君に愛を語るとき …… 13 影

13 影


「あの事故を忘れることなど、僕らには出来ません……」


簡単には引き下がらない、柊のその言葉に、律子の父親は大きくため息をついた。


「いえ、厳密に言えば、僕は忘れたふりは出来ると思います。
でも、律子さんは忘れることなど出来ないんじゃないですか?」


柊は出会ってからの律子のことを思い返していた。一生懸命笑っている笑顔の裏で、

一人泣いていたこと。柊に迷惑をかけまいと、芝居をして逃げようとしたこと。

互いの気持ちを確認し合いながら、近づいていった距離。

初めてのキス、そして……初めての肌の感触。


「忘れることの出来ないことなら、僕と出会えたことが、
少しでも彼女のプラスになって欲しい。そう思いながらここまで来ました。
あの事故で、一つだけでも得たものがあれば……」

「……」

「僕も律子も、救われます」


柊の言葉を最後まで聞かずに、歩き出した律子の父親が、柊の横を通り過ぎていく。

その後ろ姿に投げかけるように、必死に語る柊。


「僕はこれからも彼女と会います。気持ちを変えるつもりもありません。
お気持ちが複雑なのはわかりますが……」

「……」


ガサガサと律子の父親が歩く度に聞こえる、枯れ葉の音が止まる。


「律子は……私が守ります。あなたにそんなことをしてほしくはないし、
頼むつもりもない。二度と顔を見せないでくれ」

「……」


柊に背を向けたまま、そのひと言だけを告げると、律子の父親はまた歩き始めた。

柊はその背中を見つめながら、枯れ葉の音だけを聞いていた。


もっと、感情的に言ってくるものだと思っていた。1年経ったとはいえ、

自分を憎んでいる気持ちに変化があったとは思えない。

むしろ、冷静に語っていく父の想いが、柊には逆に重くのしかかってくる。



『律子……結局、泣くのはまた、君なんだね』



研究室へ向かう入り口の影に、南美が立っていた。話しを聞いていたのか、

柊と視線があった瞬間、慌てたように立ち去ろうとする。


「南美……」

「……」

「逃げるなんて、お前らしくないな」

「……だって……」


心配そうな南美を見て、柊はムリヤリ笑顔を作っていた。





「はい、飲むぞ、柊!」

「……」


次の日、健介からいきなり連絡が入り、柊は居酒屋で待ち合わせをした。


「南美が心配してたぞ。柊を誘ってやれって……そう言われた。相手の親から、
きついこと言われて辛そうだったって……」

「……あいつに心配されるようじゃ、終わりだな、俺も」


柊はグラスを見つめながら、ポツリとそう言った。


「まぁ、こうなることは予想できてただろ、最初から」

「……出来たといえば出来た」


健介は、柊に飲めよ……と手で合図する。


「それにしても、お前もやるよな。外泊させちゃうとは……」

「どうせ、バレたらこうなるんだ。だから、それならせめて、
律子の希望を叶えてやりたかった。あの日から1年だったしな。ただ……」

「ん?」

「正直、失敗したかもしれないと思ったりもする。僕はいいけど、律子が……
親に責められてるんじゃないかと……」


携帯からも連絡がないのは、おそらく取りあげられているのだろう。

そんな律子の状況を思うと、少し心が痛む。


「でもさ、俺は親の気持ちがなんとなく分かるよ……。誰かに怒りをぶつけてないと、
押しつぶされそうになるんだろ。年頃の娘さんが、一生の傷を負ったんだ。
しかも、その事故の関係者と、外泊して……」

「……」

「それに気づけなかった自分への怒りと、コソコソしていた娘とお前に、
両方腹を立ててるんだ」

「コソコソした覚えはないよ」

「お前からすればそうだろうけど、向こうからしたら……そう見えるんだよ」


健介は昔から、見せかけだけの相づちをしない男だった。

そんな本音でぶつかってくるところが、好きな理由なのだが。

たまには、背中を押してくれ……そう思う柊。


「律子……責められているんだろうな……」

「それはお互い様だろ。お前だって、被害者なのに、すっかり加害者扱いなんだ。
まぁ、惚れちゃったんだからさ、互いにどうにか頑張るしかないよ、柊」


健介は大好きな日本酒を、コップに入れ飲み始めた。


「わかってるよ……」


柊は何度も頷きながら、健介の意見を聞いている。


「それにしてもな、お前がそこまで惚れちゃうものか。お前が入れ込むのは、
滑走路だけだと思ってたよ」


少しふざけた口調で、そう言って笑う健介。

律子との出会いから、見続けてきた健介らしいセリフだった。


「滑走路より、惚れてるのかもしれない……」

「ほぉ……それは、それは……」


健介と話せたことで、少し元気を取り戻せた柊だった。





コンビニでウーロン茶を買い、重い足取りで家へ向かう。雨だと思っていたものが、

雪に変わりだしていた。ポケットからカギを取り出し、ふと前を見る。

玄関に立っていたのは、下を向き、震えている律子だった。


「律子!」

「……柊!」


急いで駆け寄り触れた彼女の体は、冷え切っていて、唇も少し青くなっていた。

柊は慌ててカギを開け、部屋へ律子を入れてやる。

エアコンをつけ、すぐにコーヒーを入れた。

あたたかい風が律子の体をゆっくりと温めていく。膝を抱え、両手をこする律子。


「風邪ひくだろう。あんなところに立って。連絡をくれたらすぐに戻ってきたのに……」


柊は律子にカップを手渡し、背中から毛布をかける。


「父、大学院まで行ったんでしょ? もう、柊には会うなって……
今朝、いきなりそう言ったから。柊にきっときついことを言ったんじゃないかと思ったら、
スーパーへ行くはずだったのに、いつのまにか電車に乗っていたの」

「……」

「何て言われたの? ねぇ、柊。なんて言われた?」


泣きながら柊にしがみつく律子。柊はそんな律子をしっかりと抱きしめ、

安心させようと背中を軽く叩く。


「大丈夫だよ。送るから、帰ろう」

「……私があの日、泊まるなんて言わなければ。柊に迷惑かけることもなかったのに……」

「違うよ、こうなることはわかってたんだ。どんなふうに言おうと、
結果は同じだったはず。あの日、一緒にいたことを後悔なんてするなよ」

「でも……」

「とりあえず、年内は静かにしていよう。今、お父さんを刺激するのはよくないよ。
ますます意地を張られてしまう。だから、これで電話して……送るよ」


柊は携帯を律子に手渡すが、律子はそれを拒否する。


「だめだよ。これ以上怒らせたら……」

「会えなくなっちゃう……」

「……」

「もう、会えなくなっちゃうもの……」


顔をゆがめ、小さな子供のように泣く律子。

「……会えなくなんてならないよ。これからも君と会うって、
ちゃんと宣言だけはしておいた。どうしてそんなこと。また、リハビリを見に行くよ。
そこでゆっくり……」

「研修でしょ? 年明けから。もう昼間に来るのは無理じゃない」

「……あ……そうか」


そうだった。もう、時間を拘束される日々が待っている。

もう、自分で時間をコントロール出来る学生ではなくなるのだ。

結局、結論は出ないまま、柊は律子を家に送り届ける。


「夜分遅くにすみません」

「律子! 早く入りなさい……。お父さん怒ってるのよ……」


律子を強く家の中へ引っ張っていく母親。柊は丁寧に頭を下げたが、

一切顔を見ようともしない。


「柊が悪いんじゃないの。私が勝手に……。ねぇ、お母さん……」


柊の前でピシャリと扉が閉められ、律子の声だけが響いていた。柊の頬にあたる雪は、

少しずつ少しずつ道を白く変えていく。

振り返ると、歩いてきた道にあった自分の足跡が、雪に少しずつ消され始めていた。

自分たちの進む道が、見えなくならないように……。

柊は一歩ずつしっかりと踏みしめながら、駅へ向かっていった。





別れたままのクリスマスと、別れたままの正月を終え、

柊は住谷建設に研修という名目で、出社をするようになっていた。


「山室柊です。よろしくお願いします」


これから一緒に仕事をしていくことになる先輩達の拍手で迎えられた日。

柊はネクタイにまだ慣れず、なんとなく肩が凝る。

挨拶を済ませ、社員が働いている場所へ、色々と顔を出していく。

新しい環境に新しい仲間、こんな気疲れのする日々がしばらく続くのだろう。


そんな時、声を聞きたい人は……律子だけなのに。

出口は見えないまま、時だけが無情に過ぎていく。


家に戻り、スーツを脱ぐと、気持ちまでが解放される。

こんな自分に慣れるようになるのは、いつのことなんだろう。


その時、携帯がいきなり鳴り出した。律子ではないと分かっていても、

柊は慌てて受話器をあげる。


「もしもし……」

「もしもし? 山室君? 私、横山です」


かけてきたのは、律子のリハビリの横山先生だった。

柊は一度大きく息を吐き、返事をする。


「突然ごめんね。りっちゃんに番号を聞いてかけたのよ。で、これから会議だから、
手短に言うけど、りっちゃんのリハビリをしばらく土曜日に変えたから。
土曜なら来られない?」

「土曜日ですか? あ、はい。行けます」

「そう、ならよかった。本来なら土曜日はちょっと違うんだけど、
泣かれちゃったからさ……」

「……」

「全く、やることが大胆なんだから、二人とも!」

「すみません……」


横山先生に、泣きながら訴える律子の顔が想像できた。

また、父親に隠れて会うことに抵抗がなかったわけではないが、とりあえず会って、

これからのことを話し合わなければ。柊は横山先生の提案を、受けることにした。


「土曜日必ず、行きます」

「待ってるからね。時間は……」


そして土曜日、久し振りにいつもの坂を登っていく柊。

エレベーターに乗り、リハビリ室へ少し早足で向かう。


「……」


しかし、飛び込んできたのは、律子の父親の声だった。

見つからないように、柊は慌てて柱の影に隠れる。


「お父さん、ご心配なのはわかりますが、電車で来させてください。
車での送り迎えでは律子さんのリハビリにはならないんですよ」

「そうですか……」


少しだけ顔を出し、様子を確認する。父親の後ろで、

キョロキョロと柊を探す律子の姿があった。声を出せずに、拳を握る。

結局、リハビリの間中、父親は律子の側を離れなかった。

これからも律子に会いますと宣言したのだから、出ていって父親とぶつかるべきなのか。

いや、せっかく土曜日に変えようとしている横山先生の計画を

つぶすことになるかもしれない。

迷ったまま時間だけが過ぎていった。


帰りの挨拶を済ませ、エレベーター前に立つ二人。

柊は足元に落ちていた握力回復用のボールを律子に向かって投げてみる。


振り向いた律子と目があう柊。ここに来ていたことは、伝えてやりたい……。


「……」


言葉を交わせないまま、再会は終わった。


「ごめんね、山室君。まさか父親が来るとは思ってなかったのよ」

「いえ……」


リハビリ室の窓から、帰って行く律子を見る。父親から遅れるように歩く彼女は、

右足を少しひきずっていた。

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二人の恋の行方は……

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