君に愛を語るとき …… 15 親心

15 親心


柊と律子の前に現れた小さな壁を越え、またいつもの日々が始まり出す。

季節は3月に変わり、少しずつ花の匂いを感じ始める。


「同窓会?」

「そうよ。来週の日曜日、赤坂のホテルで。3年振りくらいだから、出席しようと思って。
柊、食事くらい出来るでしょ?」

「あぁ……いいけど」


姫路にいる、母からの電話だった。高校時代の同窓会が東京で行われるのだと言う。

大学に入学し、このマンションで一人暮らしを始めてから、

母がこっちへ来たことは数えるほどしかない。


「まだ研修中で、残業なんかはないからさ。電話してくれたらすぐに行くよ」

「そう、わかった……」


母は、久し振りにする息子とのデートの約束に、少しだけ嬉しそうな声を出していた。





そして、その次の日、土曜日。


「お忙しいところ、申し訳ありません」

「いえ」


律子の両親は、横山先生に病院に呼び出されていた。リハビリ室の隣にある、

休憩室のソファーに座る。


「あの……律子の足に何かあったんでしょうか」


急な呼び出しに、不安を隠せない母親と、リハビリ室にいない律子を心配し、

目であちこちを探す父親。


「足に何かがあるわけではないんです。ただ、私は医師として、
ご報告とご提案をさせていただきたくて」


そういうと横山先生は1枚の紙を二人の前に置いた。

それには律子が取り組んできたリハビリのデータが記されている。


「律子さんのリハビリの記録です。あの事故から、本当に頑張って回復してくれたと、
私も思っています」


母親は、その先生の言葉に素直に頷いた。側にいて、見続けてきた日々を思い返す。


「リハビリは本当に孤独です。嫌いな勉強でも毎日頑張れば知識になりますし、
走ることが苦手でも毎日続ければ、必ずタイムは伸びます。
しかしリハビリはゼロにしかなりません。マイナスをなんとかゼロにしようとする、
地味で、辛いものです」


横山先生は二人にお茶を入れ前に置いた。


「ですから、すぐに前向きになって取り組める方は少なくて、みんなしばらくは
ため息ばかりついているんです。律子さんにも、そんな時期がありました」


当時のことを思い出し、母親は辛い顔をする。声をかけることさえ、

ためらうような時もあった。


「ご両親の励ましもあったことと思いますが、彼女の場合、
一番の力は……山室君だと、私は思っています」


柊の名前を出され、父親はすぐに視線を横山先生に向けた。

なぜ、自分たちがここへ呼びだされたのか、本当の意味を理解する。


「先生、それは……」

「ご両親が山室君に複雑な感情をお持ちなのはわかります。
私はあくまでも医師として話をしているので、最後まで聞いてください」


横山先生にそう言われ、父親はしかたなく言葉を止めた。


「私は、山室君がお父さんに追い返される姿を、この病院で何度も見ました。
こんなふうに事故の関係者同士が顔を合わせるようなことは、
本来あまりないことなんです。おそらく保険会社にも止められたと思うのですが。
どうしても謝罪したい……。それが彼の強い意志だったのでしょう」


柊が追い返される姿を何度も見かけ、律子からのメモを渡してくれたのは

この横山先生だった。


「そんな中で律子さんは私にこう言いました。先生、私の足が治れば、
彼はあんなふうに言われなくて済むんだよね……と。
自分だけが苦しんでいると思っていた彼女が、実は彼も苦しいんだということに
気付いたんです。そこから律子さんは前向きに変わってくれました。
誰よりも熱心に、リハビリに取り組んでくれて……」


データの紙を確認するように、見つめる横山先生。

律子の母は、黙っている父親の方を何度も横目で見る。


「『山室君を楽にしたい……』それが、律子さんの口癖になりました。山室君も、
時間が取れるときにはここへ通い、律子さんの姿をずっと見てきたんです。
彼を楽にしてあげたいと努力する律子さんと、そんな彼女を支えたいという
山室君が惹かれあうのは、自然な姿じゃないですか? 彼がいなければ、
律子さんの足はここまで回復していなかったでしょう……」


律子の父親は、その言葉を最後まで聞かずに立ち上がっていた。周りを見回し、

律子を探している。


「先生、律子はどこなんですか? リハビリしていないじゃないですか」

「……山室君と、病院の中庭にいると思います。散歩も立派なリハビリですから……」

「……」

「そこから見ていただければ、下にいるんじゃないですか?」


余計なことをするな……と言わんばかりの強い視線で、先生を睨む父親。

母親は立ち上がり、窓から下を見る。


「あ……」


ベンチに座り、手に缶コーヒーを持った二人が、何やら話している。

律子は明るい表情で、柊を見つめていた。


近頃、家で、あんな顔を見せてくれたことがない。心からの律子の笑顔を確認した母親は、

覚悟を決めたかのように振り返った。


「お父さん、律子の思うとおりにさせましょう……。
山室君との交際、認めてあげましょうよ……」


横山先生は、下にいる二人を見ながら、その母親の言葉を黙って聞いていた。


「ねぇ、お父さん……」


父親は何も言わず、エレベーターの方へ向かっていく。母親はため息をつき、

後ろ姿を見つめていた。





「ねぇ、柊。どうして散歩しろなんて言ってたんだろう、先生」

「さぁ……」


春らしい暖かな日差しを背に受ける二人。柊は時計を確認し、前を向いた。

木にとまっていた小さな鳥が、羽を動かし、飛び立っていく。


「ねぇ……研修って、どんな感じなの?」


柊はいきなり立ち上がると、頭を下げた。

律子は柊の視線の先を目で追いかけ、そばに来た人を確認する。


「お父さん……」


いるはずのない父親が、二人の前に現れた。律子をかばうように柊は前に立ち、

律子はその影に隠れながら、柊の背中を右手で強くつかむ。


「……律子。リハビリが終わったのなら、帰ろう。車で来たんだ……」


柊と一度だけ視線を合わせたが、言葉を交わすことなく、

父親は後ろにいる律子の腕をつかみ、引き寄せようとする。


「ちょっと待ってください。これでリハビリを終えていいのか、
横山先生に聞かないと……」

「……」

「律子、ほら……」


柊の言葉を無視した父親の手を、柊が逆につかみあげ、律子から引き離した。


「彼女はリハビリに来ているんです。こんなふうに扱うのは、
いくらなんでもひどすぎるんじゃないですか。彼女を苦しめることは、やめてください」

「……」

「憎いのは僕じゃないんですか?」

「……君は……」


柊に何かを言おうとする父親。その発言を遮るように、律子が横から声を出した。


「私の人生を変えたのは柊じゃない! こんなふうに……私から柊を奪おうとする、
お父さんなんだから……」

「……」

「律子……」


柊はそれはいけない……と言うように、首を振る。

律子は父親に背を向けそのまま黙ってしまった。

互いにしばらく視線を外したまま、その場に立ち続けていたが、父親は、

結局何も言わないまま、駐車場の方へ一人で歩いていった。


頑張ろうと約束したはずなのに、あらためて拒絶した態度を見せられると、

また気持ちが不安になり始める。柊は父親に言い返した律子を、自分の腕に引き入れ、

強く抱きしめた。


律子は柊の胸に顔を埋め、悔しそうに声を出さずに、泣いていた。





二人がリハビリ室へ戻っていくと、横山先生と母親が二人で待っていた。

柊は律子の母親に頭を下げ、律子を前に出す。


「ごめんね、りっちゃん。今日はご両親に来てもらったの」

「先生……」


悲しそうに横山先生を見る律子。柊は結局、何も出来ない自分に、腹を立てながら、

唇を噛みしめる。


「山室さん……」


律子の母親はしっかりと柊の方を向き、頭を下げた。何がなんだかわからないまま、

柊も頭を下げる。


「律子を支えてくださって、ありがとう……」


予想もしていなかった言葉に、返事が出来ない柊。

律子もそんな母親の言葉を、驚いた顔で聞いていた。


「お父さんも、本当はわかってるのよ。もう少し待ってあげて。
その分、お母さんが、協力するから」

「……お母さん……」

「あなたを責めてしまって、ごめんなさい。娘を思ってのことだと、許してもらえますか?」

「いえ……」


柊は首を振り下を向いた。律子の両親も苦しんでいる。

それは、しっかりと理解できていた。

そんな3人の姿を、横山先生は嬉しそうに見つめ、前に立つ律子の肩をポンと叩く。

律子はその合図に振り返り、横山先生に向かって嬉しそうに微笑んだ。


病院から部屋に戻った柊は、ベッドに横になる。たまには健介にでも連絡をして……。

そう思い携帯を持った瞬間、電話が鳴った。

相手の名前は『榊原律子』。柊は慌てて、受話器をあげる。


「もしもし……」

「柊?」

「律子?」

「携帯、お母さんが戻してくれたの。だからすぐに電話した」


協力すると言ってくれた言葉が、ウソじゃなかったことに、ホッとする柊。

明るい口調の律子が、何よりの証拠だった。


「ねぇ、明日の日曜日、会えない?」

「明日? 僕はいいけど……」

「明日、母とスーツを見に行くの。でも、午前中で終わるから。
そうしたら柊に会いに行っていいって、そう言ってくれた」

「……そっか……」


病院以外で久し振りに会う二人。買い物を終えたら、電話すると約束をする律子。

柊はその約束に、気持ちが高ぶっていくのを感じていた。





日曜日、律子からの電話を受け、柊は急いで駅へ向かう。

まるで初めてデートに行くような、新鮮な気持ちのまま……。


「柊!」


改札口を出て待っていた律子は、リハビリの時とは違い、少し化粧をしている。

ルージュをひいたその唇は、艶やかに光っていた。


「ごめん、待った?」

「ううん……ねぇ、お腹空いてない?」

「空いた……」


二人は歩き出し、マンションへ向かう商店街の中にある店で昼食を取った。

どんな買い物をしてきたのか、嬉しそうに話す律子。

そして、今日も2つだけケーキを買う。


「……おいしそうな匂い……」


そんなふうに無邪気に笑う律子を見ながら、柊はなぜか目頭が熱くなった。

ただ黙ったまま、歩き続ける。

部屋へ入り、律子はテーブルにケーキを置いた。柊は後ろから律子を抱きしめ、

彼女の左肩に顎を乗せる。


「……ごめん、律子……。話しをしている気持ちの余裕がないんだ……」


律子は何も言わずに首を少し振った。はじめからどこかに行くことなど、

考えてもみなかった。自分も気持ちは一緒だから……。

ただ、あなたと一緒にいたい……。その腕の中で、あなたのぬくもりを感じたい。

二人は今、同じ想いを抱き、そこに立っている。


「柊……手を離して……」

「エ?」

「……だって、キスが出来ない」


柊が抱きしめていた腕を離すと、律子は振り返った。キスをして、

互いの感触を確かめ合う。柊は律子の手を引き寄せ、ベッドサイドへ座らせた。

愛してる……と何度言っても、足りないものがあった。

そばにいて、笑っていることが幸せだと思っても、その確信が持てなかった。

柊は、律子にキスをしながら、言葉にならない想いを伝えようとする。


服のボタンに手をかけ、一つずつ外していく。互いの息づかいから、

はやまっている鼓動を感じ合う。


「シュウ……」


下着を押し上げた柊の手が律子の胸に触れる。その時、玄関のチャイムが鳴り、

驚いた律子の体が緊張し、二人の動きが止まった。


「……気にするなって……」


柊は小さくそう話しかけ、律子の鼻に軽く触れる。


「……うん……」


柊は律子をベッドに横にさせ、さらに手を伸ばそうとした。


「柊! いるんでしょ!」


来週東京へ来る予定の母が、いきなり二人の前に現れた。

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二人の恋の行方は……

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