけるような雨が、肩や足を濡らしていく。

やっとのことでバス停につくと、小さなベンチに腰を下ろした。


「早く来るといいね……バス」

「うん……」


しかし、予定の時間になっても、バス停にはバスが近づくマークがつかず、

目の前を知らない車だけが、何台も通り過ぎた。

空のタクシーが1台止まり、乗らないかと声をかけたが、私は結構ですと断り、

ベンチに座り続ける。

その時、少し先に止まった車が、何度かクラクションを鳴らした。



運転席が開き、出てきたのは、ナオ先生だった。






13 最後の思い出

『ももんたの発芽室』も、2年を迎えます。
これからも、変わらぬお付き合い、お願いします (^O^)/

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コメント

非公開コメント

ただの親切?

仕事も決まり、引越しもすんでこれからっ!って感じですね

卒園までアッと言う間、ナオ先生が戻ってきてくれて
『ほし組』の園児達も嬉しいでしょう。

色々なことがあり過ぎた3年間。

そして又・・・ナオ先生、そんな事したら!!!!!!

大切な人

運動会に冬の発表会♪
年長さん達にとって保育園生活最後の大きな行事に
ナオ先生が居てくれて本当に良かったね!

大きくなったらナオ先生のお嫁さんに・・・
可愛い想いを抱くあゆみちゃん
初めて男の人の強さを知り
何でも話せるナオ先生はあゆみちゃんにとっても
心から信頼できる大切な人になってるんだね

卒園まで後一週間!
雨の中、助けてくれるのはやっぱりナオ先生だ^^v

あと少し

新しい生活も整い、親子二人の家ができましたね。

お母さんもいつでおあゆみちゃんとお泊りできそうで、こんな時女親ってありがたいです。

卒業までの、あと少し・・・

大きくなったらナオ先生のお嫁さん!
そんなふうに、素直に気持ちを表せる頃って本当に純真だと思います。

ナオ先生はただの保育園の先生で終わってしまうの?^^

誠一さんの会社も気になるけど・・・あれから何もなしのつぶてはやっぱり父親と呼ぶにはさみしいね。

さて、彼らの選ぶ道は

yonyonさん、こんばんは!

>仕事も決まり、引越しもすんでこれからっ!って感じですね

はい、色々とあった藍とあゆみの生活も、
やっとここまでたどり着きました。
これから! の生活と、
もうおしまい……の保育園生活。

さて、ナオ先生、どうするんですかね。
残りは2話です。
最後までよろしくね。

新生活、開始

yokanさん、こんばんは!

>仕事にも慣れ始め、
 そして新しく住み始めたところも良い場所でよかったです。

はい、初めてだらけの藍とあゆみの生活も、
やっとここまでたどり着きました。
でも、保育園はもうおしまいなのです。

さて、ナオ先生、藍、あゆみ
どうなるのか……については、
残り2話で!

最後までよろしくお願いします。

あゆみの夢

パウワウちゃん、こんばんは!

>初めて男の人の強さを知り
 何でも話せるナオ先生はあゆみちゃんにとっても
 心から信頼できる大切な人になってるんだね

好きだといじめちゃう男の子、
保育園や幼稚園の先生に憧れる子、
まさにセオリー通りですけど(笑)

卒園までもうすぐです。
最終話まであと2話。
ぜひぜひ、最後までおつきあいください。

母親と父親

tyatyaさん、こんばんは!

>お母さんもいつでおあゆみちゃんとお泊りできそうで、
 こんな時女親ってありがたいです。

母親と娘の関係って、いいですよね。
ぶつかることもあるけれど、本音でも話せるし。
私も、未だに母が頼りなところがたくさんあります。

>ナオ先生はただの保育園の先生で終わってしまうの?^^

うぅ……終わってしまうんでしょうか。
それは、残り2話で。

>誠一さんの会社も気になるけど・・・
 あれから何もなしのつぶては
 やっぱり父親と呼ぶにはさみしいね。

新しい生活を始めている誠一。
『父親』にはなれない人なのかなと。
『男』であり、『個人』が強い人だと。
彼のその後……も、見え隠れします。

最終話まであと2話、
最後までお付き合いくださいね。

ずーっと、ずーっと

お久しぶりです。続きが気になる・気になる。

父親の現在も気になるけど、ナオ先生、卒園式まであと1週間ですよ。先生と父兄の立場が、終わってから、何かあるとしんじたいです。

本当に人を好きになっるて、立場とか関係ないよね。

続き待ってます。

PS 毎日読めるって幸せです。

やっと~@@

こんばんは^^

何度もポチしたのに、どうしてもアクセスできなくて、やっとやっと来ることができました!
(嫌われちゃったかと思ったわ^^;)


また時が過ぎましたね。
家を飛び出して・・・4年かな?
子どもの成長は早いよね。
でも、大人の心はゆっくりみたい。

ナオ先生、もしかして・・・あゆみちゃんの卒園を待ってるのかな~
先生と保護者でなくなる日を待ってるのかな~

なーんて思ったんだけど・・・

気にしてくれてありがとう

milky-tinkさん、こんばんは!

>続きが気になる・気になる。

ありがとうございます。
『気になる』って言ってもらえると、
また、続きも読んでもらえるかなって、
とても嬉しくなるんですよ。

ナオ先生、藍とあゆみに優しいのですが、
それがどんな意味を持つのか、
ハッキリと見えてこないんですよね。

残り2話で、おしまいなので、
最後までよろしくお願いします。

>PS 毎日読めるって幸せです。

キャー! こんなことを言ってもらえて、
私が幸せです。

どうなのかなぁ

なでしこちゃん、こんばんは!

あらら、弾かれちゃったんだ。
どうしてでしょう。大変な思いをさせちゃって、すみません。

>子どもの成長は早いよね。
 でも、大人の心はゆっくりみたい。

自己を振り返るのって、難しいと思うんだよね。
日々に精一杯なら、なおのこと。
さて、藍はどんな道を進むのか、

>ナオ先生、もしかして・・・
 あゆみちゃんの卒園を待ってるのかな~

……かなぁ……(笑)
ということで、残り2話も、
よろしくお願いします。