17 恋ごころ(5)

17 恋ごころ(5)


割れた『茶碗蒸し』の容器と、中身がしみ出た紙袋を入れるため、

私は病院を飛び出し、近くのコンビニへ入った。

お金を支払い、色々な想いを詰め込みすぐに店を出る。

大事に抱えてきた日向さんへの差し入れは、今やゴミのようにしか見えなくなった。


駅への道はまっすぐだったが、何歩進んでも景色が変わらない気がした。

階段を下りながら、途中でハッキリと見えなくなり、横の手すりに手を乗せる。


急にこっちへ出てきた尚美は、嬉しそうに彼との旅行の写真を見せてくれた。

互いに自由な時間を持ち、行動できることは、どれほど幸せなことだろう。

それに比べて私は……。





好きな人を思いやることさえ、『くだらないこと』だと言われてしまった。





米原さんの言うとおり、日向さんの環境は、普通とは言えないものだろう。

私はそれを支えるスタッフの身でいるのだから、

理解し、活動しやすいような状況を作らなければならない。

それでも、吉野さんだけが出入りを許され、『特別だ』と言われることは、

どうしても納得がいかなかった。





特別な人って……





私は、日向さんにしっかりと抱きしめてもらいながら、

この瞬間は、私が特別だから、迎えられるものだと、そう思っていたのに……。





『欲望を満たす人』と、『特別な人』は、あなたにとって別なのですか?







ねぇ……日向さん。







どんな電車にどれくらい揺られたのかわからないが、私はなんとか部屋へ戻り、

それから真っ暗な中で、心を閉ざしたまま必死に眠った。





このまま、朝なんて来なければいいのに……





そう想いながら。





次の日は、事務所へ着くなり、予定外の仕事を告げられた。

出来たら何もしたくないところだが、万年人手不足の事務所内で、

そんなわがままは許されない。

佐藤さんは店の地図を私に手渡すと、スタジオの入り時間を教えてくれた。


「今朝早く、田沢さんから電話があったのよ。
今日の差し入れは前島さんに動くように指示して欲しいって。
理由を聞いたんだけど、いつものように大きな声で、『いいんだ』って押し切られて……」

「そうですか……」


田沢さんが私をスタジオへ呼ぶ意味は、わかっていた。

昨日、勝手に日向さんの病院へ行ったことを怒っているのだろう。

完全に許しているわけではないと言われていた私達の交際は、

また、反対されるのかも知れない。


私は、地図を見ながら、田沢さんの指示してくれた店へと向かった。

日向さんはまだ入院中だけれど、その他の役者さん達は、

すでにスタジオ撮影をスタートさせている。

今日は、『日向淳平』の名前で、スタッフに差し入れすることが決まっていて、

そのお菓子を取りに行くのが仕事だった。


赤坂にある和菓子屋『霧山』。

そこの小ぶりのどら焼きが今回の差し入れ。

甘みもしつこくなく、日向さん本人も気に入っていて、

粒あんと、ずんだあん、2つのどら焼きを、半分にして食べたこともある。


「こちらがご注文の品です。よろしいですか」

「はい、確かに」


お店のご厚意で、『オレンジスタジオ』まで、車に乗せてもらうことになった。

道の混雑は相変わらずだったが、抜け道を知っているご主人は、

なんなくそのピンチを切り抜ける。


「日向さんのケガ、どうですか?」

「あ……もう大丈夫なんです。明日にでも退院できると」

「そうですか……それならよかったですよ。落馬したって聞いたときは、
食事をする手が止まりましたから。いつもきちんと葉書をいただくんですよ。
『美味しかったです』の一言なんですけどね、電話じゃなくて葉書なところがまた、
家内とも嬉しさ倍増だねって……」


お世話になった人に、お礼の手紙を書くことは、

田沢さんがいつも日向さんに約束させていることだった。

今では、それが日向さんの当たり前になっていて、

マネージャーのたまごとしてそばにいたときには、常に切手を持ち、切らさないこと、

綺麗な記念切手などを見つけては買うことも、私の仕事だった。


「いい俳優になっているよね……彼は」

「ありがとうございます」


日向さんを知っている人たちが、こうして褒めてくれることは、

ケンカをした後でも、やはり嬉しい。

私は、自分のことでもないのに、顔が何度もにやけそうになる。


スタジオ裏の入り口に立っていたのは、田沢さんだった。

私は助手席から軽く頭を下げ、『霧山』のご主人と一緒に、差し入れのお菓子を運び出す。


「申し訳ないです、うちの社員ごと運んでいただいて」

「いえいえ、ご贔屓にしていただいてますから当然です」


田沢さんと『霧山』さんの車が出て行くのを見送り、一緒にエレベーターに乗る。

いつ、昨日のことを言われるのかと気にしてみるが、

何も言われないままエレベーターはスタジオのある階へ到着した。




空気が明らかに違う。




今まで、何度か日向さんの撮影現場に入ったことがあったが、

ドラマと映画ではこれほど違うのかと言うくらい、空気の重さが異なっている。


「史香、差し入れ台の前に、淳平の名前を書いて置いておくように」

「あ……はい」


田沢さんは私にそう言い残し、監督に報告するのか、スタジオの奥へ入っていった。

テーブルにはすでに別の役者さんからも差し入れが置かれていて、

そこには『吉野ひかり』さんの名前もある。

せっかく『霧山』さんに気分をよくしてもらった気持ちは、

目の前の名前を見ただけで、またどんよりし始めた。


「ねぇ、あなた、昨日のスタッフさんよね」


振り返った目の中に飛び込んできたのは、撮影衣装を身につけたひかりさんだった。

私は頭を深く下げ、なるべく顔を見ないようにする。

そういえば、日向さんのことだけで頭がいっぱいだったけれど、

病室にいきなり現れて、慌てて消えてしまった私のことを、

きっとおかしな人だと思っているに違いない。


「ねぇ……昨日、あなた病室に何をしに来たの? 
淳平に用事だったわりには、あっという間にいなくなるし、
荷物を持ってきたにしては、何も置いて帰らなかったし……」



あまりにもその通りで、答えようがなかった。

ひかりさんの口ぶりは、明らかに私の動きを怪しんでいて、

何かを引き出そうとする問いかけは、女のカンとでも言うのだろうか。

私はあらためて、昨日の行動を悔いた。



これじゃ、なんのために会わないと決めていたのか、わからなくなる。

私は、日向さんの邪魔をしているだけになってしまう。


「ねぇ、あなた……もしかしたら淳平に、個人的な……」

「史香! ちゃんと置いたのか」

「はい」


田沢さんがスタジオの前に戻って来た。

いつもは声をかけられると、緊張することの多い私だけれど、

今だけは、その大きな声が、助け舟の船頭さんに思えてくる。

田沢さんは、ひかりさんの言葉を聞いていたのか、

昨日は自分が私を病室へ来るように呼びつけたが、

時間を間違えていたことに気付き、慌ててしまったのだとフォローしてくれた。

田沢さんが出てきたことで、ひかりさんは、それ以上探ることは出来ないと思ったのか、

楽屋に向かい歩き出す。


「準備が終ったら、ちょっと来い」


差し入れを台の上に整えると、私は田沢さんに言われるまま撮影のスタジオ内に入った。

休憩中だけれど、その時間に動くスタッフもいて、次の準備に忙しそうだ。

『相良家』を象徴する応接間のセット、そこに敷き詰められている絨毯に、

ライトがあたり鮮やかな色を映し出す。日向さんもあの上で、真剣に演技をするのだろう。


「あの柱に貼り付けてあるシーンの表、わかるか?」


田沢さんが指を指した場所に、大きな紙が貼ってあった。

数字がいくつも並び、斜線が引かれていく。


「はい……」

「数字が飛んでいるだろう。あれは淳平の絡むシーンだ。つまり、撮り残し」


残っている数字を数えても、それだけ、日向さんが重要な配役なのが理解できた。

病室にいる日向さんも、この状況は十分わかっているはずで、

焦る気持ちも大きいだろう。


「少し早いけど、メシでも行くか、史香」

「はい……」


スタジオを出た田沢さんは、そのまま建物を出て、1件の『蕎麦や』に入った。

まだ、少し早めの時間だからか、店内にはまばらにしか客はいない。


「史香……昨日は驚いたぞ、あんなふうに病院へ来るなんて」

「……すみませんでした。私、日向さんの様子を確かめたくて」

「気持ちはわかるけどな……」


田沢さんはお冷に軽く口をつけ、ポーチから日向さんの携帯電話を取り出した。

電話で取り上げられていると言っていたのが、本当なんだとあらためてわかる。


「お前が淳平を心配するのは、もちろんあいつが好きだからだろうけれど、
『好き』という感情なら、俺も、米原さんも十分持っているんだぞ。
MMB大賞を獲るのに、畑山を意識していなかったといえばウソになるけれど、
俺の本当の目標は、あんなものじゃないんだ。
淳平には、本物の役者になってもらいたい……。心からそう思っているし、
あいつならそれが出来る。俺は、役者としてのあいつの才能に、惚れてるんだ」


田沢さんは、そういうとネクタイの結び目に触れ、軽く緩めると笑顔を見せてくれた。

日向さんの仕事への姿勢に共感し、それ以上の感情を持ち始めたのは、私も一緒だ。


「あいつは元々、映画に関わる仕事がしたくて、この業界に入ってきたけれど、
俳優をやるからには中途半端にするなといい続けて、やっとここまで来た。
人気役者だという評価は、自ら越えていかないとその先がない。
この『相良家の人々』はそのチャンスだと思ってる。
だから、撮影中は他の事を一切考えるなと、そう約束した」


そうだった……。

クランクインの前に、二人の時間を持てたのは、田沢さんがそう約束をしたからだった。

私は、ここのところ、日向さんの事故で頭がいっぱいになるだけで、

他の人の思いにまで、気が回らなかった気がする。


「会うな、顔を見せるなってことが酷なことは十分わかってる。
でもな、落馬をした……このことだけの心配を、史香にはして欲しくない。
あいつを大きくするために、将来の心配を一緒にして欲しい。
事故の電話を、最初に事務所へした時、お前の慌てぶりを見て、
これは会わせるわけには行かないとそう思った。
お前の動揺が、そのままあいつに伝わっていくし、
史香の気持ちにも、俺の気持ちにも応えなければならない淳平の体は一つだけだ」


昨日、あんなふうに病室へ行かなければ、

吉野さんに余計なことを聞かれなくても済んだはずだった。

もう少し冷静になるべきだったと、今更ながら反省する。


「今朝の話し合いで、明日退院が決まった。今日、これから病室に戻って、
携帯を淳平に返すから。まぁ……じっくり話でもすればいい」

「はい……」


私は、田沢さんの気持ちがわかるだけに申し訳なくて、

喉越しのいいはずの蕎麦が、なかなかお腹へ到達しなかった。





仕事を終え事務所に戻ると、レッスンを終えた保坂さんが、報告書を書いていた。

私は『霧山』で買った和菓子をテーブルに出し、佐藤さんにお勧めする。


「上品な甘さだよね、これ」

「そうなんですよ、ご主人のおすすめ……」


ポケットに入れてあった携帯が鳴り、受話器を開けると、

少し前に別れた田沢さんからだった。

何か言い忘れたことでもあったのかと、問いかけてみる。




『淳平が……病院を脱走した。お前のところじゃないのか』




「いえ……あの……」


声に出そうとして、目の前に保坂さんや佐藤さんがいることを思い出す。

私は、慌てないように、冷静になるようにと、自分に言いきかせながら、

『わかりません』と返事をした。


事務所の窓から見える景色の中に、日向さんが紛れ込んでいないかどうかと、

必死に目を向けながら……。






18 恋ごころ(6)


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コメント

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淳平、いずこへ~

田沢さん、いい人だあ~
史香のことも込みで心配してくれてますね。
以前は嫌なやつ呼ばわりしたかもしれません。。m(__)m

田沢さんがここまで大切に育てようと思うだけの俳優なんですよね、淳平は。。

史香にもそれがやっと分かってきたところなのに
淳平!脱走~~?!

どこへ行ったんだあ~@@
そして、こんなところで続くんだあ

難しい…


おはようございます!!

田沢さんの言うことも分かるけど…。

しばらくあえてない時間(とき)のあと
事故の話を聞いて冷静になれ、それにみあった行動をしろっていうのは難しいですよね。

それでも田沢さんと話したことで
史香が冷静さと周りの事が見える気持ちを取り戻して

淳平も退院が決まりヤレヤレよかったと思ったら…
淳平が脱走って…Σ(゜□゜;)

昨日の史香の様子が気になった?

自分のことばっかりだった自身を責めて失踪か?

案外、撮影現場に居たりして(^^;)…ないかっ!

あ~、気になる!!

続き楽しみにしてます o(^o^)o


では、また…(^.^)/~~~

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またまた、思う壺^^;

淳平の将来も含めて大切に考えている田沢さん、
本当に良い人なんだよね・・・

でもこんなふうに史香の事も思っていてくれたのなら
事故の後、もう少し淳平の様子を知らせてくれても良かったんじゃないの~
同じ『好き』でも、俳優としての日向淳平だけじゃなく
一人の男としての彼を愛している史香の気持ち・・
もうちょっと酌んで欲しかったよなぁ~なんて思う私は甘いのかしら?

まあ、とにかく無事退院も決まって一安心♪
って思っていたら・・淳平脱走!?
・・・っでココで終わりとは・・・くうぅ~~~~

こうやって、ももちゃんの思う壺にまたまた嵌っていく私なのでした^^;

きゃぁ!大変

こんばんは。
落馬した回を読んだあと
PCが力尽きてしまい、修理に出しておりまして
ココまでを一気読みしてきました・・・。

なんだか淳平の本意が私にはわからない・・・
史香ちゃんの気持ちは痛いほどわかるのに。

はてさて、淳平は今どこに?
続きを楽しみにしています。

特別・・・

ううーーー!!!!苦しい!!!!!

分ります、田沢さんの言いたいこと。
史香だって分って居るつもりだった。でも恋人が怪我をした。
それを動揺するなって言う方が無理。頭と心は違う動きをしちゃうから。それが恋なんだもの・・・

沢山の人が関わって、そして淳平を大きな役者にしたい。

脱走????何故今???

『特別』の意味が今になって気付いたか?

淳平、どこへ?

eikoちゃん、こんばんは!

>でも、彼の「くだらないこと」発言は、
 まだ私も許し難い~~! 
 日向さんは史香ちゃんに謝りたくて脱走したのかな?

さて、淳平は脱走してどこへ言ったのか。
『くだらない』発言について、
語ることはあるのかどうか……

>ん~~でも、まだ許してあげないぞ~~☆

あはは……
許してもらえるかなぁ、淳平。
次回をお待ちくださいね。

田沢の想い

れいもんさん、こんばんは!

>田沢さんがここまで大切に育てようと思うだけの
 俳優なんですよね、淳平は。。

マネージャーって、みなさんこういう気持ちを
持っている……(といいんだけど・笑)
才能に惚れないと、色々と面倒なんて
見られないだろうしね。

>どこへ行ったんだあ~@@

そうなんです、どこに行ったんでしょう。
それは次回へ!

女心だもんね

mamanさん、こんばんは!

>しばらくあえてない時間(とき)のあと
 事故の話を聞いて冷静になれ、
 それにみあった行動をしろっていうのは難しいですよね。

そうそう、難しいよね。
史香も、淳平も、そして田沢も、
まだまだぎこちない日々。
それぞれが、それぞれに反省すべきところが
ある気がするんだよね。

でも、史香は田沢と話が出来て、
心の中は少しスッキリしたはず。

さて、脱走した淳平は、どこに!
それはもちろん、次回……

ありがとう!

ナイショさん、こんばんは!

>頑張れ、二人!
 応援してます、ももんたさん。

キャー! 私にも応援が……
なんとありがたい。
これからも、お気楽におつきあいくださいね。

田沢も修行中?

パウワウちゃん、こんばんは!

>でもこんなふうに史香の事も思っていてくれたのなら
 事故の後、もう少し淳平の様子を知らせてくれても
 良かったんじゃないの~

そうそう、そうなんだよね。
史香も、淳平も、そして田沢も、
焦りまくっていたんでしょうけれど、
少しずつ、色々と学んでいくことでしょう。

でも、こうして二人で話せたことは、
これからもプラスにるはずで。

で、脱走(笑)

さて、どこに行ったのやら。

PC復活?

ヒャンスさん、こんばんは!

>落馬した回を読んだあと
 PCが力尽きてしまい、修理に出しておりまして

あ、そうだ、そうでした。
直ったんですか? 
(こうして来てくれたってことは、直ったんだよね)

>なんだか淳平の本意が私にはわからない・・・

うん、うん
史香の方からしか、今のところ見てないからね。
脱走した淳平、見つかるでしょうか。
次回へ続きます。

それが恋だよね

yonyonさん、こんばんは!

>史香だって分って居るつもりだった。
 でも恋人が怪我をした。それを動揺するなって言う方が無理。
 頭と心は違う動きをしちゃうから。それが恋なんだもの・・・

いいねぇ、『それが恋なんだもの……』
yonyonさん、これ、名言です。
そうそう、それが恋なのです。
冷静になれないんだよね。

さて、脱走犯の淳平は、
どこにいるのでしょうか。
仲直り出来るのかどうかも含め、次回へ続く。

次は、脱走です

yokanさん、こんばんは!

>ええ~、脱走(@@;)

あぁ、また、yokanさんの頭を悩ませている二人(笑)
どこへ行ったのか、それは次回にわかるんですけど、
史香も、淳平も、そして田沢も、
少しずつ成長していきますので、
温かい目で、おつきあいください(笑)

そうそう、マネージャーは大変なんだよね。

おほほほ^^^^

きゃあ~~~おくれた。

そういうことですかい。^^

と納得の私ですが、いろいろ厳しい状態だね。
俳優と俳優の彼女をやるのも普通の状態じゃないんだ。

うふふ。でも最後の“脱走”の
やった~と両手をあげて喜びました。^^

そんな状況です

tyatyaさん、こんばんは!

>そういうことですかい。^^

そういうことなのです。
芸能人の友達がいるわけではないけどね。
空想、妄想?
花盛りです(笑)

脱走、淳平はどこへ行ったのか。
それは次回です。
喜んでいただけて、嬉しいわ。