君に愛を語るとき …… 16 雪解け

16 雪解け



突然現れた母の声に、柊は体を起こし玄関を見る。律子も起き上がり、

外されたボタンをとめた。


「柊……」


律子の口に手を当て言葉を止める。ここで母と彼女を合わせることは避けなければと、

柊は律子を見つめながら、黙っていて……と首を横に振った。

そんな柊の手を自分で外す律子。


「私、悪いことをしているとは思ってない。逃げないで頑張ろうって言ったのは柊でしょ。
開けてあげて」


律子のその言葉で、自らそう宣言したことを思い出す、柊。自分をしっかりと見つめ、

覚悟を決めているような律子を抱き寄せた。


「何を言われても、傷つくなよ……」


律子が頷くのを確認した柊は、一度大きく息を吐くと、玄関に向かった。


「今、開ける」


ゆっくりと開けられたドアから、荷物を持った母が、入って来る。


「いないのかと思うじゃな……」


母の視線は部屋の奥に立っていた律子に向けられた。柊がその視線を追うと、

律子は母に頭を下げていた。


「榊原律子と申します」


母は一瞬、柊と目を合わせたが、すぐに前を向く。


「お名前は柊から聞いてます」


と、落ち着いたトーンで返事をした。


「母さん、来週だって言わなかったか?」


連絡もなしに、突然来るなんて……と、柊はいかにも迷惑そうにそう言った。


「茨城のおじいちゃんのところに、ついでに寄ろうと思ったのよ。
なかなか来る機会も少なくなったし」


母は、持って来た荷物を出し、色々と冷蔵庫に詰め込み始めた。


「ねぇ、律子さん、ちょうどよかった、そこに座って。話がしたいと思ってたのよ」

「あ、はい……」


そう答えた律子を心配そうに見つめる柊。律子は少しだけ微笑み、

言われた通りにその場に座った。


「柊、この烏龍茶でいいから、入れてちょうだい。
駅から歩いてきたから、ノド乾いちゃって……」

「母さん……」

「ほら、早く」


母は律子の前に座り、自分が持ってきた菓子折りを開け始めた。柊は仕方なく、

コップを取り冷蔵庫を開ける。


「ねぇ、律子さん。あなた、柊といることが辛くないの?」

「……」

「法的に責任がないと言われても、あなたにぶつかったのは、柊でしょ。
頼むから消えてと思うならともかく……」


菓子折の包装紙を破きながら、母は律子にそう問いかけた。何も知らない人から見たら、

そう思われるのも当然だろう。


「始めは正直そう思っていました。彼の顔を見るとどうしても思い出して」


柊は烏龍茶を入れながら、律子の言葉を聞いている。律子自身のこういった本音を、

ゆっくりと聞いたことなんて、そう言われてみたら、なかったのだ。


「でも、何度も父に怒鳴られて追い返される彼を見ているうちに、
この状況をなんとかしたいと思うようになって。
足さえ治れば、私も彼も抜けだされるんじゃないかって……」


柊が初めて見た律子は、車椅子に乗っていた。あなたの責任じゃないと言いながらも、

視線を合わせてくれることはなかったのだ。それから少しずつ変化してきた彼女の表情。


「だけど、右足が動くのと反比例するように、だんだん寂しくもなりました。
彼は足が治れば私の前からいなくなるのだから……と何度も自分に言い聞かせて。
それなのに、いつのまにか、病院に来てくれる彼を待つようになっていました」


律子は正直に話していた。

柊は流しの前に立ったまま、聞こえてくる彼女の言葉に集中する。


「柊の優しさに甘えて、ここまで来ました。感謝の気持ちは伝え切れないくらい
ありますけど、責める気持ちはありません。身勝手なようですが……」

「……」


律子はしっかりと目を前に向ける。柊は烏龍茶を手に持ち、部屋へ入っていく。


「あの事故は柊と出会うためにあったんだと、今ではそう思っています」


柊はコップをテーブルに置き、律子の右足に寄り添うように、横へ座った。

自分の発言が正しいのかどうか、不安そうに柊を見る律子。柊は小さく頷く。


「そばにいさせて欲しいと頼んだのは僕の方なんだ。感謝なんてしなくていいんだよ……」


律子はその言葉に下を向いた。彼女の目から、ポツンと涙が落ちる。


「母さん。僕はもう、責任だとか、申し訳ないとか言わないことにした。
それを言うと、彼女に同情しているみたいになるからね。普通に知り合った人達と
何も変わらない。律子が好きだから一緒にいたい。ただそれだけだ」


あなたが何を言おうと、私たちは変わらない……。

柊と律子は、互いの気持ちを聞き、同じように考えていた。

二人の言葉を聞き終えた母は、烏龍茶を一口飲む。


コップを手に持ったままの母。黙ったままの2人。

その沈黙を破ったのは、母だった。テーブルに飲みかけのコップを戻し、立ち上がる。


「柊、駅まで送って……」


何かを言い返してくるのだろうと思っていた母が、立ち上がったのを見て、驚く柊。

母は持ってきたハンドバックを手に取り、律子の方を見た。


「律子さん」

「はい……」


視線を合わせたまま、何も言わない母。そのちょっとした時間が、

3人の間に緊張感を作り出す。


「……うん、無理しないように……」


律子はその言葉に、丁寧に頭を下げた。母も軽く会釈をすると、靴を履き始める。

柊は律子の方を振り返って、『待っていて』と合図を送り、

荷物を持ったまま外へ出て行った。二人は何も話さないまま、駅までの半分の距離を進む。


「母さんね、新幹線の中では反対する気持ちで来たのよ。
お父さんは簡単に認めるようなこと言ったけど、母さんには母さんの気持ちがあったから」

「うん……」


柊はそう言った母が、少しだけ小さく見えるような気がしていた。育ててきた息子に、

それなりの希望も夢もあったのだろう。


「だから、今も賛成! って心から言いたい訳じゃないの。ただ、反対して、
あなたたちを納得させる理由が見つからない……それだけ」


その言葉を聞きながら、小さく頷く柊。どこか負けず嫌いで、

いつも賑やかな母らしいセリフだ、そう思っていた。


「なんでわざわざ大変な人を選ぶのよって。慶成大の大学院まで出て、
一流って言われる会社に内定して。ずっとそう思っていた。他にだって、
これからだって、あなたに似合う人が出てくるじゃないの……ってね」

「……」

「何も言わずに部屋に行って、柊がどんな暮らしぶりなのかのぞいてみたかったの。
まぁ、それなりに片付いていたし、彼女の小さなバッグと、ケーキの箱を見たら、
まぁ、それなりにちゃんと付き合っているのかなって……そう思った」


冷静に柊の暮らしぶりを見抜いている母。緊張して余裕がなかったのは、

自分だけだったのかと……柊はあらためてそう思う。


「お腹の中にいた時には、お母さんから栄養もらわなくちゃ、
生きていくことも出来なかったくせに、いつのまにか、歩いて、走って、友達作って……」

「……」

「勝手に好きな人……作っちゃうのね……」


離れていく息子への想いが溢れた言葉に、柊は少しだけ胸が痛む。

なんとなく視線をそらし、互いに別の方向を見る。


「……あの事故は、柊と出会うためにあった……。そんな彼女から、
無理やりあなたを引きはがすようなことは出来ないわよ。今日はお母さんの負け……」


自分の言葉で、気持ちを語った律子。その言葉を思いだし、目頭が熱くなる柊。


「僕も彼女から色々と教えてもらったんだよ。強さも優しさも……」

「そう……」


律子と過ごしてきた日々を振り返る柊。


「お父さん、柊と陽、どっちが早く彼女を連れてくるかってよく言ってるのよ。
全く、陽なんて、一緒にいるくせに、一人で帰ってくるんだから」

「母さん、あいつが同棲していること知ってるの?」


柊のその言葉に当然でしょと言う顔をする母。


「洗濯機の使い方も分からないような陽が、一人で暮らせるはずがないじゃない。
柊ならともかく……。面倒を見てくれる人がいるから出ていったのよ。
昔から、あの子はそういうところがちゃっかりしてるの」


親なんて……と強がっている陽のことも見抜いている母。なんだかんだと言っても、

それが親なんだと柊は思う。


「うちよりも向こうの方が複雑でしょうね」

「うん、お母さんは認めてくれたけど、お父さんがね」


未だに顔を合わせてもくれない父親。この間も、彼女をつかんだ手を、

怒りを抑えきれずに、思い切り引きはがしてしまったことを思い出す。


「まぁ、楽しみね、これから。来年の今頃、そんなことあったっけ?
って別の人に変わっているかもしれないし」


そう言って笑いながら柊の顔を覗き込む母。柊は少しだけ呆れた顔で、母を見る。


「柊、お母さんとの勝負はこれからだからね。お父さんみたいに、
簡単に折れたりなんかしないんだから……」

「……勝手に言ってろ!」


柊はわざと歩幅を広げ、母より少し前に出た。こんなひねくれたところを引き継いだのが、

弟の陽だと思ってしまう。


「もういいわよ、戻りなさい。駅、目の前に見えるから。
彼女、きっと不安なまま待ってるだろうし……」

「あぁ……うん」


柊は荷物を母に手渡し、もう一度じっくりと顔を見た。

いつのまにか白髪も見えるようになり、目尻のしわも増えている。


「柊、女は受け身だからね……」

「……うん」


顔を上げた母は、さっきまでの笑っていた顔ではない真剣な表情で柊を見た。

同じ女性として、律子を想ってくれている母の気持ちが、柊に伝わってくる。


「わかってる……」

「……じゃあね」

「うん……」


母は柊に背を向けると、駅に向かって2、3歩進み出した。


「母さん気をつけて! おじいちゃんや、叔父さん達にもよろしく!」

「あんたも一度くらい行きなさいよ! 東京にいるんだから!」

「うん」


柊はそう返事をし、背を向け走り出した。


「柊!」


その言葉に、足を止め、振り返る柊。


「向こうのご両親が許してくださったら……」


母は言葉を途中で止めた。柊はそのセリフの続きを、

過ぎていく車の音にかき消されないように……じっと待っている。


「……姫路に連れて来なさいね」


その言葉に笑顔で頷き、両手で大きな丸を作る柊だった。





部屋に残った律子は、ジェンガを出し、一つずつドミノのように並べていた。

10個並べては指で押す。カタカタ……と音を立て、倒れていくブロック。

それを何度も、何度も繰り返していた。


「はぁ……」


今頃柊は何を言われているんだろうか。自分の意見は言えたものの、

お母さんの気持ちは何も聞けなかった。

自分の親が柊を嫌がるように、自分も……。


その時玄関が開き、息を弾ませた柊が戻ってきた。

そのまま何も言わずに律子を抱きしめる。柊の心臓がこれ以上は無理だというくらい

速く動いているのを、律子は自分の頬で確認した。


「……律子……」


途切れそうな柊の言葉。


「柊、落ち着くま……」


律子の顎を上げ、キスをする柊。息が続かずに、すぐ唇を離す。


「……君のご両親が……許してくれたら、……姫路に……おいでって……」


柊の家族に認めてもらえたのだと、そう律子が思った時、

不安から解放された涙が頬を流れ落ちていく。


「律子……」


柊はその涙が通った頬の上にそっと唇を寄せる。


「君の言う通り、逃げたりせずに、ドアを開けてよかったよ」


律子は無言のまま、何度も何度も頷いていた。


冬に降り始めた、自分達への冷たい雪は、少しずつ温められる周りの空気によって、

確実にとけ始めているのだと、二人は感じていた。





季節は4月を過ぎ、5月になる。柊は正式に住谷建設へ入社し、社会人になっていた。

先輩と道路の設計図を持ち、あちこちの現場へと向かっていく。


「山室! 次、行くぞ!」

「……はい……」


そう言いながら車に乗り込んだ時、ポケットの携帯電話がメールの到着を告げた。

隣に座る先輩に見られないように、開いて内容を確認する。



『×』



そう一つだけ記されていたのは、律子からのメールだった。

4年生になり、彼女は就職活動をスタートさせていたのだ。今回もダメだった……。

それがわかり、苦笑いの柊。


「はぁ……」


食事をしながら、律子はため息をついていた。柊はそんな律子を見て、つい笑ってしまう。


「どうして笑うのよ、柊」

「ごめん……だって何度ため息つくんだろうなって、そう思ってさ」


律子の口が、すぐに尖り出す。


「柊みたいに、頭がよければな……。うちに来て下さいってお願いされる人に
なれたんだろうけど、私は……」


フォークでグラタンのマカロニを1本すくい、またため息をつく律子。


「お願いしますって言われる人になれたじゃないか、律子は」

「エ?」

「僕の彼女になって下さいって、そう言った覚えがあるんだけど……違った?」


柊は自信満々にそう言ったのだが、律子はその答えに不満そうな顔をする。


「それはそうだけど……」

「そうだけど?」

「お給料でないもん……」


律子はそう言うと、得意気に笑っていた。

落ち込んでいるように見せているだけなのか……と柊もつられて笑い出す。


「まだまだこれからだよ。縁があるところは必ずあるって」

「うん」


律子はそう返事をすると、美味しそうにまた食べ始めていた。





父親の許しはまだなかったが、遅い時間になった時には、

律子を家まで送るようになっていた。玄関には必ず母親が迎えに出てくれて、

柊にも声をかけてくれるようになったからだ。


「こんばんは」

「こんばんは……。山室さん、また律子に愚痴られたんでしょ」


律子の性格を知っている母の言葉に、全くもう……と口を尖らせる律子。


「いえ、僕も嫌なことがあったら、彼女に愚痴ってますから……」

「あら……」


律子の母親は、笑顔を見せ、柊を受け入れてくれた。さよなら……と律子に手を振り、

柊は隣の店の方へ歩く。

中では客からの注文の品を作っている父親の姿が見えた。

柊の方へ視線を向けてくれることはなかったが、柊は父親の姿を確認すると、

必ず頭を下げ帰って行くのが決まり事になっていた。


今日も頭を下げ、駅へと戻っていく。


柊が後ろを向いたのを確認した律子の父親は、駅に向かう柊の後ろ姿を、じっと見つめていた。

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