16 君の気持ち

16 君の気持ち




大通りから少し奥に入った場所にあるのが、『コッピア』だった。

友海と美鈴は店の隅に自転車を止め、入り口を押す。

カランカランと鈴の音がして、すぐに目に入ったのは、

アイスコーヒーに口をつけた航の姿だった。

航は二人を見るとすぐに立ち上がり、カウンターの中で豆を挽いている啓太郎に、

この二人のおかげで絵が見つかったと、友海と美鈴を紹介する。

啓太郎はすぐに笑顔を見せ、店の一番奥にあるテーブルに座るように指示をした。

店の壁には、何枚かの絵がかかっていて、

それが全て航の父、成島一樹のものなのだと説明する。


「本当にお父さん、画家なんですね」

「うん……」


友海はその中にある1枚の絵をじっと見た。

親子のような馬が仲良く並び、草を食べている。

息を思い切り吸い込むと、香りまで届きそうな絵の雰囲気だった。


「二人ともアイスコーヒーでいい?」

「あ……はい」


美鈴と友海は席に座り、航は絵を持ち、その前に腰かけた。

友海は、航の手の中にある絵を見ながら、

もうこの絵が自分の元に戻ることはないのだろうと、そう思ってしまう。


「慌てさせてしまって申し訳なかったけど、
おかげさまでこの絵を見つけることが出来た。本当にありがとう」


航はそう言いながら、絵を友海の方へ向けて置いた。

あらためて絵を見ながら、友海はよかったのか、悪かったのかと

複雑な気持ちをめぐらせる。


「僕の母は、『SI石油』の経営者である新谷家の長女だったんだ。
体も弱く、祖父も家に残すのがいいだろうと考えて、
将来は優秀な男と結婚して、会社を継げばいいとそう思っていたらしい」


航は友海と美鈴を前にして、父一樹と、母華代子のことを語りだした。

その頃、一樹は売れない画家だったが、たまたま知り合いが近くにいたことで、

地域の教室を借り、子供たちに絵を教えていた。

カウンターの中にいた啓太郎は、アイスコーヒーを2つお盆に乗せ、

自分もその生徒の一人だったと笑顔を見せる。


「母は、隣の教室で華道を習っていて、まぁ、何かの縁があったんだろうね、
互いに惹かれた。それでも母の状況を知って、父は諦めようとしたけれど、
母は、諦めたくないと泣いて……。
まぁ、これは父から聞いたことだし、本当かどうか……」

「ん? 航、そんな言い方をするな。先生はウソをつく人じゃない。
華代子さんには俺たちも、手作りのお菓子をもらったりしたんだぞ」


啓太郎の助言に、航はそれならそうなんだろうねと、笑顔を見せる。

美鈴がアイスコーヒーにストローを入れ、軽く回すと、

カランカランと氷がぶつかる音がした。


「その頃、父が母を思って描いた絵が、この海の絵なんだ。
父は母を海のような人だってそう言って。
碧く、深く、色々なものを包み込むようなそんな人だって」

「それで『最愛なる君へ』なんですか?」

「あぁ……」

「素敵……」


美鈴は、航の話にすっかり入り込んでいるようで、

早く続きを知りたいと、好奇心旺盛な表情を見せた。

友海はその間もじっと絵を見たまま、この複雑な『碧』の色に込められた、

一樹の思いを知ろうとする。


「父と母には、全てを捨てることしか出来なかった。父の存在を知った祖父は、
定期的に通っていた病院へ行く時だけ、母に外出を許可していたようだから。
母は、このチャンスを逃したら、父に会うことは出来なくなると思って、
病院へ向かったまま、何も持たずに家を出たんだ」


二人は何もかもを捨てるように、町を出て、

しばらく各地を移動しながら生活をしていたのだと、航はさらに付け足した。

美鈴はその話を乗り出すように聞き、友海は目の前の絵に描かれた場所が、

どこだったのかが気になり始める。


「そんな母の想いを応援してくれたのは、新谷家に残った母の妹、
登志子おばさんだけだった。二度と新谷家に戻れないことよりも、
母は父が描いてくれたこの絵を家に残したことだけが気になっていて、
僕が生まれてから、祖父が家を空けている時に、戻ってみたんだけど、
その時にはもう、どこに行ったのかがわからなくなっていた」

「じゃぁ、そのおじいちゃんが怒って捨てちゃったのかしら」

「それはわからない。祖父もすでに亡くなっているし……。
この話を聞いたのは、僕が中学生で、母が亡くなった時だったけど、
その時はそれほど見たいと思わなかったんだ。
父が母を描いた絵は、他に持っていたし……」


航の視線がそこであらためて絵へ向かった。

友海はその優しい目に、つい、自分の想いを重ねてみたくなる。


「これ……どこの海なんですか?」


友海の突然飛び出した質問に、航は視線を上げた。

美鈴は、綺麗だから外国じゃないのかと意見を言い、

航はそれは聞いたことがなかったと首を傾げる。


「あのさぁ、いいかな。これは場所の指定なんてない絵なんだよ。
先生は、この絵の中にある全ての物が、『碧い海』につながるんだって
そう言っていたから」

「『碧い海』に?」


啓太郎はカウンターを軽く布巾で拭くと、その布巾を隅に置き、

航や友海が座るテーブルの前に、椅子を移動させた。


「海の上に浮かぶこの小さなヨットが自分で、
受け入れてくれる景色全てが華代子さんなんだって、そう言っていた」


啓太郎がそう答えを出したとき、店の入り口が開き、また別の客が中に入った。

椅子から立ち上がり、またマスターの顔に戻る。

友海はこれが、一樹の想像から出来た絵なのかと、あらためて海の色に目を向けた。





店の前で美鈴は友海や航と別れ、自分の家に向かって自転車を漕ぎ始めた。

曲がり角を過ぎて美鈴が見えなくなり、航は絵を自転車の前カゴに乗せ、

片手で押さえながら走り始める。友海はその後ろを黙ってついていった。

信号が少し点滅すると、航は無理することなく自転車を止めた。

時々後ろを振り返るようにしながら、友海の姿を確認する。

『天神通り店』の前を通り、家に着くまでは、20分くらいだった。

門を開き、二人はそれぞれ自転車を奥へ入れる。


「飯田さん……」


この絵を渡す時が来た。友海はそう想いながら自転車の鍵を抜き、

そのまま上へ行けるように、小さなバッグを肩にかける。


「この絵なんですけど、今日、ちょっと借りてもいいですか?」


航の思いがけない言葉に、友海はすぐに返事が出来なかった。

『借りる』という単語が耳に届いた気がするが、

それを確認していいのかどうかわからなくなる。


「おばさん、父の妹なんだ。鍵を借りて飛び出していったことも知っているし、
父の描いた絵を、じっくり見てみたいと思っているだろうから。
明日かあさってにはお返しします」

「あの……」

「はい」

「これは成島さんが持つべきものじゃないでしょうか。
お父さんがお母さんに贈ったものですし、あの話を聞いた以上、私が持つのは……」


言葉の半分が本音で、半分が賭けだった。

友海は、航の心の中がどうなっているのか、探るようにそう問いかける。


「でも、これは飯田さんが買った物じゃないですか。
あなたがこの絵を、こうして僕に見せてくれたんですよ」


航は自転車の前カゴに入れた絵を取り、かけていた布を少しだけめくると

ガラス越しに見える絵の色を、指で軽くなぞった。


「探していながら、心の片隅ではもう燃やされたんじゃないかとか、
捨てられて壊れてしまったのではないかという気持ちも、ずっとありました。
こうして再会出来ただけで、僕は満足なんです。
この絵は、父が母に贈ったもので、僕にくれたわけじゃない。
むしろ、余裕のない生活の中で、それでも欲しいと思ってくれたあなたにこそ、
必要な絵ではないですか?」


生活費を切り詰め、それでも大金を出して買った絵。

幼い頃の楽しかった思い出を、どこか感じさせてくれる絵。

友海は航の言葉に、反論できなくなる。


「この絵が、どこで描かれた物なのか、それを気にしてましたよね。
何か海に想い出が……」


絵に向けていた友海の視線は、その言葉と同時に、他へそれてしまう。

航は、また余計なことを聞きましたと笑顔を見せ、

貴重な時間を使ってしまったことを謝罪した。


「本当に、私が持っていてもいいですか」

「はい……。ただ……もし、売ってしまおうと思った時には、
最初に相談してください」


想像もしなかった言葉に、友海が航の表情を確かめる。

航はその驚いた視線を受けながら、軽く笑顔を見せた。


「また、余計なことを言いました」


友海は自然に笑顔になり、航はおやすみなさいと挨拶を残し、

天野家へ入っていった。

空には星が光り始め、外階段を優しく照らしてくれる。

友海は、不安だらけだった心の中で、

別の想いが重なりだしたことに、軽く息を吸い込んだ。





澄佳は、亡き兄と義姉を想い、その絵に触れた。

あまり高級な画廊ではなかったのだろうと、

少し傷ついた額縁にそっと手を置いてみる。


「いいの? 航。せっかく見つけたのに、手元に戻さないなんて。
友海ちゃんだって、事情を知ったら、航が持った方がいいってそう言ったでしょ?」

「言ってくれたよ。でも……」


航は冷蔵庫から麦茶を取り出し、小さなコップに注ぐと、一気にそれを飲み干した。

2杯目を注ごうとして、一度手を止める。


「啓ちゃんのところで、絵の話をしながら、どこかずっと悲しそうな目をしていた。
僕に戻さないとと思いながら、きっと彼女はこの絵を手放したくなかったんだ。
切り詰める生活の中で、それでも手に入れようとしたものなのに、
それを息子だからって理由だけで、戻してくれとは言えなかった……」


澄佳はいただきものだけど、美味しかったと言いながら、

テーブルに小さなおかきの箱を置いた。千代紙で貼り付けられた箱は、

この後、小さなものでも入れておこうかと話しを付け足していく。


「彼女だからかな……」

「何?」

「いや、飯田さんだから、持っていて欲しいと、どこかで想ったのかも知れない」

「航……」


航はそう言うと、小さなあられを一つだけ口に入れ、

照れくさそうな笑顔を見せた。





17 新たな一歩
<photo:tricot>

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コメント

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絵の存在

碧い絵・・
書いた父一樹と、贈られ母華代子。探した息子
偶然買い求めた友海、様々な人の想いが込められて今ここに有る。

航は本当は自分が持っていたいだろうに・・・

でも直ぐ近くに”絵”はある。
それが二人をもっと近づけるような?

航のこと

yokanさん、こんばんは!

>航さんて、相手のことをよく見てるよね。

元営業マンだった航は、人をよく見ているようです。
まぁ、友海のことは、また違うかも知れないけど(笑)
『碧い海の絵』を手放したくなかった気持ち、
その後ろにある『何か』

それは、もう少しあとで。

『何か』があるはず

yonyonさん、こんばんは!

>航は本当は自分が持っていたいだろうに・・・

そう、本音はね。
でも、友海の心の奥にある『何か』に気付いたんだと。
いや、まだ気付けてはいないかな。
でも、何かがあるとは思ったはず。

二人の距離が近付くのか、『碧い海の絵』の意味、
これからもよろしくです。

やっと絵が見つかって

昨日来たのにコメつけ忘れたの~(>_<、)
これも絵がもつ縁なんでしょうね。

本当なら航だって手元に置いておきたいはず
なのに欲しい人が持っているべきと。

>売ってしまおうと思った時には、
最初に相談してください」

自分をおさえてでもその絵を愛してくれた
友海への心遣いですね。


>飯田さんだから、持っていて欲しいと
そうですね。これも絵がもつ縁なんでしょうね。^^


でも友海はあの碧い海がどこの海だのか
気にしてますね。(ё_ё)

絵の縁

tyatyaさん、こんばんは!

>これも絵がもつ縁なんでしょうね。

はい、偶然なんですけどね。
でも、航も友海だったから、取り上げたくなかったり、
友海も航のイメージを、また少し変えたのではないかと。

>でも友海はあの碧い海がどこの海だのか
 気にしてますね。(ё_ё)

はい、その理由に関しては、
もう少しあとでわかります。