13 恋ごころ(1)

13 恋ごころ(1)


季節は完全に『春』を迎えた。

何もかもが新しく生まれ変わり、また、それぞれにスタートを切る。

私は『日本の世界遺産』というDVDを見ながら、

目の前にあるポテトチップスを口に運ぶ。


「あぁ……いいなぁ。この壁の色が本物なんだよ。
変に手を入れてないから、また風情があって……」


隣では、リモコンを手に持ったままの日向さんが、真剣な表情を見せる。

時折DVDを止め、自分がロケに行った時にこの場所を見たこと、

地元の人の方言がまたよかったこと、食べ物が美味しかったことなど、

ミニ知識を語りながら進むため、1時間のDVDは2時間経っても終わりまで届かない。


「あ……これ、知ってます。見たことあるし……」

「見たの?」

「はい……確か……」

「確か?」

「確か……」


私が不安な顔を見せると、日向さんは待ってましたとばかりに、嬉しそうな顔をする。

その笑顔になりかけが悔しくて、別の方を向いてみる。


「では史香、これは何県?」

「……えっと」


あぁ、また日向さんのペースになってきた。

学生時代から、あまり地理は得意じゃなかったけど、

こんなことになるのなら、あの嫌いな先生の授業も、

もっと頑張っておけば良かったと思うのだが、今となってはどうしようもない。


「わかりません」

「これは岐阜県。でも、僕もまだ本物は見たことがないんだ。
いいだろうな……自然の中に自分を解き放てたら、きっと……」


日向さんはそう言いながら体を近づけ、隣にいる私の耳にそっと息を吹きかけた。

くすぐったくて体をそらすと、その反応が楽しいのか、両腕が首に伸びてくる。


「あ……もう、また……プロレスラーじゃないんですから。ちょっと、首!」

「参った? 史香」



もう! 優しいんだか、乱暴なんだか、よくわからない!



私は台所からSOSが来ているとその場を離れ、コンロの火を止めた。

蓋を開けると、優しいたまごとダシの香りが、鼻に届く。

日向さんとこんなふうに過ごすようになってから、時間があるときには、

私もそれなりに料理をすることも増えた。

洋食も和食も、あまり凝らなければ作れるのだが、

彼の一番のお気に入りは『茶碗蒸し』らしく、

今日はそのリクエストで材料を買い込み、作ったのだ。


「うん、美味しい」

「好きですね、茶碗蒸し」

「好きだよ、でも、史香の作ったのがね」


来年の春に公開する予定の映画に出演が決まり、明日からはいよいよ撮影が始まる。

日向さんを評価してくれた、塩野監督作品だけに、気合も気持ちも入っていて、

テーブルの上にある、すでにボロボロに近い台本がそれを物語った。


「明日からは、完全仕事モードだからな」


日向さんが出演する映画『相良家の人々』は、

父親、相良正太郎を軸にした、相良家一族の話だ。

原作の小説では正太郎の生き方を中心に、子供たちの姿が描かれているが、

この映画では、正太郎が全体を見る役目となり、

実際、スポットライトを浴びるのは長男啓一と、その恋人草野妙子なのだ。

正太郎を演じるのは、現代劇や舞台でも名をあげている北原豪、

そして長男啓一を演じるのが日向さんで、恋人役は吉野ひかりさんだった。

彼女とは今回で3回目の競演になり、なおかつ、初めての映画競演となるため、

ワイドショーなどでも撮影前から色々と取り上げられていて、

事務所側としても、妙な注目のされ方のないよう、注意を払っていた。

個人的な行動に対しても、気をつけたほうがいいという田沢さんの強い意見で、

大きな撮影が終了するまで、私は日向さんと会わないことを決めた。


「しばらく、この味とも会えないな」

「また作りますよ」


その代わりというのもおかしいが、クランクイン前の今日だけは、

一日、時間を考えることなく一緒にいることになった。

一緒に食事をして、一緒に片づけをして、DVDを見て笑い、

互いの鼓動を感じながらぐっすりと眠る。


「あ、そうだ、日向さん、これ」

「何?」

「いつも私が初詣に行く神社のお守りです。撮影中に大きな怪我がないように」


紫色のお守りを、私は隣にいる日向さんに手渡した。

今回、初めての乗馬シーンがあり、ロケの移動距離もニューヨークから上海、

そして舞台になる和歌山と、本当に大変なのだ。


「ありがとう」

「いえ……」


何も出来ない私だけれど、ただ、毎日、一生懸命、

日向さんの仕事がうまくいきますようにと、祈ることは出来る。

手を合わせてそういうと、日向さんの両手が、私の重なった手を包んでくれた。


「史香の気持ちは、すごく嬉しいよ。でもさ……、本当は不安でたまらないんだ」


日向さんがこんなふうに気持ちを語ることは珍しかった。

私は、いつも前をしっかりと向く彼しか見たことがない。


「台本を読んで、はたしてこの役を演じ切れるのか、監督の期待にこたえられるのか、
自分が満足できるのか……。そう思うと、正直明日が来るのが怖い」


日向さんは私の手を握ったまま、目を閉じている。

期待が大きいものは、反動も大きく、

もし、初めての映画が、テレビドラマと変わらないなどと評価されたら、

今まで積み上げてきたものが、崩れてしまうかもしれない。


「私、100回でも、200回でも、見に行きますから」

「ん?」

「誰がなんと評価しても、絶対に見に行きますから」


評論家の人が、どうランク付けをしたって構わない。

あなたの積み上げてきたものに、誰も文句なんて言えないはずだ。

これだけボロボロになるまで、台本を読んでいるのだから、

日向さんが啓一になれないはずがない。


互いの手が離れ、どちらからでもなく、しっかりと抱き合った。

いつも助けてもらっている日向さんを、しっかりと包んであげるように、

私は精一杯腕を伸ばし、『大丈夫だよ』と心でささやいた。





日向さんが映画のロケに出発し、新しい一歩を踏み出したその日、

私も新しい一歩を踏み出す人のために、恵比寿駅の改札前に立つ。

この4月から、うちの事務所に研究生が一人入った。

それは、3月に高校を卒業し、東京へ出てきた女の子で、

実家は山梨でワイン工場とゴルフ場の経営をしている。


実はうちの社長と彼女の父親はゴルフ仲間で、今回もどうしてもと頼まれ、

研究生という名目で受け入れたというのが本当のところだった。

なんとしても芸能人になりたいと言った末娘を、レッスンさせたいという願いだったが、

発声練習などで定評のある『大森ボイスレッスン』の先生は、

事務所に所属した人しか、レッスンをしてくれないのだ。

半年やってみて、だめならば辞めるという条件で入った女の子を、

私は先生のところへ連れて行くため、駅前で待った。

しかし、約束の時間を過ぎてもなかなか現れず、気持ちばかりが焦りだす。


「あ……前島さん!」


声に振り向くと、そこには袋をいくつも提げた保坂さんが立っていた。

少し早めに出てきて、買い物をしていたのだと、悪びれずに楽しく話してくれる。


「ねぇ、これから何をしにいくのか、わかってる?」

「はい、えっと、レッスンですよね」


これが今時の女の子なのだろうか。憧れの世界で羽ばたくために、

先生に初めて会う日、緊張感もなく買い物をしていられるのかと不思議になったが、

時間が迫っていたため、私も袋を持ち足早にスタジオへ向かう。


「いい? 今日はまず基本の口の動かし方だけやってみますね」


大森先生は男性だが、身のこなしはどうも女性っぽい。

どうしてなのかはわからないけれど、

この業界には、ちょっと変わった感じの人が多いのが現実だ。

米原さんはごく普通の女性だが、同じようなスタイリストさんの中には、

真っ赤なマニキュアをつけながら、シェーバーでヒゲをそっている人もいる。

先生にダメだしをされながらも、保坂さんは明るく初めてのレッスンをこなし、

その日の予定を終了し、私たちは事務所へ戻った。


「あぁ……面倒です。もっと、演技の練習とかセリフの訓練とか、
具体的なのないんですか? 相手役つけて」

「あのねぇ……。すぐに演技なんて出来ないのよ。
俳優さんだってみんなこうしたレッスンをして、
それからエキストラみたいなことをしたり、大部屋で訓練して、
それで名前の出る役とかをもらっているんだから」

「だって、モデルさんなのに、急に主役の人もいるじゃないですか」


全くの素人のくせに、すっかり自分がスターになったつもりなのか、

保坂さんは携帯電話を取り出すと、地元の友達に自慢するのだとメールを打ち始める。


「ねぇ、前島さん」

「何?」

「新人歓迎会とかないんですか?」

「新人って誰が?」

「私ですよ、私。保坂優です」


普通の企業じゃあるまいし、しかも社員として入ってきたわけではないのだから、

そんなものはないと突っぱねた。すると保坂さんは悪びれることなく、

また信じられないことを口にする。


「だったら、日向淳平と食事させてください。
前島さん、アシスタントしていたことあるんでしょ?」

「は?」

「どんな人なのか話してみたいんです。ねぇ……約束取り付けてくれません?」


怖いものなしの保坂さんは、こともあろうに、

日向さんと食事をしたいのだと、あっけらかんと言い始めた。

あまりにもばかばかしい話だと思ったが、日向さんは今、映画の撮影中で忙しいこと、

タレント同士とはいえ、勝手にそんな約束をさせられないことを話してみる。


「前島さん、もしかして……心配してません?」

「心配?」

「私と日向淳平を近づけたら、ちょっといけない関係になるんじゃないかって」

「いけない関係?」

「やだ! ハッキリと言わせるつもりですか? ようするに……」


ここまで空想が進んでいくと、私には手に負えなくなりそうだった。

保坂さんはもし、日向さんが自分に興味を持ち、大人の関係になったとしても、

それをどうのこうの言うつもりもないと平然と言ってのける。


「ほら、もう空想はいいから。ちゃんとレポートを書いてください。社長に見せます」

「はぁ~い」


保坂さんに何枚かの便箋を渡し、書類を棚に戻す。

その壁を見ると、所属タレントの写真が並んでいた。

一番左に貼ってあるのが日向さんで、今頃、緊張の中、撮影の最中だろう。

私は、便箋を見ている保坂さんに気付かれないよう、

日向さんの写真に向かって、『ガンバレ』と唇を動かした。






14 恋ごころ(2)


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コメント

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がんばれ!淳平!

なんだかんだで
読んでいるのに、コメントしない日が続いてましたm(__)m

ふふ♪淳平くん、史香にぞっこんですね~*^^*
>「好きだよ、でも、史香の作ったのがね」
きゃあ~(〃▽〃)

ここで、新しいライバル登場?!
なかなかなお嬢ですね。
振り回されなければいいですが。。

淳平!映画、頑張れ~
れいもんも応援します!
応援したい人がなかなか表に出てこないので
淳平に乗りかえようかなあ~(笑)

あらら、な女の子

しばらく会えなくなる日向さんだけど・・・

本当に俺にできるのかな。
そんな不安や弱音を吐けるのも史香だからこそ。
彼女はちゃんと遠くでも見守ってあげられる女性だから
いるだけで安心しちゃうんですよね。


寂しくなるかな?と思いきや
とんだはねっかりちゃんが来たみたいで。
史香はさびしさなんて感じる暇がないかもね。^^

この女の子にはなかなか手こずらされそう。

でもこういう女の子って見ていて豪快、楽しいかも。
次は何をしでかすのかな~~^^

ミニの爆弾

れいもんさん、こんばんは!

なんだかんだでも、読んでいただけて嬉しいですよ。
コメントは気にせず、楽しんでくださいな。

>ここで、新しいライバル登場?!
 なかなかなお嬢ですね。

保坂さんは、ライバルというよりも、
『ミニ爆弾』(笑)かもしれません。
色々と、楽しいことを、やらかしてくれます。

>応援したい人がなかなか表に出てこないので

本当、本当。
れいもんさんたちと、楽しくぼやけているので、
続いているようなものです、近ごろ(笑)

やすらげる人

tyatyaさん、こんばんは!

>彼女はちゃんと遠くでも見守ってあげられる女性だから
 いるだけで安心しちゃうんですよね。

淳平にとって史香は、『やすらぎ』なんだと思います。
芸能人でいる必要のない人。
いつも、張り詰めているだけに、緩めたいんだよね。

>寂しくなるかな?と思いきや
 とんだはねっかりちゃんが来たみたいで。

はい、社長のコネ! って設定、
ありそうな気がするんですよね、芸能界(笑)
保坂優は、これからあれこれやらかして、
史香を悩ませそうです。

何をしでかすのか、楽しみにしていてね。

彼も早くドラマを!

フフ・・淳平の気持ち凄くよく分る。
新しい仕事に入るとき、準備は万端なのに付きまとう不安。何でも完璧にしたい。あーどなたかと重なる(爆)

茶碗蒸しって結構面倒なのに、主采じゃなく脇。
でも日本らしい食べ物ですよね。冬に美味しい!

アララ・・トンでもない子がやってきましたね。
勘違いも甚だしい。
芸能界が身近になって、昨日まで素人が今日はスター
何て事あるから・・・でも誰でもそうなるってことでは無いんだけどね。

ビシビシ鍛えてやりな。

天然系の新人です

yokanさん、こんばんは!

>ああ~、イラつく子が入ってきたな~(ーー;)
 そう思ってしまうのは、もうオバサンということか(笑)

保坂さんは、ライバルというよりも、
『天然系』の新人です。
これから、色々と巻き起こしてくれますので。
(あ、そうすると、ますますyokanさんがいらつくかなぁ・笑)

>無事に何事もなく、撮影が終わって会えますように・・・・

そ……それは……

重なりますか?

yonyonさん、こんばんは!

>あーどなたかと重なる(爆)

どなたってどなた?(笑)
真面目な人なのです、淳平も。

>アララ・・トンでもない子がやってきましたね。
 勘違いも甚だしい。

少し登場人物が増えました。
色々と楽しいことをしてくれる……はず(笑)
巻き起こす人もいないと、話が成り立たないので。

ビシビシされるのは、保坂さんか? それとも?

どうなることか・・・

こんばんは
なんか、勢いのある人が来ましたね。
どうなることか・・・
でも、楽しみです!

岐阜県人としては
地味な県ですが、リフレッシュするには
オススメの県ですよ。
日向さんと史香ちゃんで是非いらしてください。
ですが、最近、熊が出ますので・・・ご注意を。

では、また。

クマですかぁ

ヒャンスさん、こんばんは!

>なんか、勢いのある人が来ましたね。
 どうなることか・・・
 でも、楽しみです!

保坂さんは天然の研究生です。
色々と楽しいことを起こしてくれるはず。

おぉ、ヒャンスさんは岐阜県なんですか。
淳平と史香が見ていたDVDの場面は、
『白川郷』かと……。
(実は、私も見てみたいんです)

クマかぁ……それは遠慮したい。